9.Greed
年明けから数日経った陽気な午後、私は千鶴の家へ向かった。
12/30のパリスでの大掃除以降、千鶴からの連絡が途絶えていた。日頃から返信の早い彼女が年明けのメッセージに返事をしないわけがなく、何かがあったことは間違いなかった。
試しに直接電話しても、どうも電源が切られているらしく、繋がらない。入江さんに連絡しても、どうも知らないらしい。
もしかすると、スマホを壊したり失くしたのかもしれない。きっと三が日が過ぎた後、携帯ショップの営業が始まればすぐに連絡が来るだろう。そんな楽観的な態度で数日過ごしていた。
――私は忘れていた。いや、日ごろの千鶴の様子から、既に治ったものだと勘違いしていた。そのことすらも、今の私は忘れていた。
しびれを切らした私は1/4の午後、千鶴の家へ向かって様子を確かめることに決めた。電車で10分程度揺られ、千鶴の住むマンションのインターフォンを押す。二回、三回……と押すが、中から返事はない。もしかすると旅行先にでも居るのだろうか。
「追川さんなら、ここしばらく帰ってきてないよ」
背後から急に声がした。どうやら隣人の方らしい。ご年配の婦人だった。
「いつ頃から居ないとか……わかりますか? 私、ここの千鶴さんの友人で、ここ数日連絡取れなくて」
「あらま、可哀想にねぇ……あなたのお友達、年末に救急車で運ばれていったわ。苦しそうにしててねぇ……」
私は息が止まりそうになった。婦人からその話をされるまで、私は千鶴の持病の存在を忘れていた。私は感謝もそこそこに、千鶴が居るであろう病院まで駆けて行った。
息も整わぬうちに、病院のフロントに千鶴が居るかどうかを尋ねる。受付の女性は困っていたが、何とか無理を言って調べてもらう。
「追川千鶴さん……ですね、確かにうちに入院されていますが……現在、ご家族以外の面会はお断りさせていただいております」
「そう、ですか……」
私は絶句した。その場で倒れそうだった。なんとか待合室のベンチに座り込み、呼吸を整えた。冷や汗が止まらない。
もかと由海からメッセージが次々と届いていた。千鶴を心配する内容だ。私は、二人になんと伝えれば良いのか、分からなかった。
結局、私は一言も返すことが出来ず、ただ病院の椅子にじっと座り込んでいることしかできなかった。
何もかも、私のせいだった。
私は千鶴のことを誰よりも知っているつもりだったし、きっと千鶴も私に対してそう思ってくれているはずだった。
にも関わらず、私は千鶴のことを知ったつもりになっていただけで、本当は何も知らなかった。きっと千鶴もそれを私に隠していたのかもしれない。それでも、それに気付けない私は、あまりにも鈍感で情けない。
三年前のあの日、千鶴が倒れた時のことを思い出す。私の目の前で、苦しむ千鶴の表情が頭にこびりついている。もしかしたら、今回もそんな目に遭っているのかもしれない。そんな想像をして、全身が震えた。
「あの……ちょっとよろしいですか? 先ほどの件でお話があるのですが」
そんな様子の私を見かねたのか、先ほどの受付に居た女性が私の元へ訪れ、千鶴の様子をこっそりと教えてくれる。
「主治医の方によると、命には別条ないとの話です。明日からは面談可能になるそうです。……ただ数日は散歩などの軽い運動も控えるように、と」
「そう、ですか……。すみません、わざわざありがとうございます」
私はこれ以上迷惑を掛けられないと思い、病院の外に出た。
照り返す太陽の光が眩しい。
吐き気がする。
私はまともに歩けていなかった。
スマホにはもかからの着信が何件も来ていた。出たくなかった。ただ私は一瞬考えた後、折り返すことにした。
「千鶴さんは!?」
もかはワンコールで出た。いつもなら丁寧に名前を名乗るのに、今日だけは違う。
私は、なんと言えば良いかわからず、黙り込んでしまった。頭を抱え、アスファルトにしゃがみこむ。泣きそうだった。
「今、由海ちゃんとパリスに居ます。もし何かわかったなら、来てください」
もかは「お願いします」とだけ言って、電話を切った。私は……パリスへ向かった。
