11.Lodging

「一か月後、パリスでインストアライブをする。それも、アコースティックアレンジで」

 パリスに戻った千鶴はそう言った。

 それも、三年前の私たちの最後のライブの日付と同じその日に。

 私は耳を疑った。そして信じられなかった。千鶴は自分の置かれている状況の中で、どうにかするための最善の手を考えていたようだ。千鶴の切り替えの早さに脱帽する。

 入江さんの話によると、そもそもパリスの前身だった店はジャズバーだったらしく、カウンターに向かって左側のスペースは元々演奏用のスペースがあったという。実際天井を見ると照明がステージの方を向いており、明かりの色も好きな色に変えられるらしい。

 私は一人、ベッドの上で考えていた。

 アコースティックライブなんて初めてだった。どうすれば良いのだろうか。

 まずは早急に、既存曲をアコースティック風にアレンジしなければならない。あるいは新曲を作るというのも良いだろう。

 私は千鶴のように、すぐにあの出来事から頭を切り替えることは出来ない。まずは、部屋の掃除と片付け、そしてバイト先に復帰の旨を伝える電話から始める必要があった。


 私が次にパリスへ顔を出したのは、次の土曜日だった。荒んだ生活のせいで崩した体調を整えるため、一週間ほど休息をしていた。しかしその間ELPISでも個人メッセージでも返事はしているため、そこまで心配は掛けていないはずだ。

 心の整理をつけ、いつもの扉を開く。

 いつものカウンターには、誰も座っていなかった。ふと、テ―ブル席に目を移す。そこには4人の影が見えた。

 千鶴と、もかと、由海と、そして何故か佳那が居た。

 四人はテーブル席を広々使い、ボードゲームに勤しんでいるようだ。自然み溢れる絵柄のボード上に人型のコマを幾つも置き、そして順番に無数のサイコロをカップに入れて振っている。よく見ると、置かれたコマの数とサイコロの数は同じらしい。そしてその出目の大きさによって皆、一喜一憂しているらしい。より大きい出目が出ると、多くの素材コマが貰えるようだった。

 仕方なく私は一人、カウンターでコーヒーを飲む。折角久しぶりに来たのに、なんだか疎外感を抱く。ゲームが終わったのは、それから一時間もあとのことだった。

「朱音、流石に悪かったって。初めてやるゲームだったから、こんな時間かかるとは思わなくてさ」

 私は千鶴の言葉にそっぽを向く、柄にもなく、子どもっぽく拗ねていた。既にコーヒーを4杯は飲み干していた。こんな思いをするくらいだったら、その辺のファミレスでドリンクバーを飲んでいた方がマシだった。加えてカフェインの摂取しすぎで今夜は眠れなくなりそうだ。

「私たちも一度始めたらついやめられなくて……ごめんなさい……」

「うちも謝るっす……」

「私もつい、楽しくなっちゃって。でも楽しかった」

 その後しばらくの間、私への慰め会が始まった。


「それで、最近どう?」

 佳那は私たち全員に漠然と問いかけた。先週の一件があり、調子良好とは言えなかった。

「ま、千鶴から多少聞いてるからさ。あんまり良くないのかなとは思ってるんだけど。でも、またライブやるんだって?」

 正直、私の本心としては本当にライブをやるのか、という段階だった。そもそも私は、私たちの目的地をまだ見定められていなかった。私は口を開く。

「佳那先輩、私たちはこれから先、何のためにバンドを続けていけば良いですか? こんなこと、プロ目指して真剣にやってる先輩に聞くのも失礼だと思いますけど」

 佳那は小さくうなると黙り込む。他の三人もそうだった。

 私たちはもかの「もう一度私の歌を聴きたい」という願いのためにバンドを始めた。そしてその目的は12月のライブで達成されてしまった。だから、これ以上バンドを続けることへのモチベーションが自分の中で分からなくなってしまっていた。

