3.Chatting
もかがギターを買ってから次の土曜日、私たちは早速スタジオに向かうこととなった。
千鶴はどうしてももかのギターを見たい……と言うよりも弾いてみたいらしく、ギターを買った話を聞いて以来「どうして私を呼んでくれなかったの」と拗ねていた。
それにしても、こんな大きなアンプでこのベースを弾くのはあの日以来だ。しかしレンタルよりもこの紫のベースの方がやはり手に馴染んでいる。
「もかちゃん、調子はどう? ちゃんと出来てる?」
「まあ一応……なんとか教本見ながらやってますけど、FとかBとかのバレーコードってやつが難しくて」
「そんなんパワーコードでそれっぽく弾いちゃえば大丈夫だよ。あとは勢いだよ勢い」
相変わらず千鶴の適当さには呆れる。私は助け舟を出すことにした。
「今の弾き方だとちゃんとした音が出てない。だから、左手の形がある程度出来るようになったら、今度は右手を意識しながら弾いてみて」
「や、やってみます!」
「腕全体だけで弾くんじゃなくて、もっと手首も滑らかに。そう、肩の力は抜いて」
ぎこちないもかの右手のストロークは段々とスムーズになる。これだけ吸収が早いと教えるのも何だか楽しくなってくる。
そんなもかの様子を見て千鶴は口をとがらせていた。文句があるんだったら、ちゃんと教えられるようになれば良いのに。
もかの練習は一先ず完結させ、私と千鶴で自由に合わせてみることにした。アドリブセッションなんて洒落たものではないけれど、なんとなくリズムやフレーズ、進行を合わせて即興で曲を作ってゆく。既存曲をなぞるのも良いが、こうして二人で演奏することでインスピレーションが生まれたり、新たな曲が作られることもある。それ以上に、ただ何も考えずに千鶴とセッションするのが私はとても好きだった。ギターのフレーズに合わせてルート弾きしながら、忘れていた気持ちを懐かしむ。
「今後の方針についてちょっと話しても良い?」
スタジオを出て、私たちはパリスで軽い夕食を取ることにした。私ともかはサンドイッチを、千鶴はピザをそれぞれ入江さんに注文し、食べ始めたところだった。千鶴はチーズを伸ばしながらそう口を開いた。
「というと……ライブとか?」
「それもまあ、ゆくゆくはね。でもとりあえず今はもかちゃんの成長を見守ってる時期だし、もっと直近の話」
「直近?」
私がそう問い返すと、千鶴は身を乗り出して私の右隣でサンドイッチを食べているもかを見た。
「この間話してたドラムの子、どうだった? 興味は示してたって話は聞いたけど」
「んー、まだそこまで深い話は出来てなくて……。別に嫌ってわけじゃないんですけど口数が物凄く多い子で、喋ってると段々目が回ってきちゃって」
確かにこの間のもかの話からするに、テンション高めな子なのだろうということは推察できた。どちらかというと千鶴タイプだ。
「まあ、別にその子である必要性は必ずしもないから、もし気が合わなそうってことなら私たちで探すことにするよ」
私も千鶴もドラマーに心当たりがないわけではない。ただ、もかの知り合いがいた方がもかもやりやすいだろうと考えたまでだ。
「いえ、一応予定聞いて声かけてみます。私にも気さくに話しかけてくれたり、全然悪い人ではないので……」
話もそこそこに切り上げ、以降は好きな音楽についての話で盛り上がった。もかはバンド好きの兄の影響を受けており、意外なマイナーバンドやインディーズに詳しかったのは新たな発見だった。また一つ、仲が深まった気がした。
次の集合日、もかの隣には見知らぬ少女が座っていた。もかと同じ制服を着ているため、私は一目で例のドラム少女だと分かった。千鶴はいつもの席に座っているが、もかを挟む形で、まるでマシンガンのようにその少女と会話を繰り広げている。
「もかさん、こっちおいで」
「あ、朱音さん……こんにちは」
私は間に挟まれている可哀想なもかをテーブル席に呼び出した。もかは少しほっとした表情で私の元へ来る。
「で、どうしたのあれ」
「ええと……なんか盛り上がっちゃったみたいで」
