1.Reunion

「比良田さん、いきなりで悪いんだけど、今日ちょっとだけ夜勤頼まれてくれないかな。佐々木くん、急に来れなくなったみたいで……12時には井口さん出勤してもらうようになんとかお願いしたから、とりあえずその時間まで!」

「……まあ別に大丈夫ですけど」

 まだ秋口だというのに冷える夜9時のコンビニ店内。私は電話越しの店長へ向かってそう応えた。バイトのシフト終了直前、次のシフト担当の人が来るのを待ちつつ客の居ない店内でゆっくり帰り支度をしている最中、店の電話が鳴った。

 私はさっきまで結んでいた髪ゴムを手で弄びながら、こうして店長からの電話を聞いている。

「ごめんねぇ、僕も今ちょっと別店舗に出てるからそっち行けなくて……。本当はこんな遅くまで女の子一人で残すのは申し訳ないんだけど、まあ何かあったらすぐ電話してよ」

 電話先の相手は一方的に捲し立てるように喋ると、私の返事も待たず電話をぶち切った。そっと受話器を置くと、私は弄っていた髪ゴムを見つめながら溜息を吐く。

 頼まれてしまったものは仕方がない。人が居ないのなら、断る権利もない。私は髪を結ぶのは面倒だから諦め、そのままもう一度店内に繰り出した。

 とはいえ、夜勤を急遽頼まれることはもう何度目か経験している。そもそも今日休んだという佐々木も、最初からシフトが入っていたのかどうか怪しい。店長がシフトを勝手に組んだ結果、私が割を食うことになっているのであれば文句の一言でも述べたい気分だった。もしも自分が今ここで怒りに任せて帰宅したらこの店はどうなるのだろうか、なんて妄想を繰り広げることは客の少ない暇な時間帯にはよくあることだった。

 それからしばらくして、二、三人の客がまばらにやってきた。どうして客というのは暇な時には誰も来ないのに、忙しい時に限って列を成すのだろう。それでも私は嫌な表情一つ見せずに対応する。日頃からそんな風に生きているため、何の苦でもない。

 店内に誰も居なくなった後、ぼんやりと考え事をしているとまた一人、愉快な来店音と共に客がやってくる。高校生くらいだろうか、暖かそうなクリーム色のニット帽を被り、寒そうな赤い頬はそのロングコートとお揃いの色に染まっている。

 彼女は私の視線を避けてか、カウンターとは反対側からお菓子コーナーへと周り、吟味を始める。彼女の妨げにならないよう、背を向けてちょっとした作業を始めた。

 やがて背中に視線を感じると、そこにはホットスナックを眺めている彼女が立っていた。彼女は私の視線に気付くと一瞬目を合わせて小さく首を振り、再びホットスナックに目を移す。

 仕方なくレジ前で空気を眺めながら、ぼんやりと立ち尽くしている。なんだか急かしている気持ちになるが、マニュアル通りなのだから仕方ない。声をかけようとしたが、やめた。

 やがて彼女は手に持ったスナック菓子とホットドリンクをレジに持ち、

「あ、あとアツアツチキンお願いします。袋は大丈夫です」

 と言う。

「アツアツチキンですね、少々お待ちください」

 私は和かな笑顔のまま商品をバーコードで読み取り、トングでチキンを小袋に入れる。その間に彼女は千円札と端数の小銭を手に持ったまま待っていた。

「380円のお返しとなります。ありがとうございまし……」

「あの……夜勤、大変ですね! 頑張ってください!」

 彼女はそう言うと、私が返事をする前にその場を去っていた。

 なんだか呆気に取られた私は、その後も彼女のことを思い返しながら、客の来ない店内でシフトの交代人員が来るまでぼんやりとしていた。


「それじゃ、行ってきます」

 誰も居ない部屋に向かって、私はそう呟いた。鍵を閉め、外廊下へと繰り出す。そのオートロック付きのアパートは学生のみ格安で貸し出されており、漏れず私も学生の一人だった。

 とはいえ、大学にはここ半年、殆ど行っていなかった。もともと勉強にはそこまで興味なかったし、大学での友人もそう多くはない。行く理由が見つからず、自然と足が遠のいてしまっていた。 学費は奨学金から支出されていたが、給付型であったためお金には困ってはいない。バイトや両親からの家賃援助のおかげで貯金も多少あった。ただ生きてゆくだけの暮らしには何不自由していなかった。