「逆に聞いていい? 朱音は何のために音楽を始めたの?」

「なんで、って、もかが私の歌を聴きたいって……」

「そっちじゃなくて、一番最初」

 一番最初……千鶴と出会った時。

「……千鶴が教えてくれたから。こんな格好良い世界があるんだって、教えてくれたから、その世界に飛び込みたくて」

 佳那は笑う。

「じゃ、それで良いじゃん? 私だって、そうだから」

「え?」

「え、じゃなくて。『音楽が好きだから、音楽をやる』、それで良いじゃん。まあ確かに目標や目的があった方が、やりやすいよ? でも軽音部のあの時みたいにさ、何も考えずやるのも楽しかったでしょ」

 シレーヌでの思い出が浮かぶ。あの頃はただみんなと一緒に音楽をやること自体がひたすらに楽しかった。

「もちろん、他の人がどうかは知らないよ。そこはみんなここに居るんだから、各々で話し合ってもらって。……例えばもかちゃん。そろそろギター飽きてきた?」

 急に名指しされたもかは慌てながら答える。

「へ!? 飽きるなんてそんな……! 段々弾けるようになってきたので……正直言うと今が一番楽しいです」

「由海ちゃんはバンド楽しい?」

「そりゃもう。バンドやるために生きてるんで。……あ、ちょっと!」

 由海は手持ち無沙汰にスティックでペン回ししながら答える。私はそれを取り上げた。

「ほら、若い衆二人がやりたいって言うんだから、朱音も引っ張ってあげるんだよ」

「……千鶴は?」

 無言で佳那を見ていた千鶴は一瞬私に目を合わせ、口を開く。

「やれるならやれるだけ、何度でもあのステージに立ちたいです。死ぬときはあのステージで死んでやるってくらいの覚悟で」

「よろしい。それこそバンドマン。でもね、その言葉が本当だとしても、無茶だけは二度としないで」

「……はい、ごめんなさい」

 千鶴はしおらしく謝る。

「別に説教してるわけじゃないんだから、そんな謝らないでよ。……そうそう、今日はそんな重たい話をしに来たわけじゃなくて、知り合いからどうしても営業してくれって頼まれているものがあって」

 佳那は鞄から一枚のチラシを取り出した。一瞬、何かを買わされるのではと身構えたが、違った。

「今度、元バンド仲間の知り合いが山梨の方でスタジオ付きコテージ棟の貸し出しを始めるらしくって。それで、宣伝とホームページ用に協力してくれるバンドは無いかって探してるところなの。泊まった感想と写真数枚さえ撮らせてもらえれば無償で貸し出してくれるらしいんだけど、ELPISのみんなはそういうの、興味ある?」

「スタジオ付きコテージ!? すげぇ!」

 まさか予想もしない方向の話だった。ライブの誘いか、あるいは私たちの様子見のために来たのかと思ったら、思いもよらぬ話に転がったものだ。

「ええ……と、泊まるなら一応親に聞いてみないと……」

「即決してほしいって訳でもないんだけど。一応2月頭……2/3辺りまでには呼びたいらしいから、それまでに決めてもらえれば」

「どうして私たちに声を掛けたんですか?」

 無償で貸し出してもらえるのは有り難いことだが、もっとプロを目指している人たちの方が都合良いのではないだろうか。

「いやね、そのオーナーのご指名が『若くて可愛いガールズバンド』だって言うの。若い女の子にも安心して使えるコテージだってことをアピールしたいらしくて。まあ可愛ければ可愛いほど写真映えもするしね。そしたらもう、私の中で当てはまるバンドはただ一つ、ELPISだったってわけ。あ、一応念のため言っておくけどオーナーは女性だから」

 正直、私は面白い話だと思った。合宿ならスタジオの時間に追われることもなく、作曲するにも三人の意見を聞きやすい。千鶴の件もこまめな休憩を取れるため、練習に専念できるはずだ。

