5.Music

 電話が鳴った。寝ぼけ眼の私は壁掛け時計を見つめ、溜息を深く吐いた。朝の6時半、こんな時間に電話を掛けてくるのは非常に迷惑で、そしてその日一日のコンディションにも影響を与える出来事でもある。

 電話主は誰なのか、考える暇なくわかった。私の都合など関係なく、自分都合で動いていることがありありと目に浮かぶ。

 デフォルト音で鳴り続ける頼んでないモーニングコールはメロディがループする度にストレスが溜まってゆく。私は仕方なく、身体を起き上がらせると、通話ボタンを押した。案の定、画面には見知った名前が映っている

「……なに、こんな時間から」

 電話の主は悪びれることもなく、淡々と私に話しかけてくる。そんな態度が私をますます苛々させる。

「こんな時間の電話、いい加減、迷惑なんだけど。夜遅くまでコンビニでバイトしてるの知ってるでしょ。寝不足にさせないで」

 依然として電話主は私の都合を考えず、無責任な言葉を発する。その度に自分の苛立ちが段々と強まるのを感じた。

「辞めろ……って、ふざけないで! どうして言うことばっかり聞かなきゃならないの?!」

 大声を出したところで、ふと我に返る。こんなことで騒音クレームが来たら溜まったものではない。一度頭を冷やし、トーンを抑える

「いや……ごめん……うん、うん。分かった。多分また年末には帰るから。うん、はい。じゃあね……お父さん」

 私は電話を切り、スマホの電源を落とした。そしてベッドに仰向けで横たわり、何も考えないようにそのまま目を閉じた。


 「早速なんだけど、今日はセットリストについて話したいと思う」

 千鶴はピンセットのようなもので豆粒サイズの車コマを拾いながら、そう言った。もかと千鶴の前には重ねられた小さな円柱があり、その上にアイスの棒のようなものが置かれている。それらが点と線となることで立体的に絡み合った盤面が展開されており、その棒の上には赤や青の車コマが置かれている。きっと一か所でも棒や円柱がずれたら全て崩れ去り、二度と再開は出来なさそうだ。

「私たちが昔作った曲をアレンジしてやるか、もしくは新しく作るか、ってこと?」

「うち的にはどっちでも良いっすよ。チズさんと朱音さんが昔作ったって言うのも気になるし、新しく作るのも楽しそうっすよね」

 もかの後ろから盤面を覗き込むような体勢をとりながら、由海はそう言った。もかは棒を手にし、それをどこに置くかを考えている。

「持ち時間を転換の時間含めても三十分くらいだとして……あと三週間程度ってことを考えると、出来て既存曲二つと新曲一つの三曲程度かなと思う。もちろん、もかさんに負担は掛けられないから弾けそうな範囲で、だけど」

「な、なるべく頑張ってみま、あ……!」」

「それじゃ早速、スタジオ行こっか」

 千鶴は笑いながら立ち上がった。もかの手元が狂ったことで、目の前の盤面は文字通り再起不能までに崩れてしまった。


 いつものようにベースをアンプに繋げ、音を鳴らす。心臓までを震わすこの低音は私の身体を通り、スタジオ全体に響く。この音圧を浴びるために私はベースを弾いていると言っても過言ではなかった。

「一旦あたしと朱音で昔作った音源に被せながら弾いてみせるから。行けそう?」

 わたしはもかが用意してくれたマイクを確認しながら、千鶴にアイコンタクトして頷く。

「一応ドラムはそこまで難しいことはやってないはずだから、由海ちゃんはなんとなく合わせられそうだったらやってみて」

「ラジャー、っす」

「もかちゃんはごめんだけど、一旦見学でお願いね」

「はい、見て聴いて勉強します!」

 そして千鶴は曲を流し始めた。私たちの最初の曲だ。完成当初はベース部分を単調に作りすぎて、弾いていてあまり面白く感じなかったが、そのおかげでいざライブをやった時には、歌に集中ができたことを覚えている。

 私は大きく息を吸い込み、歌う。正直、歌詞なんて全然覚えていなかったけど、そんなの大した問題ではなかった。

 やがて一番のサビが終わり、二番に入った直後、由海がドラムを叩き始めた。先輩のドラムの音は繊細な機微を感じて好きだったが、由海の大胆でダイナミックな音もこうして一緒に演奏してみると、とても気持ちが良い。