いつもの扉をくぐる。もかと由海がカウンターに座っていた。いつものようにボードゲームはやっていない。当然だ。千鶴はここには居ない。
「朱音さん……!」
二人は立ち上がって、私の元へ来た。二人とも心配そうで、今にも泣きだしそうな表情をしている。きっと私も同じだ。
私は何も言えず、カウンターまで歩き、座った。キッチンから遠巻きに私を見る入江さんが見えた。
「朱音さん、何とか言ってほしいっす。チズさんに、何があったんすか?」
「病院に行ってきた」
「え……」
「面会できなかった」
淡々とした事実しか言えなかった。
「どういうことっすか。ちゃんと言わないと伝わんないっすよ!」
「命には別条ないらしい……し、明日から面談もできるようになるらしい」
二人の安堵する声が聞こえる。しかし私にそんな余裕なかった。
「……私のせいだ」
私のせいだった。
「どういうことですか……?」
「私はあの時、止めるべきだった」
バンドが解散した理由は、私だけが原因ではなかった。むしろ、本来私の家族問題よりもこっちの方がもっと深刻な問題だった。
「あの時……?」
「私たちは、もう二度とバンドなんて組むべきじゃなかったんだ」
あの日、千鶴は私の前で倒れた。そして、それから、救急車に運ばれて、それから千鶴は、二度と帰ってこなかった。あの光景がフラッシュバックする。
「朱音さん、しっかりしてください。ちゃんとこっち見てください!」
もかに両肩を掴まれ、揺さぶられる。私は我に返る。身体が震えていた。
「千鶴さんに、何があったか、ゆっくり教えてもらえますか?」
「……私たちが音楽を辞めた理由の一つは、千鶴の病気だった。私たちのあのラストライブから半月後、私たちは体育館で体育の授業を受けてた。バスケの試合をしていて、私と千鶴は敵チーム同士だった。私たちがコートを走っていると、千鶴は急に転んで、それから起き上がらなかった。私は慌てて千鶴に駆け寄ったけど、千鶴はすごく苦しそうに胸を強く押さえてて……様子に気付いた体育教師が救急車呼んで……」
もかと由海は固唾をのんで聞いている。私の声は誰が聞いても酷く震えていた。
「それから、千鶴は学校に来れなくなった。急性の心臓病で、合併症の検査込みで数ヵ月かは入院することになったって、倒れてから一か月後くらいに千鶴本人から電話があった。しばらくは軽い運動も出来ないから、もうライブは出来ないかもって、電話越しに明るく言ってた」
もかは私にハンカチを渡してきた。気が付かないうちに、泣いていたようだ。私はそのまま話を続けた。
「佳那先輩はきっと、これを聞いて新しいバンドを始めることにしたんだと思う。だから私たちにずっと後ろめたいものを持ってて、私たちへの連絡を控えてたみたい。もう一人のドラムの先輩――風香先輩も地方の大学に進学して私たちとは疎遠になった。そして、私は音楽を禁止されていた。私たちのシレーヌはこうして自然消滅したんだよ。それなのに、私は千鶴とまたバンドを始めた。日頃、辛そうな姿を見せない千鶴に甘えて『もう完治したんだ』って勝手に思い込んでて……」
「それを言うなら、私だって悪いです! 私が朱音さんのことなんて探さなければ、千鶴さんはこんなことにならなかったのに……」
「いや、きっと……うちも悪いんすよ。うちのせいで……」
「もかも、由海さんも……私なんかを気遣ってくれてありがとう。でも、千鶴の容態を知ってるにも関わらず、自分のことしか考えていなかった私が一番、悪いよ」
今考えれば、ライブ中のMCを私にさせたのも、心臓が苦しかったからかもしれない。そう考えると、バンド活動をしてきたこれまでの二か月間、様々な悪い想像が膨らんでゆく。
「でも、チズさん。死なないんすよね。なら、うちは安心しました。……死んじゃうのが、一番悲しいから」
「あ、明日から面会できるってことは、きっと明日には千鶴さんからも連絡来ますよ! 今日は一旦、休みませんか?」
私たちはパリスを出て、解散した。
それから私はバイト先に体調不良の連絡をすると、ベッドに倒れ、布団を被った。
その夜、私は通知音で目を覚ました。ELPISのグループメッセージだ。