 私は千鶴の様子を見た。佳那の持ってきた宣伝用チラシをじっと見ている。ふと顔を上げた瞬間、目が合う。私は思わず目を逸らした。

「うちはやりたいっすよ。こういうのちょっと憧れてたんで! どうっすか、チズさん、朱音さん!」

 私たちは黙り込んでいた。やはり、まだ完全に関係性が修復されきったとは言い難い。お互いに気まずさを感じている。

「……朱音はどう思う?」

 先に切り出したのは千鶴だった。やはり私とは違い、大人だ。

「私は……面白いとは思う」

 先ほど考えた理由を軽く述べ、千鶴に訊き返した。

「……うん。朱音がそう言うんだったら、もかちゃんのご両親の承認さえ取れれば、行ってみよう」

「ホントっすか! うへぇ今から楽しみになってきたっすね」

「もかちゃんのご両親からの承認が取れたら、ね。というか由海ちゃんはその辺大丈夫なの」

 喜ぶ由海に千鶴が釘を刺した。こういう些細なやりとりすら懐かしく感じた。

「了解、じゃあ今のところは行くかもしれないって方向ね。オーナーには一旦その旨で伝えておくから」

 その後は佳那とちょっとした雑談をして、その日は解散することとなった。


 二週間後、金曜日の夕方、私たちはバスに乗っていた。件の貸しコテージは山梨県の湖周辺にあるらしく、そこへ向かうには電車よりも車やバスの方が行きやすいという。新宿のバスターミナルから向かうこととなった。

 この二週間は一度もスタジオに入ることなく、各自が個人練習で済ませていた。千鶴に少しでも無理をさせないためだ。そして今日から二泊三日の合宿で、早くも一週間後に控えたライブのリハーサルまで終わらせるつもりだった。

 前の席に座っているもかと由海は、バスに乗った後、最初ははしゃいでいたものの、昼間の学校での疲れが残っていたのか、今は二人仲良く静かに眠っている。隣に座っている千鶴は、窓越しに高速道路の景色を眺めていた。

 ただバスの走行音だけが聞こえる。不規則に跳ねる振動はゆりかごのように心地よい。

「千鶴」

「どうしたの」

 私は小さな声で窓の外を見つめる千鶴に話しかけた。

「やっぱり、なんでもない」

「なに、気になるじゃん」

「……お菓子、食べる?」

「さっきのチョコ? 食べる食べる」

 私は駅で買った個包装のチョコレートを千鶴に差し出す。ついでに私も口にする。

「朱音って、甘いもの本当に大好きだよね」

「うん、好き。チョコが一番好き」

「あたしも」

「…………」

 あの一件以来、どうも私たちの関係はお互いに気を遣いすぎている気がする。気を遣いすぎた結果、本心ではなく上辺だけの会話しかしてない。千鶴は再び視線を窓の外へ向けようとした。

「あのさ、千鶴」

「ん?」

「……変なこと言っても、良い?」

「悪口以外ならどうぞ」

「あの……私は千鶴のこと、凄いって思ってて、凄く尊敬してて、凄く好き。……千鶴は、私のこと、どう思ってる?」

 『朱音のことなんか、ずっと大嫌いだった』

 その言葉が、今でも耳に残っていた。ずっと脳裏に焼き付いていた。一度謝られたとはいえ、私の中の無意識化での不安は今もなお、ずっと続いているようだった。

 千鶴は一瞬真剣な顔をした。私を見る。口を開こうとして、閉じた。そして、両腕で私を包んだ。甘える子どものように、あるいは子供をあやす母親のように私に抱き付く。

「大好きに決まってんじゃん。朱音を嫌いになんて、死んでもなるわけないじゃん。本当にごめん、あんなこと言って。ずっと心配かけてて、ごめん。ずっと気に掛けてくれてて、ごめんね」

「……うん」

 千鶴は静かに泣いているようだった。きっと、私だけじゃなく、千鶴もあの発言への後悔が残っていたのだろう。だから、お互いに本心を晒せずにこの二週間を過ごしてしてしまっていた。

