6.Merry

「比良田さん、いつも本当にごめん。また今日もちょっとだけ夜勤頼まれてくれないかな」

「まあ、良いですけど。最近は私も融通利かせてもらってますし」

 夜の10時、凍えるような外の寒さとは無縁のコンビニ店内。私は事務室で店長からの電話を受けていた。相変わらず万年人手不足のこの店は寒波のせいか、客足すら途絶えていた。

 店長の居る二店舗目は駅前にあり、電車が動いているこの時間では、客の出入りも未だにそれなりにあるようだ。当然、力の入れようも違うのだろう。

 私はあくびを噛み殺す。きっと新曲デモの完成版を作るために夜更かしをしたせいだ。しかも明日の土曜日は昼間から集合する予定のため、寝不足確定だった。

 電話を切った後、余りの客の来なさに事務所の椅子に座ってうつらうつらとしていると、遠くから入店音が聞こえてくる。慌てて立ち上がり、事務所からレジへと顔を出した。

「あれ」

 店内には誰も居なかった。もうすぐクリスマスということもあり、店内はリースやデフォルメ化されたサンタやトナカイの絵が至るところに貼られている。クリスマスケーキの予約は一昨日までで締め切られていた。一人で食べきれる自信がなかったため、私は買わなかった。

 あの入店音はきっと客が出て行ったときの音だったのだろう。もしかすると、店員が居ないから帰ってしまったのかもしれない。

 私は少しだけ責任感を覚えながら、眠らないように両頬を叩いてレジ前に立つ。すると、再び入店音が鳴り響いた。

 赤いネックウォーマーを巻いた少女だった。紺色の暖かそうなコートを羽織った彼女はレジ前を避けるように飲料売り場側から大回りしてお菓子売り場へと向かう。そして幾ばくかの間、店内を吟味し、そして幾つかの商品を持ってレジへ向かってきた。視線はホットスナックを見ている。

「あと、あの……」

「もかさん?」

「へ?」

 彼女は指をさして何かを言おうとした。その前にすかさず問いかける。少女はきょとんとした顔で、私の顔を見つめた。数秒の間が空き、次第に目が見開く。

「え、あ、あれ、朱音さん!? え、どうしてこんなところに」

「どうしてって、バイトだけど……」

 コンビニでバイトをしているということは既に言ってあるはずだった。ただ場所までは知らなかったのだろう。やはりパリスで顔を合わせた数日前のことは忘れているのかもしれない。

「あ、そ、そうですよね。すみません、びっくりしちゃって。まさかこんなところで会うとは思わなかったので……それに、髪も結んでたから印象も違ってて……」

「私もこんな時間に会うとは思わなかった。しかもこんな寒い日に。もしかして夜更かし用のおやつでも買いに来たの?」

「ギターの練習がひと段落したのでつい……! あと、アツアツチキン食べたいなと思って。本当はもっと近所にコンビニあるんですけど、向こうはこの時間帯だともうホットスナック売ってないんですよね。でもあれ、さっき一回来た時、レジには誰もいなかったんですけど……」

「ああ、ごめん。ちょっと裏で作業してて」

 先ほど来たのはもかだったと分かり、安堵感と恥ずかしさが同時に込み上げてくる。

「それにしても、こんな時間まで働いてるなんて、朱音さん、凄いです」

「別に凄くはないよ。コンビニバイトなんて誰だって出来るし」

 憧れの眼差しが何だかこそばゆい。

「いえ、凄いと思います! 私、あんまり知らない人と喋るのとか得意じゃないですし、要領もそんなに良くないし……だから何でもテキパキこなしちゃう朱音さんは凄いですよ!」

