第3話 誘惑
俺の頭は混乱していた。一方は固まり、一方はフル回転している。
人が1万円を得ようとすれば、それなりの労働が必要となる。お姉さんが言ったように、時間を代価として得られる報酬と言う訳だ。なるほど、理にかなっている。
「ああ、来ましたね。先にいただきましょう」
お姉さんの言葉にモニターから目を移すと、テーブルの上に料理が並べられていた。
「これは私のおごりです。遠慮せず、どうか食事を楽しんで下さい」
お姉さんの笑顔に見惚れながら、俺は出て来た料理に口をつけた。
……うまい!
なんだこれ、無茶苦茶うまいぞ! こんな料理、食べたことがない!
一皿食べ終えるごとに新しい料理が出て来る。後で分かったのだがこの料理、一流レストランでしか食べられないフルコースの料理だった。
「どうですか? 満足していただけたでしょうか」
食後のコーヒーに口をつけていると、お姉さんが微笑みながらそう言った。
「はい……とても満足です……」
「ちなみにこの料理、代価は寿命1日分です」
「ええ? これで1日なんですか?」
「はい、そうです。あなたの寿命の1日と引き換えに食べられるのが、この料理となります」
「これが1日……いや、でもおかしくないですか」
「おかしいとは、何がでしょう」
「だってさっき、俺の1日と引き換えに得られるのが1万円って。今の料理、どう見ても1万円じゃないでしょう」
「ああ、なるほど……説明が不十分でしたね。寿命の計測は、1日単位となっているんです。さすがに時間単位で魂を分割すると、こちらの処理が大変ですので」
「そういうこと……ですか」
「はい。ちなみにそれは、あなたの価値に比例していきます。あなたの社会的地位、信頼度、財産などによって、この数値は変動していきます。今現在のあなたの価値で計算すると、魂1日と引き換えに得られる金額は2万5千円程となります」
「なるほど……合理的ですね」
「あなたは昨日、何をしたか覚えてますか?」
「え?」
突然真顔になったお姉さんからの問いに、俺は思わず聞き直した。
「昨日したこと、ですか?」
「そうです。何か感動的なことはありましたか? 魂を揺さぶられる出来事はありましたか? 幸せでしたか?」
「いえ、特には……ただ学校に行って、帰ってからはゴロゴロしてて……いつもと同じ、平凡な1日だったと思います」
「その1日も、あなたの大切な時間なんですよ」
「……」
「よく考えないと思い出せないような、平凡な1日。いつもと変わらない日常。人間とは、そういう無為な時間を過ごす生き物なんです。無駄な、と言ってもいいですね。その1日も、その人にとって大切な人生だというのに」
「……言われてみれば、確かに……」
「無駄に過ごすのも1日。有意義に過ごすのも1日。あなたがそのタブレットを使って、今の料理をもう一度食べる。その代価として差し出すのは、これからもあるであろう、昨日のような無意味な1日。そう思ったらこのサービス、決して無駄なものだと言えないのではないでしょうか。
魂を有意義に使い、人生をよりよい物へと変えていく。そして我々は、あなたの幸せと引き換えに、魂を効率的に提供していただく。お互いにとって利のあるサービスだと思いませんか」
「……」
「契約は絶対です。あなたが魂と引き換えに願ったことは、必ず叶うのです。悪魔は契約を必ず順守する種族です。神や仏なんかと違ってね」
そう言って、もう一度俺の手を握ってくれた。
「無理に使って下さいとは言いません。あなたが困った時の保険、それぐらいの軽い気持ちで構いません。これからの人生、色んなことがあると思います。どうしても叶えたい願いが生まれることもあるでしょう。その時にこのタブレットのこと、思い出してくれたらと思います」
「……」
「お話出来てよかったです。今日はありがとうございました。あなたの未来が幸せであること、願ってます」
そう言ってお姉さんは、今日最高の笑顔を俺に向けた。
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