第29話 女神ラフィリア

 余裕を持った豊かな笑みを湛えるのは、正真正銘ラフィリアだった。本当にこんな簡素な小屋に封印されているなんて、これが現実だとは受け入れがたい。

 名を尋ねたものの、神を前にどのような態度や言葉遣いをしたらいいのか分からず、会話は不自然に途切れた。


 何か話さないと機嫌を損ねてしまうかもしれない、そんな焦燥感に苛まれるが、ラフィリアは早々にリアから視線を外し、斜め後ろに立つフランの顔に目を留めた。次の瞬間には凄い速さで立ち上がり、それに伴いリアの足は自由になった。ラフィリアはふわりと身軽にフランへ駆け寄り、その手を取る。そしてそのまま流れるような仕草で自身の手と絡ませた。


「あら、とんでもないイケメン! ラフィの好み!」


 鼻にかかったような甘い声、そしてフランの胸にそっと頭を預ける様子を目の当たりにして、リアの思考は理解に追いつかず完全に停止した。

 これではどこにでもいる恋する乙女だ。神がこんなはずない、と脳がラフィリアであることを否定する。


「僕はフランです。お初にお目にかかります、ラフィリア様」


 受け入れもせず、かといって拒絶もせずフランはいつもと同じ感情の見えない笑顔で、密着するラフィリアに、ふわりと綿のように肌触りの良い声で律儀に挨拶をした。


「……ねぇ、フラン。あなたラフィの事好き?」


 挨拶を飛ばし、ラフィリアは握る手に力を込める。焦れたようなかすれ声はなまめかしい。


あがめる対象としては、好きですね」


 びる上目遣いをさらっとかわし、フランは大半の人間を見とれさせてしまえそうな、崩れることのない完璧な笑みのまま言い切った。


 一つ分かった事がある。時折見せるフランの隙の無いきらびやかなほほ笑みは、面倒だと思っている時に出るものだということ。

 リアもこんな恋多き女性が長年崇拝していたラフィリアだと言われて戸惑っているが、フランも内心では同じだろう。まさかとんでもなく人間臭く、しかも男好きだという本性を目の当たりにし、自分がこれまで積み上げてきた理想が音を立てて崩壊していく。しばらく夢に見そうだ。


「ラフィリア様。お目覚めのところ申し訳ないのですが、五百年前に奇跡の力を人間に与えたのはあなたですよね?」


 リアが言葉を失っている横で、フランは淡々と話を進める。揺るぎのない真面目な顔をされたラフィリアは、さすがに手をほどいて人並の距離を取った。


「もうそんなに経つのね。そうよ。ラフィが人間に力を与えたの」


 手を後ろで組んでラフィリアはにっこりと笑う。可憐な仕草に同性のリアですら見惚れてしまう美しさだ。しかし、フランの表情は少しも動かない。


「今、人間はあなたが与えた力により、不必要な上下関係を作り、その力が争いの種になっています。どうか、その力を消してください」


 硬く、単刀直入な物言いに、ラフィリアが機嫌を損ねないかとリアは気が気ではない。仮にも神だ。怒らせてしまったら、フランでも手に負えないだろう。しかし当のラフィリアは口元に人差し指を当てて上を向き、少しの間考えるようなそぶりを見せただけだった。


「ん~……実はそのことについて、ラフィも困ってたんだよね~。まさか力を与えたラフィが人間におとしいれられて、力を封印されちゃうなんて。でも仕方ないよね、当時の超絶イケメンに力が欲しい、ってせがまれたんだから!」

「そ、そんなことが理由……?」


 茶目っ気たっぷりに話される内容は信じ難く、敬語を忘れてしまうほど愕然させるのには充分すぎた。


「そんなことって言わないで! 好きになっちゃった男の人にお願いされたんだもん。尽くしたいよ!」


 頬を膨らませ、恋に恋する女の子の言い分に、もはや言い返す言葉は全て頭から飛んでしまった。

 悪びれる様子のない軽い口調に、沸々と怒りが湧いてきた。ラフィリアが力を与えたせいで地底に落とされ、親友のルーディとは引き離され、親同然のジャネットは殺されたのだ。

