第19話 見て見ぬふりは同罪



 扉が激しく叩かれている音でイヴリールは飛び起きた。


 同時に自分が何処にいるのか分からずに軽い恐慌状態に陥るが、外から聞こえてきた「おい、イヴリール。俺だ、緑竜のカルセオだ」という声に一気に記憶が蘇る。


「アリウムは……!」


 部屋の中は真っ暗で、見渡しても弟の姿は無い。


 扉の外のカルセオの声に緊張感や切羽詰った響きが無いのでイヴリールが気を失っている間にアリウムが何か問題を起こしたという訳ではないようだ。


 ほっと安堵しながら立ち上がり扉を開けるとカルセオが青緑色の瞳を細めて「なんだ?寝てたのか?」と笑う。


 寝ていたわけでは無いが弟に殴られた上に力によって気を失わされていたなど恥ずかしくて言えない。


 曖昧に頷いたがカルセオは別に気にもしない様子で腹減ってるだろうから、飯食いに行こうぜと促して廊下を歩いて行く。


 その広く逞しい背中を眺めながら歩いて行くとだんだんと良い匂いがしてくるのに気付き、胃がきゅうっと音を立てた。


「そういやあの暗い黒竜と戦って勝ったって聞いたぜ?お前意外とやるな~」

「そう言われても、いまいち実感ないつうか」


 もう余力が残っていないので自分の負けだとリーガースが巫女に申告したが、どう見てもまだ戦えるだけの力はあったと思う。


 あまりにもイヴリールの往生際が悪いので憐れんだのか、はたまた途中でどうでもよくなり戦意喪失したのか。


 譲る気は無さそうだったが、なにがなんでも候補者として残りたいという気持ちは薄かったように思える。


 アリウムが言っていた、意中の女の件に関係があるのかもしれない。

 理由や事情がどうあれリーガースが身を引いてくれて助かったのには変わりがないので、里に戻った際に挨拶には行くべきだろう。


「戦った後は腹減るだろ?ここで出される飯は上手いぞ。期待していい」


 両開きの扉を引き開けてカルセオが茶目っ気たっぷりに片目を閉じて見せた。

 どうやらここは食堂のようで、真ん中の大きなテーブルに沢山の種類の料理が結構な量で乗っていた。


 驚きながらも空腹に誘われるままそのテーブルに向かい、視線を彷徨わせて何を食べようかと悩む。


 中には初めて見る料理もあり、見たことも無い様な食材を使った物もあった。


 グリュライトの料理なのか竜族の料理なのか知らないが、冒険はせずに知った料理を選んで皿に乗せて近くの椅子のあるテーブルへと移動する。


「なんだ?それっぽっちでいいのか?」

「逆にそんなに食うのか?」


 イヴリールの選んだ料理はタコビュという名の白く細長い小さな穀物をトミュとジャリングで煮込んだ一般的な主食だ。


 美羽はこれを初めて食べた時、リゾットという食べ物に似ていると喜んだ。


 そんなささやかな思い出を思い返し、切なくなるほど長く美羽と離れているわけでは無いのに一口食べる度に不思議と虚しさが押し寄せてくる。


 カルセオは肉の香草焼きと、魚の焼き物、生野菜、豆のスープ、パンを数種類、羊の乳で作ったトチ、炒った卵、肉を軟らかく煮た物、チェリと丸く赤い果実のハヤ、と大皿に山盛りにして持ってきた。

 その上まだ足りないと追加の料理を取りに行くので見ているこちらが胸焼けしそうなぐらいだ。


「カルセオは恵まれてんだな」

「は?俺が恵まれてる?」


 鮮やかな手つきで次々と口の中に吸い込まれていく料理を見ながらイヴリールは早々に手を合わせて食事を終えた。


「俺は食べて行くのがやっとの生活してたから、粗食でも耐えられる。でもあんたは違うだろ?その身体を維持するには肉、魚、野菜、乳製品、卵、穀物、果物。それだけ沢山の物が必要だ。だから」

