第18話 天使の暴走



 竜族は普段人の姿をしているが、その本質は竜である。


 竜と人の中間の姿で生まれ、成長していく過程で竜の姿と人の姿を繰り返しながら最終的に人寄りの容姿となるのだ。


 太古の昔は竜の姿の方が最終的な成長の形だったが、あまりにも違いすぎると人族との間で繁殖が難しくなるからか、やがて人族と変わらぬ姿へと変化したと言われている。


 もともと竜は群れずに家族単位で暮らしていたが、六種の竜族がひとつの世界で混ざり合って生きていると縄張りを巡って争いが起こり多くの血が流れ、竜たちの住む世界は平穏とは程遠い暮らし長らく続けていた。


 そのことを憂えたある巫女が、ひとつだった世界を種ごとに六つに分け「知恵を持て」と諭した。


 区切られた世界は竜族が散らばって暮らす程の余裕が無くなり、自然と共存する為の群れができ里ができたと言われている。


 道すがら教えてくれたウィルはリーガースが放棄した部屋にイヴリールとアリウムを案内する。



 小さな部屋に寝台と長椅子がひとつ。


 アリウムが寝台奥の窓辺まで走って行って「雲が見えるよ。これぐらい上空だと鳥も飛んでないね」と騒ぐ無邪気なアリウムの声にウィルが飾り気のない微笑みを浮かべた。


「着替えは用意させよう。傷の手当が必要ならば薬も持ってこさせるが?」


 ウィルは品があり理知的で礼儀正しい、まさしく美羽が言っていた紳士そのもののようだ。


 勝手に嫉妬していては惨めになると頭を振って怪我の殆どが打ち身で、多少の擦り傷と頬の切り傷ぐらいだけなので薬は辞退し着替えだけを頼む。


「あんた、美羽の好みの紳士ってやつだから有利だな」

「有利?」


 怪訝な顔でイヴリールを見るので「あんたが白竜の候補者なんだろ?」と問えばウィルが納得したように首を振った。


「私は候補者では無い。ただの世話役としてここにいるのだ。そもそも現巫女の居る里からは候補者は選ばれないようになっている」

「何故だ?」

「もし私が候補者として、今回も白竜の里の代表者が伴侶として選ばれることになれば恩恵を続けて受けることになろう。そうなれば他の里との力の差が出てしまい均衡が崩れる。その為の措置だといえば分かるか?」


 里で育たなかったイヴリールには他種の竜族との均衡など考えたことも無く、また現実的でないからか実感が湧かない。

 口にした素朴な疑問すら普通の竜族ならば理解できることなのだろうがそこに考えがいかないのだ。


 それを馬鹿にするでも無くウィルは丁寧に教えてくれた。


「美羽様の好みが私のような男で無いことは明白だが」


 ふっと吐息のような笑いを響かせてウィルが背を向けて扉へと近づく。慌てて呼び止めると白竜は振り向き目だけで「なんだ」と窺ってきた。


「美羽には、いつ会える?」

「どの竜族といつ会うかは美羽様がお決めになる。私から伝えるべきことではない」

「じゃあ」


 イヴリールにその順番が回ってくるのはいつになるのか。


「会いたがっていた事と、黒竜の候補者と戦って権利を得たことは伝えておこう。じたばたせずに大人しく待つがいい」


 好意的な感触を残してウィルが今度こそ出て行く。


 その後ろ姿を見送りそわそわと落ち着かない気持ちを抱えながら、大人しく待てと言われても困る。


 ここではなにもすることが無く、そのせいで考えなくてもいいことまで思考が漂っていく。思い浮かぶのは良いことでは無く、全てが想像しうる中で有り得る悪いことばかりだ。


「くそっ。黙って待つなんて性にあわねえ!」

「俺、美羽さんに会ってどうして会いたくないのか聞いてこようかな」


 ぼんやりと呟いた後でアリウムが顔を輝かせて「うん、そうだ。行って来よう」と声を弾ませた。


「止めとけ。待つのは辛いが今は白竜の言うことを聞いていた方が多分いいはずだ」


 他の候補者も美羽の選択を待っているのだから、後から権利を奪い取ったイヴリールが動き回るのは公正では無い。


 美羽と一月一緒にいたのだから、それだけでも他の者にしてみたら平等な始まりではないのだ。


「兄ちゃん。普通なら好きな男が迎えに来てくれたのなら喜んで会うはずだよ?ここにいれば見知らぬ竜族の中から伴侶を決めて子を作らなきゃならないのに、それを甘んじて受け入れるぐらいイヴ兄ちゃんに会いたくないんだ。それなのに理由知りたくないの?」


 目を丸くして信じられないと首を振るアリウムの誘いに乗ってはいけない。

 ここまで来て規律を乱せば権利を剥奪され、黒竜の里は巫女を掲げる機会を失ってしまうのだ。


 それがどんなに不味いことかイヴリールでも分かる。


「喜び勇んで出てくるほど俺のこと、好きでもないんだろ」


 なんとか搾り出した理由にアリウムがにこりと微笑んで「そうかもね」と同意する。あっさりと認められたから余計に悔しくて舌打ちすると、どかりと寝台の端に腰を乱暴におろした。


 俺は行かないからなという意志表示。


「だって兄ちゃん美羽さんにちっとも優しくないし、怒鳴ってばっかりだし、いつも顰め面だったもんね。そんなイヴ兄ちゃんを美羽さんが好きかもしれないなんて思うこと自体が間違いなのかも」