「どうせもうライブ出来ないんだから、死んじゃおうって思ってた。死ぬんだから、朱音に嫌われようが何だって良いって思ってた。でも、よく考えたら朱音に嫌われながら、死にたくなんてないよ……。朱音はあたしにずっと助けられてたって言ったけど、あたしだって朱音にずっと助けられてきたんだよ。朱音が毎日のようにパリスまで来てくれたから、私も頑張らないと、って思って生きていられたのに。朱音が居たから、もかちゃんと出会えて、由海ちゃんと出会えて、もう一度音楽って言う名の生きがいに触れられたのに」

 あんなこと、嘘でも言うんじゃなかった。千鶴は小さくそう呟いた。

「……ありがとう。千鶴の想い、伝わったよ」

 やる前から後悔するって分かっているのに、ついやってしまうことは誰にだってある。大事なのは、その後だった。

 私たちは次のパーキングに停まるまで、ずっと手を繋いでいた。


「んー、ようやく着いたっすねぇ。ここからちょっと歩くんすよね」

 バスを降りると由海は全身を伸ばしながらそう言った。時刻は夜の7時を過ぎていた。辺りは街灯が少なく暗い。気温は5度以下らしく、あまりの寒さに思わず身を震わせた。

「地図によると……多分この道をまっすぐ10分くらい歩いたところにあるみたい。あんまり遅くなるのもあれだし、みんなちょっとだけ早歩きで」

 千鶴を先頭に、私たちは綺麗に舗装された道を歩いてゆく。

 やがて、目的の建物が見えてきた。暖色系の明かりが建物周辺を包んでいる。入り口前には一人の女性が手を大きく振って立っていた。

「佳那の後輩たち!? いらっしゃい。めっちゃ寒かったっしょ、入って入って!」

 セミロングの亜麻色の髪が魅力的な女性だった。私たちをお出迎えするためにこんな寒い中、入り口前で待っていてくれたらしい。彼女に案内され、受付へと向かう。室内には暖かいストーブが焚かれており、生き返る心地だった。

「ええと、佳那から大体の話は聞いてると思うけど、私がここのオーナの野中恵美です。一応、みんなの話も一通り聞いてるよ」

 私たちは簡単に自己紹介をし、早速今日明日泊まるコテージへと案内してもらう。壁や天井、家具など部屋全体が木を基調としており、見た目はとてもオシャレだ。尚且つ空調による暖房がコテージ全体に効いており、とても過ごしやすい空間だった。

「電気・ガス・水道は当然全部使えます。今回は食材もある程度冷蔵庫に入れておいたので、自由に使ってください。足りないものがあったら、フロントまで電話をくれれば車で買いに行くから安心してね。写真撮影の件は明日少しだけ時間貰えれば良いから。あ、あとスタジオは24時間使えます」

 軽くコテージ内を案内してもらい、「なんかあったらいつでも連絡して! 夜中でも大丈夫だから。それではごゆっくり」とだけ言うとオーナーは出て行ってしまった。私たちも荷物を置き場に置いて旅の疲れを休めることにした。

「ふぅー、このソファ座り心地良い!」

「ほんとだ、ふかふか」

 もかと由海は早速ソファへと腰かけ、飛び跳ねて遊んでいた。私は休憩もそこそこにして千鶴と一緒にキッチンへ向かう。

 冷蔵庫にはオーナーが言っていた通り、各種食材が一通り揃っていた。千鶴となんとなくレシピを確かめ合い、作る料理を決める。

 千鶴と肩を並べてキッチンに立つなんて、初めてだった。手料理を食べたことはないものの、千鶴は普段から料理をしているらしく、流石の包丁さばきだった。私も一人暮らしのため多少の料理経験は一応あるが、最近はコンビニのご飯か外食かカップ麺しか食べてない。ちゃんとした料理をするのは一年ぶりくらいだろうか。必要な食材を一まとめに集めた後、鍋に水を入れて温める。

