第64話 “親友”
オルコット邸の建物から出た時には夕陽が真横から差し、世界のすべてを橙色に染め上げて目をくらませる、そんな時分だった。玄関まで馬車をつけられるように造られた門扉から続く広い通路を、ドルフと二人並んで歩く。
今一度、屋敷の全貌を捉えようと歩みを止めずに顔だけ振り返れば、右手側の庭の奥には屋敷に隠れるようにして離れまであった。大教会内にある
「そういえば、ドルフはここに帰らなくていいの?」
リアが地上に来てから、ドルフはこのオルコット邸ではなく、大教会のフランの住居である塔に寝泊まりをしている。絶対に屋敷の方が良い暮らしができるはずだ。
食事だってリアが作る見栄えと味はいたって普通の物より、一流の料理人が作った物の方が美味しいに決まっているし、後片付けだってしなくていい。それにこの前なんて、リアを手伝おうとして包丁で手を切って大騒ぎしたりした。
本来、そんな苦労なんてしなくていいはずなのに、変な人だとリアはずっと不思議だった。
「お前を一人で大教会に残せるわけないだろ。それにここにいても居心地よくないっつの」
目を開けていられないほどの強い夕日を手のひらで
ドルフの父親であるオルコット家当主はラフィリアに
門扉まであと少し。ドルフが先だって開けようと速足でリアより前に出た時、後ろから
「リア!」
高い響きは忘れるはずがない。運の良さに驚喜し、体の向きを反転させる。
「ルーディ!」
大きな玄関から片手を振り、こちらへ走って来るのは間違いなく親友のルーディだ。
靴音がこつこつと近づく。夕時、表情は見えないが、リアを求めているのは言わずとも察せられる。それほどまでに長い付き合いなのだ。
リアもルーディの元に駆け出し、夕陽に惑わされずお互いの顔を認識できる距離まで急ぐ。その時間がもどかしい。一秒でも早く、再会の喜びを分かち合いたい。自分の意思とは関係なく口元は笑みを形作っていく。
相対したのは、丁度玄関と門扉の中間だった。
足を止めるより前に、リアは弾んだ息で親友を迎える。
「ルーディ! 無事だったのね! 会いたかっ」
「リア、ごめん」
聞いた事のないほど低く、少しの情も見出せないほどに冷え切った声だった。それと同時に左の下腹部にどすん、と衝撃が走る。
何が何だかわからなかったが、頭のてっぺんから足の先まで冷たい感覚が駆け抜けた。
ルーディはうつむいたまま。
刻一刻と変化する夕方の空は建物の影を引き延ばし、闇を連れて来る。
体の内側が引っ張られるような気持ちの悪い感触の後、生ぬるい感覚が下腹部を支配する。次にやって来たのは激しい痛みだ。ルーディの手には果物ナイフが握られている。
小脇に抱えるようにして持っていたフランシスの本を放り出し、痛みの場所を手で押さえる。指の間から漏れるのは赤い液体。
今日は淡い黄色の服を着ていたので、じわじわと鮮血が繊維を侵食していく様子が嫌でも目に入る。
「っあ……う……う……」
言葉が出なかった。口を開ければ呻きが漏れる。リアは
「っ! リアっ!」
後ろから大声で名を呼ぶのはドルフだ。
ルーディは何も言わず厚い本を素早く拾い上げ、迫るドルフから逃げるように、橙色に染まる純白のスカートを
ドルフはそれを追わず、リアを抱き起こした。
「リアっ! ……おいルーディ! お前ら友達じゃなかったのかよ! なんで……なんでこんなこと……っ!」
悲痛な叫びは静かな庭にこだまする。ルーディから返事はない。ただ一目散に玄関を目指し、こちらを振り返ることさえせず、大きな屋敷の中に消えた。扉が閉まる音がやたらと大きく聞こえ、リアとドルフだけの孤独な世界が訪れた。
「リアっ! リア! どうしたら……」
ドルフは半ば錯乱しながら辺りを見回すが、この家の者には命令が下っているのか、騒ぎを聞きつけて寄って来る者は誰もいない。
白い石畳には血溜まりが広がり、抱えるドルフの服も容赦なく湿らせていく。
痛みで息が苦しいし、寒さまで感じる。
これは助からないだろう、そんな予感が必然として脳内に横たわる。
「血をっ、血を止めねえと」
制服の黒い上着を脱ぎ、リアの胴体に巻き付けて
白いシャツ姿のドルフが暗くなり始めた大気に映える。
「ああ、どうしたらいい……俺は、俺はっ、どうしたら……」
リアを抱える手からは炎がちらつき、ドルフは子供のように声を上げて大泣きを始めてしまった。
本当にこの人は純粋だなあ、この先一人でやっていけるのかと、それが何となく心残りだ。
一つくらい
涙と鼻水でせっかくの整った顔を台無しにしながら、ドルフはリアの傷口を服の上から押さえる。
「フラっ、んっ、シスっ、た、たすけ、よ」
しゃくり上げながらでは何を言っているのか判別し難い。
「り、リア、リアがし、死んっ」
涙がぼろぼろとリアの胸元へ落ち、染みを作っていく。
人目も
「泣かないで、ドルフ……わた、し、まだ、死んでないよ……」
白さを増してきた視界に映るドルフは、もう輪郭しかわからない。
「このま、まじゃ、死ん、でっ……フランシスっ、」
ドルフはリアの手を強く握る。うわごとのようにフランシス、フランシス、と兄の名を呼ぶ姿は幼子のようだ。
思考がぼんやりして、リアはとうとう視覚を失った。
ただひたすら、ドルフの泣き叫ぶ声が耳をつんざく。
ふと、その中にドルフとは違う呼びかけが混ざっているのに気がついた。リア、と確かに聞こえる。
――リアっ。キミを絶対に死なせない。絶対に!
ここにはいないはずの声が鮮明に届いた。
いつもは余裕そうでいてゆったりとした口調だったが、今は切羽詰まったように早口だ。
死の間際の幻聴がフランの声だとは思いもしなかった。
ドルフの
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