耳を澄ませて内容を聞いてみると、どうやら互いの音楽性の話を通り越し、現代音楽とバンドの在り方や若者の音源至上主義的な考えの是非などについてを語っているらしい。
「DTMの出現において、『バンドで音楽をする』という必然性が消え失せた結果――」
「本来、録音がない時代には音源なんて考えはなくて、生演奏こそが全てだったはずなんすけど――」
「『体験としての音楽』と『娯楽としての音楽』の境目が曖昧になったからこそ――」
「ネットの発達によって音楽コンテンツの多様化が進みすぎた結果の弊害として――」
私は呆れ顔でもかに問いかけた。
「あれって、楽しいの?」
「さぁ……でも二人とも輝いてますね」
私たちはゆっくりコーヒーを飲みながら、二人のほとぼりが冷めるのを待った。
それから約一時間。二人はようやく満足したようで、一息吐いている。
「あれ、朱音。いつの間に来てたの?」
「もうずっと前から来てたよ。二人が熱中してたから話しかけなかっただけで」
「あ、ども。初めましてでっす。うち、泉田由海って言いますです。いつももかがお世話になってます」
由海と名乗った少女は椅子を回転させてこちらに向くと、軽薄な感じでにこやかに私に挨拶をする。もかが『目が回る』と言っていた理由は即座に理解した。なんと言おうか考え、口を開こうとする。
「あ、朱音さんすよね。もうもかとチズさんから聞いてるっすよ。いや、噂通りめっちゃくちゃ美人さんすね、びっくりしちゃいました。これぞまさにクールビューティって感じで」
チズさんとは……もしかして千鶴のことだろうか。それにしても彼女には羞恥心というものがないのか。年上の初対面相手に、よくそんなことを早口で喋れるものだ。と自身も内心では早口が如く思考する。
「あ、顔赤くなりましたね? そんな照れないでくださいよ。でもこれまじで社交辞令じゃないっすからね。だってチズさんにはそんなこと一言も言ってないし」
「照れてない」
何とか一言返すのが精いっぱいだ。
「まあまあ、そんなところで勘弁してあげてよ、由海ちゃん。あたしの見た目に関しての話は後でするとして、とりあえず状況を整理しよう」
「はーい、簡潔に言うとですね、『今日、予定ある? 連れていきたい場所があるの』って、隣の席でもじもじしてるもかに聞かれたんで、うきうきどきどきしながら、ここに来たわけなんすよ。するとびっくり、チズさんからバンドへのお誘いがあったわけで、そうなったならもう最後、互いの音楽への情熱をぶつけ合ってたわけなんすよね」
「……ええと、つまり入ってくれるってこと?」
私が何とか聞き返すと、由海はにやけながら少し首を傾げる。
「それはどうっすかね~。確かにチズさんの考えはうちと近いパッションを持ってるみたいっすけど、音楽における感性は、実際に合わせるしかないんすよね」
「よし来た、そうこなきゃね。由海ちゃんみたいな子は話が早くて助かるよ」
千鶴と由海は立ち上がり、スタジオに向かう準備をしながら再び勝手に盛り上がり始めた。私ともかは呆れて何も言えない。いつかこれに慣れる日は来るのだろうか。
その足で私たちはスタジオへ向かった。由海は部屋に入ると早々に学生鞄からスティックを取り出し、ドラム位置の調整を始める。その様子を見ながら、私たちも機材のセッティングをする。
耳元で爆音が鳴り響いた。まるで飛行場のような騒音は私の心を震わす。その音は由海のドラムから鳴り響いていた。華奢な身体からは信じられない程に力強く響くスネアとタム。大胆に刻むハイハット。心臓を貫くような重いバスドラム。そして繊細な音色のシンバルたち。
「本当はツインペダル派なんすけど、流石に普段から持ち歩くには重すぎて。ま、レンタルドラムだとこんなもんなんすかね」
彼女はそう言うと、またドラムをたたき始めた。「こう、もっと上にシンバルが……」なんて独り言を言いながら、位置の調節をしている。
私は千鶴と目を合わせ、無言の会話をする。きっと千鶴も私と同じ気持ちなのだろう。
