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  • BWV859 朝の瞬きへの応援コメント

    使い古されたフレーズですが、時間のエアポケットに入ったような感じの、不思議な視点の文章ですね。この話し手が語りかける「あなた」はどこにいて、その「あなた」がこれらの言葉を聞いているのはいつか。それとも、「あなた」がこれを聞くことはないのか。であれば、「眺めよう」「味わおう」と呼びかけているのは誰に対してか。
    「神」だの「超越」だのの言葉を使ってわかりやすく説明することは可能なんでしようが、ここはあえて黙して、この奇妙な視線の一人語りに耳を傾けるべきなのでしょう。祝福とも、呪いとも、諧謔とも、親密さとも言いかねる、魅力に溢れた一人語りを。
    語りの焦点が結ばれている蟻と鴉と人とが、いわゆる天・地・人の要素になっているのも、ビジュアル的に想像力を掻き立てられる構成ですね。

    PS 久しぶりに新作を拝読して、ちょっと興奮しました w。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。だれの視点なのか、だれが語ってるのか、よくわからないようなものを、バッハを聴いているとなぜか書きたくなってしまいます。

    音楽を聴きながら好きなように、気ままに書くだけの作品だから、いつでも書けるな、と思っていたら、いつの間にか長いあいだ更新していませんでした。久々に書いたエピソードに、丁寧なコメントをいただけてとても嬉しいです。

  • BWV858 ハーモニカと人魚への応援コメント

    このシリーズには珍しく、と書くと失礼ですが、最後までほっこりしたパステルカラーの童話調、なんだかとても癒やされた気分です 笑。それなりに複雑な技を見せつつも、どこかユーモラスでほっこりした十三番フーガの調べが、確かにバックで響いていそうですね。

    「美しいものは、痛みから生まれるんだよ」というフレーズが、寓話的で深いです。痛みのない美しさしかない海の底、とは何のメタファーなのか、その解釈次第で、この話にアンデルセン流の悲劇を続けるのか、波乱万丈な冒険譚を持ってくるのか、あるいは痛み分けのような苦い青春物語を語るのか、色々に分かれそうです。ともあれ、この掌編はここで止めるからこそ、危うくも夢見がちな人魚のあどけない眼差しを、その楽天的な幸福感を、読み手の心に残してくれるのだろうなと思います。

    眉間にしわ寄せたおっさんおばさん方が、揃ってしばしの童心に還りそうな素敵なお話です。ありがとうございます ^^。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。たしかにずいぶん童話的になりました。アンデルセンの人魚姫って、なんだか気がかりな作品ですから、こんな話をつい書きたくなってしまいます。ボブ・ディランの歌詞に、すべての美しいものの影には痛みらしきものがある、というような意味合いのフレーズがあった気がします。書いた後に思い出しましたが、影響を受けているのでしょうね。


  • 編集済

    BWV858 コーヒーと天使への応援コメント


    こ、これは喫茶店のワンシーンでしょうか? しかし何という罰当たり……もとい、驚異に満ちたモーニングコーヒーでしょうか。ミルクで描かれた主の御姿だけでも畏れ多いことなはずなのに、モーゼも腰を抜かしそうな超自然現象が次から次へと。まさにミラクルのインフレーション!
    十三番のプレリュードは、どちらかと言えば初心者でも挑戦できる、素朴で鄙びた印象もあるあっさりした曲なんですが、音楽付きで読んでいると、シンプルな可愛らしい曲調と相まって、徹底的に人を食った物語のようにも感じられますね。下品すれすれな演出を、どこまでも優美なユーモアに仕立てているような。ぜひSFX込みの実写で見てみたいと思いました。だれかショートムービーにでも映像化してもらえんもんでしょうか。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。なんとなく、天使とコーヒーの組み合わせが思い浮かんだので、そんな場面を描いてみました。ふざけ散らかしていますが、主も広い度量で許してくれるのではないかと、勝手に期待して書いています。この曲、かわいらしさと優雅さがあって、とても好きです。

  • BWV857 人は死ぬへの応援コメント

    なんだか深遠なことを話し合っているようで、究極のボケをかましあっているような、何とも言えない味わいの対話ですね。この空気はほのぼのした暖色系なのか、救いのない寒色系なのか。
    バッハのフーガなどは特にそうですが、眉根にシワを寄せながらじっと聞き入っていると、ふとそういう聴取の姿勢がバカっぽく思えることがあって、音楽自体も、しかめっ面をしているのかおどけているのか急にわからなくなる瞬間があります。たぶんどちらでもなく、どちらでもあるのでしょう。ただ、くだを巻き続けているようなセリフの果てに、いきなり剣呑な一言を突きつけられたような気分にもなるのは、それだけの深みを素材にしているからこそでしょうね。
    下手に死の真実とかそんな仰々しい話をしていないがゆえに、かえって言葉の一つ一つについて考えたくなる、そんな掌編です。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。自分の好きな作家や作品は、真剣さとくだらなさが同居しているような、そんな雰囲気を感じることが多いです。くだらなさを排除しないというか。そんな風通しのよさに憧れてしまうので、自分でもそう書けたらいいなと思っています。仰々しいものが苦手なのでしょうね。くだらなくなりすぎることの方が多いかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。

  • BWV857 月にいるへの応援コメント



    おそらくは死後の世界を描いた掌編と受け止めるべきなんでしょうが、それ以上に「圧倒的な孤独」を感じますね。
    一行目から原曲のさみしげな響きがびんびんに鳴り続けているような印象です。もとより、ヘ短調はバッハの中でも格別悲しみのイメージが強い調性だといわれますが――バッハ、グールド、孤独、ときて、ふと、ミシェル・シュネデール(千葉文夫訳)の「グレン・グールド 孤独のアリア」を思い出しました。もしお読みでなかったら独りよがりな回想で失礼しますが、良質のグールド入門書でありながら、全ページに孤独の隔絶感が染み付いているような情感のこもったエッセイの文体に、若かりし頃の私は一発でまいってしまった記憶があります w。まあ、あれはあれで、一種理想化したグールド像であったかもしれませんけれども……。
    自己憐憫とか、反抗心の裏返しみたいな卑小さなどとはぜんぜん別物の、この世の果てにあるような、純でありながら峻烈な孤独のイメージ。この文章の背景に鳴るべき音楽は、なにを置いてもグールドのピアノでなければならない、と思いました。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。冷たい孤独、のようなイメージを描いたつもりなので、ありがたいお言葉です。グールドのその本については未読ですね。興味がわきました。ピアノの演奏について語れるような見識はありませんが、グールドの演奏には本当に惹かれます。冷たい孤独感と、その奥にとても柔らかなものを感じさせるような……。ピアノで演奏されるバッハは、グールドと高橋悠治さんばかり聴いています。