「恵まれてるか。ふむ。そうかもな」

「肉が食卓に上る日は俺か母さんの誕生日くらいで、最近は狩りに行く余裕があったから結構食べられてたけど」


 普段は御馳走なので滅多に食べられないものなだ。


 考えてみれば美羽が来てからタバサは食材を惜しまないようになった。

 トチノカやチェリ等の果物は取りに行くのが大変だったり、育てるのに手間がかかるので中々手に入らない贅沢品だ。


 今までなら手に入っても大切に少しづつ食べていたが、美羽が喜ぶこともあってタバサが手仕事で織った物を果物に替えてくることが多くなっていた。


「そういや、お前弟はどうした?里に帰ったのか?」

「いや、多分いるはずだ。でも何処にいるのかは」

「そうか。アリウムも腹減ってんだろに」


 確かにカルセオの言う通りで、自分だけが食事をしているのは申し訳ない気がしてくる。部屋に案内された時には十分日が高く明るかったが、外は暗くあれから随分時間が経っているようだ。


 美羽に会いに行って今は一緒に居るのか、それとも広すぎる神殿の中で迷子になっているのか。


 段々と心配になってきてイヴリールが立ち上がるとカルセオが咀嚼しながら怪訝そうな顔でこちらを見てきた。


「俺、アムを探してくる」


 入口の方へと急ぎ把手に手をかけようとしたところで扉が開き、その向こうから黄竜であるクレマが現れた。目尻の垂れた瞳を丸くして「へえ~」と口元だけで笑う。


「ここに居るってことは、黒竜の里から来た候補者を蹴落として、まんまと候補の地位を手に入れたってことか~」

「悪いか?」

「悪くは無いよ。竜族の中では強い者が正義だし?」

「じゃあ、そこ退けっ。邪魔だ」


 クレマは両開きの扉の把手を掴んだ状態で廊下に立っている。わざと通さないようにしているとしか思えない態度に苛立ちが募った。


「言ったよ?強い者が正義だって。君は俺より弱いし、あそこの緑竜にだって敵わない。もしかしたらあの神経細い赤竜にも勝てないかもしれない」

「………………力づくで通れってのか?」


 クスリと笑いクレマが首を竦めて「できるのならね」と挑発する。


「実際にグリュライト育ちの君が里育ちの黒竜に挑んで勝ったってのは信じられないし。ここで確かめるのもいいかな~なんて。そもそもその里の黒竜も大したこと無かったのかもしれないよね?」

「てめぇっ!」

「止めとけ、イヴリール。そんなあからさまな挑発に乗るのはアホなガキすることだ。弱い奴ほどよく吼える」

「えー?面白くないなぁ」


 テーブルに着いたままでカルセオが馬鹿馬鹿しいから止めておけと忠告してくるのを聞いて、クレマは残念そうな顔で緑竜を見やる。


「そんな風に物わかり良く振る舞って冷静そうに見せる奴、俺あんまり好きじゃないな。竜族の本質は獣だ。言葉より雄弁に戦って相手をぶちのめす。それがあるべき姿だと思うんだけど」

「なんだ?俺とやりたいのか?イヴリールが目当てかと思ってりゃ違うのか」

「誰でもいいよ。俺以外はみんな敵だしね」

「どうでもいいからさっさと退けろよ!」


 黄竜が誰と戦いたいかはこの際どうでもいい。今はアリウムを探し出して、腹が減っているだろうからここに連れて来てやりたかった。


 できれば他の竜族がいない時に。


「だから通りたければどうぞ?」

「このやろっ!」


 退けるつもりの無いクレマの顔を睨み上げて舌打ちする。

 黄竜は意地の悪い笑顔でイヴリールを高いところから見下ろしていて腸が煮えくり返る様な思いを味わう。


「そうそう美羽は君じゃなくて赤竜を召したみたいだけど、それに関してはどう受け止めてるのかな~?」


 自分の言葉がイヴリールにどれほどの打撃を与えるのか知っていてのんびりと発言し、クレマは満面の笑みで様子を窺っている。


 美羽が、赤竜を召した?