 本当に凄いのは、自分のやりたいことと学業や仕事などを両立している人たちだ。怠惰に生きている私は決して凄くなどない。でも、そこまで褒められると悪い気はしない。

「……ありがと。ここで長話して帰るの遅くなっちゃうのも申し訳ないから、また明日」

「あ……こっちこそ、お仕事中にごめんなさい。頑張ってください!」

 もかは幾つかの商品の入った袋を両手で持ち、大きくお辞儀をして去ってゆく。

 なんだか、酷い虚無感に襲われた。


 次の日の昼、重い身体をなんとか動かし、パリスへと向かう。相変わらず私以外の三人は既に集まっており、ボードゲームをしていた。紙製のカードを高く積み上げ、マスコットらしきサイのコマを動かしてバランスを保つゲームだ。既に8段近く積みあがっており、ゲームも終盤のようだ。私はコーヒーを頼み、それが崩れるまで待った。すぐに崩れた。

「さて、ライブまであと一週間切ってるわけだけど、調子はどう? ってまあ昨日見た通りか」

 ボードゲームが終わり、早速スタジオに向かうと、千鶴は私たちにそんなことを言った。

「もかさん、大丈夫そう?」

「い、一応、昨日の曲は頑張って覚えたつもりですけど……あんまり自信ないです」

 もかは一週間後のことを今から憂いている。そんな彼女を見て千鶴は笑いながらこんなことを言った。

「まあまあ、もかちゃん。安心してよ。どうしても弾けなかったり、ど忘れしたようだったら適当にパワーコードをじゃかじゃか鳴らしてさえいれば、観てる人にはバレないから。特に小さいライブハウスなんかじゃ音響もそこまでだし、ファズ系のエフェクターで強く歪ませれば誰も聞き取れないから」

「そ、そうなんですね、勉強になります……!」

「千鶴、そんな冗談話教えなくて良いから」

 もかはそんな千鶴の話をすっかり信じ込み、安心したようだった。

 そしてまずは一回演奏を合わせてみる。そして曲が終わるとすぐに反省会が始まった。

「由海ちゃん、サビになった途端走ったでしょ。いつもはもっと精確なのに」

「いや仕方ないんすよ、やっぱサビってアガるじゃないっすか。……まあ次は気を付けるっすけど」

「もかちゃんは中々ちゃんと弾けたね。でもアウトロのところ油断したでしょ」

「う……頑張ります」

「そういう千鶴はイントロ部分間違ってたよ」

「いやぁ、そういうアレンジだよアレンジ!」

 そうして、一通り反省点を炙り出した後、二曲目に取り掛かることにした。もかへの負担が大きくなるが、ライブまではあと六日しかないため、気合を入れて頑張ってもらう。

 三曲目に関しては、二曲目が来週頭までに完成していたら、という条件付きで練習することとなった。最悪、一曲目を二回演奏するつもりだ。


 家に帰り、新曲の歌詞を考える。どうしてもサビの途中から続きが浮かばなくなる。パソコンを前に頭を抱えていると、もかから一件のメッセージが届いた。

『ちょっと今、電話しても良いですか?』

『どうかしたの。大丈夫だよ』

 壁の時計は気が付けば23時を回っていたが、明日は日曜日だし少しくらいなら良いだろう。

 もかから掛かってくる電話に出る。

「あ、朱音さん、もかです。夜遅くにすみません」

「大丈夫だよ、何かあった?」

「その……私に何かできることないかなと思って……。ほら、私以外の皆さんって凄い方ばかりじゃないですか。千鶴さんはギター上手くてみんなのまとめ役だし、由海ちゃんもドラム上手な上、面白いし盛り上げ上手だし、朱音さんだってベース上手くて曲も書けてその上、私なんかにもすっごく優しく気にかけてくれて……。私だけ、楽器も全然上手くないし、皆さんの傍にじっと居るだけで、役に立たなくて何も出来ないから……」

 私は「そんなことない」と言おうとするが、もかの声に搔き消される。

「それで、頑張って考えたんですけど、見てもらえますか?」

 もかはそう言うと、メッセージに写真を送ってきた。手書きの文字で、何行にもわたり書かれている。消しゴムで消された跡が幾つも残っていた。一番上の行には『Hope』と書かれている。