 やがて20分も経つと、辺りには良い香りが漂ってきた。リビングの方から慌ただしい足音がして、由海が顔を出す。匂いにつられて様子を見に来たようだ。しかし後ろから現れたもかに首根っこを掴まれ、帰ってゆく。まるでペットだ。


「この後、どうする? スタジオ行く?」

 千鶴のお手製カレーを平らげた後、私は三人に問いかけた。もうすぐ九時だから、明日に備えて休んでも良かった。

「うちは一人でも行くっすけどね。一日一回叩かないとウズウズするんすよ」

「由海ちゃんが行くなら私も行こうかなぁ。やっぱり、一番初心者ですし頑張らなきゃ!」

「千鶴は?」

 千鶴はソファに横たわりながら唸っている。

「んー、今日はお休みしておこうかな。明日までにバテちゃうのも嫌だし。そういう朱音は?」

「私は……それじゃあ、折角なら少しだけ行こうかな。もかの練習も見ておきたいし」

「じゃ、あたしはゆっくりお風呂にでも入ってるから。みんなで行ってきな」

 私たちは千鶴を部屋に残し、コテージに隣接されているスタジオ棟へと向かった。

 スタジオはA室からD室までが用意されていた。どれも機材は変わらないらしく、一番手前の部屋の二重扉を開ける。部屋の中はギターアンプが2台とベースアンプが1台、そしてドラムが1セットとマイク用ミキサーが設置されている。ギタースタンドや丸椅子などは人数分用意されており、スタジオとしては至極一般的な設備が整っていた。これなら何の不自由もなく練習できそうだ。フロントではシールドの無料貸し出しや弦の販売もしているらしい。

 早速練習に取り掛かる。私ともかがチューニングしている間、由海は既にドラムを叩き始めていた。なんだか楽しそうだ。

「もか、調子はどう?」

「んー、どうでしょう……前と比べると自分では弾けるつもりになったつもりですけど、千鶴さんのあの演奏に追いつけるにはまだまだ掛かりそうです」

「もかにはもかのペースがあるから。それに歴が違うから仕方ないよ」

 私たちはしばらく個人練習をし、何度か三人で合わせてみる。様にはなってきたが、やっぱり千鶴のギターがないと物足りなかった。その後、10時には片付けをすることにした。

「さっきバスで二人が寝てる間に千鶴と決めたんだけど、明日は9時に受付集合。そこから写真撮影して、お昼食べたら午後から夕方までスタジオって流れで大丈夫?」

 片づけがてら、二人に連絡事項を伝えた。二人は返事をして頷く。やはり素直で良い子たちだ。

 そうして私たちはスタジオを後にした。


 次の日、天気は晴れて絶好の撮影日和だったが、陽が出ているにも関わらず、かなり寒かった。風が強いのは湖が近いからだろうか。しかし撮影のため、仕方なくコートを脱ぐ。

「それじゃあまずは入り口から撮るよ。楽しそうに笑ってー?」

 私たちはギグバッグを背負いながら、横一列で建物の入り口をバックにしてカメラで撮られる。今更だが、モデルでも何でもないこんな素人が被写体で大丈夫なのだろうか。因みに由海は不服そうにスティックだけ持たされていた。

 何枚か撮ると、オーナーは満足げに頷く。私たちはそんな調子でスタジオやコテージ内外、更には湖まで散歩して、幾つかの観光スポットで撮影をすることとなった。

「野中さんって、お一人でコテージの運営されてるんですか?」

 道中、もかはオーナーにそう話しかける。

「今のところはそのつもり。ただ本オープン後の4月までには仮でもスタッフ募集しないと、って思ってるんだけど、なかなか忙しくて手が回らなくてね……」

 その後湖に着くまで、オーナーによる苦労話が繰り広げられた。

 湖はただひたすらに広く、穏やかだった。もう少し暖かければ過ごしやすい陽気だっただろう。土曜日であったため、散歩に訪れる観光客もちらほら居るようだ。私たちは湖の外周を転々としながら、写真撮影をする。

