~9 前兆~

 靄がかかったようなそんな空気の中、二人の男女が言い争いをしていた。


「何故、駄目なんだ!」

「どうして分からないんですか?」


 男は激昂しながら、女は諭すような大人しい口調。

 またユメを見ているのだ、とアリスは悟った。

 アリスは昔からユメを見る。大昔の、嘗て聖国で伝承されていた物語のユメ。始めは伝承を聞きすぎてユメにまで出てきたか、と思ったが、それにしては生々しい所もあり、次第にこれはユメじゃなく、大昔の光景を見ているんじゃないかと思った。そして伝承では伝えられていない光景まで見るようになり、ユメはユメではないのだと悟ったのだ。

 いつも靄がかかって姿が見えないのだが、男は嘗ての神。女は嘗ての聖女。


「いつも、いつも、いつも、いつも、君だけは俺を否定する」

「誰も否定しない世界が欲しいのですか?」

「当たり前じゃないか! 否定されて嬉しいかい!?」

「……むなしい人。いつか伝わることを祈ります」

「逃げるのか!」

「いいえ。私はあなたを信じていますから」


 嘗ての聖女は何処かに行ったのだろうか、暫く沈黙が落ちる。


「まぁったあの女と言い争ったの? 我が主神」


 軽々しい声に我が主神と呼ぶのは嘗ての聖剣士。


「煩い」

「嫌ならあの女、消しちゃえばいいのに」

「消したら終わりだという事くらい、知っている。だが……消したくない」

「なら我が主神の思う通りに。私は我が主神の意に沿う事が望みなんだ」

「正反対だな」

「向こうもそう思ってますって」


 聖剣士は笑う。それに呼応して神も笑う。

 いつも神と聖女は言い争っている。神の思う通りにならないのに何故か消されない聖女。いつ見てもその点は不思議だった。アリスが神ならばとっくの昔に聖女は消している。だってこの世界は神が望むとおりに、何もかもなる世界なのだから。

 だが聖女が諫める気持ちも分からなくはなかった。神は何でも叶うから何でも叶えてしまう。それはあまりにも虚しい世界だと、アリス自身も聖女に共感するからだろうか。

 ゆっくりと靄が晴れていき、ユメが覚めたか、と思うと、いつも通りのルーベンス侯爵家で与えられている自室が目に映った。アリスはきちんとベッドで寝ており、目を開けば現実世界だと認識できた。

 あのユメを見ると寝た気はしないが、しっかりと窓を見れば朝だと告げている。

 国王陛下との約束通り、ロイス先導のもと、再度白亜の城を朝食後訪れたアリス。待っていたのは国王陛下と神の宝飾とローブを身に纏ったイージスであった。


「来たか。聖女よ」


 国王陛下は少しすっきりしたような印象を受けた。ずっとイージスにイージスの母の事を隠していたのだ。話すことで少しはすっきりしたのかもしれない。

 対してイージスは神の宝飾にローブを身に纏い、赤く燃えるような髪色も重なり、少し異次元な雰囲気を醸し出す。あの靄のかかったユメで見えない神はこんな風なのだろうか、と想像してしまう。


「はい、国王陛下」

「イージスを見れば分かるだろう。この間の事は全て話した。だが逆に儂の知らぬことも判明した。さぁ、お主の番だぞ」

「神の装備品について、ですね」

「イージスが触れるとはな」


 イージスは何も喋らずただただそこにいた。


「簡潔に言えば、私は第二王子に神の紋様が浮かんで見えます。そしてある時、第二王子が神の宝飾……ネックレスを付けられることも分かり、この間聖剣士の紋様が浮かぶ男性にも出会いました」

「ほぉ」

「恐らく私が聖女だと考えれば、私が昨日お話した昔話の三人が揃います。第二王子が神、出会った男が聖剣士、私が聖女。昔話通りなら、私と聖剣士が争い、神が封印される。それを阻止することが、暗黒時代に陥る事を阻止することに繋がると思います」

「確か、其方が神を封印し、争いを終えたのであったな」

「嘗ての聖女様が、ですが。その通りです。詳細な事はあまりよく分からないのですが、私と第二王子がキーマンであることは間違いがないかと」

「ふむ。話だけ聞くと、現在は暗黒時代とやらではまだない。一人キーマンが消えるだけでも昔話は変わる、そう思うが、どう思う。聖女よ」


 国王陛下もある意味、聖剣士と同じ考えであった。確かにキーマンが一人消えたら昔話は変わる可能性が高い。そして三人のうち、意見が異なっていたのは聖女。聖女を消すことが最善だ、という考えもアリスには理解出来た。