「私なりに書いてみたんですけど……どうでしょう……?」

「これ、歌詞?」

  頭の中で新曲のメロディと写真の文字を比べてみる。ぴたりと当てはまる。もしかして、もかが考えてくれたのだろうか。

「試しに書いてみたんですけど、迷惑でしたか……?」

「迷惑なわけない。迷惑なわけ……」

 口を動かすよりも、写真の歌詞を見ることに精いっぱいだった。これは、私が書いたものよりも断然良いように思えた。

「どうですか……?」

 もかは恐る恐る尋ねる。私は無言で最後の行まで読み切った後、口を開いた。

「うん、この歌詞に決定しよう。……でもこんなことしなくても、もうもかは私たちの役に立ってるよ。わたしたちはもかのおかげで集まれたんだから」

 もかが居なければ、今の私はここには居ない。ベースを弾く私には二度と出会えなかった。

「もかが私に会いに来てくれなければ、私は千鶴と音楽を二度とやることはなかった。由海さんとも出会うことはなかった。だからライブが決まることもなかったし、この曲が生まれることもなかった。今私たちがいるこの輪はみんな、もかに繋がってるんだよ。だから、もかが役に立ってないなんてこと、ない」

 役に立っていないとしたら、それは私の方だ。私の魂はきっとまだ二年前に囚われて――。

「……ありがとうございます。やっぱり朱音さん、優しくて凄く尊敬します」

 もかの言葉で我に返る。私はいつまで過去に縛られ続けているのだろうか。自分自身に対し呆れ返る。

「こちらこそ、ありがと。歌詞はこの写真の通りで決定にするから。ギターの練習もあると思うし、頑張って」

「いえ、こちらこそすみませんでした。じゃあまた……次に会うのは火曜日ですね。あ、それと……」

 私は電話を切ろうとした瞬間、もかはこう言った。

「さっき『もか』って呼び捨てされて、凄く嬉しかったです。それじゃ、おやすみなさい!」

「待って」

 私は思わずもかを呼び止めた。そして言う言葉が浮かばず、苦し紛れにこう言った。

「えっと、明日、遊びに行かない?」


 これまで、他人を呼び捨てで呼ぶなんて考えられなかった。千鶴だけは唯一の例外で、出会った当初に「千鶴、って呼び捨てで呼んでよ」と言われて以来、そうやって呼んでいる。

 それは確か、御茶ノ水の楽器屋でベースを選んでいるときだった。

「追川さん、これはどう?」

 母から『これで好きなものを買ってきなさい』と封筒に詰まったお金を渡されたため、予算に際限はなかった。ただ見た目が気に入ったものを探し、片っ端から見ているところだった。

「それは五弦ベースだから。最初くらいは普通の四弦のやつじゃないと」

 そんな話をしながら、路地にあるベース専門店の中を見回っていた。

「これとか、凄く格好良い」

 私が指さしたのは壁に掛かっていたベースだった。当時は聞いたこともなかった国産メーカーのロゴがヘッド部分には記されており、その紫のボディのくっきりとした木目は芸術品のように美しい。

「とりあえず試しに弾かせてもらおっか」

 千鶴は店員に声を掛け、私は実際に触らせてもらった。ずっしりと重量感が乗りかかるが、思いのほかすぐに馴染む。値段は10万円を超えていたが、予算感としてはそこまで問題ない。店員の方にも太鼓判を押されたため、私はその場でそのベースを買うことに決めた。

「追川さん、ありがとう。追川さんのおかげで良いものがたくさん買えた」

 ベースを背負い、必要なアクセサリー類を見終わった帰り道、私はJR御茶ノ水駅まで続く坂を上がりながら、千鶴とそんな会話をしていた。そんな中、千鶴は急に立ち止まり、こう言った。

「千鶴、って呼び捨てで呼んでよ。あんまり苗字で呼ばれるの好きじゃないからさ。ほら、距離感も感じるし」

 人の名前を呼び捨てするなんてそんなこと、したことなかった。なんとなく衝撃を受けたことを覚えている。私はそのまま頷き、以降は千鶴と呼ぶようになった。またその後では千鶴の知り合いと会うとき、千鶴流の礼儀に倣い、苗字ではなく必ず名前で呼ぶようになった。しかし必ず敬称は付けてきたはずだった。それなのに、気付かぬうちに呼び捨てしてしまうなんて。

