第30話 芽生える疑念

 封印から覚めたラフィリアを伴い、リアとフランは地下から上がり、簡素な小屋部分へ戻って来た。


「ねえフラン……そういえば前に、ラフィリアには奇跡の力が効かないって言っていた気がするけど、ここからどうやって帰るの……?」


 奇跡の力はラフィリアから与えられたものなので、その力をもって力の源である本人に効果を及ぼすことはできない、というようなことを助けられた次の日に聞かされた気がする。

 というと、ここまで来た透明になるという便利な力はラフィリアに効果が発揮されない、ということになってしまう。


「よく覚えていたね。リアは賢いね。そう。多分だけど……ラフィリア様、失礼します」


 流れるようにフランはラフィリアに手をかざす。リアが二度経験した白いもやにまかれたその後、姿かたちはすっかり見えなくなるのだが、ラフィリアの姿が消えることはない。


「やっぱり。僕の見立て通りだ」


 窮地きゅうちに立たされているというのに、フランはどことなく楽しそうだ。

 フランとリアが透明になれたとしても、ラフィリアが一人で歩いていたのでは意味がない。閉ざされたままの扉を前にリアは途方に暮れる。


「ラフィリアさん……なにか神の力で透明になれたり、瞬間移動とかできたりしません?」

「力が戻ったのは半分だし、そんな高度なものは使えないかなぁ?」


 あっけらかんと明るい顔をするラフィリアを前に、ため息をつきそうになるのを必死で堪えた。

 これではラフィリアの封印を解いたはいいが、脱出できない。劇的に駒が進んだと浮足立ったがすぐに難問が立ちはだかり、完全な手詰まりだ。


「仕方ない。こうなったら奥の手を使うしかないね」


 やけに落ち着いているフランが扉を少しだけ開け、外の様子を観察する。漏れる強い光が細く室内を照らす。


「近くには誰もいない。リア、ラフィリア様、僕について来て」

「ちょっと、フラン、何を……」


 一度だけ振り返って、するりと外へ出て行ってしまったフランを呼び止めようとするが、横にいたラフィリアまでも長い髪をなびかせ、疑うことなくついていってしまった。一人取り残された埃っぽい小屋内でリアは扉から入る光を見つめる。


「リア、早く」


 隙間からフランがひょっこり顔を出し、中々現れないリアに手招きする。フランの提案は先が見通せず、かつリアに無理を強いるものばかりだったので警戒してしまう。だがここで一人突っ立っていても、どうにもならない。フランを納得させるような手段も持っていない。そうなれば従うしかなく、肩を落とし陽の光にその身を晒した。

 来た時のように施錠を済ますと、小屋を隠すように植えられた背の高い木をくぐり、大教会と外をへだてる壁沿いに歩く。

 それは大聖堂の裏まで続くが、袋小路になっていて行き止まりだ。大きな壁のすぐ向こうは研究棟区で、フランが暮らす塔の真横。ここを越えていけたらどんなにいいだろうと、身長の倍以上ある壁を見上げる。


「フラン、こっちには何もないでしょ」

「僕がお遊びで作っておいた秘密の道が、こんな時に役立つなんてね」


 大聖堂の陰になり、行き止まりは屋敷の死角になっている。その何もない壁の前でフランは後ろにいるリアとラフィリアに向き直り、いたずらをする時の子供のような顔でにやりと頬を上げた。これから何が始まるのかわからず黙り込む二人に、よく見えるようしゃがみ込んで地面すれすれの壁に手を付けた。

 すると壁が無くなった。まるで氷が溶けるように形を失い、這いつくばれば通れそうな穴が現れたのだ。


「ふ、フラン、これは」

「ばれるかなーと思ったんだけど、作って数年経っても意外とばれていない秘密の道。氷を作ることは可能だけど、それに柄とかはつけられるのかな、と思って研究してた時に試しで作ったんだ」


