光のラフィリア
椎野 紫乃
第一章 崇高なるラフィリア
プロローグ
第1話 持たぬ者1
「リア・グレイフォードの罪を許し
扇型をした大聖堂の一番奥にある祭壇で、真っ白な法衣を纏った男が
一方、真っ白な昼間の太陽光は、天窓から
「――我々は貴女様がこの世界に降り立ち、奇跡の力を授けて下さってから五百年を経て、信仰心が薄れてしまっていたのかもしれません! 今一度、貴女様の恩義を胸に刻み、祈ることを許し賜え!」
聞き取りやすいように張り上げられた一声を合図に、周囲からは許しを
高みから自らを見下しているのは、まごうこと無き父だ。しかし、昨日までの家族に対する優しさは
リアの隣で
「こんな娘を産んでしまった私を、どうか、どうか、お許しください、ラフィリア様!」
「おかあさん……」
泣き叫びながら小さくなる母の姿に狂気を感じ、リアは思わず息を呑む。まるで自分が生まれてきたことこそ間違いだったかのような言い分に、表情が定まらない。泣いたらいいのか、怒ったらいいのか。今日まで両親の言いつけは守り、普通に暮らしてきたつもりだった。
毎日、光のラフィリアに祈りと感謝を欠かさず捧げてきた。大聖堂のラフィリア像も綺麗に保つよう掃除だってした。家族と住む住居の中庭にひっそりとある小屋にも、行ってはいけない、という約束も破ったことはない。
それなのに、奇跡の力はいつまで経っても発現しなかった。
水を出したり、植物の成長を促すなど人それぞれではあるが、神が使う魔法の力だ。五百年前にラフィリアから授かり
この地上で暮らす者なら当たり前にある力が、リアには無かった。
地上で生まれたにもかかわらず、力を持たないのは初めてだと言われ始めたのは、物心ついた頃からだと記憶している。
ただそれだけで、皆から
頭が真っ白になり、リアは呆然としながら父越しにラフィリア像を瞳に映す。背後の大きな窓から
ほんの数秒の後、顔を上げた母が悪魔のような恐ろしい形相でリアの頭を鷲掴みにした。
「頭を下げろ!」
力まかせに顔を床へと押し付けられ、鼻をしたたか打ちつけてしまった。激痛が走り、生暖かい感覚が内部を通り抜け、数滴が冷たい石と口周りにじんわりと広がっていく。上手く開かない口を動かし、リアは消え入りそうな祈りを細く吐き出した。
「
一体、自分がどんな罪を犯したのか思い当たらないが、早く頭から手を退けて欲しくて、必死に覚えたての難しい単語を紡ぐ。十歳のリアが持つ謝罪の言葉は多くなく、同じことを何度も何度も繰り返す。鼻血が流れ、床と頬の間に入り込み不快感が増す。それを早く拭いたい。ただその一心だった。
何回目かの謝罪の後、急に頭が軽くなり、国主のよく通る声がここにいる大勢を一瞬にして沈黙させた。
「皆の者。ラフィリアへの懺悔、
しん、と静まり返る人々の間を、淡々とした
頭を上げ、ここで初めて後ろを振り向く。目線が
大聖堂の椅子がすべて埋まり、皆が国主、そして自分に注目していた。参列している者は全員が同じ黒い衣服を身に着けている。これは大教会で働く者が着用する制服だ。
ここ聖都ラフィリアは、五百年前に天から降り立ったとされる光のラフィリアを
今日は朝から、リアを取り巻く空気がいつもと違うのを感じ取ってはいたが、その理由は聞かされず、光のラフィリアへ祈りを捧げるための、白く薄い正装に着替えさせられた。思いつめたような表情の母に連れられ、この場へと足を踏み入れてから一時間近く、ひたすら祈りを捧げさせられた。
はじめから変だとは思ったのだ。まったく目を合わせようとしない母。いつもは共に遊んでくれる兄の姿も見えない。
この後、自分がどうなるのかを知りたくて、国の主である父を縋るように見つめる。父はいつだって正しく導いてくれる。だから、今回もきっとこの難しい儀式が終われば笑ってくれる、そう強く信じ、顔を汚している血液を拭うのも忘れ、手を伸ばす。
国主は少しの間、目を閉じ、小さく祈りを呟いて祭壇から降りた。リアなど存在していないかのようにその横を通り過ぎる。
「おとうさん……」
恐怖に放心するリアの腕が大教会の制服を着た男に掴まれ、まるで極悪人であるかのように後ろで捩じ上げられた。
やめて、と声に出せず、吐息だけが口から漏れる。すぐそばで泣いている母に助けを求めるように視線を送るが、床に伏せりラフィリアへの懺悔を嗚咽の合間に唱えるのみ。リアなど気にも留めない。擦り切れるのではないか、と心配になるほど床に円を描いている右手の親指が鮮明に脳へと焼き付いた。
男に連れられ、出入り口まで人々の間を歩かされる。祭壇から一直線に扉へと繋がる通り道の左右からは、様々な正義が絶え間なく降る。
『この者の罪を許し賜え』
『国主様の顔に泥を塗った、不届き者』
『ラフィリア様への祈りを怠った罰。己の怠惰を悔い改めろ』
これまで無縁だった罵声が投げかけられるたびに、鼓動が早くなる。言い返す余裕もなく、こわばる顔で目の前に迫る扉をただ見つめ続けるしかない。
途中、親と共に参列していた友達と目が合った。昨日まで一緒に遊び、またね、と手を振って別れた親友だ。しかし、今はもう親愛の色は宿っていない。汚いものを見るような歪んだ顔があるだけ。長年仲良くしてきたのは夢であったのか。虚しくて、でも不思議と涙は出なかった。
身長の倍以上ある両開きの扉が、控えていた者によって開けられれば、目に映るのは色とりどりの花が咲き誇る美しく手入れされた中庭だ。
同時に
急に座り込んだリアを心配するでもなく、男は腕を掴む力を緩めず引きずるようにして陽の当たる花壇の間を早足で抜けていく。大聖堂を回り込むようにして大教会の研究棟を目指しているようだった。
大教会は中心に大聖堂があり、東側には聖都ラフィリアの
リアは今朝まで西側の住居に住んでいたのだが、もうそこへは帰れないと幼いながらも悟った。
何の抵抗もせず、乱暴に手を引かれるまま、足をもつれさせないようにだけ気を配る。景色はどんどん移り変わるが、一向に人とはすれ違わない。大教会関係者は今頃、大聖堂でラフィリアに祈りを捧げたり、リアを罵ったりして忙しいのだろう。
窓の少ない剥き出しの石壁は威圧的で、意思を持って太陽を遮っているかのよう。肌にまとわりつく物悲しさは、これらからの未来を
中は廊下同様、窓すらなく昼間でも人工的な光が必要なほど真っ暗だった。
漆黒の闇へと無造作に放り込まれ、石でできた床の冷たさが腕にぶつかる。反射的に振り向けば、男は黙ったまま重い音を豪快にたたせ、扉を外から押す。廊下の橙色をした頼りない灯りが少しずつ幅を狭め、やがて目を開けているのか閉じているのかすら分からなくなる暗闇の中、リアはたった一人残されてしまった。
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