  • BWV856 夢に逃げるへの応援コメント

    二つ前で理想的な死の瞬間を描かれたと思ったら、こちらはなかなかにしんどい死の瞬間ですね。
    無表情にただひたすら握手をもとめてくる、影の群れ。対してこちらは、笑いながら逃げ回り、拒み続ける、という情景。シュールなんですけれど、なんだか実際の死の間際って、こんなものなのかもなあと思いました。いざとなれば、みんな往生際が悪くなると言うか 笑。
    死の瞬間の数秒を、際限なく引き伸ばして胡蝶の夢のように長い物語にする物語のパターンがありますが、実際にこういう夢に出くわしたら、引き伸ばすべきなのかさっさと断ち切るべきなのか。引き伸ばせる限りは生きているのだから、生きるべきだ、というのも分かりますが、何事にも終わりどきというものがあるのでは、とも考えられるわけで、その流れで行くと、こういうエンドレスっぽい夢は悩ましいですね。もっと楽な死に方でありたいものです。ちなみに、11番のフーガは、やや強引なつなぎ方をすればエンドレスリピートに出来なくもないです w。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。だれもが最後は受け入れるしかないのかもしれませんが、どこまでもあがいてしまうのが人情ではないかとも思います。一瞬を極限まで引き延ばす話、好きだったりしますね。死が関われば、なおさら時間の感じ方というのも極端に変わりそうです。

  • BWV856 声を食べるへの応援コメント

    このシリーズでは、新しいページを開くたびに、毎回その着想の妙に驚かされておりますが、今回のこれは、ひときわでした。

    声を食べる、という発想は、まあ出てくるとして。
    色んな味があって楽しい、というのも、まあいいとして。
    「声は死を介在しない」、これは(私は)ちょっと出てきません。
    「食べられる声は、死んだ声ではありません」「声は、食べられても、奪われないんです」、一種の逆転の発想でしょうか。ですが、「聞くものさえいない静寂がこの世界を覆っても、それでもなお、遠い昔においてではなく、いま、現在、ただいまにおいて、声はそこにあるのです」、最後にこんなところに来るんですねー。なるほど、と頷くべきか、あっぱれ、と天を仰ぐべきか。

    後半で語られているのは、あえてペダンチックに言えば、「存在の永遠性について」というテーマになるでしょうか。八十年代前後のコミックやアニメや小説に繰り返し出てきた(と湾多が勝手に解釈している)イメージの一つで、一種懐かしくもあります。この作品をそれらの流れのうちに解釈すること自体、正しいのかどうかはわかりませんけれども、究極の安寧を感じさせる言葉に、バッハを重ねて読めるのは、とても素敵な体験ではありました。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。抽象的な話を書きがちなシリーズですが、これはとりわけ、ストーリーも人物の姿もろくにない、とりとめのない話になってしまいました。
    音楽に触発されて、なにも先を考えないまま書き始めるので、作者も「そうか、最後はこんなふうになるのか」と驚いたり呆れたりしながら毎回書き終えています。
    人の記憶や想いは、消えていくだけなんだろうか。なんの痕跡も残さないのだろうか。そんなことをよく考えてしまうので、どうしてもそのようなテーマに傾いてしまいがちですね。
    いつも懇切丁寧な感想をいただけて、本当に感謝です。

  • BWV855 死神の轍への応援コメント



    このシリーズでは稀に見る饒舌なキャラですね w。海外翻訳もので、この手の、年少者のはずなんだけどやたらと文学センスの高い少年少女を見かけることがありますが……この長々しいセリフはむしろロシアっぽいと言うべきなんでしょうか。あっちの戯曲って、なんかこんな感じの言い回しが好きですよね。

    第一巻十番のフーガは、平均律クラヴィーア曲集で唯一の二声フーガですが、曲調がほんとにこんな感じです。モノトーンぽいのに激しくて、会心の笑顔とともに人が死んでいく、みたいな。加えて、どこかしら疾走する馬車とかトロイカとかを連想したくなるスピード感も。その意味では、この文章は、最初から最後まで原曲の響きがバックにぴったりと寄り添い続けている印象でした。

    たぶん一般的には壮絶かつ恐ろしいイメージのストーリー、と評すべきなのかも知れませんけれど、突き抜けたユーモアも湛えられていて、私などは、こんな幸せな死に方ができるのなら最高だ、と思ってしまいます 笑。願わくば、平素死の心配などまるで不要な、緩みきった人生のおっさんのもとにも、この死神が現れてくれますように。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。最初はそんなつもりもなく書き始めたのですが、いつの間にか、とても饒舌な少年に話のすべてを持っていかれてしまいました。雪のイメージもありますから、ロシアっぽさというのは確かに漂っているかもしれません。ドストエフスキーとか、あとロシアではないけれどフォークナーとか、「こんなに長く喋る人間はいないだろう」と思いながらも、勢いと熱量で説得されるようなところはありますね。そういうの好きです。
    この曲は、冒頭からもう、馬車のイメージしかわいてきませんでした。馬車に連れ去られていくイメージにぴったりの曲だなと思えました。音楽とイメージがうまく重なってくれたなら、嬉しいです。
    自分もこんなふうに死ねたらいいな、なんて思います。というか、どんな惨めな死に様だったとしても、こんなふうに迎えに来てくれるんだよ、という願望のようなものとして書きました。

