第6話 ずぶ濡れの芸術家

 ムーサイへのダイブは、思ったよりスムーズにできた。目がチカチカするものとばかり思っていたが、別段不快感はない。


 コロセウムのような円形コンサート会場に降り立つと、まだ三十分前だというのにかなりのログインユーザーがいた。


 余計なチュートリアルを全部スキップし、追悼演奏会とやらの開演を待つ。俺は演奏に加わるつもりはない。ただ聴くだけだ。そして、少しでもヴェルクマイスター先生を侮辱するような動きがあれば、即刻ログアウトするつもりだ。


 今はただ、同志と共に哀悼の意を捧げたい。


 そんな気持ちだった。


「無理して来ることなかったんじゃない?」


 白い仮面に黒のドレスを着た奏が言う。追悼演奏会でさえこの様子じゃあ、普段はもっと派手な衣装を着ているんだろうな。


「無理はしてない。むしろここで悲しみを共有したいんだ」


 やがて開演すると、見知った平均的な顔の女が出てきた。


「あれは……」


 DQか。やはり人気急上昇中のこいつが中心になって演奏するのか。


 DQが両手を上に向かって広げると、赤、青、金、銀、緑の人魂のような光球が現れ、尾を引いてDQの手元に集結した。


 白く眩い閃光が走ると、真っ黒なヴァイオリンがDQの手に握られていた。


 ムーサイではこんなエフェクトも演出できるのか。


 挨拶も何もなしに、DQは静かな旋律を紡いでいく。最初の一音で分かった。これはモーツァルトの『レクイエム』より『ラクリモサ』か。


 短い序奏が終わると、荘厳な合唱の声が響き渡る。


 だが周りを見回しても、歌っている人間の姿など見つからない。システムが流している録音なのか?


 だが、俺はDQの周囲でヴァイオリンを構える人々を見て、絶句した。


 弓の動きが、合唱部分のフレーズの流れと一致している。つまり、この歌声はあのヴァイオリンから出ている。ムーサイのヴァーチャルヴァイオリンは、人の声まで再現できるのか。


 恐るべき技術だ。ソリストやオーケストラどころか、合唱団まで用済みになりそうだな。


 演奏中、バックスクリーンにはヴェルクマイスター先生の生前の写真がスライドショー形式で映し出された。


 もちろん、ステージ上の勇姿が多い。


 それだけに、俺だけが知っているヴェルクマイスター先生の普段の姿が鮮明に思い出される。


『アラタ、芸術とはつまり遊びだよ。生活の継続にも、文明の維持にも寄与しないのだからね。では何のためにあるのか? それは人生に潤いをもたらすためだ。だから君も、他人の人生を潤せられるくらいにもっと湿って、ずぶ濡れにならなきゃ』


 先生の独特な比喩が思い出される。


 気付くと、大粒の涙が俺の頬を伝っていた。

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