 更に、誤魔化し半分で遊びに誘ってしまったが、明日は12/24、クリスマスイブだった。特に深い意味はないものの、その事実に気付いたこと自体がなんだかとても恥ずかしくなって、そのままベッドに倒れ込んだ。


 次の日の昼頃、私たちは最寄りの駅前で落ち合った。もかはいつも笑顔で私に挨拶をする。そういう私は昨日の一件を思い出し、素っ気なく目を逸らす。そして何も気にしていないような素振りで私はもかへ話しかけた。

「ギター、調子はどう? って言っても昨日の今日じゃ大して変わらないだろうけど」

「いえ、家でもちゃんと朱音さんと千鶴さんに教えてもらったことを忘れないように復習したので、頑張ってます!」

「なら良かった」

 私はそのまま照れ隠しで歩き出す。それから、私たちは何気ない会話をした。

「今日、アルバイトはお休みですか?」

「本当は午後にシフト入ってたけど、いつも代打してあげてる人に代わってもらったから、今日は無し。だから今日は時間気にせず遊べるよ」

「休む時はお互い様、ってことなんですね。バイトかぁ、いつかやってみたいなぁ」

「もか……もかさんの高校はバイト禁止だっけ」

「まあこっそりやってる友達は居ますけどね。……それと、せっかくなのでもう呼び捨てで呼んでくださいよ!」

「わかった。……もかは何のバイトならやってみたい?」

「そうですね、朱音さんみたいに要領が良ければコンビニも面白そうですけど、やっぱり制服が可愛いファミレスとか、千鶴さんみたいにシックな喫茶店とかはちょっと憧れます」

「私だって別に要領良いわけじゃないよ。単に惰性で続けてるだけで」

「それでも夜遅くまで働いたりして、私は凄いなぁって思ってます」

 やがて私たちはもかのギターを買った例の中古楽器屋を訪れた。もうクリスマスだというのに、店内BGMは相変わらずの選曲だ。それが良い。

「おう、また来たな嬢ちゃんたち。クリスマスデートか?」

「まあ、そんなところです。今日はこれを渡しに来ました」

 店主の揶揄いを無視し、私は鞄から封筒を取り出した。その中から一枚、紙を取り出すと店主に手渡した。

「おう、ライブ決まったのか。嬢ちゃんたちの初ライブだな」

 12/29開催と書かれたチケット――つまり私たちの出演するライブチケットだ。

「報告が遅くなってしまって申し訳ないです! 良ければ、来てくれますか……?」

 私の背中越しからもかが顔を出す。まだ店主のことが怖いのだろうか。店主はそんなもかの様子を見て笑う。

「俺ぁ自営業だからよ、店の開け閉めなんて自由に出来んだよ。それにライブに行かなきゃ、その分ギター代が安くなっちまって俺の分が取りっぱぐれちまうだろ。当然、行くさ」

 もかの不安そうな顔がぱっと明るくなる。私はもかを前に来るように促す。

「その、頑張って練習してるので、よろしくお願いします!」

 深々とお辞儀をする。私もそれに倣い、軽く頭を下げた。

「いいって、いいって。んな堅苦しくしなくてもよぉ。俺みたいな年寄りは若い子が頑張ってる姿を見てるだけで満足できんだよ。このベースの姉ちゃんも居ることだし、楽しみにしてるぜ。……そうだ、もしまだチケット余ってんなら二、三枚、俺の知人に売ってやるからよ。チケ代いくらだ?」