 そんなゆったりとした午前を過ごした。


「新曲についてだけど」

 午後、スタジオに着くと私は真っ先にその話を持ち掛けた。私は今日までの二週間のうちにアコースティックライブ用の新曲のデモを書き上げていた。しかし、普段あまり考えたことのない曲調だったため、どうアレンジを加えれば良いのか、頭の中で迷走している途中だった。

 ELPISのグループメッセージにて既に音源は送っているため、あとはアレンジの方向性を決めるだけだ。

「あたしはあんな感じで良いと思うけど。もかちゃんのパートも難しくないし、スローテンポだから弾きやすいしね」

「うち的にはもっとこう、激しくやりたいんすけど、こういうシャレオツ系もたまにはアリっすね」

「わ、私は皆さんに付いていけるように頑張ります……!」

「じゃああれで決定ってことで、各自アレンジを加えるなりしてみて。あとは歌詞だけど……もか、またお願いできる?」

 私が書いても良いが、やはり得意というわけではない。もかに書いてもらえるならその方が良かった。

「あ、はい。もちろんです! 考えてみます!」

 そして私たちは既存曲のアレンジに取り掛かった。そもそもハイテンポな曲が多いため、全体のBPMを半分近く下げて、ゆっくり弾いてみる。ギターは緩やかなカッティングを多めにし、ベースラインにも変化を多めにする。ドラムは由海の感性に任せているが、どうやらいつもとは違う叩き方をしているらしく、特に問題なさそうだ。

 千鶴の体調を気を付けながら、私たちは椅子に座って演奏をする。本番もそういった形でやるつもりだ。

「千鶴、体調はどう?」

 一曲終え、私はつい千鶴にそう訊ねた。あまり心配そうな顔をしていたのか、千鶴は笑いだす。

「曲調ゆっくりだし、座ってるから動くこともないし全然大丈夫だって。体調悪くなってきたらすぐに言うから、信用してよ」

 そんなこと言って笑っているが、心配なものは心配だった。


 気が付くと夜7時を過ぎていた。普段時間を気にしがちなスタジオとは違い、つい時間を忘れてしまう。「そろそろ上がろう」と、私は三人に声を掛けた。

「……あ、朱音さん。ちょっといいですか?」

「ん、どうしたの」

 私が片づけを始めようとすると、もかが私に話しかけてくる。なんだか考え込んでいるような素振りだ。

「えーっと、そう! 歌詞のことなんですけど、私だけで考えるのも難しいなって思って、この後もまだスタジオで一緒に考えてくれませんか?」

「ああ、うん。分かった。参考になるかわからないけど手伝うよ」

 千鶴と由海は先に部屋へ戻り、夕飯の準備をしてくるという。由海のことは心配だったが、千鶴と一緒なら何とかなるだろう。私はデモ音源を流しながら、もかと一緒に歌詞を考えた。

 それからおよそ一時間、歌詞の外枠が完成した。後は曲の雰囲気やメロディに合わせて調整するだけだ。

 もかは落ち着かない様子で、歌詞を一瞥すると、

「あの、ありがとうございました! すみません、私、先に戻ってるのでゆっくり帰ってきてください!」

 とだけ言い残し、荷物を適当にまとめると急いで出て行ってしまった。一体どうしたのだろうか。

 スタジオを出ると、通路を塞ぐように由海が立っていた。なんだか私のことを待っていたようだ。しかし由海は何も言わずに私の手を引っ張った。

「え、由海さん。急にどうしたの」

「そういえば! うちだけ『さん』付けなのおかしくないっすか! もしかしてうちから距離置いてるんすか!?」

「ええ……どうしたの急に」

「良いから、来てください!」

 私は手を引かれると、D室を通り越して廊下の一番奥まで歩かされる。そして来た方向とは反対側の扉から野外へ出ることとなった。私たちが泊っているコテージとは反対側だ。周辺に電気は付いておらず、辺りは真っ暗で何も見えない。