 私は大学には向かわず、いつもの場所へと向かうことにした。

「お、朱音いらっしゃい」

「おはよう、千鶴」

 渋谷駅の繁華街から少し離れた喫茶バー『パリス』。私は普段、そこで過ごすことが多かった。行く理由なんて特にない。ただそこが私の居場所であるというだけだ。私が私で居られる、数少ない場所だった。

 千鶴はそこで働いている店員だった。とはいえ普段は店内をふらふら歩き回ったりと自由に過ごしているため、店名の入ったエプロンを身に付けていなければ客の一人だと勘違いされてもおかしくはない。

 案の定、千鶴はいつものカウンター席に座り、普段通り一人でボードゲームをしていた。私が知る限り、同じゲームをやってる姿は見たことがない。一体どこから持ってきているのだろうか。

 この時間帯、客は一人もいなかった。それどころか私の知る限り、日頃から客数は少ないように感じる。千鶴曰く「たまーに大繁盛することがある」らしいが、その発言が真実なのか定かではなかった。

 私はホットコーヒーをその場で頼み、いつものように千鶴の隣に座った。

「朱音も一緒にやる? 『ガイスター』、面白いよ」

「いや、やらない」

 どうやら二人用のボードゲームらしいが、千鶴は先ほどから一人でプレイしているようだった。楽しいのだろうか?

 やがて、奥からは初老の紳士が現れる。彼がこの喫茶バーの店主だった。コーヒーの入ったカップとミルクをそれぞれ両手にキッチンから持ってくる。

「入江さん、ありがとうございます。いただきます」

 私は角砂糖数個とミルクをたっぷり入れ、シックなデザインのカップに口を付ける。甘い風味と程良い苦みが混ざり合って、とても美味しい。


 千鶴と私が最初に出会ったのは中学生の時だった。とある講演会でたまたま席が隣だったから、そんなちっぽけな理由で私たちは仲良くなった。気付けばもう5年以上の付き合いだ。

 彼女は私の知らない世界をたくさん知っていた。とりわけ私たちにとって重要なのは音楽だった。千鶴が教えてくれた音楽は燻ぶっていた私の人生を大きく動かし――やがて堰き止めた。

「朱音さ、最近ベース触ってる?」

「どうしたの、急に」

 千鶴はこちらに視線を向けず、ゲームのコマを動かしながら話す。まるで私の思考を読んでいるかのような内容で、少しだけ焦る。

「なんとなく。気になって」

「……全然触ってないよ。多分、ここ一年くらいは」

「やっぱりそうだよね、あたしも結局あれ以降は殆どギター触ってないなぁ、って思って」

 私がベースを始めたきっかけは千鶴の一言だった。講演会後に連絡先を交換した私たちはメールを送り合う仲になっていた。その話の中で私は千鶴がギターを練習していることを知る。千鶴の楽しそうな話を聞いて私もギターを始めようと思ったが、両親からは「ギターなんて不良がやるもの」と一昔前の価値観で括られて話すら聞いてもらえなかった。

 そのことを千鶴にメールで報告するとこんな返信が来た。

『それじゃ、ベースならどう? もし朱音がベースを弾いてくれたら一緒にバンド組めるね』

 その言葉を聞き、私は両親を何とか説得する方法を考えた。その後、私の訴えをなんとか認めてもらい、千鶴と御茶ノ水の楽器屋巡りをしたことは5年経った今でも覚えている。しかしあのベースは今はもう、部屋の片隅に埃をかぶっていた。