 そのまま最後まで弾ききってしまい、最後にはもかの拍手が響いた。

「朱音さんの歌、やっぱり素敵です」

「そう? 久しぶりに歌ったから、全然声出てなかったと思うけど……」

 褒められ慣れていないため、頬が少し緩む。もかの純粋な目で見られることに、私はどうにも弱かった。

「次、二曲目やるよ!」

 千鶴の視線を受け、私はベースを握って気を入れ直す。千鶴はそんな私の様子を見てにやけながら、次の曲を流した。

 この曲にもまた、思い入れがあった。ベースソロから始まるこの曲は、全て私が作曲したものだからだ。ギターを多少触ったことがあるというのは、この作曲のためだった。

 この曲以降、大まかな作曲は私が担当し、編曲以降はメンバー全員で考えるという順序で制作をするようになっていった。

 由海は二番以降もドラムを叩かず、耳を澄ませてじっと曲を聴いていた。それは当然で、一番と二番で全く別のリズムに変わっているからだ。最初、デモ版をメンバーに確認してもらった際には、ドラムの先輩から「こんなの、無理」という率直な感想をもらったことを思い出す。

 そしてアウトロのギターのディレイだけが耳に残った。

「やるじゃん、朱音」

「千鶴こそ、お疲れ様」


 それから残りの時間は個人練習の時間となった。千鶴はもかにギターを教え、由海には音源を渡してドラムを覚えてもらう。そして私はベースを触りながら新曲の方向性について考えていた。

 もかにはあまり負担を掛けさせられないため、バッキングは簡単且つ、由海に満足してもらうためにはある程度激しい曲調が良いだろう。BPM150程度でリフ多めにして、あとは千鶴に相談してみることにする。

「調子はどう?」

 私は何度も同じ箇所のフレーズを練習していた由海に声を掛ける。案の定二曲目の方だ。由海はイヤホンを外すと、

「こんなん、ムリっすよ普通……デモ音源通りじゃ手が足りねーっす」

 と珍しく弱気になっている。昔の先輩と同じ反応で、なんだか懐かしい。

「昔、前のドラムにも全く同じこと言われたよ。『打ち込みだからこんなこと出来るんだ』って、怒られた。一応ライブではその人なりに叩いてたけどね」

「ホントすよ! その人はどんな風に叩いてたとか、分かったりしないんすか?」

「ライブ映像なら確かあったような気がするけど……ちょっと千鶴にも確認してみる。今日はとりあえず独自アレンジで練習してみて」

「了解っす。助かりますっす!」

 そう言うと由海は再びイヤホンを付け、ドラムを叩き始めた。

 もかと千鶴の様子を見に行ってみる。もかは既に簡単な曲くらいなら演奏できるようになっていた。まるでスポンジのように知識や技能を吸収している。

「朱音、ちょっと聞いてよ。もかちゃんね、教本見ながらちゃんと運指の練習もしてるんだって。こりゃいつか私の実力をも抜かすに違いないね」

「そ、そんな、褒めすぎですって。私はただ教本の順番通りにやってるだけなので……」

 もかは相変わらず謙遜している。

「もかさん、千鶴は教本なんて一回も読んだことないんだよ……。でもそうやって基礎からしっかりやれば絶対に上手くなるから。逆に言えば基礎をしっかりやらなくても、この程度までには上手くなるってことではあるけど」

「なんか、もしかしてあたしの悪口言ってる?」

 千鶴は口を尖らせて私のことをにらむが、いつもやられてる分の仕返しだ。

「私に出来ることがあったら、いつでも相談して。話くらいなら聞けるから」

「はい、ありがとうございます!」

 もかは嬉しそうに笑った。私もなんだか嬉しくなった。


 家に帰り、私はベッドに倒れ込んだ。今日は珍しくバイトのシフトは入っていない。であるなら先ほど浮かんだフレーズをパソコンに打ち込もうと思ったというのに、強い眠気が襲ってくる。

 これもあんな早朝から電話が掛かってきたせいだ。責任を全てあの電話に押し付ける。私はアラームを1時間後にセットし、仮眠を取ることにした。


 夢を見た。

 過去の記憶を遡る夢を見た。

 楽しい夢だった。色んな感情が浮かんでは消えた。

 講演会中に千鶴と出会い、そしてベースを買いに行ったこと。その足でスタジオまで行き、実際にベースを弾いた時は、感動したことを未だに覚えている。

 一緒の高校に行くため、二人で軽音部のある私立高校の見学会に行ったこと。そして一緒に入学式を迎えられたこと。

 軽音部の部室に入ると、千鶴は私と違って先輩たちとすぐに仲良くなり、ほんの少しだけ疎外感を持った。でもそれは私と一緒にバンドを組むためのメンバー探しに過ぎなかったことを知った時は、本当に嬉しかった。