 一体、何が目的なのだろうか。私はただ、困惑しか出来なかった。

「ほら、月と星が綺麗なんすよね。どうすか?」

「どうって……確かに綺麗だけど」

 由海は楽しそうに空を眺めている。確かに、この辺りは街灯が少なく空気も澄んでいるため星が良く見える。

「あれ、あそこに見えるおっきい星、あれがおおいぬ座のシリウスっす。あっちの赤いのがベテルギウス。で、そこから左のがプロキオンっす」

「……冬の大三角形?」

「正解っす! 流石は朱音さん、博識っすねぇ」

 この程度、常識の範疇だろう。

 それからしばらく、私は由海と無言で空を見上げていた。

「……朱音さん、ちょっと聞いてみてもいいっすか?」

「どうしたの?」

「前にも話したと思いますけど、うち、昔バンド組んでて。中学生の頃に二つと高校一年生の時に一つの合計三つ。ELPISは四つ目のバンドになるんすよ」

 昔、バンドを組んでいたことは聞いていた。しかしそれ以上のことは何も聞いていない。

「……んで、これまでの三つはどれとも喧嘩別れしてるんす。最初のバンドは中学のクラスの友達とでした。気の合う人たちが楽器に興味あるって言うんで、一緒にバンドやろうって誘ったんす。でも結局みんな全然真面目にやる気なくて、うちが文句言ってたら解散だー! ってなって……。

 二つ目はスタジオで知り合った人たちっす。ドラムが辞めちゃって、急遽人員探してたらしくて、一人でスタジオ入ってたところで声かけられて……。で、実際にやってみたら全然楽しくなくて。ドラムなんていても居なくても変わんないような音楽しかやってなかったんで、たまに好き勝手叩いてたら怒られて、ムカついてそのまま抜けちゃいました。

 三つ目は楽器屋のメンバー募集見て、声かけてみたんす。音楽ジャンルもうちが好きそうな感じだったし、せっかく高校生になったんだから心機一転頑張るぞ! ってな感じで連絡してみたんす。……でも、こんな性格だから嫌われちゃって、それにキレたらバンドから追い出されたって形っすよ」

 私は黙って聞いていた。由海の顔は暗くてよく見えない。

「――だから、うちは自由にさせてくれるこのバンドが好きなんです。音楽でもそれ以外でも」

 しかしきっとその顔は笑顔なのだろう。

「じゃあ、私も由海さんについて喋っていい?」

「え、気になりますです!」

「……最初で会った時、私は正直、由海さんのことを勘違いしてた。ノリが軽いだけで何も考えてないだろうなって、私とは真逆のタイプなんだろうなって、正直思ってた。けど何度か会っていくうちに、口だけじゃないんだなってことは分かって。案外、ちゃんと考えてるんだなって思った。それに、この間の千鶴の件で確信した。由海さんは色々なことを考えた上で、自分のやりたい方にまっすぐ進んでるって。私にはそれは出来ないから、由海さんのこと、私は尊敬してる。初めて会った日、由海さんのことを苦手って言ったけど、今は由海さんのこと、凄く好きだよ」

 由海は私のことを驚いたように見つめる。そんなに意外な発言だっただろうか。あるいは褒められ慣れていないのかもしれない。笑顔で口を開いた。

「……そんなべた褒めされると照れるものも照れられないっすよ!」

「そういうの、千鶴とかもかに見せたら『可愛い』って揶揄われるから気を付けた方が良いよ」

「朱音さんのそれも揶揄いじゃないっすか!」

 私たちは笑う。私はドラムが由海で良かったと心から思った。二人の笑い声は暗いコテージの奥まで響き渡った。笑い疲れてお腹が痛い。そうして私たちはもう一度夜空を見上げた。