 私たちは店主の言葉に甘え、チケットが三枚入った封筒を追加で手渡した。代金は丁重にお断りをし、店内を出る。


「もか、これからどうする? 行きたい場所とか、ある?」

 近くのファミレスで昼食後、私はもかに尋ねた。もかは口元を拭きながら考えている。

「うーん、そうですね……折角ならクリスマスらしいスポットとかだと楽しそうですかね?」

 私はスマホで都内の観光エリアを検索してみる。しかしそう言った場所には疎いため、どこなら面白いのかが全く想像つかなかった。もかは私のスマホを覗き込む。

「あ、このお台場のショッピング施設なんてどうですか? 前々から気になってるスイーツのお店があって。あとライブ用の衣装とかも考えないとですし」

「衣装……?」

 そういえば、ライブ用の服なんて考えたこともなかった。当時は学生バンドだったため、制服のままで演奏していたことを思い出す。

「それじゃ、早速行きましょう!」

 もかはコップの水を一気飲みして立ち上がった。


 電車を乗り継ぐこと一時間程、私たちはお台場に到着した。案の定、人でごった返していたが、もかはそんなことお構いなしみたいだ。すぐそこには中規模のライブハウスがあり、ライブを観に何度か訪れたことのある駅だった。

「朱音さん、見てください。海ですよ!」

 肌寒い潮風を感じながら、私はもかの楽しそうな表情を見た。それだけで何だか私まで楽しくなってくる。

 それから私たちは周辺の施設中を歩き回り、じっくりと堪能した。

 もかが行きたがっていた店はクレープが有名な店らしく、カップルだらけの長蛇の列を並んだ後、湾岸沿いのデッキを散歩しながら食べることにした。クリスマス用の一週間限定のスイーツらしい。イチゴがふんだんに使われており、甘くて美味しかった。

「朱音さんって甘いもの好きですよね、他にはどういうのが好きなんですか?」

 口元にクリームを付けながら、もかは聞いてきた。

「砂糖が入ってればそんなにこだわりはないけど……それこそケーキだったりプリンだったり、コンビニスイーツだったりも人並み以上には買うし、和菓子とかも結構好きだよ。果物も毎年冬になると箱でみかん買ったりしてる」

 その後はもう一度施設へ戻り、洋服を見て回ることにした。なんとなく衣装になるものを探しながらも、気が付けば私たちは普段着用の衣服が入った袋を何個も持ち歩いていた。

 気が付けば日は暮れ、辺りはイルミネーションの光に包まれた。海がカラフルにライトアップされ、幻想的に映る。

「折角だし、記念に写真撮影しませんか?」

 撮影スポットらしき場所を通りがかる時、もかがそんなことを提案する。私たちはまたもやカップルだらけの列に並び、お台場の海を背景に二人で写真を撮る。ライトアップされた巨大なハートマークにクリスマスらしい装飾がされてて、とても可愛らしい。

「はい、写真送ったよ」

「ありがとうございます……! 一生大切にします!」

「そんな……大げさだよ」

 そんな話を笑ってしながらも、私は内心ここまで慕ってくれる彼女に嬉しさを覚えていた。同時に、私が持っていないものを持っている彼女が、ほんの少しだけ羨ましかった。


「良ければ家、来る? バイト先寄ればケーキくらいは貰えると思うけど」

 帰りの電車内、思いのほか空いている車内でもかに尋ねた。もかは目を輝かせ、

「良いんですか!?」

 と喜ぶ。相変わらず感情表現が大げさな子だ。

 やがて最寄り駅まで着き、もかを店先に待たせてバイト先のコンビニに入る。店頭には今日のシフトを代わってもらった佐々木が居た。確か……彼は私の一つ下の学生だ。彼に余っているケーキがあるかを尋ね、探してもらっている間にチキンなどのクリスマスらしい総菜もついでに買うことにする。