 それから、オリジナル曲をやるようになって、私は作曲を始めた。これまでは既存のフレーズを模倣し、なぞるだけだったのに対し、一音一音、その音を鳴らす理由を考える必要性が出てきた。必要最低限の音から、次に繋がる音やその音を修飾する音を探す作業だった。

 そうして私たちは、学校から飛び出して、外でライブをするようになった。部活の規定で課外活動は禁止されていたが、私たち四人にそんなものは関係なかった。私たちのような高校生バンドは数多く存在したが、私たちが作る歌が一番最高だと確信していた。

 そして――二年前の二月――。私たちはいつものように合同ライブに出演して――それから――。

(人影の中、)

 ――いつものように曲を演奏して。

(どこかで見たような、)

 ――私たちのライブはいつものように成功したはずだった。

(黒い影が見えて、)

 ――それから、

(私に手を伸ばし、)

 私たちのバンド人生は終わりを迎えた。


 慌てて飛び起きる。冷や汗が垂れ、もう冬だというのに全身が熱を帯びていた。

 もしかしたら、風邪でも引いたのかもしれない。私はアラームを切ると、暑さに耐えかねて窓をほんの少しだけ開け、その日はそのまま眠った。


 次の日、私はいつものようにパリスへ向かった。しかし、店内に千鶴の姿はなく、いつも千鶴の専用席に置いてあるボードゲームも見当たらなかった。

「あれ、入江さん、今日って千鶴休みですか?」

 私はカウンター席に腰かけ、店主に尋ねた。

「今日の朝、『病院に行く』と急に連絡がありまして、今日は大事を取って来ないそうですね」

 それだったら私にも連絡くらいくれても良いのに。心配よりも先に、そんなことを思いながら、私はコーヒーを注文した。今日は水曜日だから放課後まで待っていてももか達は来ない。

 コーヒーを飲み終わり、暇だから大学にでも行こうかと立ち上がった時、電話が鳴った。千鶴からだ。

「千鶴、休むなら一言メッセ―ジくらい頂戴」

 私はつい口調が強くなる。本気で言っているわけではないことを千鶴もわかっているため、向こうもふざけて応える

「ごめんごめん、ちょっと電波が遠くてね」

「入江さんには連絡したくせに」

「ごめんて。で、ちょっと今日は休むから。また明日か明後日来てよ」

「うん、わかった。じゃあね」

 そのまま切ってしまったが、体調を尋ねるのを忘れていた。ただ、昨日の自分も熱っぽかったことを考えると、きっとお互いに風邪を引いたのかもしれない。もか達は引いてないと良いけど。

 私はコーヒーを飲み終えると、仕方なく大学へ向かった。


 作曲に煮詰まっていた。そもそも目指す方向性がぶれていた。簡単且つダイナミックにする。これが思った以上に難しかった。

 自分の中のイメージと近い曲を聴きながら、頭の中で再構築を繰り返す。但し似すぎてしまうと盗作や模倣になるため、あくまでも自分の中の感覚とインスピレーションを重視する。

 ふと私は、由海と最初に出会った日の、もかの演奏を思い出した。まだ覚束ない手つきでメジャーコードを弾いていた。メジャーコード中心のコード進行なら簡単だしとても分かりやすい。試しにちょっとしたスリーコードで曲を作ってみることにした。コードを入力し、ベースは何となくそれらしいように打ち込む。ドラムは一旦、ハイハットとスネアとバスドラの三つのみで構成して8ビートを刻ませてみた。

 歌メロを乗せる。どこかで聞いたようなメロディだ。消す。

 もう一度入れる。今度は私の声の音域よりも広すぎた。こんなに高いキーは出せない。消す。

 再三入れ、ようやく様になるメロディが浮かび上がる。まだしっくりと来ていないが、何度も聞いていけば次第に改善点が浮かぶだろう。

 最後にメロディと合うようなリードギターの音を入れ、第一デモが完成する。

 早速、千鶴にファイルを転送し、感想を聞かせてもらうことにする。

「ああ、良いんじゃない? ただ、ここをもう少し――」

 10分後、調整作業をしていると千鶴からのメッセージ通知が来る。指摘された修正箇所を直すと、私は『ELPIS』メッセージグループにもファイルを転送した。

 時計は既に深夜2時を回っていた。流石に高校生二人はもう寝ている時間だろう。私も今取り掛かっているリージョンの修正が終わったら寝ることにした。


 朝、目が覚めると、通知が100件以上溜まっていた。一体何事かと思って確認すると、昨日の深夜から今日の早朝6時過ぎまで、千鶴と由海がメッセージ上で熱く語り合いをしているようだった。