  • BWV855 言葉の塔への応援コメント

    バベルの塔をモチーフにした作品は星の数ほどあるのでしょうが、言葉を素材にしての建築とはまた、正しく文学的と言うべきか、聖書的と言うか。

    いつになく長めに具体的なストーリーを紡いでいらっしゃいますが、なんとなくハイファンタジーの香りが高くて、もはや立派な創作聖書外典という感じです。そしてまた、語られているイメージの魅惑的なこと! 「義によって輝く礎石」「翼の生えた言葉」「一にして多である御言葉」、いずれも映像化は著しく困難で、まさに言葉で紡がれる物語だからこそ出し得た存在ですね。

    旧約で語られる破局はまだしも表面的には理解しやすいものでしたが、この物語の結末は、どのように受け止めればいいのでしょうか。ほぼ聖書の内容の翻案ものとも読めますが、全く別の、ある種現代的なテーマが突きつけられているようにも見えます。それは神への絶望かも知れないし、全世界的な共同幻想が瓦解している危機感のイメージかも知れない。とはいえ、単一言語時代は無言で語り合っていた人々が、災厄の後に痛みを分かち合おうと口を開いたら、結局バラバラの言葉だった(=結局沈黙するしかなかった)、というのは、強烈な皮肉でもあり、一つの啓示であるようにも思いました。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。短く抽象的な話ばかり書いてしまいがちですが、これは思いのほか物語らしくなりました。バベルの塔についての話は、短いながらもいろいろ考えさせられる記述なので、人それぞれの解釈、膨らませ方、受け取り方があって多様ですね。自分のこの作品も、そのささやかな試みのひとつです。作者もどうなるかわからないまま書き始めたのですが、なんらかのトラウマが反映しているようなエピソードとなりましたね。

  • BWV857 月にいるへの応援コメント

    凍えていく心の温度が伝わるような、とても素敵なお話です。静かで、こんなふうに存在してみたいな、と思いました。個人的に、「無関係なら、いくらでも容易に愛せるから」の一文にすごく共感しました。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。だれからも離れた、冷たいけれど静かな景色のようなものを書きたくて書きました。その一文は、自分でもしみじみと実感することが多いですね。

  • BWV855 死神の轍への応援コメント

    夜分にお邪魔します…このお話とても好きです。最初拝読したとき、あまりにも好みで早速コメントしたかったのですが、何コメントしたらいいか分からず結局今になってしまいました。笑「夢に逃げる」も大好きですし、カーテンや動物園のお話もめちゃめちゃ好きです。落ち着いたときに、テーマになっている曲を聴きながら話を読んでみたいです。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。気に入っていただけたなら嬉しいです。自分は雪が好きなのに、雪が出てくる作品をあまり書いていない気がするので、ちょっとだけでも書けてよかったです。バッハを聴くときに、少しだけでも楽しみに貢献できれば幸いです。

  • BWV854 ブランコたちの群舞への応援コメント


    九番のフーガと言うと、何かを言いかけた途中のようなテーマがせわしなく重なっていって、とにかくせっかちで、私などはさながらたくさんのアメリカンクラッカーがカチカチ鳴り続けている光景なんかを漠然とイメージしたこともあるんですが、なるほど、ブランコときましたか。しかも、世界の果てまで続いているブランコ。
    誰も乗っていないのに、それ自体は楽しげに揺れ続けている――どうも、「揺れ続けている」というよりは、元気いっぱいに限界まで高く遠く伸び上がっているブランコも、そこかしこに見えそうです。なんならハイジの超ロング仕様のブランコまで何の矛盾もなく混じっていそうな気がしますね w。
    原曲はあっという間に終わってしまう印象もある曲ですが、そこからこんなふうに永遠に揺れ続ける無数のブランコ、というイメージを持ってこられるのは、文章化の妙味とでも申しますか。そう書かれると、あのつむじ風のような短いフーガが、悠久の風景を、スナップショットのように切り取った断面というふうにも見えてきます。まさに瞬間から永遠を感じさせる――音楽そのものですね、と。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。カーテンと同じように、ブランコも好きなんですよね。風に揺れているものは、だいたい好きなのかもしれませんが。地平線までブランコが続いていたらいいな、なんて願望が曲を聴いていて浮かんでしまいました。ハイジのブランコも規格外のダイナミックさがあっていいですね。バッハの音楽そのものが、ずっと見飽きない風景のようですね。波のようだったり、雲のようだったり、風に揺れるなにかのようであったり、汲めど尽きないイメージの源泉です。

  • BWV846 枯葉送りへの応援コメント

    葉葬、とても素敵だなぁと思いました。物悲しさと美しさを内包している雰囲気がとても好きです。楽曲をまだ聴いていないので、そちらにも興味が湧きました。よいお話を拝読出来て嬉しいです。ありがとうございました。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。枯葉が好きなので、それに包まれて消えられたらいいな、と想像を自由に広げてみました。バッハの音楽はどれも素敵な音楽なので、少しでも興味の一助となれば幸いです。

  • BWV854 カーテンたちの沐浴への応援コメント


    カーテンがふわふわと揺れている――たぶん、映像にするならそれだけのシーンなんでしょうけれど、そこにまとわりつく言葉のまた豊かなこと、多彩なこと。それでいて、語っていることの中心にカーテンの匿名性を置いているのがおもしろいです。
    まるで主人公づらをしないカーテンなんですが、そのとらえどころのない存在にしろ、風と光とに交わってこそのもの、という視点がまた詩的ですね。その視点にしても、饒舌な言葉の狭間にぼんやり漂っているだけで、幻のように立脚点があやふやなまま、世界の果てに去っていってしまってるような印象です。
    どうかすると、神視点の超越的なイメージに呆けてしまいそうなんですが、「まことに天の国は近い」でふっと我に返ると、つまり、今のは何だったんだろうと、なんだか煙に巻かれたような気がしないでもありません w。禅問答のような難解な哲理を聞かされたのか、神の真実を垣間見たのか。これもまた、バッハのプレリュードに重なるイメージでしょうか。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。揺れているカーテン、好きなんですよね。見ているだけで落ち着くというか、こころが静まる気がします。だれもいない部屋に入って、カーテンだけが揺れていたりすると、なんらかの神秘に触れたような感覚をおぼえます。
    どれもそうですけど、この曲も聴きながら、なんていい音楽だろう、なんてこころが安らぐ曲だろう、とあらためて感動したのですが、感動するほど曖昧だったり抽象的だったり、ふわふわした作品を書いてしまいがちです。


