第10話
と。
突然ぼくらの前に、さっと庇うように立った絵鈴唯が急に叫びます。
「さっきからこそこそと、誰かな」
誰、とは。
ぼくとシイナちゃんがが戸惑ううちに沢山ある電柱の影のひとつが少し揺らぎました。
やがて少しずつ影が近付いて来ます。
しかし、答えては負けと思っているのか、なにか理由があるのか影は何も答えません。
「それは、心が、少し折れそうになるね」
同じく、あまり大声を出さない絵鈴唯が言います。
「運動会のときも、合唱のときも『聞こえない、聞こえない』と居残りさせられた。ある意味あれは、理不尽だったよ」
ハハッと苦笑いした絵鈴唯にぼくもなんだか同情しました。
声量や肺活量はひとそれぞれ、聴力もそれぞれ。ただ、この二つが合わさると最悪なのです。
「他の人もあまり出歩いてないですし、そうだとしても、その……この辺りは大体年輩の方ばかりだから『あんな風に』なるのが、なんだか、怖くて」
……なるほど、ぼくは適任だったのか。
「優しく、してもらえたのは、瑞だけでした」
ただただ、辛そうな顔で彼女は言いました。
そんな目を、しないで。
夜、といえば、あの事件を覚えているかという話を昨夜、夜道を歩きながらぼくは聞いて、絵鈴唯は寂しそうに頷いていました。
昔、大々的に報じられたこども誘拐事件。
犯人の供述は「私の心に入ってこようとしたから」
というもので、関係者たちを困惑させました。
ぼくと絵鈴唯は、わけあって『その場』にいたのですが、予告現場にはドクロマークが必ず残されていました。
ぼくらは、骨を見るとあのドクロマークを思い出します。
「腕、切ったんですね」
「うん。切りたかったんだよ。シイナちゃんもでしょう」
「痣が見たかったんです」
彼女は楽しそうに笑います。
「痛いな、と思わないと、現実がわからないんです」
「そんなもんだよね」
「そんなもんですね」
現実は、案外不安定のなかにあるから、ぼくたちはこうやってキズナを確かめる。
場には、否定する人はおらず、ただ穏やかで、あたたかな空気が流れていました。
あてもなく道を歩きながら、ぼくらは、いろんな話をしました。
近所の人、最近流行ってること、食べ物、アニメや漫画。
「最近ではだんだんとミュージカルや古典化するタイトルが流行っています。人気なのはジュリエットをタイトルにすることですね」
いつからミュージカルブームに。
「ミュージカルかぁ……」
それと、ロミオとジュリエットのような恋愛が流行っているのでしょうか。
ぼくも、昔見たミュージカルみたいに、恋人が毒薬を飲んで片方だけ生きるのには少し憧れがあったりします。
いや、正確には、ロミオの死に顔を眺めてうっとりしてから、改めて毒をのみたいというか。
「チッ、撒けてなかったか……」
絵鈴唯が言い、シイナちゃんはそっと僕の肩に寄り添いました。
「撒く?」
絵鈴唯が耳打ちします。
「瑞が、中に進んでるときちょうどあいつが逃げ出すとこだった」
「ほお。なんで?」
「僕が知るか。けど、なんか勘違いしたみたいで、その場から走ってたシイナを追いかけていったんですぐそばにいた僕も間にはいって追ったんだ」
だるそうな声で絵鈴唯が言います。
「少しだけ、なかを、見たくて、でも誰か居たから」シイナちゃんも答えました。
「いつの間にか二人して追われて、撒いてた」
なるほど、よほど見られたくないものでも見られたんだろうなぁ。
ぼくは冷静に思いました。
壁にべったりついた、赤いなにかを思い出します。
遺体があるわけじゃないし、おじいさんも刺されていたわけじゃない。
クリームお汁粉のような甘いにおいはしていなかった。
あれは……、
(いや、まずは)
と、少しずつこちらをうかがう目の前の電柱を眺めます。
なるほど、家自体には音を立てそうなものがほぼ無いとすれば、音を立てそうな物の外部からの侵入(または、逃走した)が考えられるのは納得しやすいことでした。
まず玄関の鍵は、ガタッみたいにいいそうには、ありません。
しかし、にしても、二人を追いかける理由になるようなものは果たしてあったでしょうか?