 周りの石壁となんら変わりはなく、その精度には驚かされるが、それ以上にリアは心に沸いた不満を爆発させずにはいられなかった。


「こんな便利なものがあるなら、私が透明になって住居区に忍び込んだのは何だったの!?」

「だってこれは非常事態用だし、忍び込む方が面白いでしょ? さ、早く通って」


 少しも悪いなんて思っていないような涼しい顔で、フランはさっさと研究棟へと半身を埋め込んでいる。


「フランすごーいっ! ラフィが見た中で一番天才かもっ! 大好き」


 軽々しく愛の言葉を口にしながら、ラフィリアも華奢な体で穴をくぐって足の先まで完全に向こう側へ行ってしまった。

 またもやリアだけ取り残されてしまう。


「どいつもこいつも……! 私の気も知らないでっ!」


 立ち入りを許されていない国主の住居区に繋がる穴を不法に作って放置しているフランも、筋金入りの男好きな女神ラフィリアも、リアの常識を簡単に超越ちょうえつしてくる。

 力や権力のある者特有の余裕を見せられ、何も持たず、強い者に従うしかなかったリアは己との差に気後れする。ここは自分がいていい場所ではないような、居心地の悪さだ。


 ラフィリアが復活したのだからもう自分は必要ないのでは、と一度後ろ向きになった思考は深みにはまっていく。

 そもそも、何故ラフィリアは五百年前、地上に降り立ったのか。当たり前すぎて深く突き詰めようとさえしなかった単純な疑問が、刻々と大きくなっていく。幼少の頃から沢山、ラフィリアについての本を読んだが、その理由はどこにも記されていなかった。

 人間に力を与えたのだって、本当に好きな男にせがまれたからなのか。


 ――好きなにお願いされたから……?


 ラフィリアの何気ない一言が新たな気づきをもたらし、はっと息を呑んだ。喉から体内へ得体の知れない靄が落ちて、全身に冷たく広がる。


 今の今までずっと、ラフィリアはこの世界の大勢に力を分け与えていたのだと思っていた。それもそのはず、どの本にも人々に力を授けた、と抽象的に不特定多数を連想させるように記載されていたはずだ。しかし、実際ラフィリアの言い方は複数人を指してはいなかった。言葉の綾や、伝承するうちに規模が大きくなっていったという可能性もあり得るが、それならなぜ今の時代、こんなにも広がっているのだろう。たった一人の子孫にしては、さすがに多すぎやしないか。奇跡の力を持つ者の人口が一番多いのがここ、聖都ラフィリアだが、他の国にももちろん存在する。


 まだ知り得ないが、とても看過できないような重大な秘密がある、そんな胸騒ぎが一筋の風と共に舞い上がった。木々が擦れ合い、ちっぽけなリアを嘲笑あざわらう。

 ラフィリアは敵か味方か不明の存在だ。奇跡の力を消してもらって大団円だいだんえんを迎える、とはいかず、まだ続きがあるのだろう。そこに待つのは、きっとろくでもない結末だ。


「リア、早く」


 未来におののき俯いていると、穴から顔をのぞかせるフランと目が合った。

 真っ直ぐで、何があっても凪いでいる深い海の底のような青色に少しだけ落ち着くが、それがいつ絶望や後悔に変わるのか、という怖さも同時に襲って来る。


 力を持たないリアにとってフランだけが頼りだ。もし彼が匙を投げてしまったらただ一人、ラフィリアに抗えもせず、なすがままになるしかない。

 フランは目の前の美しいラフィリアを見て、何を思っているのだろうか。疑いもなく、清き女神ラフィリアだと信じているのだろうか。

 もの言いたげに唇を噛みしめるリアに対し、フランはもう一度小声で早く、と催促した。

 所詮しょせん、他人の心などわかるはずがない。いずれラフィリアの目を盗んでしっかり話し合おうと自分で落としどころを見つけ、小さな壁の切れ目へと体を潜り込ませた。

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