  • 編集済

    BWV846 影の鳥への応援コメント

    なんかべた褒めしてる呟きがTwitterの呟きにあったので拝読。

    かなり言葉を選んだうえで、文章の余韻をつなげていくというか、響きが頭に残る文体になってますね。私には書けない類です(;'∀')

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。twitterでどなたかが褒めてくださっていたのですか。知りませんでしたが、感謝です。
    音楽を聴きながら書いているので、音楽的な文体になってくれたらいいな……とは願っています。そう都合よくはいかないかもしれませんが。
    響きが頭に残ると言っていただけて嬉しいです。ありがとうございました。

  • BWV853 読む猿への応援コメント

    この作品はすごいです。多分、これまでに拝読したこのシリーズでも一、二を争うすごさではないかと思います。ただ、何がすごいのかと訊かれると、うまく説明できません。実はコメントを数日間寝かせてみましたが、やはり芸のない書き方しかできませんでした。ニーチェやカフカを読破して、その「猿的」要素について語るサル! 実はラジオ体操をするパンダというのにも少なからず感銘を受けたのですが(パンダが主人公の、動物園を舞台にした十年ほど前のとあるアニメを思い出しました)、このサルはほんとにすごい。こんなのがいたら、私など毎日動物園に通ってしまいそうです 笑。あと、私的な感覚でしょうけれど、「人気は猿の実存とは関係ない」。この一文だけ、ストーリーとは別のところで妙な重みを感じますね……。

    ところで本作のレビューですが、当初はお手並み拝見という意味で星1つの評価とさせていただきましたものの、いずれ上方修正するつもりでした。今回で平均律も第一巻の三分の一に届き、ちょうどいい区切り目ということと、この先もコンスタントにお書きいただくことを祈念する意味で w、上乗せしておきます。返す返すも、献上できる星が三つきりなのが残念です。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。そこまで言っていただけて嬉しいです。
    読み返してはいないのですが、カフカの短編に猿が人間になるというものがあったので、それの影響をたぶん受けています。パンダが主人公のアニメというのは寡聞にして知らなかったので、興味がわきました。
    星の上乗せ、感謝です。これからもコツコツ書きたいです。もしかしたら、一気に何話も書き進めることもあるかもしれません。雑な書き飛ばしにならないように気をつけたいですが、音楽と気分の赴くままに書いているので、自分でも先行きがわかりません。とにかく、完結まで気長に読んでいただければ幸いです。

    編集済
  • BWV853 待つ猫への応援コメント

    一巻の嬰ニ短調前奏曲は、解釈の幅こそあっても「エレジー」としか形容できない曲で、悲しみなり痛切さなりを要素にせざるを得ない曲だと思います。それをモチーフにしたこの文章も、一見正面から悲しげな情景を描いているんですが、でもどこか距離を置いて観察し、書き手が悩み考えている形になっています。あくまで客観的なスタンスの文であることに、軽い驚きを覚えました。
    そう言われれば……と、こういう形で曲にかこつけるのはアリかナシかわかりませんけれど、八番プレリュードはなんとなくスペイン風で、フラメンコギターを思わせるダンディな響きもあって、悲歌でありながら、悲歌を奏でる舞台の奏者をカメラ目線でかっこよく撮っているようなところもあるのですよね。そういうところが、雨に打たれているミステリアスな猫、というイメージになったのかなあと思います。
    そう、やっぱり猫でなければ。これが「犬」や「家出少女」だったら、どこか興ざめなところが出てくるところだったんでは、などとも感じました。
    その猫をじっと観察している人物の姿込みで、いい絵だな、と思います。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。毎回、詳細に、そしてとても好意的に解釈していただけて、本当にありがたいです。バッハの音楽にはいつも独特の距離感があるような気がするので、それに影響されるのかもしれません。でも、猫のイメージになったのは本当にたまたまなので、興ざめなものを書いてしまうこともたびたびあるかと思います(笑)。気分の赴くまま、むらのある気分のままに書いているので、いつもよりなおさら短い話、スケッチのようなものになってしまいました。

  • BWV847 落下する天使への応援コメント

    koumotoさん、こんにちは。おかわりありませんか。コメント失礼します。
    凄いですね…。もはや、凄いですね、としか言えません。文章を読み進めながら再生される映像が、あまりに美しく胸に迫ります。最後の悪魔の下りが特に好きです。見たことのない景色を初めて見させて頂いたような気分です。

    作者からの返信

    こんにちは、われもこうさん。読んでくださってありがとうございます。
    そう言っていただけると嬉しいです。この作品集は、バッハの音楽を聴きながら気ままにイメージを広げているだけなので、ほとんど何も考えてないというか、書いていてあまり気疲れしないので、ありがたいです。
    天使が落ちていくイメージを書こう、と思って書き進めたら、いつの間にか悪魔が出てきていました。望遠鏡を覗く悪魔、というのは呑気な感じで気に入っています。
    少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

  • BWV852 僕が化粧を覚えた日への応援コメント

    これは祝いでいるのか、呪っているのか? とても晴れがましい一日を描いたようで、生涯残りそうな挫折の記録であるようにも思われます。ただ、私にはこの最後の場面がとても輝いて見える。勝手ながら、初夏の、底抜けに明るい青空の一日の出来事であるように感じました。それが幸福につながるものかどうかはともかく、間違いなくこの日、彼の人生には追い風が吹いたのでしょう。妙にカラッとしていて、ちょっと躁的で、でも何かしら歪んでいるような印象のイメージ。変ホ長調フーガのテーマのように……とつなげると、さすがに牽強付会っぽいですが 笑、陽性の響きの裏に、悲哀も歓喜も一緒くたになってるみたいなこのストーリー、いくら読み返しても読み解き果てることがないように思えますね。いつもながら、お見事です。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    周りから見たら失墜の始まりなのかもしれませんが、彼にとっては解放された日だったのかもしれません。なんにせよ、こころが求めるままに生きることができれば、それがいちばん幸福なんじゃないかな、とも思います。

