第20話 絶対権力竜の巫女


 なにがどうなってこうなったのかはよく分からない。


 剣呑な雰囲気になっていた黄竜と青竜を止めようとカルセオと共に仲裁に入ったはずだ。話し合いで解決しそうになかったので力づくという方法を取らざるを得なかったが。


 だが何故こうなる?


 イヴリールの足はクレマの力で移動力を削がれ、降り注ぐ氷柱を腕で払い落としながら余裕がある時はその力を吸い取って補充した。


 カルセオが風を巻き上げて黄竜を斬り裂こうと攻撃しているが、横から水の壁が押し寄せてきてそれを阻むので上手くいかない。


 クレマとニスが始めた喧嘩だったはずが、黄竜と青竜対黒竜と緑竜の戦いになっていた。


 互いに協同戦となり今の所有利なのはクレマとニスの方で、イヴリールは防戦一方、そして攻撃を仕掛けているカルセオは二体の竜族を相手にしているので分が悪い。

 ここで他の者に見つかれば黄竜と青竜を止めに入ったのだと言っても信じて貰えない可能性が高かった。


「いい加減引けって!」


 カルセオは水の壁を拳で薙ぎ払い、その向こうで笑っているクレマに猛然と殴りかかる。しなった背中に上腕と肩の筋肉が盛り上がり、空を切る音と共にそれを受け止めた黄竜の両腕からみしりと音が響く。


