【番外編】信頼と信用 リア2

「あぁ……今日も疲れた……」


 ベッドに腰掛け、大きく伸びをしてから肩を回す。

 キーラの元で暮らすようになり、ようやく三日目が終わろうとしていた。


 毎日毎日、買い物を頼まれる。しかも一度に言えばいいものの、二度三度に分けて命令してくるのだ。これは絶対嫌がらせなので、すました顔でその都度なんでもないふりをして出かけている。


 幸いにもキーラの父、ボーマンの計らいにより、キーラの部屋の隣にあった書斎をリアの部屋として使わせてもらっているので、夜は一人くつろげる。食事も三食しっかり提供してもらえて、服もキーラお付きの侍女、という体裁で上質なドレスを用意されている。

 もっと奴隷的な扱いを想像していたので、いい意味で肩透かしを食ってしまっている。どちらかというと、至れり尽くせりだ。


 それはそうと、日中のすべてをキーラのわがままに付き合うというのは、精神的な疲労が半端ではない。

 まだ夜着には着替えていないが、先程風呂には入った。今日は早めに休もうと立ち上がり、本棚に吊るしておいた寝間着に手をかけたところで隣の部屋、つまりキーラの部屋の扉が閉じられる音が聞こえた気がした。


 リアはすぐさま扉に耳をつけ廊下を探る。足音を殺してはいるが静かで規則的な音が部屋の前を通り、遠ざかっていく。

 こんな時間に何をする気か、と抑えきれない好奇心が喉から出そうだ。


 リアはそっと扉を開け、息を潜め左右を確認する。

 部屋の左側に向かう背中が、暗がりにぼんやりと浮かぶ。廊下の窓から入る月明かりを頼りにゆっくり歩いているのは間違いなくキーラだ。進む先は階下を繋ぐ階段。姿は見えなくなったが、耳をすませば一段ずつ慎重に降りる音を聞くことができる。


 結局、リアは野次馬心を抑えることができず、部屋を後にした。つま先で歩いていく姿はさながら泥棒のようだと我ながら情けないが、背に腹は代えられない。ばれたらきっと酷い仕打ちが待っている。


 吹き抜けになっている階段の手すりから一階を見下ろせば、キーラは食堂へと入っていったところだった。幸運なことに、キーラを通すだけ開けられた扉は完全に閉まり切る前に止まった。ひと呼吸後、リアは階段を軽やかに下り、扉の隙間から中をのぞく。

 会食もできそうな大きなダイニングテーブルがあり、その先はキッチンになっている。食堂には隠れる場所は無く、人の気配も感じない。どうやらキーラはキッチンにいるようだ。

 音を立てないよう注意しながら扉を押し、頭を先に中へ入れて様子を確認する。やはり誰もいない。足元に注意して、こちらとキッチンをへだてる扉に耳を押し付ける。不鮮明だが、物音が確かにあった。

 勝手口から外に出たと気づき、危険をおかしてまで突き詰めるかという迷いが、取手に掛けた手の動きを鈍らせる。


(でも、この機会を逃したら、次はいつキーラさんの情報を得られるか分からない!)


 えいやっ! と扉を開け、その勢いのまま広々としたキッチンの隅にある勝手口へ進み、外気を取り込んだ。


 顔に当たる夜風は涼しく、柔らかな生地でできた着心地の良いドレスの裾を微かに震わせた。

 勝手口の正面には、使用人が使うための簡素な門が備え付けられている。生垣いけがきを切り取る形で設置されている格子こうし状の門は動かすと軋む音が大きいからか、開け放たれたままだ。

 敷地内から出てみれば、キーラはリアがついて来ているとも知らず、生垣に沿って歩いていた。見失わず、近すぎもしない絶妙な距離を保ちつつ、後ろから目を光らせる。

 キーラはどこへ向かっているのだろうか。


 初めての尾行にも慣れてきたところで、キーラはリアとの待ち合わせにしていた公園に入っていった。

 いったい夜の公園にどんな用事があるのだろうかと眉を寄せるが、キーラには明確な目的があるようで歩みは一定だ。

 進むのは遊歩道ではなく、森林浴にうってつけの木々や低木が植えられた自然豊かな場所。昼間であれば植物に囲まれ清々しいが、夜にはがらりと印象が変わり、葉のさざめきが不気味さをかもし出している。わざわざそのような場所を選ぶのは、やはり人目に付きたくないからか。

 だが、リアとしても隠れる場所が多いのは助かる。木の幹に身を忍ばせ、少しずつ移動していく。


 ほどなくしてキーラの歩調が早まった。何事かと目を凝らせば、はっと目をみはるような美形の男性を前に、親し気に頬を緩めていた。木々の間から入る月明かりを吸収して鈍く輝く金髪が夜に映える。

 まったく知らない顔だ。歩き出した二人に続き、少し迷ったものの尾行を続行。公園を出て大教会よりも北側へ。少し前、フランに連れていかれた貧民街の方に向かっているようで、空気が荒廃した気配を漂わせ始める。


 建物に沿って曲がりくねった路地から出ると、一直線に伸びる大きな通りだった。隠れる場所が少なく、慌てて路地へ戻り二人の後ろ姿を眺める。そろそろ引き際かと足を止めたところで、ちょうど建物に入った。それならば場所だけは確認して帰ろうと、リアは只の通行人をよそおって通りを進む。二人が消えた辺りを横目で見れば、地下への階段が伸びていた。夜なのでどこまで続いているのかは分からないが、高確率でやましいことをしていそうな場所だ。リアはそれ以上深追いせずに、そそくさと引き返した。