  • BWV850 空中ラダーへの応援コメント

    宗教画のような光景をイメージしました。
    私たち一人一人が上も下も見えない梯子の上下に四苦八苦しその途上で死んでゆく。残酷ではあるけれどどこか美しくもある……。
    私は宗教を信じてはいないのですが、関連した芸術や信仰深い人のこと自体は好ましく思えるようになってきました。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    みんなそれぞれ、自分の梯子をのぼっていくしかないんだな、なんて思ってしまいますね。どこまで続くのかわからないまま。
    自分が惹かれる作品は、どこかに宗教的なイメージを漂わせているものが多いです。つい影響されてしまいます。

  • BWV850 水上ランナーへの応援コメント

    メシアもこの程度の存在であれば、後世までの禍根となることもなかったかもしれませんね。
    軽妙でシュールな作品で笑ってしまいました。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    重い運命から逃れた、気楽な姿のメシアがいてもいいんじゃないか、とか思って書きました。もともとの聖書も、読み方によっては笑える場面がけっこうありますけど。笑ってもらえたらとても嬉しいですね。


  • 編集済

    BWV852 私に羽が生えた日への応援コメント

    ええっ、ここで終わるんですかっ、というのが偽らざる読後感でした。でもネガティブな感じではなく、また面白いシーンを切り出しましたねえ、という感想のほうが実感に近いでしょうか。
    空が見えるところで羽が生えたら、普通の展開なら一も二もなく羽ばたいていくでしょうに、「もてあましていた」って 笑。
    こういうところで変ホ長調のプレリュードが流れていたら、そこに醸し出されるのはユーモアなのか楽観論なのか悟りの境地なのか。あの曲もすごく優雅な音楽のようで、フレーズの呑み方が(私には)独特な中止半端さを醸しているように聞こえるので、こういう宙ぶらりんな場面との取り合わせは、またこれで、とも思います。
    深読みすると絵づら的には色々と身につまされるところもあるのですけれど……少なくともここには絶望はないようです。マイナスの状態だった主人公が、ブラマイゼロにまで浮上している、それは多分、良きことなのだろうと思いたいですね。

    1月15日追記 少しだけ表現を訂正しました。しばしば浅はかなことも書いてしまっているコメントに対し、毎回真摯にお返しいただいてありがとうございます。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    なんといいますか……荒唐無稽な話ばかり書いていますけど、自分のなかのリアリティの基準みたいなのがありまして。その基準に照らし合わせてみると、羽が生えて少し浮いた、というまではありなんですよね。でも、羽が生えて空高く飛べるようになった、となると、嘘じゃないか、となるんですよね。
    もちろん架空の物語なのでぜんぶ嘘なのですけど、せめて誠実な嘘をつきたいというか、自分なりのリアリティを込めて書くと、こうなるんですよね。
    あと、毎回思うことではありますが、この曲はなんていい曲なんだろう、なんて素晴らしい音楽なんだろう、とあらためてバッハに感動しながら書いていました。

  • BWV846 影の鳥への応援コメント

    私の企画にご参加ありがとうございます!
    実は、私小説を読むのが苦手...というより、長文を読むのが苦手です。
    ですが、頑張って長文を読む練習をするために、こうして皆さんの小説を読ませていただいています。
    流石に全部読むのはきついですが、頑張って読みます!
    それと、これからの小説の連載も頑張ってください!応援してます!

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    応援ありがとうございます。参加できそうな企画だとすぐに節操なく参加してしまうので、お手数かけます。あまり合わなければ、無理に全部読まなくても大丈夫ですので……。
    少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

  • BWV851 雲への応援コメント


    平均律第一巻六番のフーガは、譜面づらからしても雲みたいな形をしたテーマが、上下逆さまになったり重音になったり重なったりトリルが付いたり付かなかったり、自在に変わっていく曲で、それを「雲」と見立てただけで、なるほど、と思ってしまいます。そこからに今回は「記憶の中の顔」というものにつなげて、最後のこれは、何か負のイメージのある記憶との戦いのようなものでしょうか? ただふわふわした空想ごっこで終わらずに、人の心の中にある傷というか汚れというか、そういうネガティブなものを黙って見せつけて終わるような構成が、なんとも言えない印象を残します。
    人嫌いである語り手の心境を描いているだけとも読めるわけですけれど、人の顔の記憶ってこんなものだよと言われれば、その通りですね、と言ってしまいそうです。結局最後に残るものは何なんでしょうか。やはり痛みとか、色鮮やかなイメージとか、そういう非形象なものなんでしょうね。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    前話と対というか、出会いは憧憬の対象にもなれば、痛みの源にもなり得るものなので、雲のイメージに仮託してそういうことを描きたかったのかもしれません。
    かもしれません、などと作者のくせに曖昧ですが、音楽を聴いて浮かんだイメージをとにかく書いてみると、こうなりました。どうしても、痛みにこだわってしまいます。

  • BWV851 波への応援コメント

    モノローグ調のエッセイと、瞬間掌編がミックスされたような不思議な作品です。
    情景として描かれた部分はごく短時間の、出来事とも言い難い些細な場面ですが、それが時の果てまで続くような思索の言葉とまったくシームレスにつながっているように読めますので、いつまでも続く波のイメージとも相まり、とてつもない広がりを感じさせますね。
    海岸で見知らぬ人とすれ違い、つかの間振り返って結局そのまま離ればなれになる。不思議と六番プレリュードの終わりの部分にぴったりなシーンだと思いました。「波と波の指先が、かすかにひととき触れるだけ」というフレーズも、三連符続きの音型がそのまま聞こえてくるようです。
    どうしてこれだけマッチした印象になるのか私も本当にわからないのですが 笑、多分、音楽自体が一種の比喩みたいなものですから、たとえからたとえに連想がつながって、感覚がフィットした気分になるのかも知れません。
    でもいずれにしても、この作品集のセンスの奥深さあってのことだと思いますので……どうぞ自信を持ってこの先もお書きになってください。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    作品内で起こる出来事は少なく、抽象的な文章ばかりが多くなってしまうのですが、イメージと思索の連なりを少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。バッハを聴きながら書くと、どうしてもそんな傾向になってしまうようです。
    どんな方向性で書いても、バッハの音楽は懐が深いから、受け止めてくれるのかもしれません。バッハに甘えて、これからも自由に書いていきたいです。