私は得意なフレーズを弾き、リズムを整えてゆく。千鶴はそれに合わせギターの音を乗せた。
由海だけに得意な顔はさせない。もちろん、千鶴にも。音楽を始めて以来、私は妙に負けず嫌いであることを知った。それは千鶴も同じだった。演奏しているパートは違えど、相手よりももっと上手く、そしてもっと激しく。私たちはそうやって互いを高め合ってきた。
由海は私たちのセッションにすぐ気づくと、不敵な笑みを浮かべた。そしてすぐに私たちに合わせ、リズムを刻む。ベース、ギターそしてドラム。三つが揃ったジャムセッションなんて、本当に三年ぶりだった。私は無心で弾き続けた。
もかの拍手の音で我に返る。ジャムは切り良く終わりを迎え、私たちは息を整えた。
「由海ちゃん、あんたとは良いバンドが組めそうだ」
「……うん。良かった」
「チズさんと朱音さんこそ、なかなかやるんすね。こんなにわくわくしたのなんて、久しぶりっすよ。うち、バンドに入ります。これからよろしくでっす!」
「私も感動しちゃいました……。皆さん、本当にすごいです……!」
こうして由海のバンド加入が決定し、もかの拍手だけがスタジオに鳴り響いた。
「念のための確認、一つ良いっすか?」
スタジオ内にて帰り支度の途中、由海は唐突に口を開いた。エフェクターやシールドを片付けながら耳だけそちらに向ける。
「あの、本当にうちで良いんすか? ……その、お二人のご迷惑にならないかなって思って」
「急にどうしたの。さっきまであんなだったのに」
「いえ、ちょっと気になったんすよ……。ほら、一緒にバンド組むってなると必然的に一緒にいる時間が多くなるじゃないっすか。だから、うちが居ても大丈夫なのかなって、ちょっと心配で。チズさんとはさっき色々話して友好を深められたと思ってるんすけど、朱音さんは多分うちみたいなタイプ、苦手なのかなって思ったりして」
由海はスティックを鞄に戻しながら、私たちに背を向けたままそんな話をする。どうして由海は分かったのだろうか。そう驚きつつ私は一瞬考え、喋る。
「苦手、と言えば苦手な方だと思う。私は……喋るのはそんなに得意じゃないから、押されると黙っちゃうし、千鶴と話してるときも大抵聞いてるだけだから。……でも私はそんな由海さんがちょっと羨ましいとも思うし、ドラムのセンスは私が知ってる中でも相当ハイレベルだと思う。だから、私は由海さんと今日出会って、一緒にセッション出来たことを幸せだと思ってるよ。……ただ、それだけ」
私は感じたことをそのまま喋った。深く考えて話すのは得意ではない。それに、こう言うことは本心で喋らないと何も伝わらない。
「そう……っすか。そう思われてるなら光栄っす。それじゃ、うちもバンドメンバーとして、これからよろしくお願いしますです!」
「ま、あたし的にはもかちゃんはちょーっと良い子すぎるから、由海ちゃんみたいな問題児が居た方が楽しいけどね」
千鶴は笑いながらそんなことを言っている。
「もかさんはどう思う? 今日は見てただけかもしれないけど、今後四人で一緒にやる仲間として」
私はふと、もかにそう問いかけた。もかはどちらかというと私と似ているタイプだ。だからこそ、彼女に対しては若干の苦手意識があるのだと思う。私はもかの言葉を待った。
「私は……正直なところ、私が今ここに居て良いのか悩んでます。私以外はみんな楽器が上手くて、格好良くて、本当に皆さん、私の憧れなんです。だからきっと、一番迷惑になるのは私なんです」
椅子に座りながら、もかは俯きがちにそう語った。そんな思考になるのは、少し考えれば当たり前だった。自分だけが素人で、周囲には経験者しか居ない空間。ファンのままで居ることが如何に楽なのかを思い知り、そして何も出来ないそんな自分に失望する。そんなの、当然だ。
私は声を掛けられなかった。咄嗟に浮かんできた言葉は所詮慰めでしかなく、問題解決には繋がらない。
「それじゃ、ちょっと弾いてみなよ。そんなこと言ってないでさ」