「私たち、すっかり変わったみたいだ」

「そうだねぇ。見た目も中身も、あの頃とは別人だ」

 しみじみとした気持ちで甘いコーヒーを私は啜った。たった数年前だというのに、あの日々がとても遠くに感じた。

 本当に、色々あった。

「……それでさ、今度朱音に会わせたい子がいるんだよ」

「え?」

 コーヒーカップの底が見えてきた頃、千鶴は思い出したかのようにそう呟いた。ずっと言うタイミングを窺っていたかのように、わざとらしく口にする。

「今度の土曜日昼、ここに呼んだから朱音も絶対来てよ」

「……別にいいけど。バイトさえなければすることもないし」

「おっけ、土日はたまに予定あるっていうから、大丈夫かなって思ったんだけど」

「別に……大した予定じゃないよ。親が家に帰ってこいってうるさいだけ」

 嫌なことを思い出す。憂鬱な気分を掻き消すように、私は残りのコーヒーを一気に飲み干した。


 土曜日、約束通り私はパリスに向かう。また突発的な夜勤を頼まれてしまったため、ほんの少しだけ寝不足だった。とはいえ、バイト終わりにすぐに寝ない自分も悪い。

 いつものように階段を上がって木製の扉をくぐった。鈴の音が私の来店を知らせる。

「やっと来たね、朱音。もうお客さん待ってるよ」

「お客さん?」

 いつものようにカウンター席に居る千鶴の隣にもう一人、少女が座っていた。私が入ってくると同時にこちらに顔を向ける。

 どこかで見たことのあるような気がした。どこか緊張しているのか、なんとなく強張った表情をしている。やがて千鶴に促され、少女は恐る恐る口を開いた。

「あの、柳もかって言います。その……こんにちは!」

 もかと名乗る少女は椅子から立ち上がると、私に向かって礼儀正しくお辞儀をする。雰囲気や行動からきっと優しい子なんだろうな、とひとりでに和む。

「ええと、どうも……比良田朱音です。それで千鶴、この子を私に会わせたいって言うのはどうして?」

「この子、朱音のファンなんだってさ」

 思わず目を見開き、もかと名乗った少女を見た。見たところ、高校生くらいだろうか。小柄でとても可愛らしい少女だった。

「ファンって、つまり、ええと……どういうこと?」

「まあまあ、そう焦らないで。もかちゃんの冒険譚をゆっくり聞いてあげてよ」

 茶化してくる千鶴をにらみながら、私はもかが口を開くのを待った。

「その、お二人は昔、バンドを組んでいたんですよね。追川さんがギターで、比良田さんがベースボーカルの……」

「千鶴と朱音、で良いよ」

「あ、はい。……それで私、お二人の出演していたライブを観たことがあるんです。確か私が中二の頃なので、多分三年くらい前だと思うんですけど」

 三年前のライブ――。私には心当たりがあった。

「そこでなにがあったのか、朱音に直接思い出させてあげて」

「……そのライブ、私の兄に無理矢理連れて行かれたんですけど、正直全然興味無くて。それでステージ側は音も大きくて疲れるので、一番端っこの壁に一人で寄りかかってたんです。そうしたら、そんな私に女の人が声を掛けてくれて、『あんまり面白くない? 少しでも楽しめるように歌うからね』って言って飴をくれたんです。……覚えてますか?」

 彼女の観たというライブ、きっとそれは私たちの最後のライブだ。

 記憶がだんだんと遡ぼってゆく。あの頃の私へ還ってゆく。そうだ――あの時、私は――。


 別の中学だった私と千鶴は一緒の高校に入学することになった。そして一緒に軽音楽部へ入部し、私はベースボーカルとして部活の先輩二人とバンドを組むこととなった。最初はコピーバンドとして学内のみの活動だったが、次第にオリジナル曲も作るようになり、ライブハウスのライブにも出演するようにまでなっていった。

 そして3年前――正確に言うと2年9か月前、忘れもしない2月10日。その日はとあるライブハウスで開催された、複数の学生バンドが集まる合同ライブイベントが行われていた。私たちも顔見知りの主催から誘われ、出演することとなった。

 あの日は確か、大雨が降っていた。次のバンドが終わったら自分たちの出番だというのに、低気圧のせいで頭痛がひどく、直前まで外の空気を吸っていたことを覚えている。やがて出番が近づいてきたため、フロアに戻って遠巻きに演奏を聴いていた。

 ふと隣に、俯いている少女が立っていることに気づいた。つまらなそうに膨れているようで、ステージの方を見ようともしていない。直感で、誰かの付き添いで来たのだろうということを悟った。

 せめて一つくらいは楽しいことがあれば良いな。そんなことを私は考えて、頭痛の気晴らしに舐めていた飴の余りを彼女に渡した。

 ――たった、それだけだった。


「でも、あの時はお礼が直接言えなくて……ずっと心残りだったんです。それで、ふと思い立って当時そのライブに出演していたバンドをSNSで探してみて、見つけた人に『あの時見たベースボーカルのバンド』のことを聞いて回ってみたんです。そうしたら……」

