第22話 ようやく目が覚めた
翌日はカルセオが朝食を持って部屋にやって来た。
イヴリールが一週間の謹慎だと聞いて驚き、ルピナスが運ぼうとしていた盆を奪って急いで来たのだと言う。
昨日は結局食べ過ぎた朝食を便所で吐き出し、その後調子を崩して夕食も食べずに寝台で眠りこけていた。
どうやら惚気を聞かせようと赤竜が訪れたらしいが、それに気付きもせず寝ていたので諦めて帰ったらしい。
「で?なんて格好してんだ」
呆れた顔でカルセオは寝台の上で片膝を立てて座るイヴリールを半眼で眺める。
謹慎を言い渡されて部屋に戻った後、用意されていた服に着替えもせずに上のシャツだけ脱いで横になった。
今もそのままで上半身はなにも着ていない。ズボンも泥だらけで所々破けているが着替えすら億劫で、盆の上から馴染んでいるタコビュを取りゆっくりと胃に収めた。
「汚いなー」
ザラザラとした砂の粒子が敷き布の上に落ち、昨日食べた時に零れた肉汁が染みを作っている。
それを認めてカルセオが顔を顰めたが無視した。
病気でもないのに部屋に閉じ込められるのは苦痛でしかない。何もすることが無いことをいいことにイヴリールは自分にも他人にも気を遣うことを止めた。
今はただ己の愚かさと情けなさに嫌気がさして、逃避する他無いのだ。
「ほっとけよ」
言葉を発することさえも億劫で、食事の度に訪れる竜族の顔を見るのも面倒臭い。
扉に鍵がかかるのならばそうしたい所だが生憎そんな物は着いておらず、せめて廊下側から押して開ける扉ならばそこに寝台か長椅子を移動させて開かないようにすることができるのにそれすらかなわない。
できないことばかりがありすぎて、逆にできることを教えてもらいたいぐらいだ。
「こんな所女に見られたら嫌われること間違いなしだぞ」
「どうせ美羽とは暫く会えない。だから問題ない」
「あのなー。お前はこの部屋から出られないかもしれないけど、美羽は来ようと思えばここに来れるんだぞ?もしその時そんな格好してたらどうすんだよ」
「どうせ、来ない」
不貞腐れたイヴリールに苛立ったのかカルセオは寝台から離れて長椅子へと座る。ため息を吐いたが言葉を発することはなく食事が終わるのを待つようだ。
その沈黙は息苦しいのではなく、どこか柔らかい空気を伴っていた。
だからだろうか。
「美羽は俺に会いたくないらしい」
愚痴のような弱音を零してしまったのは。
青緑の瞳がチラリとこちらを見たが直ぐに逸らされる。返答を求めていたわけでは無かったので助かった。
ここで知った風な顔で正論を吐かれていたらイヴリールは臍を曲げていただろう。
「俺はあいつに優しくなかったし、親切でも無かった。だからそう思われるのも仕方が無いんだろうけど」
あのまま黄竜と赤竜が現れなかったら美羽との間に進展はあったかもしれない。
セロ村の女じゃないので遠慮する必要も無く、言葉を気にせずに話せる者同士ゆっくりと関係を進めていけば美羽は拒まなかっただろう。
祝福を受け入れてくれたように、イヴリールの想いにも応えてくれた可能性は高かった。自分の気持ちに気付いた途端離されて、想いを伝える機会すら与えて貰えなくなるとは。
夢中で追いかけて来たが、美羽の気持ちはどうだったのか。
本当は迷惑なのかもしれない。
それでも。
「会わないまま別れるのは納得がいかない」
どんな形でも、どんな言葉でも面と向かって言われれば諦めようがあるし、反論も反省もできる。
中途半端なままでは気持ちの整理がつかない。
「焦る気持ちは分からなくもないけどな。謹慎が解けたら呼ばれるかもしれないだろ?」
「呼ばれなかったら?」
すぐさま返したイヴリールにカルセオはにやりと唇を歪めて笑う。
「そん時は強行突破だ。白竜も巫女もお前には同情的だし、最後の別れとして会わせてくれるんじゃないか?」
「同情的なのに一週間謹慎だぞ?」
懐疑的になるのは仕方が無い。
こちらから仕掛けたのではなく争いを止めようとしたのに処罰されたのだから。
「それ。考えたんだが、美羽って子の為の一週間かもしれないぞ?イヴリールが謹慎になってないのに呼ばなかったらお前は無茶な行動するだろ。それに会いたくないって強情張るのも辛いだろうし」
「美羽の為の、時間稼ぎ?」
そんなこと考えたことも無かった。
「ここに連れて来られて、いきなり伴侶を選んで子を作れと言われりゃどんな女でも取り乱すさ。しかも自由に里を巡って好きな竜を選ぶんじゃなく、代表者五体から選べってんだからな」
そこに好みの雄がいればいいがそれは難しいだろうとカルセオが乾いた声を上げて笑う。
「妥協しなきゃならないのなら優しくなくても面識ある雄を選ぶか、それとも少しは好みに近い雄を選ぶかは女次第だな」
はたして妥協するのは美羽側だけだろうか?