  • BWV849 侘しい路地裏への応援コメント

    カラリとした作品ですね。とても好きです。
    語彙力の豊富な浮浪者との一種の友情を描いた物語なのかな、と思いました。
    言葉を知ることで世界を広げてゆくのだ…私も書き手の端くれとしてそんな風に受け取らせていただきました。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    言葉を知らない方が、空は綺麗に見えるんだろうか? それとも、言葉を知ることで、空はもっと豊かに見えるんだろうか? そんなことを考えますね。とにかく自分は、もう言葉を知ってしまったのだから、求めつづけることしかできないみたいですね。

  • BWV849 冷たい地下室への応援コメント

    独房というのは酷い場所なのだけれど、実は理想的環境なのかもしれない…という感覚は自分も共感出来る気がします。
    ずっと思索に耽っていても良いし、運動が出来る環境なら自重による筋トレを極めていくのも楽しそうです。ノートとペンがあればやはり何か書くでしょう。
    最終的に外の世界に出るのを拒むのも分かる気がしました。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    作者の性根がひきこもりで出不精だからでしょうけど、閉じこもることを望む話をつい書いてしまいます。外と完全に縁が切れたら、諦めもついて、こころも落ち着くんじゃないか、などと考えてしまいますね。

  • BWV846 影の鳥への応援コメント

    企画参加ありがとうございます。
    言葉遣いや運び方がきれいで音楽みたいで素敵でした。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    音楽を意識した作品なので、そう言っていただけて嬉しいです。コメント、ありがとうございました。

  • BWV850 空中ラダーへの応援コメント

    毎回なにかしら「ああ、なるほどねっ」と手を叩きそうになることがあるこのシリーズですが、今回はタイトルをひと目見てため息が出ました。あの音符の並び、確かにそう見えますね!
    「現れては消え、現れては消え」というフレーズも、一度読んでしまったら、そういう形容をするしかないパッセージだなと思いました。ここらへんはむしろパズルゲームの画面と似通った印象を持ちます。バッハと詩的な日本語のフレーズとパズルゲームのドット画面が響き合っていると感じるのもヘンな話ですが。
    総じて悲壮な筋書きの物語ではありますけれど、最後に全肯定で励ますような一行。ト長調のカラッとした明るい終結の和音が聞こえてくるようで、いいなあと思います。この少年は、泣きそうな顔でなお、天を目指しているのですよね……。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    自分は本当にぼんやりと聴きながら、思い浮かんだ話を書いているだけなので、曲に即した解釈をしていただいて、毎回おどろき、感謝しています。
    この曲とこの作品ではイメージが違う、と言われても不思議ではないのですが……。
    自分は音楽と同じくらいにゲームが好きなので、作品にゲームを連想させるものがあったとしたら、個人的にはとても嬉しいです。
    天を目指すのは不毛なことかもしれませんが、無意味だよ、とは言いきれない気持ちがあります。

  • BWV847 落下する天使への応援コメント

    私は『平均律クラヴィーア曲集』は曲名(第一番プレリュード、第二番フーガとか)か調性(ハ長調、ニ短調など)で覚えていて、おそらく世間でもそちらのほうが通りが良いので、もしかしたら各話タイトルにもBWV以外の情報を記載したほうがパッと曲を思い出せるかもしれません。

    楽曲の感想ではなく、楽曲をBGMに書かれた短編ということで、とても心地よく読むことができました。続きも楽しみにしています。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    タイトルは難しいですね。情報を盛り込もうとすると、煩瑣になる気もして……。
    自分は専門的な知識もなく、ぼんやりバッハを聴いているだけの門外漢ですが、音楽を好む人に少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。

  • BWV846 影の鳥への応援コメント

    はじめまして。
    タグに書かれた「グールド」とは、グレン・グールドでしょうか?
    バッハは大好きな作曲家です。ゆっくり拝読させていただきます(^-^)

    作者からの返信

    はじめまして、麻生さん。
    グレン・グールドのことです。グールドの演奏を聴きながら書いている作品なので、そんなタグをつけました。
    少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。

  • BWV850 水上ランナーへの応援コメント

    軽妙で、どこか痛快でもあるシチュエーション掌編です。ただのナンセンスギャグに持っていって遊びまくることもできると思うんですが(と言うか、私などはそうしてしまいます)、あえて節度を保ちつつ、聖書のパロディも交えて、ユーモア豊かな牧師作家が書いたような品格のにじんだ文章が、またバッハらしいと言えましょうか。

    一種の不条理ものでもあるのですけれど、こんな楽天的な気持ちを満喫できる不条理なら、毎日でも起きてほしいものです。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    軽い気持ちになれるようなものを書きたくて書きました。
    バッハの音楽にはユーモアも感じますから。
    毎日起きる楽天的な不条理、というのはいいですね。そのような日々を過ごせたらいいのに、と思います。