「店長の購入分のがあるみたいなんで、それ持って行ってください」

 感謝を告げ、事務所の冷蔵庫から「ご自由にどうぞ」と付箋が貼られたケーキの箱を取りだす。そして佐々木に感謝を伝え、会計を済ませてから店を出る。

「じゃ、行こ」

 もかは子犬のように私の後ろを付いてくる。

 バイト先から家までは5分と掛からなかった。私は鍵を取り出し、オートロックを開ける。そしてエレベータに乗り込み、いつものように3階までのボタンを押した。

「なんか、緊張してる?」

「……え?」

 静かに駆動するエレベータの中で私はもかに問いかけた。先ほどからなんだかそわそわして落ち着きがない。

「もしかして体調でも悪い?」

 もかの赤い頬は心なしか、普段より赤くなっているような気がした。私は咄嗟にもかの額に手を当て、体温を測る。

「え、いえ、全然大丈夫ですけど……」

 もかの言う通り、特に熱は無さそうだった。一体、どうかしたのだろうか。

 私は玄関のドアを開けると、もかを中に入るよう促した。

「あまり片付いてはないけど、一応昨日掃除したばかりだから」

「お、お邪魔します……」

 私は来客用(というより千鶴用)の座布団を引っ張り出し、もかに差し出す。もかが来るのならもう少し綺麗なのを買っておけば良かった。

「とりあえず買ってきた総菜温めるよ。ああ、足は崩してて大丈夫だから」

「は、はい……!」

 もかは言われた通り、正座からいわゆる「女の子座り」に変える。

「飲み物はオレンジジュースで良い? お茶もあるけど」

「ジュースで大丈夫ですっ!」

「……やっぱり、何か緊張してる?」

 私はコップにジュースを注ぎ、もかの前へ置く。もかはなんだかもぞもぞしながら、ジュースを仕舞うため冷蔵庫前に向かう私へ上目遣いでこう言った。

「だって……憧れの人の家に、こんな風にお呼ばれされるなんて、思わないじゃないですか!」

 私は思わず目を丸くした。もかは恥ずかしそうに顔を伏せる。

「ええと……嫌だった?」

「いえ、嫌じゃなくて、むしろ光栄なこと過ぎて……! あの憧れていた朱音さんとこうして遊べることが、凄く嬉しいんです」

「あぁ……」

 自分の心の中がチクリと痛む。針にでも刺されたかのようだ。もかは未だに私に憧れている。例え私がそれを否定しても、きっともかはそれを肯定する。そんなやり取りが目に見えた。

 私はコップにお茶を注ごうとしていた手を止め、冷蔵庫からアルコール缶を取り出し、プルタブを開けた。

 もかはきっと私に幻想を抱いている。品行方正のもかに対してだったら、それを解くにはきっとこれが手っ取り早い。

「あれ、朱音さんってまだ……」

 もかの視線を感じながら、私はそのまま黙って缶の中身を飲み込む。甘いジュース風味の中に、アルコールのスッとした揮発感と苦みを感じる。この味は正直、嫌いだった。

 底辺の大学生なんて、こんなもんだ。20才の誕生日を迎える前に、大概はお酒を飲んで遊んでいる。私もその例外に洩れなかった。

 私はいつの間にか温まったチキンとポテトをもかの元に差し出し、席に座った。

「朱音さんの誕生日って、まだ少し先ですよね……?」

「ああ、うん」

「……どうして、そんなことするんですか?」

「どうしてって……」

 もかの私に対する評価を落とすためだ。私は缶を呷り、言える範囲での言葉を探す。所詮あと数ヵ月経てば法的に許可されるようになるというのに、もかの声はきっと怒りか悲しみか驚きかで震えているようだ。なんと純粋な子なのだろう。

「私が朱音さんに憧れないようにするためですか? なんで、そういうこと、するんですか……?」

 その顔は、今にも泣きだしそうだった。私の心拍は早くなる。まだアルコールが回るには早すぎる時間だ。なのに、吐き気すら覚える。

「どうしてって……」

 私はどうしてもかに嫌われようとしているのだっただろうか。もかのそんな表情を見ると、心臓が針に刺されたように強く痛む。敢えてこんなことしなくても、もっとやり方はあったはずだった。

 きっと、私は「自分は他人より劣っている」という自覚を得たいのだと思う。自己評価・肯定感を低く持ち、「駄目な人間だから」という免罪符で安心したいだけだ。だから、こんなことをしてしまう。突発的にこんなことをしてしまう。私は私のことが何もかも嫌になる。

「……ごめん、寝る。好きに食べてて」

 自己嫌悪か、酔いからか込み上げてくる吐き気を抑え、私はもかの返事も聞かずにベッドへ倒れ、もかに背を向けてそのまま目を閉じた。

 もかは、何も言わなかった。

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