メリー・クルシミマス

 12月24日。


 クリスマスには昔から良い思い出がない。この時期になると、嫌な記憶がフラッシュバックして俺の心を乱す。


「いい加減にしろよ、戸中。何年やってんの?」


 紙の束でぺちぺちと机を叩きながら、こう話すのは俺の上司、三田だ。

 入社したころは気を遣っていた三田も、時間が経つにつれて次第に容赦がなくなっていった。


「はあ、すみません」


 俺はいつものごとく平謝りをする。どうやらどこかの計算に間違いがあったらしい。


 今更プライドが傷ついたりはしない。三田は俺よりずっと優秀だし、俺はそれ以上にずっと無能だ。

 それに、謝っている間にも時計の針は進んでいく。


「はあ。もういいよ。あんたに頼んだのが間違いだった」


 三田に解放された頃、5時を知らせるチャイムが鳴る。

 俺はその音を聞くや否やオフィスを出る。


 残業を強いられている同僚たちの恨めしい目線は気にもならない。


 そもそも俺には大した仕事は割り振られていないから、残業しようにもすることがない。

 俺のような無能にはさっさと帰ってもらった方が三田にも有難いはずだ。


 会社のビルを出ると、身を切るような寒さが襲い掛かる。

 オフィス街のど真ん中、電飾の巻き付いたビルや街路樹がちかちかと鬱陶しい。


「何がクリスマスだよ」


 そんな一言が、つい口から出た。


「あれえ? お兄さん、クリスマス嫌いなの?」


「へ?」


 突然の声に驚いて、俺は周囲を見回す。


「こっちだよ、こっち」


 上を見ると、少年が胡坐をかきながら浮いているのが見えた。


「は?」


 目の前の状況が信じられず、俺は素っ頓狂な声を上げる。


「驚いてるね、お兄さん」


 目の前の状況が信じられず、周囲を見渡す。急に声を上げた俺を怪訝な顔で見る人はいても、目の前の怪異に驚く人はいない。


「ああ、僕の姿はお兄さんにしか見えてないから、周りの人に変に思われないように気を付けてね」


「なんなんだよ、一体……」


「僕? 僕はお兄さんたちの言葉で言うところの『悪魔』だよ」


「あ、悪魔?」


「そう、悪魔。お兄さん、クリスマスが嫌いなんじゃない?」


「別に、そんなこと……」


「嘘だね。目を見ればわかるよ。誕生日とクリスマスが被ってプレゼントを一緒くたにされた? イブの夜に恋人にフラれた? 家族か友達の命日だったりして。それとも、何かトラウマがあったりして? とにかく。お兄さんははっきりクリスマスを憎んでる。クリスマスを滅茶苦茶にしたい。台無しにしたい。そんな気持ちがお兄さんの心の中でぐるぐると渦巻いている。違うかな?」


「……」


「手伝ってあげようか?」


「手伝うって、何を?」


「クリスマスを壊すんだよ、お兄さんが」


 ~~


 俺たちは怪しまれないように、イルミネーションの光も届かない裏路地に移動した。


「で、なんだよ、クリスマスを壊すってのは」


「クリスマスって言うのは、つまりアイツの誕生を祝う日のこと。別にアイツの誕生日ってわけでもないのに変だよね」


「そうなのか?」


「そう。それなのに、アイツを信仰してないこの国でまでクリスマスを祝ってる。悪魔の僕としては見逃せないんだよね。どうにかしないとなーって考えてるとき、お兄さんに会えたんだよね」


「それで、クリスマスを壊すって、一体どうすんだよ」


「簡単なことさ。クリスマスを楽しむ人たちの前で悲劇を起こすんだ」


「悲劇?」


「そう。クリスマスの楽しい思い出を血で塗り替える」


「どうやって?」


「そこでお兄さんに訊いておきたいんだけど。この世に未練、ある?」


「は?」


「お兄さんの死ぬ姿を生中継するんだよ」


「俺に死ねってのか!? 冗談じゃない、俺はゴメンだ。帰らせてもら……」


 俺は悪魔に背を向けて、一目散に逃げ出そうとする。だが、悪魔はいつの間にか俺の真横にいた。


「帰れないよ、お兄さんは」


 悪魔は俺にそう囁く。その言葉に、背筋がぞっと凍って脚が動かなくなる。


「本当はお兄さんが自分の意思で死ぬのが一番なんだけど。ちょっと僕が手伝ってあげる」


「な、何するんだよ!?」


 俺の体はまるで金縛りにあったように動かない。


「お兄さんは今から自分で自分の顔を潰すんだ。内臓をばらまくより血が吹き出るより、顔が壊れる方がよっぽど怖がってくれるんだよね」


 固まった俺の両手に、悪魔はカッターナイフとペンチをあてがう。俺の手は俺自身の意志を無視してそれらを掴む。


「や、やめてくれ……」


「ああ、お兄さんも痛いのは嫌だよね。大丈夫、痛覚はシャットアウトしておいてあげるから。その代わり、叫び声はちゃんと上げてね」


「い、嫌だ……」


「じゃあお兄さん、しっかり頼むよ」


 冷たい金属が俺の頬に当たる。金属は俺の顔の内側へと向かっていき、溢れ出した温かい汁が俺の手を伝った。


 〜〜


 この時期になると、嫌でも思い出すことがある。


 何年か前、ふと開いた動画サイトで、どこかのバカが自殺の様子を生配信していた。俺はたまたまその配信を開いてしまった。


 ものの数秒でそのアカウントはBANされたけど、そいつはしつこく復活して、結局そいつが動かなくなるまで配信は続いた。


 今思えば途中で画面を切れば済む話だったが、どうしてもスマホを操作する指が動かなくて、なにかに取りつかれたように自分の顔を傷つけるあいつの顔が今でも頭から離れない。その夜は、ずっとあの配信はただのタチの悪いいたずらであることを願いながら、布団にくるまって震えていた。結局、あの男が死体で見つかって、それは俺にとって決して消えないトラウマになった。


 異常な経験をしたことを誰にも知られたくなくて、あの配信のことは今まで他人に話したことはない。


 そもそもあの配信を見ていた人間はきっとそうはいないはずだ。


 その証拠に、今も世の中はクリスマスを祝い続けている。


 身を切るような寒さの中、街路樹やビルは電飾が巻き付いてチカチカと鬱陶しい。


「何がクリスマスだよ」


 そんな言葉が、つい口から出た。

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ゴリ・夢☆CHU♡のThat's 短編集 ゴリ・夢☆CHU♡ @heiseicyclone

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