  • BWV849 侘しい路地裏への応援コメント


    BWV849のフーガは、平均律曲集には二つしかない五声フーガの一曲で、十本の指でよくもここまで、というぐらいに音の配置の設計が神がかっている作品です。などという生半可な知識を持っている者からすると、気ままな流浪者の歌、とでも呼べそうなこの文章は、一見絶妙なカップリングとは呼びにくい感触もあったのですが、後半を読み進めてちょっと驚きました。「つまり、空なのである」、これはあのフーガのオルガン的なエンディングを聞き知っている人なら、誰しも、「うん、そうだよね」と頷くフレーズなのではないでしょうか。
    ちょっと寂寥感のある出だしから、屈託や諦観を交えた半生の紹介を経て、空への感動を歌い上げる最終部。曲に添った形だからどうだ、ということと全く別にしても、ドラマに溢れ、かつ世界をポジティブに包み込む、温かい掌編です。作者の意向とは異なるかもしませんが、前作の後日談とも受け止められそうな構成であることを思えば、なおさら感慨深く読んでしまいました。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    毎回、音楽と絡めた丁寧な感想をいただけて嬉しいです。自分は知識もなく聴いているだけなので、そうか、この曲はそういう位置づけの曲なのか、と教えられる部分が多いです。
    前話との緩やかなつながり、そういった関わりも、書き進めていくうちにまたあらわれてくるかもしれません。色々な表情の作品を書けたらな、と思っています。

  • BWV849 冷たい地下室への応援コメント

    どちらかと言うと、時流に乗ったポピュラーな題材の掌編……と思ったら、後半の歪みっぷりがまたなんとも。
    傍から見ると狂気と正気のすれすれを描いている作品などとも言えるのですけれど、ごくごく当たり前の人間の感性を描いているようにも取れます。話のいびつさを指摘しようとしても、「それのどこがいびつなのか」と逆に問い返されそうな、確固とした意志のようなものを感じる文章と申しますか。
    きっとこの主人公から見ると、大量の活字を読み書きしないとろくに精神が保てない人間などの方が、狂気の沙汰なのでしょうね。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    自分には、独房で過ごしたいという願望があるような気がして、もしくは、外に出たり人と話したりしていても、結局は独房で一生過ごしているのとあまり変わりないんじゃないか、とか思うことがあるので、こんな話を書いてしまうのかもしれません。
    こういった暗さはバッハの音楽に似つかわしくない気もしますが、それも包含してくれるのがバッハという気もします。

  • 私もスキップしながら読ませていただきました。久々に心躍る感覚を覚え、ああこれこそが生きることなのだと思い出しました。また少し天国に近づけたように思います。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    自分も音楽を聴きながら、スキップしながら書きました。こころが跳ねる日が、少しでも多くあればと願います。

  • 明らかに前話を意識したタイトルで、けれども一転して生真面目な口調、しかつめらしい、けれどもユーモラスな論調、なるほど、こう組み合わせましたか、と頷いてしまいました。
    言葉遊びを継ぎ足していってるようで、なかなかに思索的なエッセイにまとめ上げているお手並みはさすがという気がします。そして、終段。気がつけばさらりと死後の安寧のことを語っているくだりで、ああ今回もしてやられたと思いました。明日に向けて一心にノックを続けた子供が、いつしか開放されて雲間でスキップしている姿。ひとつながりの話の、素敵な閉じ方です。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    タイトルは毎回プレリュードとフーガで、少し似た響きにしています。関わりがあるようなないような。
    地獄は想像しやすいのに、天国を想像するのはなかなか難しいですね。現実は地獄により近いということでしょうか。もっと天国に近づいてほしいものです。

  • 素晴らしい作品です。3回読み返しました。泣きそうになりました。
    誰もがこんな喜びと共に産まれてくるのかもしれないと思わされました。
    どんな不幸な一生を送った人もこの喜びがあるのだから、存在しないよりも存在した方が良かった……そう言える可能性があると思いました。
    応援しています。これからも書き続けて下さい。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    そこまで言ってもらえるとは……。コメントに感動してしまいました。自分が書いているものは、とてもくだらないものなんじゃないかと、よく考えてしまうので。
    存在しないよりも存在した方がいい。自分もそう信じたいし、そう感じてもらえるような作品を書きたいです。
    応援、とても励みになりました。なんとか書き続けていきたいです。

  •  朗読の声を徹底的に意識して読みたい文章だと思いました。
     単にリズムが魅了的と言うだけでなく、語り手の声音や息遣いまでが文にデフォルトで染みているような、ライブ感あふれる作品です。何と言っても話者の視線が、子どもに寄り添い、子どもの未来を祈る、終始暖かさを湛えているものであるのがいいですね。切迫した雰囲気でありながら、読後は青空に向かっていくような晴れやかさが感じられました。
     江守徹さんとか、読んでくれないかな、これ。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    リズムに注力して書いているので、そう言っていただけてとても嬉しいです。自分は憂鬱な話を書くことが多いのですが、もしも晴れやかさを感じさせることができたのなら、それはバッハの音楽の賜物という気がします。
    江守徹さんとは、おそれおおい……。朗読されるのを想像するのは、楽しいですけど。

  • BWV847 落下する天使への応援コメント

    すごい作品ですね!宗教画のようなイメージが浮かんできました。ちょっと圧倒されました。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    イメージだけで成り立っている作品になりましたが、こういう終末的な景色は書いていて楽しいです。少しでも印象に残れば幸いです。

  • BWV847 石化する蝶への応援コメント


     あまり原曲の音と文章との対比を語るのは喜んでいただけないかも知れませんが、石化した蝶、と聞いて、ほおっ!? と膝を打たないではいられませんでした。あのフーガの音形を、こう持ってきた……。なるほど、蝶ですね。それも、石になった蝶。
     率直に言って、第一巻のハ短調のフーガはよくも悪くもかっちりした作品です。弾く側としては「平均律曲集の入門曲」という意識が拭えませんし、分析する立場からだと色んな意味で模範的な構成の逸品、と聞き及んでいます。もうこれは、必死になってピアノをさらう音大生でも登場させるしかないのでは、などと無責任に想像したりもしましたが、このような凝縮されたSF掌編のような物語を紡がれるとは。
    ホラ話の奇想が、幻想的な光景を経て、時間芸術の瞬間性にまでつながっていくくだりなどは、読んでいて惚れ惚れしますね。
     本当にこの先が楽しみです。……あまりプレッシャーをかけてしまうのもアレですが、どうぞこの先も、のびのびと書き続けてくださいますよう。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    原曲との対比を書いてくださるのは嬉しいです。懇切丁寧なコメントで、とても励みになっています。
    ただ、自分はぼんやり音楽を聴いて、これは好きだな、これはピンと来ないな、とか思ってるだけの、専門的なことはなにもわからない素人なので、知識のある方からすると、見当外れの作品になっていそうで心配です。
    といっても、けっきょく好き勝手に想像するしか、自分にはできないのですが。
    曲の実相から乖離してしまっても、まあ、素人のホラ話として、苦笑しながら読んでもらえれば幸いです。
    気長にこつこつ書いて、質はともかくとして、とにかく最後まで書ききりたいです。