 人の人生を滅茶苦茶にした原因が色恋沙汰だとは納得がいかない。

 喉まで出かかったどす黒い感情を理性だけで押し込め、なんとか無理やり口角を上げてその場をやり過ごす。

 しかしそれでは気が収まらない。一人分ほど離れた場所にいるフランに耳打ちするため、リアはじりじりと距離を詰める。例によって面倒をやり過ごす時の、甘くにこやかな顔に背伸びをしてそっと近づく。


「ねえフラン、封印を解く前にぶっすり刺しとくべきだったんじゃない?」

「あはは、平和的な僕も賛成に傾いているよ」


 顔は笑っているが、声にはいつもより冷たさが多く含まれている。

 どうやらラフィリアという女神は敬う価値はあまりなかったようだ。


「二人して何話してるのー!? ラフィの悪口じゃないでしょうね!」

「違いますよ。女神ラフィリアは僕たちの光ですから。先程の話ですが、力を消していただけませんか?」


 さらりと嘘を言い、フランは逸れそうな話を少し強めに戻していく。


「ラフィも結局人間たちに裏切られて、ながーい時間封印される羽目になっちゃったし、もうこりごり」

「じゃあ消してくれるの?」


 早く結論が知りたくて、リアは先を急かす。必死に押し殺すが、ラフィリアに対し印象は最悪であり、怒りによって声が低くなってしまう。神に対してなんて態度だ、といさめる自分と、許すなんてできないかたきだとはやし立てる自分がいる。


「……ラフィもそうしたいところなんだけど、封印された時にラフィの力が四分の一になってて、残り四分の三は散り散りになって……ってそれ!」


 ため息をつきながら憂鬱そうに顔へ手を当てるラフィリアが、急にリアの胸元を指さす。

 何事かと目で追えば、そこにはルーディとお揃いの首飾りがあった。花弁の真ん中に黄色い宝石が埋め込まれたものだ。


「それっ! ラフィの力っ!」

「えっ」


 ラフィリアは食らいつく勢いで、リアの首飾りを手に取った。両手の上に収まる首飾りが白く光り出し、それに呼応するようにラフィリア自身も光り出した。間近で起こる不可思議な現象にリアは息を潜め、直立不動で立ち尽くす。

 ラフィリアは目を閉じ、何かを小声で呟いている。ほんの数十秒だったと思うが、リアにしてみたらとても長い時間だった。カンテラ内で燃える炎に光源が移った後、ラフィリアはリアの手を取って暑いほどの喜びを表現する。小さく飛び跳ねる姿は幼い子供のようだ。


「ありがとう! えっと……」

「リアです」

「リアちゃんっ! これでラフィの力が半分に戻ったよ!」

「そ、それは良かったです」


 神の風格など少しもない言動に、リアはやりにくさを感じる。相手は間違っても神だ。粗相そそうをするわけにはいかない。だが実態は人間の女性と変わらない。神は神らしくして欲しいと思うのはわがままだろうか。


「ラフィリアさん、えっと、今ので奇跡の力を消す事はできますか?」


 しどろもどろになりながら問えば、ラフィリアは喜びから一転、口元をしぼませて残念そうに首を振る。


「全部戻らないと、人間に分け与えた力を打ち消すのは無理なんだよねぇ。がっかり」

「それではまず、ラフィリア様の力を取り戻す事から始めないといけないですね」

「私、一個だったら心あたりあるかも……」


 次の指針を明確にするフランの横で、リアは遠慮がちに手を上げて話の主導権を握る。

 ラフィリアに力を返した首飾りが消えてなくならなくてよかった。しっかりと手のひらでそれを包んで、真っ直ぐフランを見つめた。


「私の親友で、先日視察団が地底に来た時に友好の証として連れて行かれてしまったルーディっていう子なんだけど、私と同じ首飾りを持っているの」

「幸先いいね。さっそくその子の所在を探そう」


 次の目的は決まった。

 思っていたラフィリアとは乖離かいりしていたが、とりあえずいきなり世界を滅ぼされるなど悪い方には向かわなかった運命に、リアはひとまず胸を撫で下ろした。

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