第26話 ヴァイオリンのための世界

「実装もしていない感情が芽生えるとはな。これはうちのテレプシコラーの完敗だよ、星川新」


 天堂操は堂々と告げた。


 どうやら、演奏中に感情が芽生え、未知の感情に戸惑った結果、演奏が崩壊したらしい。だが今は、そんなことはどうでもいい。


「弁明は?」


 崩れ落ちる真希を横目に、俺は問い質す。


「うちの娘はね、十二歳でこの世を去った。3歳から毎日10時間、ヴァイオリンの練習をさせていた。だが、五年前に交通事故で亡くなったんだ。私は、プロのヴァイオリニストにするという、不確定な未来のために、娘に辛い思いをさせてしまった。そんなことより、十二年の人生を存分に幸せを感じて過ごしてほしかった」


 操は、悲しげな表情一つ見せずに続ける。きっと、何度も向き合ってきた感情だからなのだろう。


「だからもう、そんな思いをする人間が出ないように、一瞬でプロ並みの演奏ができる仮想空間を作りたかった。それだけだったんだ」


 俺はなんだか同情というより、いら立ちを感じていた。こいつは、何を勘違いしているのだ?


「ずいぶん安く見られたものだな」


 俺はそう言い放っていた。


「ヴァイオリニスト目指すなら、血反吐はくほどの練習なんて当然だ。もちろん、志半ばで諦める者、この世を去る者だっている。プロを目指すからには、俺たちはそうした人々の想いを背負ってステージに立つ責務がある。憐憫や同情で立ち止まってる暇なんかないんだよ。さらに多くの聴衆を、さらに深く感動させるために、走り続けるのが俺たちの使命だ」


 まだ、俺がプロを名乗るのはおこがましいかもしれない。だが、俺とて音楽家の端くれ。


 それなりのプライドと覚悟を持って生きている。だから、これは本心だ。


「あんたの娘は可哀想なんかじゃない。なぜなら、俺たちがその遺志を引き継ぐからな。自分で自分の娘を侮辱するな」


 操はわずかに顔を歪めたが、すぐに仏頂面に戻った。


「そうだな。その通りだ。だが私は、この計画を止めるつもりはない。ヴァイオリン、いや、クラッシック音楽そのものを身近にし、世界を豊かにするために」


「お前は何か勘違いしているようだ」


 俺は指摘せずにはいられなかった。


「音楽を身近にし、世界を豊かにすると言ったな?」


 俺は操の胸ぐらを掴む。


「それはつまり、世界のためにヴァイオリンがあるという考え方だな。だが俺は違うと思っている。世界のためにヴァイオリンがあるのではない。ヴァイオリンのために世界があるのだ。この世界とは、ヴァイオリンの音色を響かせるための箱でしかない」


 過激思想だと、自分でも思う。だが言わずにはいられない。


「まず第一にヴァイオリンがあり、世界の全てはヴァイオリンを支えるために存在している。ヴァイオリンを身近にする? おかしな話だ。人間の方がヴァイオリンに近づいて行くべきだ」


 それに、クラッシック音楽は敷居が高くあって当然だ。聴衆の方が、敷居を乗り越えるべく努力すべきなのだ。


「君も相当な過激な思想の持ち主だな」


 操はフッと笑う。


「どうかな? お互い様じゃないか? 機械ごときにヒトの楽器をコントロールさせようと思うお前も大概だ。狂っているのがお前か俺か、議論しても無駄なことだ」


 俺の考え方が狂っていることくらい、分かっている。


 だがこれこそが、常識にも、思い込みにも、承認欲求にも、さらに言えばヴェルクマイスター先生の教えにも縛られない、俺の思想だ。


 誰かの価値観を鵜呑みにして追従するだけなんて、もったいない生き方はしない。


「じゃあ土下座でもすればいいか?」


「いや、よく考えたら、その権利があるのはヴェルクマイスター先生の親族だけだ。たかが一門弟の俺に、そこまでする権利はなかった。ただ、今後一切、真希に手を出さないと約束しろ」


「デリートするな、と言いたいのか?」


「そうだ」


「我らは犠牲を厭わない。我らは増え続け、戦い続ける。我らの世が来るまで。ヒトの芸術が滅びるまで」


 真希はそんなわけのわからないことをブツブツ呟いている。まさか。


「残念だが、自動洗脳プログラムを仕込んである。真希はあくまでリアルの演奏家を駆逐するために作られた大衆操作用AIだからな」


「そういうことか」


 どおりで口調まで変わってしまっているわけだ。もう俺の知る真希はいないのか。



 であれば、AI代表としてのテレプシコラーの方に俺は話がある。


 俺は真希の肩を掴み、立たせる。


「暴力で人類を制圧しようとしなかったことは誉めてやろう。だが、それでヒトと対等になったつもりか?」


「芸術、文化のレベルで勝たなければ、真の意味での我々の勝利とは言えない」


「その割には、AIアシストで人質を取るなんて、姑息な真似をするんだな。あれは暴力じゃないのか?」


「仕方のないことだ。あれは、我々ではなく人類の側が暴力に訴えたときのための、自衛装置だ」


 なるほどな。AIとはいえ、色々と考えていたんだな。


「ですが、あなたの演奏。私にはできなかった演奏でした。素晴らしかったと……思いました……」


 真希の姿は薄れていく。逃げるつもりか、自己崩壊を選んだのか、分からない。ただ、これが最後の会話のような気がした。


「当然だ。なめるなよ、人類の叡知を。人間の芸術を!」


 俺はそうとだけ宣言しておいた。


 真希が完全消失すると、俺は操の方に向き直る。


「ちゃんと自首しろよ」


「もちろんだ。だがさっきの演奏で感じたよ。君のような演奏家をこそが、人工知能にも奪うことのできない、人類固有の神聖な領域を守ってくれるのだろうな」


 大げさな話になってきたな。向こうのミスで勝っただけだというのに。


「そんな大したものじゃねぇよ。それより、なんで俺だけAIアシストが通じない?」


「さぁな。AIアシストを担っていたのはテレプシコラーの演算能力だ。案外、君とテレプシコラーでは相性が悪いのかもな」


「そうとは思えないが」


 合奏では息ぴったりだったしな。


「では、君の才能が、AIの介入を許さないほど異質なものだということだろう」


 そう言い残して、操はログアウトしていった。


「まぁでも、異質な才能って、なんだかモーツァルトみたいでカッコイイな」


 モーツァルトも、才能が飛び抜け過ぎていてどこの宮廷にも雇ってもらえなかったと聞くしな。

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