声を上げたのは千鶴だった。片付け終わったギターをもう一度取り出し、シールドをアンプに直で繋ぐ。そして千鶴は押し付けるようにもかに渡した。
「退室まであと5分。片付ける時間込みであと3分間、弾いてみなよ」
もかは戸惑った表情で、恐る恐るネックを握る。そして右手を大きく振り下ろした。
「――え?」
私は思わず目を見張った。つい土曜日、もかはやっとのことで簡単なメジャーコードが弾ける程度だった。それから中二日、もかは7つのメジャーコードを全てしっかりと弾けるようになっており、且つコードチェンジによる簡単な進行まで出来るようになっていた。一体、どれだけ練習をしたら二日でそこまで弾けるようになるのだろうか。
「朱音、どう?」
もかの演奏が終わり、千鶴は私に向かって得意げにそう声を掛ける。
「どうって……正直、信じられない。知ってたの、千鶴」
よく見ると、もかの左手の指先はボロボロになっていることに気付いた。小指と人差し指には絆創膏が巻かれている。軽い恐怖すら覚えた。
「昨日一昨日、寝る間も惜しんで、ずっと教本見ながら練習してたんだってさ。動画サイトで練習動画探したり、どうしても詰まったら私に連絡したりして。夜中の三時に来た時には流石に驚いたけどね」
「本気でやろうとしてるお二人に迷惑を掛ける訳にはいかないと思って……。私に出来るのは教本見て練習することだけだから……」
こんなに頑張って練習してもなお、自分が迷惑だと思い込んでいるもかは、私とは明らかに違う。私は全然頑張ってない。
「もかが居るだけで迷惑って言うなら、私の方がもっと迷惑だよ。中途半端な気持ちでバンドを再開しようとして、碌に努力もしないでただ見てるだけの私の方がよっぽど迷惑だよ」
自分自身に苛立ち、自己否定に苛まれる。
「まあまあ、朱音。そろそろ時間だし一旦出て、続きは外で話そう」
千鶴の一言で我に返り、俯く。
会計を済ませ、地下のスタジオから地上へ上がった。周囲はすっかり暗くなり、震えるような寒さだった。小さな街灯だけが私たちを照らす。
「…………」
私は何も喋れなかった。自分が情けなかった。この間から、私は何も変わっていない。変わってなど、いなかった。
由海はそんな私の心境なんて構わず、もかに絡んでいた。
「なるほど……つまり普段は優等生のもかが昨日今日の授業中ずーっと居眠りしてたのもそういうことだったんだ! うちがたまたま授業聞いてたから良かったものの、寝てるところで先生に当てられたもかの慌てっぷりなんて早々見れないのに」
「うわぁ、それは言わないで!」
「あ、耳まで真っ赤! そんなに憧れの先輩に聞かれて恥ずかしかった?」
「そりゃ、恥ずかしいよ! 由海ちゃんなんていっつも寝てるから恥ずかしくないだろうけど」
二人のそんな緩い会話を聞いていたら、今こうして悩んでいることも吹き飛んでしまいそうだ。
「あたしたちもあんな時期、あったね」
千鶴は二人を見ながらそんな風に笑っている。私は柄にもなく思わず吹き出してしまった。
「私たちの場合は二人とも寝てたけどね」
水曜日、バイト終わりのその足で私はパリスへと向かった。
千鶴は相変わらず、カウンター席に座って一人でボードゲームをしている。可愛らしい羊がパッケージに書かれたカードゲームだった。
「千鶴、あのさ」
「あぁ、朱音。いらっしゃい」
「やっぱり私は、音楽がやりたい」
千鶴は手元のカードから目線を動かさない。千鶴の後ろで私は立ったまま話を続ける。
「私は一度、千鶴や他の人のことを理由にして音楽から逃げた。本当は私の問題だったはずなのに、都合の良く逃げた。私は今でもそんな選択をした私自身を許せてない」
千鶴は無言で聞いている。というよりもカードに集中している。そんな千鶴の存在は私にとって、とても有難かった。
「だから千鶴、ごめん。それと、これからもよろしく」
千鶴はほんの少しだけ微笑み、そしてこちらを向いて言った。
「このボードゲーム、一人用なんだ」
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