イヴリールは一月一緒に居て、多くの欠点を抱えて悩んでいる姿や逞しく仕事に励むのを見てきた。
片言の言葉で村人と交流し、タバサと楽しそうに家事をして寝食を共にする中で少しずつ思いが形になった。
だが他の竜族は里に選ばれてここに来ている。
美羽と初めて会う者ばかりで、自分達の好みとは違っても里の威信の為にも好かれて選ばれようと努力するだろう。
リーガースは確実に他の女へと想いを募らせていたが、候補者として選出されてここに来ていた。
他の竜族も大なり小なり似たような雄が居てもおかしくは無い。
「黄竜は美羽みたいな気の強い女より大人しい女の方が好みだって言ってたな」
それでも手に入れようと狙っている。
竜族側も妥協しているのだろう。
「どんなに気に入られるように努力しても最終的に選ぶのは女だ。竜族は本当に損な生き物だよ」
通常の伴侶探しも同じで好みの女を必死で口説いても婚姻を結んで里へ来てくれるかを決めるのは女の側だ。
竜族はただ待つだけ。
振られることが多いのは知っている。
住み慣れた土地を離れ、家族や友人知人と会えぬまま人生を終えるのは人族にとって耐えがたい喪失だ。
その悲しみを、苦しみを補うべく竜族は惜しまぬ愛を贈る。
中には里を捨てて女の傍にいることを望む竜族もいるらしいが、子孫を残すことの可能性が薄いとやがて諦めて里へと戻る。
「俺達は生涯ひとりしか愛せない。だから匂いだったり、見た目の好みだけで女を求めるが、口説いている間は本気じゃない。婚姻を受け入れ里へと来てくれた時初めてその女を愛することができるんだ。そうしなきゃ亡んじまうからな」
グリュライトにいる全ての女はそのことを知っている。
竜族が人族と違って美形揃いなのを良いことに適当にあしらって、戯れに遊ぶ女もいるほどだ。
本気ではないからと言って振られることに傷つかないわけでは無いのに。
「クレマが美羽を好みじゃないと言っていたとしても、その子が伴侶にと選べば途端に豹変する。そういう性なんだよ、俺達は」
だから安心するなと続けてカルセオは立ち上がると右手で料理の残った盆を持ち、左手を伸ばしてイヴリールの右頬をぎゅっと摘まんだ。
「なぁにするんだよっ」
「イヴリールがしなきゃならないのは自堕落な生活をすることか?他にすることあるだろ?その格好見たら美羽も冷めるぞ、確実に」
抗議の声も笑って流され親切な忠告をしてくれる。
「俺はちょっと感動してんだ。お前が婚姻の約束もしないで美羽に祝福を与えたことにな」
「それは」
イヴリールは太い手首を掴んで押し退けて大きく息を吸い込んだ。
「それは俺がグリュライト育ちで何も考えてなかったからだ。母さんにも死んで詫びろって殺されかけたし。正直子孫が残せないかもしれないって危機感無い」
目を丸くしてカルセオが驚きを表す。
それが無知を責めているように見えて慌てて言葉を重ねた。
「ただ美羽にこの世界の美しさを見て欲しくて、眉間に刻まれた皺を取ってやりたくて。それができるのは祝福だけだったからで」
「いいって。別に。俺に言い訳しなくても良いんだ。しかしイヴリールはほんとにその子のことが好きなんだな。他の女との子なんかいらないと思うほどに」
「いや、別にそこまでは」
深く考えてなかっただけだ。
もちろん他の女を愛せなくなる覚悟はしていた。
ただ美羽を笑顔にしたい、少しでも気持ちを伝えたいという自己満足の行為。
「羨ましいぜ」
緑竜は爽やかに笑うと次はイヴリールの漆黒の髪をぐしゃぐしゃにしてから「じゃあな。せめて着替えて敷き布変えろ」と念押しして出て行った。
仕方が無いので寝台から降りて窓を開けると心地よい風が入ってくる。
柔らかな陽射しと温かな空気に励まされ気持ちを入れ直した。
