第85話 穏やかな朝

 降光祭こうこうさいの翌日。リアが目覚めたのは昼近くになってからだった。

 昨夜はラフィリアを封印し、半ば強引にこの塔へ帰って来たのだ。精神的にも肉体的にも疲れ果てていたようで、儀式用の白い服を脱ぎもせずにベッドへ転がっていた。掛布団さえかけていない。意識を失うように倒れ込んで眠ってしまっていたらしい。


 体を起こせば、案外調子は良い。リアは部屋の奥にある簡易的なバスルームで身支度を始める。バスタブに少しだけ水を溜めて素早く体を洗い清める。冷たいが悠長にお湯を使う時間は惜しいので、そこは我慢する。ちなみにボーマンに相談し、水道を引いてもらったのでフランがいなくても水は使えるのだ。

 クローゼットから適当に服を取り出し、手際よく着ていく。鏡の前に立って後ろの状態を確認し、部屋を出た。

 本当にフランはいるのだろうか。昨日ここへは三人で帰ったはずだが、夢だったのではないかと自分の記憶が頼りなくなる。


 階段を駆け上がり居室の扉の前まで行くと、中からフランとドルフの笑い声が微かに漏れ聞こえる。仲が悪いという割に、実はそんなに悪くはなさそうだ。

 本当にフランが帰ってきたのだと信じることができ、胸を撫で下ろす。昨夜の出来事は何一つ嘘ではなかった。

 リアは両開きの扉の片側をそっと開けて、顔だけで中をのぞき込む。

 ダイニングテーブルに二人は座っていた。もちろんすぐこちらに気が付く。


「おはよう、リア」


 フランが席を立ち、手招きする。

 なんだか席を奪うようで忍びない。このテーブルは二人掛けなので仕方がないのだが。


「今紅茶を淹れるから、そんなところで泥棒みたいにしてないで、ここに座っていて」


 さっさとキッチンへ行ってしまったので、ドルフと向かい合うようにテーブルについた。

 それと同時にドルフは身を乗り出してくる。


「リア、腹減ってね? 何が食いたい?」

「どうしたの? 私なんでも食べるよ?」


 てっきり降光祭についての話題が出るかと思ったら、開口一番食べ物について聞かれるとは予想外だ。


「肉か? 魚か? どちらにせよリアには最上級のものを買ってやるからな」

「何を言っているの? 話が全然見えないんだけど」


 得意げになっているドルフの意図は不明だ。平和なのは良い事だが、置いてきぼりなのはいただけない。

 直近にしていたフランとの会話が原因なのだろう。

 相手の言いたいことを明確にするため、少しずつ質問を重ねようとしたところでフランが紅茶の入ったカップをトレイに乗せ、戻ってきた。


「今からお昼ご飯を作るから、食べ終わったら夕飯の買い出しに行こうか。それまでにリアは何が食べたいか考えておいてね」


 カップをリアの前に置きながら、ドルフの言いたかったであろうことを綺麗に纏め、またキッチンへと戻っていった。

 夕食の話だったのかと、ここでようやく納得した。


 それからフランが軽食を作り終えるまでの間、ドルフと昨日の事についてくだらない意見交換を繰り広げる。

 クラリスと主様あるじさまは今後どう動くだろうか、とか、総政公そうせいこうは今頃、大教会屈指の貴族たちにフラン大暴れの件をどう説明しているかなど、実りのあるような、ないような内容だ。


 その後、三人で昼食をとったのだが、元々のダイニングテーブルは非常に狭い。二人分の食器を置けばスペースはなくなり、フランは立ち食いだ。ラフィリアがいた時もそうだったのだが、元々の住人が不遇な扱いなのはいかがなものか。今度、もう少し大きなテーブルを買えないか打診してみようと心に誓った。


 それにしても、久々に食べるフランの手料理は美味しい。

 どうやらフランは朝のうちにパンを買いに出かけたらしく、そのついでにハムと卵も入手していた。それらをパンに挟み、食べやすい大きさに切って盛り付けられている。

 単純で簡単なものだが、リアが作るものとどうにも味が違う気がする。それは多分、キッチンの片隅に並ぶ沢山の調味料の効果だ。


「フランって料理する時、台所に置いてある葉っぱ使ってるの?」

「葉っぱ……スパイスの事かな? 物によるけど、ああいうのを入れると味が良くなるんだよ」


 リアにはよく分からない木の葉を乾燥させたものや、木の実やらが瓶に詰められて陳列されているのだ。地底ではそんな味付けをするものは出回っておらず、砂糖と塩があればいい方だ。あとは酒で肉や魚の臭みを取るとか、その程度だったので味の豊富さが格段に違う。


「興味があるなら、今度リアも一緒に作ってみる?」

「作ってみたいわ! 私、味付けの事はよく知らなくって」

「お前らだけずるいぞ。俺もやる」


 料理なんて少しも興味無いはずなのに、ドルフはかたくなに言い切った。


「ドルフは包丁で手を切って大騒ぎしたじゃない」

「お前はコーヒーの淹れ方からだな。ポットに直接豆を入れた馬鹿はお前だろ。おかげでポットにコーヒーの匂いが付いて台無しだよ。新しいの買えよ」


 フランのうんざりとした物言いに、リアはこれまでの謎が一気に解けた爽快感に包まれた。ドルフに連れられ、ここへ来た日に出されたぬるくて薄いコーヒーを思い出す。彼はコーヒーの淹れ方なんてまったく知らず、お茶を作るようにポットへときもしない豆を入れてお湯を注いだのだろう。

 ドルフは何が間違っているのか思い当たりもしないらしく、不安げに目を瞬かせる。その様子は、迷子になってしまった子供のような深刻さを帯びていて笑いを誘う。


「ドルフも悪気はなかったんだから、許してあげて。新しいポットも今度一緒に見に行きましょ」

「リア超優しい」


 食べる手は止めず、ドルフは少しの間だけ空いた手でリアを拝んだ。


「リア、あんまり甘やかすと粘着されちゃうよ。こいつ単純だから」

「うーん。それはもう手遅れかも」

「可哀想に」


 神妙に声を落とすフランにドルフは黙っていない。パンを持っていない方の手でフランを指さし反撃を開始する。


「おいフランシス。お前だって相当執着心強いじゃねぇか。リア、気をつけろよ。こいつは無害そうに見えて厄介なタイプだからな」

「確かに、フランはお気に入りの物に並々ならぬこだわりを持ってるわ」


 お気に入りの食器類は誰にも使われたくないらしく、知らずに使ってしまって機嫌を損ねたりはよくある。


「僕は人に迷惑かけてないから」

「私、何度かフランに小言言われたけど」

「それは迷惑のうちに入らないよ」


 ちっとも悪びれはせず、フランは最後の一切れを口に押し込むようにして頬張った。いい食べっぷりだ。


「苦しい言い訳すんなよ」


 口が塞がった隙を見て、ドルフがささやかな攻めに出る。しかし、あまり効いていない。もぐもぐとマイペースに咀嚼そしゃくしている。


「結局フランとドルフは似てるのよ。執着と粘着で」

「リア。言っていいことと悪いことは存在するからね」

「こいつと似てるなんて名誉毀損だぞ、リア」

「なんとでも言えばいいわ。私は本当の事を言っただけだし」


 こちらに向いた矛先を笑いながら蹴散らしてやった。

 会話を楽しみながらの食事は幸せだなぁ、とリアはまた一口、パンを頬張った。

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