ぼくは一度、改めて思考します。
さっきまでのぼくが考えていたことと、改めて組み合わせて考えて……
「瑞」
絵鈴唯が頬をひっぱります。
「いひゃひゃひゃ……っ。うう……、わかったって」
ぼくらは『それ』と距離を取りながら少しずつ離れます。一気に走ると、消耗するためです。
どこかで、犬が吠えていました。最近は、毎日ではないけれど夜中によく、犬の鳴き声がしています。
「チッ、犬なんかいなくなればいいのに」
ぼくとは相性がよくないのか、あんまり、犬を可愛いと思いません。
さりげなさを装いつつ、影、から遠ざかりながら吐き出した声に、絵鈴唯がくくくくっ、と笑いました。
「瑞は昔から犬とは相いれないからな」
「あいつら昼間によく人間を散歩させているけど、どうも小バカにしてるというか。家族の一員ってんなら、外国みたいに、現代日本も犬に税金とればいいのに」
「それは一理ある」
窮状に陥ったとき、犬が助けてくれる話や警察犬だってあるけど、役に立つから好きになるか、というのは別の話。
公私は混同すべきでないのだから。
「さてと。この窮状を、どう改正しようか」
脳内では、窮状改正法案があちこちいったり来たりしています。
「瑞」
「なに?」
そのあいだも少しずつ、影が近付いて来ます。
ぼくたちが困っている理由のひとつは、自宅の方面には逃げられないこと、待ち伏せされるわけにはいかないことでした。店は大抵がもう閉まっているし、バスにも乗れません。
じっ、と絵鈴唯がぼくを見つめました。
ぼくは、絵鈴唯の、月明かりでうっすらと照らされたきれいな横顔を見ました。
しかたないな。
「はぁ……いっておくけどさ」
伸ばしぎみの、髪の中にある、わずかな『耳』が、ひくりと反応します。
「人は色で分けない。
運動会は終わりだ。
ぼくはこんな髪色にしたって、そりゃ体質だからだ。
赤や青の何倍も……
白が好きなんだ」
ガッ、と飛び上がり、影に向かっていきました。最近ほとんど運動はしてなかったけれど、この辺りは足場が多いのでどうにかなるでしょう。
たん、と電柱まで飛び移ると影、が一瞬なにか怯えを見せました。
その間に懐にもぐり込みガッ、と引き倒します。
「勝手に、都合を……決めるんじゃ、ねぇよッ!」
「な、なな、なんの……!」
横倒しになった相手の腕をとりあえず両手でおさえつけます。
「あと、深夜にドンドコやかましい曲鳴らして走んのやめろ!」
「そ、それは、わたしじゃありません!!」
男の目が、暗闇になれないうちに、絵鈴唯がやってきてぼくを抱き締めました。
さりげなく、頭を隠すように。
「絵鈴唯……絵鈴唯っ……ぼくは、人間、人間、なんだ……」
我に返ると、いつも空虚な気分に打ちのめされそうになります。
だから、そのまましがみついていました。
なにもかもが、怖い。シイナちゃんの方も、向けない。
「そうだ。人間だよ。ちゃんときみはヒトに見えているよ」
震えているぼくを、絵鈴唯はただ抱き締めています。勿論、ぼくは人間。なのに、わがままな自己主張をしている気分にもなります。
ぼくの母である穂始上家の人は、かつて、子宮がない人に第三者の子宮を移植する臨床研究……子宮移植計画に巻き込まれました。
『古の血』を引いているその身体を誘拐してきて第三者がデザイナーベビーのようなことをするために、殺されようとしたのです。
絵鈴唯たちも巻き込んだ黒い集団は、人間を操りモデル、俳優などとして『生きる資金源』を育てています。
『そのために』血が使われ、ぼくらは誘拐されたり、道具のように扱われた歴史をもっていました。
その身体をぼくは、引き継いで生まれていて、おかげで、周りと同じような授業に出たり友達と遊ぶのが、ただでさえ苦手でした。
昔絵本で読んだ『どらまだら』という種族の人の名残で、わずかに、耳のような、皮膚の余った部分がふさふさしているようなものが頭に名残でありますが……これ自体には、あまり聴力はありません。
なんら、人とかわりがない。
ただ。
「い、いまっ、狼が、居なかったか……!!」
倒れた男の、言葉が、胸に突き刺さるようです。絵鈴唯はぼくの背を撫でそれから、拘束を代わるようにして男を見つめます。
「狼なんかいない、僕らになんの用だ。追いかけて来たから、向かってきてみた」
二人が、なにやら話す間、ぼくは、さきほどの言葉と、麒麟みたいな顔をしたおばさんが
「お前らなんて終わってるくせに」と吐き捨てたのをぼんやりと思い出していました。
終わらせようとした、の間違いで、負け犬の遠吠えではあります。