「見事にあたしのところまで連絡が来て、今に至るってわけ。今更すぎて流石に笑っちゃったけど」

 もかは私のことをじっと見ている。この少女はそんな些細な出来事のために、わざわざ私を探して会いに来たというのだろうか。私には信じられなかった。

「それで、改めてあの時のお礼を言いたかったのと、もう一度、朱音さんの歌が聞きたくて来ました。……どうか、聞かせてもらえませんか?」

「悪いけど、もうバンドはやるつもりないよ」

 私は一瞬千鶴を見て、すぐに目をそらした。もかは私の回答が予想外だったのか、一瞬たじろぎながらも食い掛ってくる。

「え、どうしてですか!? 私、朱音さんの歌がもう一回聞くために頑張って探したのに……」

「頑張った、なんていうのは個人の主観だよ。私は私のために頑張ってほしいと思ってない。それに……音楽をやってたのなんて昔の話だよ。もう、何年もまともに触ってない」

「そんなこと、言われても……」

「別に歌うのが嫌いって訳じゃないから、一緒にカラオケ行くくらいなら良いけど」

「なっ……」

「朱音、意地悪はそのくらいにしておきなよ」

 千鶴はもかが絶句している様子を見て、私に向かって冷静に言い放つ。つい、口調が強くなっていた。しかし反省する間もなく、咄嗟に反発してしまう。

「別に意地悪とかそういうのじゃない。私はただ……!」

「いいかい、もかちゃん。朱音は口でこそああ言ってるけど、本当は自分のファンを名乗ってくれてる人と会えて嬉しいはずなんだよ。だけど、色々あって今はもうバンドは解散してる。一緒に組んでた人ともしばらく連絡は取ってない。それでも聴きたいって言うんだね」

 千鶴はもかの視界を塞ぐように私ともかの間に割り込み、そんなことを言った。もかは力強く頷く。

「おっけ、任せといて」

 千鶴はそういうと私を振り向く。

「Nirvana、覚えてる? 『Smells Like Teen Spirit』」

 覚えてるも何も――千鶴と最初に出会ったとき初めて聞いた曲で、初めて二人で合わせて演奏した曲だ。忘れるはずがない。

「久しぶりに合わせようよ。この刺激のない生活もだいぶ飽きてきたんだよね」

「でも……」

「このくらいなら平気だって。それじゃ行こっか」

 千鶴は私の返事も待たずに入江さんに断りを入れると、私ともかの腕をそれぞれ掴んで、店の外に連れ出した。


 そうして私たちは近くのスタジオへ向かった。もちろん何も持ってきていないため、機材は楽器からコード類まですべてレンタルだ。予約などもしていなかったが、スムーズに入ることが出来た。

「ほら、朱音。準備して」

 千鶴に無理矢理渡された黒いベースを握り、仕方なくストラップを肩に掛けると鏡の前に立った。久しぶりの重みはなんだか懐かしさを思わせる。

 もかの姿が鏡越しに映っていた。彼女のその目はベースを買いに行ったあの日の私のようで――。

「今日はドラムなしだから、音源流して上から被せの演奏ね」

 マイクの準備を終えた千鶴はスマホにスピーカーに繋ぎながらそう言う。まるでバンドを組む前の私たちに戻ったみたいで、思わず頬が緩む。まだドラムも居ない、そしてまともにベースも弾けなかったあの頃に。さっきまでの荒んだ心境が嘘みたいだった。

「行くよ――」

 千鶴は音源の再生ボタンを押した。それと同時に、私の右手は自然と動き出した。

 ベースアンプから出る低音が部屋中に響く。壁が振動で震えていた。ギターの音もそれに続く。エフェクターも繋いでいないジャズコーラスなのに、それがなんだかとても格好良い。2つの弦楽器の生み出す音は私の心臓を揺さぶった。

 紛れもなく私たちを歌った歌。この曲はきっと私たちのためにあるのだと、この曲を初めて聞いた時、そう思った。そう思うと――口が自然とマイクに向かった。何十回、何百回と聞いたこの曲を、忘れるはずがない。

 それから、アウトロまではほんの一瞬の出来事だった。私は何もかも覚えていた。いや、この身体に染み込んでいた。このメロディが。このリズムが。このリリックが。

 それに気づいたのは、何もかもが終わってからだった。千鶴は私をまっすぐ見つめていた。

「あの頃から、きっとあたしたちは何も変わってないよ。そりゃあ見た目とか性格は多少変わったけどさ。この情熱はあの頃から何も変わってないんだよ。ここしばらくは休憩中だっただけで」

