第2話 リアルじゃやっていけない

 何度弾いても、どれだけ上達しても、まともに弾けた気がしない。


 まるで底が見えない。


 俺こと星川新がこの曲、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」に抱く感想は、そんなものだ。


 気品と哀愁を兼ね備えたこの曲は、聴いているだけで涙が出て来ることもあった。  


 初めて耳にしたときは、『なんだか長い曲だな』くらいにしか思わなかったのに。


 だが、何度も聴くうちに、いや、聴くたびに、この曲の印象は次々と変わり、常に新しい一面を見せてくれた。


 自分が弾くようになり、四苦八苦しながら譜面と向き合うようになって、ようやくこの曲の凄さを肌で感じた。あまりにも完成度が高かった。


 そのときは、メンデルスゾーンより後の時代に生まれられたことを、ひたすら感謝するばかりであった。そうでなければ、この曲を知ることなく一生を終えてしまっただろうから。


 そんなことを思い返しながら、中庭で練習していると、友人の越川奏(こしかわかなで)に声をかけられた。音楽高校から同期の女友達だ。こいつもヴァイオリンを3歳からやっている。


「今日もその曲か。スタンダードな名曲だよね」


「そうだな。まぁスタンダードだけに難しくもある……そもそも、この世に簡単な曲なんてないけどな」


「それは極論」


 奏はぴしゃりと否定した。


「話変わるけど、就職先考えてる? 新の腕前ならプロも目指せるだろうけど、もうソロでやっていけるような時代じゃないでしょ?」


「確かにな」


 VR技術によって実現されたフルダイブ型音楽交流コミュニティ、【ムーサイ】。

 あそこでは、無数のサンプリングによって合成された人工音声により、どんな楽器のどんな音色でも再現出来るという。さらには、AIのアシストでどんな難曲でも弾きこなせるらしい。


 近年では、名門オーケストラも、ムーサイ上のヴァイオリニストをオンラインでソリストとして招き、演奏会を成功させたという。


「もうリアルの演奏家の出番はなさそうだしな」


「そう思うでしょ? やっぱり今後の身の振り方を考えといたほうが良いって」


 もっともな意見だな。

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