第25話 鍵
大聖堂を挟んで研究棟の反対側は、
大聖堂から続く回廊の先にある扉の前では、
そんな厳重に守られているはずの執務室にリアはいるのだ。
無駄が一切ない理路騒然と並べられた書棚に、重要な書類を保管する引き出し。執務机はシンプルだがどっしりと重厚感があり、職人の魂に頭が下がる。
「昨日の任務ご苦労だった。おかげで人質を無事保護できた」
「皆、大きな怪我も無く本当に光栄でしたね」
フランのにこやかな笑みは、自然豊かな山に流れる
(……フランっ、私にこんな仕打ちをしてそんな余裕を見せるなんて、ほんっとうに腹黒い! 最低!)
心の中で毒づいたところでリアに退路はない。
対話する二人を視界に入れ、後ろ向きにすり足で下がっていく。ぎこちない動きは傍から見れば腹を抱えられてしまいそうだが、あいにくリアの姿はフラン以外には見えていない。
何せリアは今、フランの力により透明になっているのだ。
昨日、貧民街から帰ったあとにフランはリアを部屋に置き、ふらっとどこかへ行ったと思ったら辺りが暗くなった頃にひょっこりと戻ってきた。その顔は喜びに明るく、周りには花が飛んでいるかのような幻覚さえ見えそうだった。不意に口元へ持ってきた手には鍵が一つ。
『ラフィリアが封印されているっていう小屋の鍵、見つけちゃった』
軽く弾むように言われたその一言があまりにも場違いで上手く反応できずに、読んでいたラフィリアについての本の角を指で何度もなぞり、癖をつけてしまった。
さらに驚いたのが、小屋の内部でもう一つ鍵が必要らしく、それは国王の執務室に保管されている、という情報まで仕入れて来ていたのだ。
そして今日。
貧民街での事を報告するため、フランが国主に呼び出された。それを申しつかった時に見せたフランの意地悪な笑みは今もなお、
(何でもない顔しちゃって、後で文句の一つでも言わないと気が済まないんだから!)
フランの力の一つ、物体を透明化するというものを使われ、こんな良い機会はないから頑張れ、とこの場に放り込まれたのだ。
確かにリア自身も物事が停滞してしまうよりは、早くラフィリアを復活させてその先へ進みたいという気持ちが強いが、こんな強引で危険なやり方は求めていない。
もし、モグラであるリアがここにいると国主にばれてしまえば、どうなるかわからない。命を奪われる可能性だって大いにある。ここに連れ込んだフランもさすがにお咎め無しとはいかないだろうが、本人は微塵も気にしていなさそうに能天気なのだ。
恨めしくフランに念を送るが、まったく意に介さない。一方通行では虚しいし、いつまでもそんな事をしている時間はない。国主とフランが対面しているごく短い時間に、お目当ての鍵を手に入れないといけないのだ。リアは目的の場所へと決意を込めて目を移す。
目指す鍵は、国主の座る執務机の真後ろにある棚の一番下。内側の側面にひっそりと掛けられている。子供だった頃、特別に入れてもらったこの部屋で目ざとくその鍵を見つけ、国主である父にしつこくどこが開く秘密の鍵か聞いたのだ。その時、確かに中庭の小屋の物だと言っていた。
そっと、壁伝いに距離を縮めていく。その間に国主とフランの会話も進行する。
「国主様、昨日北区に
先程までの人当たりの良いほほ笑みを消し、真剣な声音になったフランを思わず振り返った。貧民街で主犯格の男を倒した後、人質を助けたいと言ったリアに向けたのと似た冷たさに底知れぬ闇を
フランの見解を耳に入れた国主は、国を治める長としての強さを遺憾なく発揮した畏怖すら植え付ける目つきで口を開いた。
「この世はラフィリア様によって成り立っている。奇跡の力が強い者は加護を受けている者。弱い者、無い者は劣っている存在だ。気にすることはない」
老いて掘りが深くなった
リアであっても気後れしてしまいそうな気迫だが、フランは顔色一つ変えず、意見を述べるのを止めない。
「しっかりと対策を練り、万が一の暴動に備え、」
「何かあったら」
一歩も動かずに淡々と発言するフランをあからさまに遮り、国主は見えない刃物で脅すかの
「今回のように圧倒的な力をもって制圧すればよい」
この話は終わり、とばかりに言い切る国主。それを真正面で受け止めるフランは背筋が凍るような
まさに一触即発という雰囲気の二人に、見ているこちらの心が乱れてしまう。もしここで何か起こったとしても今のリアは透明で、更に忍び込んでいる分際だ。仲裁などできないと固唾を飲んで見守る。少しも目が離せない状況を動かしたのはフランだった。
「……そうですね。国主様の言う通りです」
フランは表情を明るく変え、出すぎた真似をしました、と頭を下げた。
その対応にリアはフランの見方が変わった。
彼は今、どれだけの言葉を飲み込んだのだろうか。
子供っぽくて信用ならないと少なからず疑念を抱いていたが、リアが思っている以上に大人だった。きっと大教会にいるというだけで、かなり行動を制限されているはずだ。その中で上手く立ち回り、ラフィリアについて調べていたのだと思い当たれば、彼の苦労が少しだけ想像できた。安っぽい同情かもしれないが、少しでも役に立ちたいと鍵へ静かに近づく。すぐ横には父がいる。人には聞こえないはずの高鳴る鼓動を隠すよう、前かがみに進む。
「もう一つ、お主に聞きたい事がある」
近距離からの声に思わず息を止めた。
「何でしょうか」
「
国主の問いに声が喉まで出かかった。口を押さえ、その場に屈みこむ。
まさか自分の話題が父の口から出るなんて思ってもみなかった。
父からどんな
「懺悔の日にわたくしが彼女を助けたいと思ったので、そうしただけです。何か問題でもありますか?」
是でも否でもない飾らぬ解答をするフランの言葉を力にリアは床に手を付け、棚との距離を縮める。
「モグラを飼うなど随分、風変りな趣味だな」
酷い言いようだ。小馬鹿にしたように鼻で笑う様は
顔を国主から外し、胸中に湧き上がった反骨心を利用してリアは鍵に手を伸ばす。
「モグラだからと
フランの不敵な声に紛れるよう、鍵を握り込んだ。実の父だというのにリアを思いやる気持ちは露ほどもない。
そっと立ち、フランの横に並んだ。
「それでは国主様、わたくしはこれで。失礼いたします」
来た時と同じ晴れ渡った空のような、表面上は澄んだ笑顔を残したフランと共にリアは執務室を後にした。
扉が閉じられるその時まで父の顔を目に焼きつける。もう既に机上の書類へ目を落としていて、こちらには何の気も向けない。
手の中に納まった鍵。父は大切なものを見逃したのだ。
力を持たぬモグラだからと油断したから。
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