◇     ◇     ◇


 キーラが屋敷を抜け出した次の日、朝起きるといつもと変わらず高慢こうまんなキーラがそこにはいた。

 何でも今日はフランがキーラに会いに来るらしく、その間は部屋にて待機命令をされた。きっとフランはリアの様子はどうか聞くことを口実にして、情報収集でもするのだろう。思う存分、道具にされている状況に腹が立つ。客間に突撃してやろうかと激情が爆発しそうになるが、そこまで過激派でもないので、結局は部屋で大人しく掃除をしているのだ。


 しばらくして逢瀬おうせは終わったらしく、キーラから使い走りを頼まれた。今回は『カフェ星くず』のケーキを二個だ。その次は何を所望しょもうされるのだろうかと気が重くなる。玄関広間に向かう廊下は一直線で、ところどころには各地から集めた調度品ちょうどひんが飾られている。


 その一つを通りがかった時、急に腕を掴まれた。

 えっ、とそちらを見るが、何もない。不自然に自分の腕が上がっているだけ。手に持っていたかごが大きく揺れる。

 リアはすぐに思い当たった。こんな怪奇現象を起こせるのは、ただ一人。今一番会いたかった人物の気配に目元が険しくなっていく。リアの反応などどこ吹く風で、近くにあった用具庫の扉がひとりでに開き、強引に中へ引っ張られていく。

 扉が閉まり、高い位置にある小さな窓からの光だけが雑多な室内を浮かび上がらせる。


「久しぶり。元気にしてた?」


 透明になる、という大変便利で危ない力を持つ人の心当たりは、ばっちり当たった。

 徐々に姿が明瞭めいりょうになっていくのは、大教会の黒い制服に、伸ばした黒髪を後ろで縛っているフランだ。茶目っ気たっぷりに後ろで手を組み体を横に傾がせている上に、ほこり臭いこの場に似合わないふんわりとした笑顔。リアを厄介事に放り込んだ罪をうやむやにしようとしているのはお見通しだ。


「久しぶり、じゃないしっ! なによキーラさんにプレゼントって!? 私は物じゃないっ!」

「ごめんごめん。キーラ様の性格上、そういう奇をてらった事をしないと受け入れてもらえないと思ったんだ。だから、苦肉の策」


 最後を強調するフランからは、ひとかけらも罪悪感などない。都合の良いように言っているだけだ。しかしそれを抗議したところでらちかない。自分も協力すると言ってしまったし、ここは冷静で大人な態度を心掛け、体内でくすぶるいきどおりを一旦落ち着けた。


「わざわざ私を待ち伏せまでして何の用?」

「何かキーラ様について分かった事あるかな、と思ってね」


 言いながら、ほうきやちりとり、箱に囲まれた一角に座り込み、内緒話をするようにリアを呼ぶフラン。それにリアは素直に従い、隣に腰かけた。丁度昨夜、秘密を手に入れたのだから胸を張れる。


「昨日の夜、キーラさんは一人で屋敷を抜け出したの。それで公園に行って、金髪のすっごく美形の男の人と落ち合ったの」

「僕とどっちがかっこよかった?」

「間違いなく前者っ!」


 茶化ちゃかすフランについつい声が大きくなると、口元に人差し指を立てて、しーっとやられてしまった。口を両手で押さえ不平不満を飲み込み、口を尖らせる。

 幼い子を見るような穏やかな顔をするフランの余裕を前に、感情的になった自分を誤魔化そうと咳ばらいを一つして、何事も無かったかのように得た情報を続ける。


「キーラさんとその男の人は公園から北、貧民街の方に歩いていったんだけど、少しひらけた通りの脇にあった地下に入っていったの」

「へぇ、地下ねぇ……。というかキミ、もしかして尾行したの?」

「ええ。そうよ」


 意外そうに目を見開くフランに、リアは床に座ったままどうだ、と言わんばかりに胸をらす。


「ふっ! 時々大胆な行動するよね、キミって」


 吹き出すフランに自分の行動を軽んじられたようで納得がいかず、しかめっ面で鼻を鳴らした。


「だってそうしないと、良い情報は掴めないでしょ」

「もっともだね。ありがとう、助かるよ。さあ、あんまり長居もできないし、そろそろ僕は帰るよ。リアもキーラ様に買い物でも頼まれているんでしょ?」


 立ち上がり、フランは扉の前で外の様子を窺う。

 一気に現実に引き戻され、大きなため息が散った。


「キーラ様お気に入りの、カフェ星くずのケーキを買いに行かないといけないの」

「あそこのケーキ美味しいよね」

「私だって食べたい……」


 リアのか細く情けない呟きを背に、フランはそっと扉を開ける。


「よし、今は誰もいない。僕は透明になってリアの後をついて玄関から出るね。じゃあ、またね」


 一方的に言い切ってにこやかに手を振り、自分勝手に姿を不明瞭ふめいりょうにしていく。瞬き二つ分くらいの短い時間で完全に視界から消えてしまった。本当に不思議な力ね、と感慨にふけり、何もない空間を見ていると、


「僕の体見て楽しい?」


 そんな笑い混じりの声がかかった。


「見えないし! ちょっと考え事してただけっ!」


 ついついうっかり、思いきり扉を開け放ってしまった。誰かが見ていたら、こんな掃除用具庫に入っていた理由をどう説明しようかと肝を冷やしたが、運よく目撃者はいなかった。

 籠を腕に提げ直し、当初の目的であるお使いを開始する。

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