第20話 存在しない人間

 俺はとにかく、音の主に向かって走り続ける。俺の本体はベッドで横になっているはずなのに、息切れがひどい。ムーサイは疲労なんて感覚までリアルに表現できるのか。かえって厄介だな。


 俺の体力が急激に削られているうちに、音の主はヴァイオリンを下ろし、どこかへ立ち去ろうとする。


「待て! 逃げるな!」


 俺は全霊を以て叫ぶが、相手はまるで聞こえていないかのように無視した。


 刹那、天から無数の光の柱が降り注ぐ。それらは全て演奏者のもとに集中し、カメラのフラッシュのように眩い閃光を放った。と思うと、次の瞬間、音の主は消えていた。


「このエフェクトのかんじ……」


 こんな派手なエフェクトを使うとなるとやはり、真希が怪しい。


 そもそも、真希は謎が多い。どこの音大に所属しているのかさえ不明だし、あれほどの腕前を誇りながら、オーケストラとの共演経験もなさそうだった。


 有名人ともなれば、個人情報を特定されていてもおかしくない。


 なのに、そうなっていない。


「代田真希なんて人間は、存在しない……?」


 俺はそんな仮説に至った。


 大急ぎでオプションメニューを開き、購入できるログアウト時エフェクトを確認した。50種類程度あるが、一つ一つ丁寧に検分する。


 やはり、あんな光の柱が複数出るようなエフェクトはなかった。


 それだけじゃない。


 ドラゴンに連れ去られるエフェクトも、魚群が飛び出すエフェクトも、どこにもない。


 となると考えられる可能性は二つ。


 真希は特殊なエフェクトも上位の権限で使える、パルナッソス社幹部クラスの人間だという可能性。


 もう一つは、真希は人間でなく、ムーサイに住むAIだという可能性だ。


 現代の技術を以てすれば、それは可能だ。自我を持つAIは、最近そこかしこで誕生し始めている。もはやニュースにもならないくらいだ。


 AIであれば、ムーサイのグラフィックを自在に操るくらい、どうってことないはずだ。


 そんな考えに至ったとき、空から無数の流星が降り注ぐのが見えた。


 気付くと、俺は自室のベッドに横たわっていた。


「強制ログアウト?」


 なぜこのタイミングで? やはり俺が真実に近づくことを恐れたか?


 そんな考えが頭を支配するが、スマホの通知を見て、そうでないと分かった。


『パルナッソス社サーバーに大規模なDDos攻撃か。ムーサイが一時ダウン』


 ニュースアプリの通知には、そうあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る