「そっちが負けを認めればいい」

「んなことできるか!俺達はお前等に巻き込まれただけだろうがっ!」

「組む相手が悪かったのだ。己の見る目の無さを恥じよ」

「くそっ!イヴリール!なにやってんだっ!」


 続けて蹴りを入れながらカルセオが呼ぶ。

 クレマに攻撃を加えながらニスの攻撃を躱すので手いっぱいで、決定的な打撃を与えられない苛立ちが表情に出ている。


「黒竜お得意の力を使えばいいんじゃな~い?」


 戦いの最中だと言うのに気の抜けるような口調でクレマが笑う。

 左下から浮き上がってくるカルセオの拳を上半身を反らしただけで避け、それを引き起こす反動の力を乗せてクレマも左腕を伸ばして殴打する。


 攻撃が脇腹に入った緑竜は顔を歪めて嗤うと、青緑の瞳を燃え上がらせ脚を軽快に動かして連打を浴びせる。

 数発はクレマを後ろに引かせる程の威力があったが、殆どがニスの防御により殺された。


 イヴリールなど取るに足らない相手だと思われているのか、今は青竜の攻撃はカルセオの方へと向かっている。


 悔しいが侮っていてくれていた方がやりやすい。

 カルセオには悪いがしばらく囮として頑張ってもらおう。


 息を吸って気付かれないように脚に纏わりつく黄竜の力を取り込んで機会を窺った。がむしゃらに突っ込んで行くよりも一瞬の隙を狙った方がいい。


 じっとその時を待つ。


 黒竜の得意技は接触した方が効率がいい。

 しかも今回は個別では無く二体同時に、が望ましい。


 だからカルセオへの攻撃に集中して黄竜と青竜がこちらに背を向け、尚且つ近くに寄る瞬間を待った。


「……………来た」


 逸る気持ちを押えながら距離を詰めてイヴリールは深く呼吸を吐き出してから二体の背中に掌を当てた。


「なにして――!?」


 クレマがきょとんとした顔で振り返ろうとするが、目が合う前に両掌に集中して勢いよく息を吸い込んだ。


 別々の竜族の力が左右の手を伝って同時に流れてくる。


 腕が痺れるような強い流れに弾き返されそうになるのを必死で堪え、冷たい双眸で睨みつけてくるニスの視線になんとか笑みを浮かべて返す。

 少しでも不敵に見えていればいいが、きっと引き攣った顔で御世辞にも強そうには見えなかっただろう。


「……小賢しいんだよっ」


 背中に力を入れて胸を反らし、吸い上げられる力を引き止めようとするクレマは左手を後ろに回してイヴリールの手首を掴む。


「忌々しいっ!」


 ニスも抵抗して身を捩り、振り向きざまに氷柱を叩き込んできた。流石に二体の竜族の力を根こそぎ奪うだけの器がイヴリールの中には無い。


 クレマの手を払い除け後ろに飛び退って身構えるとカルセオが「でかしたっ」と讃えて笑顔を向けてくれた。


「いい加減、落ち着いて引けよ!」


 蓄積した力が収まりきれずに左手からは黄色の力が、右手からは青色の力が目に見える形で流れ落ちて床の上にわだかまっている。


「所詮闇は卑怯な手を使わねば勝てんのだな」


 吐き捨てながらもニスの顔色は青白く、揮った力と奪われた力の所為で満身創痍のようだ。

 大した力の放出をしていないクレマは奪われた分しか失っていないのでまだ元気そうだが、飽きたのか戦闘態勢を解いた。


「卑怯でも勝ちは勝ちだ」

「良く言った!」


 強い者が正義だと言ったのはクレマだ。

 戦って勝ったのはイヴリールとカルセオなので、ここは大人しく引き下がってもらおう。


 ニスは納得のいっていない表情のままクレマを押し退けて食堂に入る。

 黄竜も扉の前から退いて中に入ろうと動いたが、その後ろから現れた巫女によって引き止められた。


「この神聖な神殿で私の許可も得ずに闘ったこと、どう言訳ことわけするつもりかな?」

「あー巫女、怒らないで」


 自分より背の低い老女を前にクレマが苦笑いを浮かべて両掌を合わせた。

 反省の色の見えない態度の謝罪だが、言訳するつもりは無いらしくそれ以上の発言はしない。

 巫女の傍に立つ白竜が渋面のまま黄竜、青竜を眺め、緑竜と黒竜であるイヴリールを見つめた。


 その視線には軽蔑と呆れが浮かんでおり、幾ら言葉を重ねたとしてもこちらの正当性を訴えることは無意味なような気がする。


 イヴリールも口を噤み、そしてカルセオも黙ったので、その場を重い空気が支配した。


「知らなかったかもしれないが、この神殿で優先すべきは巫女の言葉。そして美羽様の意思。それに従えないのならば即刻ここから立ち去り、里の面汚しとして伴侶を得ぬ一生を終えよ」


 最初の「知らなかった」のくだりは当然知っていると認識した上で、嫌味と圧力を籠めた言葉だった。


 繁殖の為に生きていると言っても過言ではない竜族に、伴侶を得ぬまま一生を終えろとは非道な言葉であり重い裁きである。


 クレマの顔から笑顔がさっと消えてその場に跪くと巫女の足に額づいた。

 己の思うがまま好きなように振る舞っていた黄竜が、服従を示す行動を躊躇いなく行ったことにイヴリールは驚くと同時に巫女の力を見せつけられた気がした。


「どうか、お許しください」


 心の籠った訴えに巫女はそれでも愁眉を解かず、ゆるゆると頭を振る。


「クレマ、そなたの行き過ぎた行為をこれ以上放っておくことは出来ない。地の属にある黄竜が軽はずみな行動を取るのは過ぎた自由だ。部屋で頭を冷やせ。私が許可するまでは出ることは叶わないと思いなさい」

「はい」


 さっと立ち上がりクレマは巫女に一礼をして、こちらを見もせずに廊下へと出て部屋へと下がった。


「さて青竜のニス。そなたは冷静な若者だと認識していたが、黄竜に唆されて騒ぎを起こす未熟者だったらしい。水に属する青竜が清き流れを維持できぬようでは理に触れる。今回の件反省するのならば二日の謹慎で済ますが、どうする?」

「仰せの通りに、巫女殿」


 片膝を着けて跪き、ニスも恭しく裁きを受け入れ無駄の無い動きで扉へと向かう。


 やはりこちらに視線を動かしもせずに去って行く姿はどこか物悲しく、巫女の絶対的な権力を見せつけられているようで恐ろしい。


「緑竜カルセオ、黒竜イヴ。言訳を聞くが、なにか申し開きがあるかな?」


 茶色の瞳を真っ直ぐに向けられイヴリールは言葉に詰まり俯いた。


 代わりにカルセオが頭を下げて「巫女は全て見通しておられるのに、俺達が言訳する必要などありません」と答える。


「風を司る緑竜は奔放なようで義理堅いの。だが秩序無くして竜族間の安寧など無い。喧嘩両成敗として一日の謹慎処分を言い渡す」

「御意」


 カルセオは頷いて廊下へと出る。

 残されて心細さが増し、イヴリールはごくりと唾液を飲む。


「闇の力で相手の力を吸い上げることは楽しいか?」

「楽しくは」


 無いが他にどんな手段があったというのだろうか。


 黄竜と青竜を止め、緑竜が一方的に押されていた状況でできたことなどあれぐらいしかなかったと思う。


 言い淀んだイヴリールにウィルが歩み寄り肩を掴まれた。

 強い力では無かったが、急速に満たされていた力を白竜の力の消し去られガクリと脱力する。


「己の力に溺れるは愚か者の極み。覚えておくが良い」


 そんなつもりは毛頭なかったが、首肯する他選択の余地は無い。


「傍若無人な行動は許さない。イヴは一週間部屋から出ることを禁じる。いいね?」

「なっ!一週間!?」


 長すぎる。

 その間に美羽が伴侶を選んでしまったら、イヴリールにはどうすることもできないのに。


 他の竜族のように従うことができず反発しようと顔を上げた先に白竜の優しく輝く灰青色の瞳があった。


「案ずることは無い。美羽様にはアリウムがついている。一週間時を置き、然るべき沙汰を待て」

「アムが美羽の傍に」


 燃えるような劣情に弟に対する嫉妬心を認め数歩よろめいて下がった。


「あれは兄想いの優しい弟だね。信じて待ちなさい」


 微苦笑した巫女は愚かなイヴリールを置き去りにし白竜と共に立ち去った。

 誰もいなくなった食堂を振り返り、行き場を失った残された食事をぼんやりと眺めて「あれが捨てられるのだとしたら美羽の世界と一緒だな」と呟き重い足を引きずって部屋へと戻った。


 寝台の上に用意されていた着替えをいったんは手にしたが椅子の上に置き、着ていたシャツを乱暴に脱ぎ捨てただけで横になる。


 必死に目を閉じて眠気を待ったが、中々眠れず苛立ったイヴリールは悶々とした夜を過ごすことになった。


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