第25話 決戦の行方
「オプションなし。課金アイテムなし。標準装備のヴァイオリンで戦ってやるよ」
そう宣言しすると、防音結界が張られた。確かこれも課金アイテムだったな。確かにこの轟音の中ではまともに演奏対決などできない。
俺は深く息を吸うと、演奏を開始した。
曲は、メンデルスゾーンの『無言歌集』より『春の歌』。技巧をひけらかすような曲の対極に位置する曲だ。
華やかに。優雅に。柔らかに。弾き切ろう。
最初の主題を、フラジオレットも含めしっかりと決め、俺はペースを崩さず続ける。技術面では簡単な部類に入るが、だからといって高い表現力が求められることに変わりはない。
これは『歌詞の無い歌』、『楽器で奏でる歌』だ。タイトルの通り。
歌うように情感豊かに弾くなんて、当然だ。そのうえで、いかに冷静さを保つかも重要だ。
緊張も感じる。だがそれよりも強く、悦びを感じる。この曲と、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾くたび、何度もこの時代のこの環境に生まれられたことに心のなかでお礼を言ってきたしな。
あぁ。もう勝負なんてどうでもいいな。この曲が弾けることに、この曲を聴いてもらえることに、最大級の感謝をするだけだ。
あっという間に曲は終わってしまった。
観客はいないので反応はないが、充足感を感じていた。これで悔いはない。
対する真希は、銀色のヴァイオリンを構え、ゆっくりと重音を奏でていく。静かな始まりだ。
この曲は、イザイの『無伴奏ヴァイオリンソナタ第三番【バラード】』か。
ミステリアスかつ荘厳な序奏部を終えると、真希は素早くペグを回転させた。
ヴァーチャルヴァイオリンの調弦が狂うことはない。だから弦を巻く用のペグは不要だ。ではなぜあるか?
音色オプションを切り換えるためだ。
激しい重音が連続するパートを、真希はオーバドライブの音色で走り抜ける。まさに疾風怒濤としか言いようのない嵐のような演奏。
俺は圧倒されていた。
聴衆の感性にもよるが、分かりやすく迫力がある。
これは、負ける。
そう直感した。
最後の嵐のような高速パッセージに差し掛かるが、さすがはAI。正確無比に弾いていく。
だが、突然真希の指がもつれ、パッセージは崩壊した。曲はそこで中断する。
呆然とした真希は、涙を流していた。
何を泣いている?
理由は知らんが、プロであれば、ミスしようが途中で落ちようが、暗譜が吹っ飛ぼうが、弦が切れようが、演奏を続けなければならない。
弾けよ。
最後まで。
俺はそんな無言の圧力をかけた。
よろよろと楽器を構えなおし、真希は演奏を再開した。恐ろしくスローテンポで、音程もめちゃくちゃ。酷い演奏だった。
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