『みんなごめん! 連絡しなくて迷惑かけたみたいで。ちょっと今、色々立て込んでて、しばらくパリスには行けない!』
千鶴は詳細への言及を避け、そんなメッセージを送ってきた。私たちに心配をさせないためだ。
『ごめん。今日病院に行って聞いてきた』
私は単刀直入に言う。返信が少しの間途切れた。
『あー、ごめん』
『明日、面談行くから』
『わかった』
そして、次の日の朝から私は千鶴の居る病院へ向かった。あまり大人数で行くのも迷惑なので、私一人だ。
受付で千鶴から教わった部屋番号を言うと、入院棟までの道を案内される。私はそれに従い、千鶴の待つ部屋へ向かった。
「……朱音、早いね」
個室のベッドの上には千鶴が横になっていた。横の椅子には千鶴の母親が座っている。
「千鶴……」
「ごめん、お母さん、一旦外してくれる? 朱音とは色々話しておかないことがあって。それにずっと私に付きっきりで休んでないし、少し外の空気吸ってきた方が良いよ」
千鶴の母親は頷くと椅子から立ち上がり、すれ違いざまに私に挨拶をした。
「あぁ、朱音さん。お久しぶりです。千鶴の母です」
「どうも、お久しぶりです」
そしてそのまま部屋から出て行った。やや憔悴しているようだった。
「まあ、座ってよ」
「……うん」
促されるままに私は椅子に座る。どこから切り出せばよいか分からなかった。
しばらく、無言が続く。やがて、先に切り出したのは千鶴だった。
「まさか病院の位置まで当てるとは思わなかったよ」
「昔倒れた時、お見舞いに行ったことあるから。……同じ病院かなって」
「もう年末からお母さんとずっとこの部屋に居たからさ、流石にちょっと息詰まるよね」
「……やっぱり、あのライブのせいで」
「朱音が責任感じてるんだったら、大間違いだよ。あたしがバンドを組むように言って、あたしがライブを決めたんだから、これは自業自得の自己責任」
「でも……!」
「でもそのおかげで、あたしたちはまたバンドを組めた。もかちゃんと由海ちゃんという大切な友達も出来た。そしてあんな大々的なライブで最高の演奏が出来たんだもん。あたしの人生にもう悔いは無いんだよ」
私は椅子を蹴って立ち上がる。頭に血が上っているのが分かった。千鶴は、何を言っているんだ……?
千鶴はそんな私とは裏腹に達観したような表情で、私を見ている。
「あたしの言ってることがどういう意味か、分かった? 私は自殺しようとしたの。どうせなら、楽しい日々を最後に送って、それで死のうって。ライブ中に心臓が止まれば良いのにってずっと願ってた。結局、ライブが終わってから一日経った後に倒れちゃったんだけどね」
開いた口が塞がらなかった。もかたちを連れてこなくて本当に良かった。私は千鶴が病人であることを忘れ、その肩を強く掴んで揺さぶる。
「ふざけないで……! 千鶴が死んだらどれだけの人が悲しむと思ってるの!? もかだって由海だって、千鶴のお母さんだって、入江さんだって、佳那先輩だって、もっと色々な人だって、悲しいんだよ!? それに……」
私は錯乱していた。ここのところ感情が昂ぶりすぎている、と冷静な自分が囁いた。
「残された私は、どうしたらいいの」
私は叫んだ。我ながらずいぶんと小さく掠れた叫びだ。千鶴がいなくなった未来なんて、私には想像つかなかった。千鶴が居なくなること、それは私の居場所がなくなることに等しかった。ただ死んだように生きていた日々。唯一パリスで千鶴と話しているときだけ、私は生きていた。千鶴はそれを、私から奪うというのか。
「……朱音にはもう、あたし以外の居場所があるよ。今、朱音が名前を挙げた人は全員、朱音の居場所にもなり得るんだよ。だからもうあたしが居なくても――」
私は病室から逃げ出していた。
もう、聞きたくなかった。
居場所なんて、どうでも良い。
私はただ――千鶴と一緒にずっと遊んでいたいだけだった。
パリスのカウンター席で、一人でボードゲームをしている横顔をただずっと眺めていたいだけだった。
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