それでも、何ら感じないということには心が痛みました。
結果からいえば、少し話をした後に絵鈴唯が通報して彼はパトカーにつれていかれました。
それをしばらくぼんやり眺めていました。
「彼はなんだったんだ?」
――絵鈴唯が言います。
「彼、は、ここに泊まっていた不法滞在者、かな」
つまり、おじいさんが見ていたのは彼だったというのでしょうか。
「そりゃ最初は幽霊かとも思ったよ。
でもね、僕も『くずざくら』を思い出した。
正当な手段を踏めなかった滞在者やはぐれものは、廃墟や空いた家を根城、隠れ蓑にするケースもあるんだ。
なにか目的があるのだろうね」
恐らくは、見張りなのでしょう。
家に近付いたり何かする人が居ればどこかに連絡する仕組みになっていた。
夜中は何もしないといっても、暴行まで犯す輩が手放させた家をただ野放しにするとは思えません。
念のために見張らせて置いたというのは考えられることでした。
「僕もそうだと思う。
けれど彼は今日、どうしたことか、それを放棄して逃げなければならなかった」
それは、ぼくたちが来たからなのでしょうか。なにか仲間と勘違いして警戒しなかったとか……
ヒグマが居て、おじいさんは、亡くなっていた。ワンピース姿で。
「けど……夜中に、何らかの形でおじいさんと話していたのだったら、報告をしないのだろうか」
ぼくが言うと絵鈴唯は、ふと目を細めました。
なにか思うところでもあるのか、ほんのりとぼやけて白い月を見つめて言います。
「話、をしていたとは限らない。ロボットを見せていたかもしれなくとも。会話は、一方通行だったのかもしれないね」
けど、だとしたら、いったい『彼女』は……
シイナちゃんはというと、しばらく固まっていました。
しかし、はっとしたようにこっちを向きました。
「……瑞」
真顔。
「はい」
何を言われるんだ、とドキドキしていると、彼女はぱあっと目を輝かせました。
「可愛いですっ!」
……え?
「夜中に、そうなるのですか?」
わくわくした目を見て、どうしたものかと考えながらぼくは言います。
「まぁ……たまに」
一応、髪に隠すことはできるけど。
『これ』が、
何度も盗まれるほどのレポートの理由でもありました。
もともと自分の経験をもとにすれば成績もとれるし将来を前向きに生かせるかもしれない!
と、この耳や、一族について独自に研究することにしたのですが……
発表も少ない『それ』にやけに詳しくて、怪しんだり疑われたり、先輩からも妬まれ、研究者からも追い回され……
目を付けられたのです。
ぼくの考えを奪えると思えば隣に越して来るのが安いくらいだったのでしょう。
「そうですか……」
彼女はなにか言いたげにちらちらとぼくを見ましたが、やがてやめたのか切り替えたようにおじいさんの話をしました。
「私、その『男の子』にはまだ会ったことがなくて……おじいさんからすればああいう、おじさんも、息子のような感じですよね」
「そう、ですね。盲点だったな」
ぼくは受け答えをしながら、ぐわんぐわんと鐘が鳴り響くようなめまいにおそわれていました。
彼らにより、ぼくの将来は、ほとんど完全に奪われていました。
未発表のものまでいつでも盗みに来るので、このまま、間違った研究が進むのかもしれません。
最後の嫌がらせで、先輩の間違っている点を指摘したレポートを提出しその盗作やいじめを示唆して帰って来ましたが、これからは、絵鈴唯以上か同じくらいに決まっていないのでした。
せめて、ありふれた日常生活に戻りたかったなぁと思うのですが……
誘拐未遂から戻ってきた際のこともあって、
犯人のことを知ったと
思われていてやはり日常も目をつけられており……
このままきっと、何かの弾みで殺されるのでしょう。
――えぇ、ぼくは他人なんかどうでも良い。
もちろんそれはそう。
死ぬことが嫌なわけでもない。
だから、本当は「出ていく」と、言うたびに、引き留めてきて媚びる先輩たちなんか、心のどこかでただ浅ましいだけの存在でしかなく感情なんて逐一動かしたくないとも、思います。
理解も、ある種のプライドも持たないような彼らに利用されるというその事実が、なにか大事なものを汚されたみたいで。これからの、誰かの未来を、汚してしまうみたいで嫌なだけで。
ただ単に、守りたいものだけがありました。
せめて、ぼく自身の『存在』を、彼らの毒牙から守らなければ本当の、求めていた本来の意味で誰かを救うなんてできやしないから。
ぼくは、ぼく以外の誰でもないのだ、とそれだけ記せればきっと幸せ者。