「…………」

 私は答えることが出来なかった。答える資格を持ち合わせているとも思っていなかった。

 ふと、鏡に反射するもかの姿を見た。鏡越しに目が合う。もかも私を見ていた。

「どうしてそこまでして私に会いに?」

 鏡の奥に座っているもかへ訊ねる。一度話しかけただけ。一度歌を聴いただけの私に対して、どうしてそこまでの情熱を注げるのだろう。

「それは……その……」

「ファンが憧れている人に会いたい理由なんて、そんなの無いでしょ。ただもう一度、朱音に会いたかった。それだけだよ」

 そうだ。きっとそうだ。ファンであるなら、憧れている人の歌をもう一度聞きたいと思うのは当たり前だ。忘れていた。私の歌を好きだと言ってくれる人が居たことを。

 なんてくだらないことに拘っていたのだろう、と自分に笑えてくる。つまらない拘りで、ずっと自分自身を縛り付けてきていたなんて、馬鹿らしい。

 私は音楽が好きだった。そして今もまだ音楽が好きだと気付いた。この想いは誰にも傷つけられないし、誰にも奪うことができない。

 ……それでも、今の私は憧れるに値する人間ではない。今の私にはまだ何もないのだから。何もない私が、私は嫌いだった。だから、私をそんな目で見ないで――。

「朱音、もう一回バンド組まない?」

「え?」

「バンド、やろ」

 千鶴はそんな私の心境を見通しているように、そんな提案をした。もう一度バンドを組んで、音楽をやる。そうすれば私はきっと、今よりも自分を好きになれるかもしれない。

「…………」

 ――でも、今の私に、当時の私を越えられるのだろうか。今の私には何が出来るのだろうか。そんなことを考えると、一歩が踏み出せない。それに……。

「朱音のことだから、また変に深く考え込んでるんでしょ。あたしなら大丈夫。それにあたしたちにはもかちゃんが付いてるんだから。……そうだ、もし良かったらもかちゃんも一緒にバンドやろうよ」

 千鶴は唐突に突飛な発言をする。もかは心底驚いた表情で千鶴を見返した。

「え、ええ、私もですか!? でも私、楽器は音楽の授業以外、殆ど何にもやったことなくて……」

「あたしたち、先輩とはバンド組んでたけど、後輩とは組んだことないからさ。折角ならどう? ギターならあたしがいくらでも教えてあげられるし」

「でもその……私なんかが一緒にやっても、お二人にご迷惑しか掛けませんし……」

「いやぁ、そんなこと……」

「迷惑なことなんてないよ。誰だって最初は初心者なんだから。今大事なのは『どうやって』、じゃなくて『どうありたいか』、つまりやる気の問題だから。もかさんがバンドを一緒にやりたいって言うなら、きっと千鶴は歓迎する。でも一ファンのままで居たいのなら、それも一つの選択だと思う。――何も選んでない私が言える台詞じゃないけど」

 つい思わず口を挟んでしまった。柄にもなく熱くなってしまい、少し気恥ずかしさを覚える。千鶴は私の言葉に続く。

「じゃあ、もかちゃんに更にプレッシャー与えるようだけど、こういうのはどう? もかちゃんがバンドに入ってくれるなら、朱音も私たちと一緒にバンドを再開する、って言うのは?」

 千鶴は私たちにそんな提案をした。こんな時の千鶴はいつもずるい。二つの選択肢を用意させたように見せかけて、実際の選択肢は一つしかない。もかにとって、私たちのバンドが復活するには願ってもいないことだし、バンドの再開は私にとっても、この何もない生活から抜け出す一歩でもある。

「でもまあ、今すぐに決めなくちゃいけないことでもないから、また時間があるときにうちの店おいでよ。コーヒーくらいはあたしの給料分でおごってあげるからさ」

 もかは黙り込んでしまう。当然だ。きっとここで決めなければ決心が鈍ってしまうから。

 私たちはもかが話し出すまで待った。肩に掛けているベースが重かった。重いのが良かった。借り物のベースなのにどうしてこんなに懐かしく感じるのだろう。私はそんなことを考えながら、ネックを撫でた。

 もかはそんな私を見ながら、ゆっくりと口を開く。

「私、やってみても良いですか?」

「もちろん。歓迎するよ。やってみて、やっぱり無理そうって言うならそれでも全然良いし、お試しでもやってみようよ。朱音もそう思うでしょ?」

 二人は私を見ている。私は発言の一言程度をそんな注目を集めるような人ではない。そこまで期待されるべき人間ではない。でも、期待されたくないわけではない。むしろ期待されているのなら、その分頑張ろうと思うし、その分だけ努力しようと思う。

 私はまた、頑張れるだろうか。今度は私に憧れている後輩の前で――。

「……私に出来ることなら何でも言ってほしい。絶対……とは言い切れないけど、やれる範囲ならサポートするし、何かあったら頼ってほしい」

 私らしい返事だな、と思った。煮え切らない態度の自分がまたも恥ずかしく感じる。にも関わらず正面の二人はとても満足そうに笑っていた。

 私は自分自身を鏡で見ながら、指で弦を弾いた。

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