 それはつまり伴侶にと選んだのはルピナスということなのか。


 目の前の黄竜に比べればましな男だが、どうして今日会ったばかりのルピナスを伴侶にと願うのか。できれば会って理由を問い質したい、そしてイヴリールの想いを伝えて美羽を連れて里へ帰りたいのに。


 複雑な乙女心を配慮していては心変わりをしてしまう。

 自分が他の竜族より優れているという愚かな幻想をイヴリールは抱いてはいない。


 イヴリールは口が悪く、美羽とはいつも言い合いばかりをしていた。


 喜ばせることよりも落胆させたり、苛立たせたりしてばかりいたので他に魅力的な竜族がいればタバサが言ったようにそちらへと惹かれていくはずだ。


 優位なのはイヴリールでは無く、これから己をゆっくりと知ってもらうことの出来る他種族の方だった。


「あれあれ?元気な口が動かなくなったね~?」

「……貴様のくだらない喋りに付き合わされる方の身にもなれ。いつまでそうしているつもりだ。食事をするつもりがないなら立ち去ってもらえると大変助かるんだがな」

 冷やりとした声がクレマの背後から割って入り、イヴリールは新たな気配に身構える。笑顔を消さず黄竜が肩越しに振り返り「おや、青竜か」と応じるが、やはり退けるつもりは無いらしく扉を掴んでいる手に力を加えた。


「黒竜、こちらは青竜の」


 嬉々として青竜の紹介をしようとしたがクレマは名前を知らないのか、忘れたのか言葉を途切れさせると緑の瞳を向け、自分で名乗るようにと青竜を促す。


 癖の無い水色の髪を緩くひとつに結わえた青竜は紺色の切れ長の瞳に幾ばくかの苛立ちを浮かべて黄竜を一睨みしてイヴリールを見た。すらりとした細い線の男は鋭い表情に冷めた眼差しを乗せている。


「青竜のニスという」

「黒竜のイヴリールだ」


 ぞんざいに頷き青竜のニスは眉間に皺を刻んでもう一度「何度も言わせるな」と強く牽制する。


 じわりと空気が凍りつき、体感温度が下がった。血液も凍ったのか指先がじんじんと疼くように痛み、イヴリールは慌てて飛び退く。


「いいね、ここで青竜が脱落すれば敵が減る」

「俺は脱落などしない。落ちるとすれば貴様だ、黄竜」

「やってみなきゃ分からないじゃないか」

「己と対峙する者との力の差を計れぬ愚か者は早死にするぞ」

「そんなに大差ないと思うけどな~?」


 首を傾げて黄竜が青竜を横目で眺め、くすりと挑発的に微笑む。


「やるなら余所でやれ!ここは食事する場所で、争う場所じゃないだろっ」

「正論。イヴリールの言うとおりだ。お前らちょっと冷静になれよな」


 カルセオが呆れて立ち上がるとイヴリールを支持する。

 だがクレマもニスも聞く耳持ない様子で、睨み合いながら力の放出をさせてどちらから仕掛けるか探り合っていた。


「本当、ガキだ。ガキ、ガキ!お前らだけで騒ぎ起こして叩き出されれば争う必要は無くなるが、ここで止めなきゃ俺達も同罪と見做されるだろうしなぁ」


 緑の髪をがしがしと掻き毟り、カルセオが煩悶する。


 他種族同士が仲良くすることは難しいのだろうが、顔を合わせるたびに喧嘩していては身が持たない。

 六種の竜族が集められた神殿で、なにが正義でなにに従えばいいのか分からないままではイヴリールも動きようがない。


 クレマに乗せられて無駄に戦うことは多分得策ではないだろうが。


「確かに、見て見ぬふりは同罪と裁かれる可能性はあるな」

「だろ?」

「止め、られると思うか?」

「どうだろうな。難しいだろうが、それしかないだろ」

「一番いいのは巫女か白竜のウィルを呼んで来れば収まるんだろうけど……」

「行かせてくれると思うか?」


 廊下へと続く扉を阻むのは黄竜クレマ、そしてその向こうにいるのが青竜ニス。

 相対している二体の竜族が行く手を遮っているのだ。


 正直一番の良策は捨てざるを得ない。


「ああー!面倒臭え!」


 何故こうも竜族とは血気盛んで野蛮な生き物なのか。


 仕方が無く腰を上げたはずのカルセオの青緑の瞳にも戦いの予兆を感じて輝きを増しているのを確認すると「ほんと、面倒だ。くそっ」と舌打ちする。


 傍から見たらイヴリールの顔も好戦的に見えているのかもしれない。

 悔しいが血が沸くのを押えられないのだから所詮は獣なのだろう。


「行くぜ!」


 カルセオが声を上げて床を蹴るのに合わせてイヴリールも走った。

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