カルセオが言うように自己嫌悪に陥って腐っている場合ではない。
「よしっ!」
何かしていた方が落ち着くのは分かっていたので、寝台に戻り掛布団を丸めて抱えて窓の桟にかけて干した。
敷き布を剥いで床に落とした所で扉から顔を出して誰かいないかと声をかけると、廊下の向こうから銀の髪の少年が走って来た。一瞬アリウムかと思ったが違った。
顎の細いその少年はイヴリールの要件に頷くと、また駆け戻っていなくなる。
暫く部屋で待っていると銀竜の少年が二体で大きな桶を抱えて入って来て、その後ろから水の入った手桶を両手に持った銀竜が更に三体やって来た。
「ありがとな」
礼を言うと銀竜達は生真面目そうに頷いて、また何かあったら声をかけて下さいと言い残して出て行った。
先ずは大きな桶に上体を倒して前屈みになると勢いよく手桶を引っくり返して頭からかぶる。
冷たい水が滴り桶の中へと落ちて行く。
もうひとつ手繰り寄せてかぶりながら頭皮と髪を乱暴に洗って汚れを流した。
なんだかやっと目が覚めたようだ。
「どうぞ」
目を上げると最初の顎の細い少年がはにかみながら布を差し出していた。
それを受け取って頭を拭いて水気を取り、手桶の中にその布を入れて硬く絞って既に裸だった上半身をごしごしと強く擦った。
「お前白竜の里の銀竜か?」
「はい。レンと申します」
「そうか。俺はイヴリール、イヴでいい」
「はい、イヴ様」
「あー、いや。呼び捨ててくれ。頼むから」
「ですが」
困ったような顔でレンは立ち尽くしている。
「グリュライト育ちだから里同士の関係とか疎くて馴染めないんだよ。それに俺、弟がいて銀竜ってだけで親しみが湧くと言うか」
「アム殿ですね?」
「知ってんのか?」
「はい。美羽様の傍で元気づけようと頑張っていますよ」
「なら尚更。アムが世話になってんのに俺に様なんかつけなくていいって」
「それでは、失礼にならない程度で良ければ善処します」
目を細めて首肯しレンは手桶を持って退出した。
その間にズボンも下穿きも脱いで全身を清めてから清潔な服に身を包む。
大きな桶の中に敷き布を入れて手桶を両手に持ち流し入れると、腕を捲って脂汚れと泥汚れに灰をまぶして揉み洗いした。
完全にとまでは行かないが、油染みは薄れたのでそこで止める。
「さてと、水を変えたいが」
桶の中に半分ほどの量の水が入っている。
濯ぐためには綺麗な水に変える必要があるが、部屋から出ることは出来ないので悩んでいると再びレンと銀竜が一回り小さな桶を持って入って来て置く。
そして汚い水の入った方を持ち上げて出て行った。
気の利く働き者の銀竜達だ。
イヴリールは新しい桶に敷き布を入れ、水をかけてから押し洗いし絞り上げた。
「他に御用はありますか?」
いつの間に戻ってきたのかレンが扉の傍に立っていた。
「掃除したいから箒を」
「かしこまりました」
笑顔で新しい敷き布を寝台の上に置き、濡れた敷き布を預かるとまた出て行く。あんなに白竜の里の銀竜達が神殿で忙しく働いているのだとは思っていなかった。
考えてみれば食堂に用意された沢山の食事も誰かが作っていなければイヴリール達が食べることは出来ない。
「美羽が言ってたのはこういう事か」
食べ物の向こうに料理を作ってくれている人がいて、更にその材料を精魂込めて作ってくれている人がいることを忘れてしまうのだと。
聞いた時はそんな馬鹿な、と思ったが実際自分が経験してみて分かる事もある。
そんなに大きな違いは無いかもしれない。
美羽の世界と、この世界も。
そんな些細な発見が嬉しくてイヴリールは大きく伸びをして微笑んだ。
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