――それだけが、今、何もなくても、できることでした。
ぼくというのは、いままで浅ましい名をあげたような誰のことでもなかった、と、そう一瞬一瞬を留めて、いつか死ぬときまでは軌跡をこうして綴っていよう、と思います。
「ぼくは、怖く、ない、ですか?」
「うん。全然、怖くないよ」
「そう、ですか」
よく、わからない気持ちになりました。
怖くない。
ぼくが……
言われたことも、見せようとすることもない姿を彼女は、平然と受け入れている。
「そうですか」
頬に一筋滴が流れるのを俯いて隠し、ぼくはただそれだけ言います。
「ぼくもね、好きなんですよ。お話に出てくる、可愛い主人公みたいで……
物語に広がる世界の中は、誰も、差別しなくて」
ふと、いつか聞いた懐かしい声たちが、脳裏によぎります。
あれは、中学生くらいの頃。
絵鈴唯は、学校の授業から退屈そうに帰ってきたぼくの愚痴をしばらく聞いていました。
こんな獣の耳みたいなの恥ずかしい、息苦しい。いっそのこと不登校になろうか、と思春期のぼくは常に登校にストレスを覚えていたのです。
絵鈴唯はというと……
大体が保健室か、入院していてそれどころじゃありませんでしたが。
だから。
だからこそぼくは、聞いたのです。
「――ねぇ絵鈴唯。
どうしてそんなに笑っているんだ?
どうして、堂々としていられる?」
絵鈴唯だって自分は異様だと感じてるんだろ。
なのに、なぜ、必要より怯えずにいられるんだ。
世間の目を避けても、辛い言葉ばかりを聞かなくても『ぼくたち』が生きて居られる場所なんて、ないのに。
――あるよ。
――ないよ!
――ここに。世界は存在する。
絵鈴唯を保健室まで迎えに行ったいつもの帰り道で絵鈴唯は言います。鞄から、本を取り出して、穏やかな笑顔を浮かべて。
「現実にないなら、創ればいいんだよ」
つくる?
「そうやって、みんな、なにかで自分を肯定する手段を持っている」
物語のなかは、
ぼくが、生きていていい場所。
とがめられない場所。
獣耳の主人公も、白い髪と肌を持つ子も、力の強すぎた少年も、身体の弱すぎた子も。
「どんな姿でもね、主人公になれる。
『格好いい』と誰かが言ってくれるようなそういう主人公を作るのが、僕の希望なんだよ、瑞」
――何かを、創ることには、他人と変わっていることが逆にすごいことに見えてくるような、そんな魔法がある。
ぼくも『自分』を愛そうと思った。
「まぁ。その結果が、先輩たちの盗作やいじめになるんだけどね」
設定だ、嘘を付いていると執拗に絡まれたぼくは謎の裁判にかけられそうになって……まるで自分自身から拒絶されたみたいな残酷さですが、
当人たちは「いじめはやめよう」みたいなのを唱えているのだから、世界は不思議なものでした。
「……?」
シイナちゃんはただ首をかしげました。
ぼくは、言います。
ぼくは、ただ自分を愛せなかったから、愛そうと努めてきただけだった。
「その結果を世界は認めなくて、全部、未来を奪われてしまった。どころか、むしろね、ぼくは死ぬべきだと判断されてるんだよ。だから、あの日の昼間はね、自分の存在について少し、思うところがあった」
きみもいつか、知るだろう。
「ぼくはもうきっと、失っていくだけだけれど
自分が伝えてきたことはなにひとつ、すがすがしいくらい後悔しないんだ」
天才や異形は幸せになれない。なれたところで短命だ。
――それが昔から言われてきたこと。
「だって、結局文字だけじゃない部分が、こうして伝わるんだって、わかった」
お話に出てくる主人公だから、作品だから、という目線を越えた特別な感覚。
それは、物語が現実と繋がっていなければ知れないこと。
不幸とまとめるだけのものではなかったものを持って、ぼくはやがて死にに行く。
「えぇ、そう。貴方だから、だと。いえ、私だから?」
なにか、わからないけれど、通じるもの。
それは、コピー&ペーストできない形のないもの。
「ありがとう。ぼくは、きみには、ヒトに見えていたんだって、嬉しかった」
それは確かにあるらしいということを知れた。
それ、の存在はきっと、どんな作家にも描けなかった、唯一無二のものでしょう。
それは、ぼくたちにしか。または、当事者たちにしか、得られないのですから。
「帰ろうか」
ふと、絵鈴唯の横顔を見るとやはり、無表情で……ただ一言。
「筋トレでもしようかな」
と呟きました。
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