「寒いし、そろそろ戻らない? きっともかと千鶴も待ってると思うし」

「えー、名前呼び捨てで呼んでくれるまで帰らないっす」

「……由海、帰るよ」

「はーい、っす! へへ、照れるすね」

 それにしても、こんな話をするなんて本当にどうしたのだろうか。由海が私に対して何の目的もなく、こんな意味のないことをするとは思えなかった。……もかに対してなら意味のないことだってしそうだけど。

 由海は再び私の手を引っ張ると、急ぐようにスタジオ棟の廊下を通り抜け、私たちのコテージへと向かった。


 コテージ直前で私は由海に前に行くように押される。私は何の疑問も持たず、そのままコテージの扉を開いた。すると、

「朱音、誕生日おめでとう!」

「朱音さん、おめでとうございます!」

 クラッカーの破裂音とともに、私の目の前にはもかと千鶴が現れた。部屋は紙テープなどで飾り付けされており、私が昨日座っていた椅子には過剰なほど装飾が施されている。

「これ、被ってくださいっす」

「え……」

 由海から手渡されたのはカラフルで巨大なシルクハットだった。正面には『本日の主役』と大きく書かれている。私が固まっていると、無理矢理頭に被せられた。一体こんなもの、どこから取り出したのか。

「ええと……その……」

「今日、2/3ですよ! もしかして自分の誕生日、忘れてました?」

「え、そうだっけ……」

 もかの言う通り、完全に忘れていた。日付間隔が曖昧になっているようだ。私は被せられた帽子を取りながら感謝を伝える。

「ええと、その、三人ともありがとう。もかと由海の様子がおかしかったのは、もしかして交互に準備をしてたから?」

 二人の不可解な行動が腑に落ちた。もかが引き留めている間に千鶴と由海が準備をし、終わったら今度は由海が引き留めている間にもかが準備をしていたようだ。きっと千鶴は料理係で、二人が賑やかしと飾り付け係なのだろう。本当にくだらなすぎて、なんだか私は思わず大声で笑ってしまった。

「なんだか、朱音さんがこんな風に笑ったの、初めて見た気がします」

「こんな風に大笑いする朱音なんて数年にあるかないかくらい貴重なんだから、二人ともしっかり目に焼き付けておくんだよ?」

「無駄に頑張った甲斐があったすね! ま、うちはさっきそこで朱音さんと大笑いしてきたんすけど」

 そんな風に私たちは笑い転げ、そして夕飯とケーキを食べると、夜遅くまで千鶴の持ってきたボードゲームで遊んだ。巨大な歯車の上に人型のコマを置いたりして、コーンや資源を集めてゆくゲームだった。初めてのボードゲームはとても興味深く、面白いものだった。


 そして夜中の2時、私たちはそれぞれベッドに潜った。2つずつ連なる横並びのベッドだったが、距離はそれほど離れていないため、ほんの少しだけ寝る前のお喋りをする。

「……そういえば、千鶴に謝らないといけないことがあるんだった」

「なになに? 教えて」

「だいぶ前、うちの冷蔵庫に勝手に置いていったお酒あるよね。この間、もかと一緒に一缶だけ飲んじゃった。ちょうどクリスマスイブだから、シャンパン代わりに少しくらいなら良いかなって思って」

「え、朱音はともかく、もかちゃんも飲んだの!? 流石にまだ早いでしょー?」

「えー! もか、お酒飲んだの! どうだった?」

「ご、ごめんなさい……朱音さんが先に寝ちゃったので、余った分ならこっそり飲んでも良いかなって…….味はね、なんか不思議な感じだった」

 そんな大したことのない話だ。そんなくだらない日々が、私にとっては堪らなく楽しかった。由海のくだらない話に涙が出るほど笑って、もかの話では和んで、千鶴の変にタメになる話は相変わらず面白かった。

 ――そんな楽しい時間だったのに。

 ――何故だか、悪い予感がした。

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