  • BWV846 枯葉送りへの応援コメント

    面白かったです!
    葉葬というフィクションを用いながらもどこか説得力があるのは、人間の風習や風俗に共通するものがあるからなのでしょうかね。
    皮肉っぽくもあるような、優しくもあるような……そんな読み味でした。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    火葬も土葬も嫌だな、ぱっと消えられたらいいのにな、なんてわがままなことを考えるときがあるので、枯葉に包まれて消えられたら、という想像を書いてしまいました。
    何百年後、何千年後、人間がまだいるなら、葬り方に変化はあるのでしょうか。気になりますね。

  • BWV847 落下する天使への応援コメント


    これは黙示録でしょうか、それとも宇宙の輪廻?

    美しくも凄絶なビジョンの数々に見入ってしまいます。
    いつもながら、文節単位、単語単位の情報密度がハンパないですね。
    こういう文章がどこかの惑星のモノリスに刻まれて朽ちていたのが発見された、とかニュースが流れても、全然違和感ないです。
    順番から言うと、ハ短調プレリュードからの文章でしょうか。イメージ的には、大オーケストラの交響詩が鳴りまくっているような作品との印象が先行しますが、言われてみると、あの折り重なるパッセージのソロキーボードの響きそのものだな、とも思います。
    かなうことなら、文章のイメージを結晶化してアクリルケースに入れて飽きるまで眺めていたい、そんな思いにかられる文章ですね。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。
    ハ短調プレリュードを聴きながら書きました。性急なピアノの音を聴いていたら、天使の群れが次々に墜ちていく風景をなんとなく思い浮かべたので、言葉でそのイメージを描いてみました。天使に引っ張られて、なぜか悪魔も登場してしまいましたが。
    丁寧な、詩的ですらあるコメントをいただけて、とても嬉しいし、励まされます。気ままに好き勝手に書いていますが、少しでも楽しめるものになっていることを、切に願います。

  • BWV846 影の鳥への応援コメント

    お久しぶりになってしまいました。またkoumotoさんの作品が読めて嬉しいです。
    とても美しく、寓話的というのでしょうか?不思議な感触の作品ですね。
    登場人物も1人だけ、具体的な事件も何も起こっていない……そんな作品もアリなのだと思わせられました。もちろんkoumotoさんの筆力あってのことですが。
    もちろん続きも読ませていただきますし、クラーヴィア曲集も聴いてみたいと思います。

    作者からの返信

    お久しぶりです、きんちゃんさん。読んでくださってありがとうございます。
    低調な日々が続いていたのですが、最近は書く気力が少しずつわいてきた気がします。
    余白に書いたラクガキというつもりの、気ままに書いている作品集ですが、少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。バッハの音楽はどれも素晴らしいので、布教に一役買えたなら、それも嬉しいです。

  • BWV846 枯葉送りへの応援コメント

    前作がプレリュード部分からの着想による文章であるなら、こちらがフーガ部分からの文、ということになり、確かに無数の葉の積み重ねと四声対位法の曲はイメージが重なりますが、あまりその点を申し上げるのも野暮でしょう。
    人の生死を扱った作品でありながら、そこはかとなく明るく、まじめな人生観を語っていながら、どこかさっぱりしている、味わい深い掌編です。
    しかし、葉葬とは! この言葉はオリジナルですよね? かくも詩的な語のイメージを紡ぎ出すセンスには、ひたすら脱帽です。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。だんだん曲の印象と乖離してしまうかもしれませんが、イメージの重なりを感じてもらえたなら嬉しいです。葉葬は、実際にはない言葉だと思います。あったらすみません。バッハの音楽は、あまりはっきりとは感情を主張しない気がするので、優しさも冷たさも見出だそうと思えば無限に見出だせるようで、聴きながら書いているだけで楽しいです。


  • 編集済

    BWV846 影の鳥への応援コメント

    寓話のような、散文詩のような、抽象度の高い文章で、たぶん文章そのままをじっくり味わうべき作品なのでしょうが、このようなタイトルを付けられると、少なくとも私はベースとなっている音楽から離れて読むことができなくなって、ちょっと困りました 笑。
    雰囲気的には二十世紀音楽をBGMとするべき題材のように思える一方、「手をかざせば、拡大された影が映る」「自分が動けば、影も動く」などの文では、楽譜のあのへんの辺りを言葉にしているのかな、などと想像したり、作者がどこまで意図しているのかはともかく、色々と面白みのある作品です。
    少年(=主題)の影(=模倣)から、いつしか神さまが立ち表れてくる、などというオチは、深遠な主張なのか、ユーモアなのか、どう返していいものやら分からなくなって、ただただ沈黙してしまいますね。
    あと、私自身は、この文章をBWV846のフーガ部分から書かれたものと思ってますが、プレリュードからのイメージと考えても、そう違和感のないことに気づきました。
    色んな仕掛けが随所に隠されているようで、どのようにも読み解いて遊べる印象です。まさにネタ元の音楽集のように。
    続きを楽しみにしております。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございます。

    深夜に公開したばかりなのに、非常にきめ細やかなコメントをいただけて、びっくりしてしまいました。バッハを聴きながら書いたというだけで、主題としても雰囲気としても、それほど綿密に対応しているわけではないので、そのあたりはご寛恕いただければ幸いです。

    この文章はプレリュードを聴きながら書きました。フーガはまた別の話として書くつもりです。美しい音楽に見合わない、ふざけた文章になるかもしれませんが、一行か二行でも面白がってもらえたら嬉しいです。