第21話 俺の周りの暇なやつ


「ほら、飯」


 赤い髪のルピナスが挨拶も無く扉を開けて入室し、乱暴に寝台の上に盆を置く。

 寝つけなかったこともあり、いつもならとっくに起きて動き出している時間を過ぎているのにイヴリールは布団に包まって惰眠を貪っていた。


「おい、起きろっての」


 肩を掴んで揺さぶられてもささくれ立った精神は現実からの逃避を望んでいて、煩い侵入者を無言で拒絶する。


「なんだよ。俺が一番に美羽に呼ばれたのがそんなに気に入らなかったのかよ!?器小せえなぁ、お前」


 確かにそれは気になったし、むかついたが、そんなことより美羽との間にあったと思っていた繋がりは自分が思っていた程美羽には無かったのだと思い知らされたことが辛かった。

 そして黄竜と青竜の喧嘩を止めようと緑竜と動いたことを傍若無人だと巫女に評されたことと、白竜に力に溺れるのは愚か者だと断じられたことへの苛立ち。


 弟への嫉妬。


 色んな汚い感情が自分の中に渦巻いていて正直食事をする気にもなれないし、起き上がりたくも無かった。


 赤竜と会話をする必要性も感じられない。

 一週間部屋から出られないのならこのままずっと寝台で腐っていてもいいはずだ。


「お前、格好悪いな」

「ほっとけっ!」


 布団を引き上げて潜り込もうとしたが盆が乗っている重みでそれも上手くいかない。舌打ちしてせめてもの抵抗に目蓋を強く閉じて不貞腐れる。


「なんでこんな格好悪い奴が」


 自分の物ではない舌打ちを耳にして「悪かったな。格好悪くて!そんな奴は放っておいてくれて構わない。時間の無駄だろ」と退室を促す。


 だが次には大仰なため息を耳にしてイヴリールは不貞寝もさせてもらえないのかと腹を立てて上半身を起こしてルピナスを睨む。


「どいつもこいつも俺の周りには暇な奴ばっかりいるんだなっ」

「なんの八つ当たりか分からんが、そんなにひょろ細くて成長が行き届いてない癖に食事を抜くなんざ竜族の自覚無しだろうが。この俺様が気にかけてやってんだ。有難く思えっての」

「誰がっ!」


 牙を剥いて威嚇するが悠然と微笑んで赤竜は盆を指差す。

 その上には昨日の夕食に緑竜が食べた分ぐらいは乗っていた。肉類が多く、乳製品と穀類が少し。卵が一切無かったのは単なるルピナスの好みか、それとも用意されていなかったのか。


「もう昼だ。腹が減ってない訳、無いだろうが」


 それにしても人族の住む世界で質素な生活をしていたイヴリールにはこの量を食べることに抵抗を感じる。

 里に住む純粋な竜族は緑竜の食べっぷりからしても、それぐらい食欲が旺盛な物なのかもしれない。


「あんたもこれぐらい……いや、いい」


 愚問だ。

 きっとその立派な体を作る為にも、維持するためにも食べているに違いない。


「まあ黒竜と青竜はどちらかというと細身だな。俺達赤竜や緑竜と違って」


 にやにやと笑いながらさっさと食べろと催促するのでイヴリールは渋々手を伸ばして盆を手繰り寄せる。

 やはり昨日食べたタコビュを選んで器を取り、匙を使って口へと運ぶ。トミュで煮込んだのではなく牛の乳で煮込んだ少し甘い味付けだった。


 香草が刻んで入れられているのでなんとも不可思議な感じだが、癖になりそうな味ではある。


「白竜と黄竜の骨格が一般的な竜族の体形として基準にするならばって話だが。食ったからって身体が必ずしもでかくなるわけじゃないが、お前が標準よりかなり劣ってるのは間違いない。弟の方がでかくなるんじゃないか?」


 無邪気な笑顔のアリウムに追い抜かれていつかは見下ろされる日が来るのかもしれないという残酷な予言にイヴリールは目の前が暗くなるような気持がした。


 ちっぽけな兄としての尊厳を失う未来を噛みしめながらタコビュを飲み込み、次から次へと掻き込んで食べ終え、手を休めずに焼いただけの骨付き肉を掴んで頬張る。


 肉汁が滴って布団の敷き布を汚すが気にせずに飲み下した。

 指も口も脂塗れになりながら今は何も考えずに顎を動かして、胃に収めて行くことに集中する。


 煮込んだ豚の肉、鶏肉の照り焼き、硬いパン、羊の乳に菌を入れて固められた白く柔らかいトチ。乳臭く独特の風味があるがそれもごくりと飲み込んだ。


 柔らかいパンを食べ、また肉を口に運んだがこれ以上は無理だと胃が訴えるかのように吐き気がしたので手を止める。


「そういや、アムも良く食べるな」


 しょっちゅう会えない弟だが、家に遊びに来ると畑で採れた野菜やタバサが作る料理をいつもおかわりして食べていた。


 美味しいからいくらでも食べられるよと微笑み家庭料理を手放しで誉めていたアリウムを大袈裟だなと思って見ていたが、竜族の食欲が緑竜の物と一緒ならばそれも納得のいく範囲だった。