 きっかけは夜中の2時半頃、由海の『ここのドラムはもうちょっとこうして――』という投稿から始まったようだ。千鶴がその話に対してすぐに返答をし、それが早朝にまでわたり続いてしまっている。そして話は二転三転し、『朱音は作詞苦手なんだよね』という話から『このDAWがおすすめで、この機能が――』『この音源ソフト欲しいけど高いんだよなぁ』といった、少し前にパリスで見たような光景がオンライン上でも繰り広げられていたようだ。ただ内容的には思想が交えていない分あの時よりもましなように思える。

 そして朝7時頃、もかの『おはようございます^_^ 何かあったんですか?』というメッセージを最後に会話は終わっていた。本当に、何があったのだろうか。


 次の集合日、私はスタジオで完成版のデモを三人に聴かせた。ドラムだけは全く自信がないため、独自でアレンジを加えてもらうよう、由海に話しておく。

「それで歌詞はもう考えたの?」

「それは……まだだけど」

 千鶴の鋭い指摘に私は目を逸らす。前のバンドの時には歌詞を書いたこともあったが、どれも『歌詞の意味が分からない』『どういうこと、これ?』と言うように酷評され散々だった。その割には誰も歌詞を書こうとせず、不服だったことを思い出した。

 実際、歌詞を書いているうちに伝えたいことがブレたり、本題とはズレてしまい、そして最後にはありきたりなものだけが残ってしまうという自覚はあった。

「ま、しょうがないっか。歌詞は後から考えることにして、とりあえず今だけは仮歌詞作って間に合わせる形で行こっか。それじゃ一旦各自個人練からで、30分後に一回合わせてやってみよう」

 千鶴の号令で私たちは各自の持ち場に就いた。とはいえ、作曲者である私はベースラインを既に覚えているため、30分ですることと言えば運指の確認とメロディに対する仮歌詞を考える程度だった。

 私はイヤホンを付けて一人で練習しているもかの元へ向かった。真剣な表情でつい数週間前に覚えたばかりのコードを弾く。私は私に出来るだけのアドバイスをしようと心掛けた。

「もか、前にも言ったけど左手を確認するのは良いけど、右手も意識してもっと滑らかにストロークしないと。ピックが弦に引っかかってるから」

 もかは頷き、私に言われたことをちゃんと直そうとする。

「そうそう。あまりピックは立てないように。手首と肩の両方でダウンアップ意識して」

 しかし意識すればするほど、もかの肩は固くなり、とても弾きづらそうだ。

「ちょっと、ごめん」

「え、えっと……!」

 私はしびれを切らし、もかの後ろに回りその手を掴むと、直接ストロークの形を教える。

「ダウンアップダウン、一回手を上に持ってきてダウンアップ、それから一拍待って連続でダウンアップを3セット。もっと肩と腕の力は抜いて」

「は、はい……」

 もかの手をゆっくり導く。弛緩したもかの腕を私は上から引っ張り、手の動きを身体に覚えさせる。後ろに立っているため、もかの表情は良く見えない。

「はい、こんな感じ。自分でもやってみて」

 私は手を放し、もかの腕を解放する。

 やはり手首の動きが少しぎこちないが、先ほどよりは良くなっているだろう。私は満足げに頷いた。

 ふと千鶴の様子を見てみる。スマホのスピーカーに耳を近づけ、ギターソロ部分を何度もループしているようだ。

「調子はどう?」

「いやぁ、ここのオルタネイトピッキングがどうも苦手で……昔と比べて指が全然動かないし、苦戦してるところ。そういう朱音も油ばっか売ってないで、ベースと歌の練習でもしてな」

「はいはい」

 私は逃げるように千鶴の元から去り、最後に由海の様子を確認する。

「なんだか、もう叩けてるみたいだね」

「最初のデモ版の時から構想は考えてたんで! 一応もう一回くらい通しでやろうとは思ってるっすけど」

 きっと由海のことなら心配要らないだろう。私が作ったものよりも良いものを叩いてくれる自信があった。

 私はベースアンプの前に戻り、時間が来るまで軽く復習することにした。

 そうして私たち四人の最初の曲が完成した。

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