 神のローブに託された意志を継ぐ為にも、未来は過去を辿ってはいけない。だが其の為に、アリス自身の死が最善だという考えに、理論と感情が混じるが、何処かそう言われる気がしていた。アリスも聖剣士が現れてから、何も考えなかった訳ではないからだ。


「やっぱりこういう話の流れになったな」


 口を開いたのは今まで黙っていたイージスであった。


「仕方あるまい」

「仕方なくねぇよ。コイツに死ねって言ってるんだぜ、親父殿。そもそももっと単純に考えようぜ。まず、俺は神ってのは自覚ねぇ。この色んな奴が触れたら死んじまう物騒な装備は付けられるけどな。意のままに操るなんて出来ねぇ」

「だが時が来てからは遅いのだ」

「次に俺はあいつの事、嫌いじゃねぇ。俺の女にしたいって何度も伝えてる。悪いが本気だぜ? これでも物語は変わるんじゃねぇか」


 アリスは首を横に振った。イージスの言葉自体に嬉しさを感じなかった訳じゃない。むしろ死、以外の物語の変更を提示してくれる優しさを感じた。そして何処か暖かくなる気持ちもあった。


「変わらないのよ。私が断頭台に立つ方が簡単なの。だけどまだ、立つ訳にはいかない理由もある」

「色々背負い過ぎなんだよ! まだ、とかなんとか言いやがって。何時かは立つって言ってるじゃねぇか。確かにあるぜ。どちらかの道しか選べない時。戦場を駆け巡って来て、何度かそういう事もあった。だが今の話は、それは今か? 違うだろ。選べなくなるまで足掻くんだよ!」


 イージスの言葉にアリスは震えた。怖くて震えたのではない。これはアリスの中で眠る聖女の気持ちのような気がする。聖女は神を決して嫌ってはいなかった。封印を施す時もずっと神と共に居たいと願っていた。きっとこれは恋じゃない。嘗ての聖女の心なのだ。

 アリスは自分が所持していた神の装備品の一つである靴を箱に入れて持ってきていた。イージスの傍により箱を差し出す。


「これはアナタのもの。だってアナタしか履けないんだもの」

「お前の部屋で見た靴か。なんつーか、俺、今、全身最強装備纏ってね?」

「揃えばもっとね」

「親父殿に着ろって言われたから着てるけど、こっちとら戦々恐々なんだぜ、これでも」

「なら靴一つ増えたって問題ないでしょ」


 話が進まないと感じたのか箱を受け取ったイージスは神の装備品である靴に履き替える。

 その姿を見た国王陛下はふむ、と頷く。


「神の装備品はいくつある?」

「後は王冠に腕輪の二つです。五つで全てです」

「なるほどな。まぁイージスのいう事に一理ない訳ではない。其方は過去を知る聖女だ。物語を修正するためには、物語を語れる人物がおらねば判断は付くまい。其方がいざという時は覚悟も出来ているというのなら、まだ急ぐ結論ではないかもしれんな」

「覚悟は……正直あるかと言われれば微妙です。でも、それでもまだ見届けたいと思います。ある意味私は重要なファクターとして存在しているはずです。そして私はきっと簡単には死にません」


 アリスはイージスのローブに触れた。

 瞬間、イージスはアリスを払い、飛び退いたが、アリスは死んではいなかった。


「ほぉ」

「火傷程度です」

「程度じゃねぇよ! 下手したら死んでるんだぞ!」

「それはそれ。私が簡単に死ねない事を証明したかったのよ。断頭台に立てば、きっと死ねるはずと思っているけど、私も特別な存在。必ず死ねるとは限らないの。きっと私を確実に殺せるのはアナタよ、イージス」


 国王陛下は感嘆しながらアリスを見て、イージスの様子も観察している様であった。


「其方は、物語の変更をすべく動くか、神の装備品を集めるか、どう動くつもりだ?」

「国王陛下、私は神の装備品を集めます。あれは悪用されれば正直手に負えません。今回、聖国を更地にしたトリガーは拳銃。それがもし神の装備品をトリガーにすれば、もっと威力は上がります。ただ幾人も相応の術者がいるとも考えにくい。術者自身も禁呪で出来ていたら、どうなるか分かりませんから」

「確かに触れば人が死ぬほどの力を持つモノを使用しての禁呪は、威力も相応と考えるのがよかろうな」

「はい。一国どころで済みませんから」

「だが聖女よ、もう一つ、忘れているのではないか」


 国王陛下の言葉にアリスは流石に逃げ切れはしないか、と一つ息をついた。

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