 本当に自分は竜族でありながら、自分の種についての知識が少ないのだと気づく。

 中途半端だ。


 セロ村でも、竜族としても。


 知ったかぶりして、なにも分かっていないことに嫌気がさしてくる。


「なぁに落ち込んでんだよ!ガキの頃に里から出て無事に成長した奴がどれぐらいいるかお前知ってんのか?十も満たないんだぞ!?がっかりする前に努力しろ!」

「そういや親父も言ってたな。ずっと幼体のままで終わるのかと思ってたって」


 ぼんやりと「よく成長した」と頭を撫でてくれたウィンロウの姿を思い出す。

 父親らしい行動を示されたのは初めてでとても驚いた。

 純粋な嬉しさと誇らしさが宿った表情で、それが恨んでいた気持ちをあっさりと消してしまったのは悔しいが。


「素質はあるんだから、後は努力しかねえ!」

「努力って」


 具体的に何をすればいいのか。


 山盛りの食事を貪るように食べて身体を作る事か?

 それとも運動をして筋肉をつけることか?

 戦い方を学ぶことか?


「そんなことより、俺がしなきゃならないのは美羽を」


 違う。

 こればかりは自分だけの気持ちではどうにもならない。


 歯痒いが一週間この部屋から動けず、その間に美羽が他の竜族を選ばない事を祈るしかない。


「おい!そういや美羽は、あいつはお前を選んだのか!?」


 クレマが言っていた言葉を思い出し腕を伸ばしてルピナスの胸倉を掴んだ。


 だが白竜の台詞も同時に浮かんでいて、美羽がまだ特定の雄を指名した訳では無いのだという希望も胸にある。


「そうだと良いんだけどな。一応全員と話してみてから考えたいとよ」

「そうか。そうだよな」


 権利は候補者全員にあるのだ。


 美羽は抜けているように見えるが、ちゃんとした教育を与えられた良識ある人族だ。権利や義務と言ったことを疎かにして判断することはしないだろう。


「だが俺が一番有利だな。昨日の騒ぎで無期限部屋詰めの黄竜と、二日の謹慎の青竜に一日の緑竜。そして一週間の黒竜だ。つまり今日も俺が美羽の話し相手を務めることになるわけだ」


 となると明日は緑竜、その次は青竜である。


 イヴリールに回って来るまでの後の三日をまた三体でこなすので、赤竜が一番美羽と一緒に居る時間が長くなるという事だ。


「まあ辛かろうが今はじっと我慢してろよ。報告と顔出しはしてやるから」

「だから、放っておけって!」

「うるせっ」


 まだ掴んでいたイヴリールの手を払い除けて離れるとルピナスは鼻で笑う。


「お前をからかって遊ぶぐらいしか他にやることないんでね。楽しませてもらうさ」

「性格悪っ!」

「お前も相当だがな」


 ニカッと笑って返す赤竜の明るい気配は暑苦しいが不快ではない。

 他の里の竜族と触れあうことなど滅多に無い事で、新鮮さと同時に意外なほど嫌悪感が薄いのに驚く。


 それはイヴリールがグリュライトで育ったことに関連するのか分からないが、他種族と戦い争わねばいられない程我慢がならないわけでは無い。言葉を交わして仲良くなるのは難しいことではないような気がした。


 現に緑竜であるカルセオも赤竜のルピナスも比較的好意的で、白竜のウィルもイヴリールに同情してくれている。


 祝福までした女を追って来て、会うのを拒絶された哀れな雄だと思われているのは癪だが。


「ま、俺も報告を怠ったって件でお叱りを受けた身だから派手に動けないからな」


 頬を指で掻いて愚痴るルピナスが叱責されたという件は、迎えに行くよりも前に美羽の傍に竜族が居たという情報を伝えなかったことに関する物だろう。


「自業自得だ」

「言ってくれる」


 苦い笑いを浮かべてルピナスは「ま、そういうことだから」と続けてイヴリールの肩をぽんぽんと叩いた。


「俺と美羽の仲を惚気に来るから楽しみにしてろな?」

「お前ほんとに、性格悪いなっ!」

「俺は気の強い女が好きだからもろに好みなわけだ。この機会を逃さずガンガン行くからやきもきして一週間過ごしやがれ」

「ふ、ふざけんなっ!」


 怒鳴ったはずの声が上擦っていたのは焦りが先走ったからである。一歩も外へ出られぬ間は指名されるルピナスに翻弄されるしかない。


 明日になればカルセオが、そして明後日にはニスが美羽と面会する。


 こうなってくると美羽の好みである紳士的なウィルが候補者でなくて本当に良かったと思う。


 勝ち目がない。


「巫女に逆らう事の恐ろしさその身を以て知っただろうから一週間大人しくしとけよ?」


 はははっと声を上げて笑いルピナスは盆を持って出て行く。

 この様子だと夕食も赤竜が持ってくるようだ。


 その時に宣言通り惚気話を聞かされるのかと思ったら腹が落ち着かず、食べ過ぎたせいもあってイヴリールは口を押えて便所へと走った。


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