「ぐっ……」


 残念だがアリウムの言う通りなので反論できず、黙って拳を握りしめて耐えた。


 仲の良かった女などローラしかおらず、どう接してよいか解らなかったので自然と悪態ばかりを吐き、美羽の行き過ぎた行為を渋面で注意するしかできなかった。


 確かに一月一緒に住んでいた時のことを思い返せば、そこに甘い空気や特別な思い出など何もない。


 ただ日常を過ごしていただけ。

 まるで家族のように。


「でもそれじゃ祝福を美羽さんが受け入れてくれたことの説明がつかないから、やっぱり好きだったのかな?」


 腕を組みアリウムは唸りながら真剣な顔で疑問を口に出していく。


「元々兄ちゃんみたいに冷たい態度を取るような男が美羽さんの好みだった?」


 右に頭を傾げながら窓から離れて寝台を回り込んでくる。

 そういう特殊な趣味の女の人もいるみたいだから否定できないかなぁとアリウム自身が答えを出す。



「イヴ兄ちゃんの顔がただ純粋に好みだっただけとか?」


 今度は左に頭を動かして性格よりも見た目で選んだのかと疑って、いや美羽さんは祝福を受けるまでは目が見えにくかったんだから兄ちゃんが格好良いことには気づいてなかったはずだしと否定する。


「昔付き合ってた男の人と似てたから?」


 ああこれならなんとなくしっくりくるかもねとアリウムがイヴリールを見るので「知るか!」と膨れると顔を背けた。


「ねえねえ、兄ちゃんは美羽さんに他に付き合ったことがある男の人がいるか聞いた?」

「他にってなんだ。俺と美羽は別に付き合ってたわけじゃない。気持ちを自覚したのもついさっきだぞ?」

「じゃあ聞いてない?美羽さん、あっちで彼氏とかいたのかな?もしそうなら彼氏に義理立てしてイヴ兄ちゃんの想いに応えられないとかも理由に挙げられるかも」

「美羽に、彼氏」


 一度も美羽からは男の話など出たことが無い。

 家族が捜しているだろうとは言っていたが、あっちで待っている男がいるのだとは聞いたことが無かった。


 聞いていないだけで実際はいるのかもしれないが。


「美羽さん外見は子どもみたいに可愛くて華奢だけど、成人してるって言ってたし意外と経験豊富なのかも」

「お前、何言ってんだ!」

「いや何言ってるって怒られても困るんだけど。でもその方が美羽さんにとってはいいのかもしれないよ。初めての相手が好きでもない、人族でもない相手だなんてちょっと可哀相だし」


 可愛い顔のアリウムが言うと下品に聞こえないから不思議だが、弟と好きな女の男性経験について話をする日が来るとは思ってもいなかったので衝撃が大きすぎた。


「だって竜族と人族は身体の作りが違うんだよ?忘れてるみたいだけど」

「俺は、全力で忘れていたかった。アム」

「もう、馬鹿なこと言ってる場合じゃないよ。イヴ兄ちゃん!」

「いや。ばかなこと言ってんのはお前の方」


 背中を丸めて脱力するとアリウムが後ろに移動して抱きついてきた。寝台の向こうから飛びついてきたような恰好で押されて膝に額をぶつけそうになる。


「しかも竜族は子孫を残すことに対してすごく意欲的なんだよ?竜族を身体に受け入れるだけでも大変なのに、体力あって貪欲な竜に責められ続けたら美羽さん死んじゃうかも」

「死、ま、まさか死んだりしないだろ?」

「分かんないよ?どの竜も優しくしてくれると思ったら間違いだと俺は思うけどね」


 肩に顎を乗せてアリウムがため息を吐く。

 確かに候補の竜族がみな同じく優しく扱うとは限らない。


 勿論嫌われないように細心の注意を払うだろうが、美羽の性格を考えたら血の気の多い竜とぶつかって口論になりそのまま――という場合も考えられる。


「そもそもお互いに好意が無い場合には子はできないはずで――」

「兄ちゃん、その認識は間違ってるよ」

「そんなはずは」


 鋭くアリウムが訂正し、ゆっくりと離れていく。

 背中の重みが無くなったので身を起こし振り返ると弟は自嘲気味に口元を歪めて兄を見つめていた。


 似合わない。

 アリウムにはそんな笑い方はして欲しくない。


「父さんと母さん間に愛はない。父さんの愛はタバサさんだけに注がれているものだから。今までもこれからも」


 もう一度そんなはずが無いと口にしかけたイヴリールに首を振って冷めた瞳を見せまいと目を伏せた。


「母さんにはね。思いあっている人がいたんだ」


 その男は隣り町へ行き、村の特産品と必要な物を交換して持ち帰る仕事をしていた。ある日男は隣り町に行ったまま戻らず、村人が心配して探しに行ったが見つからない。


 道中で獣に襲われたか、野盗に襲われたのだろうと帰ってきた村人から聞いたルテアは居ても立ってもいられずに村を飛び出して行こうとした。


 その村に若い黒竜に付き添って訪れていたウィンロウが見ていて町までの道のりを女がひとりで行くのは危険だと引き留めたらしい。


 ウィンロウは伴侶探しをしている黒竜をその村に置いて町までルテアに同行することを申し出た。

 片道半日の道のりを経てたどり着いた隣り町にやはり男はおらず、途方に暮れていた所に町の女が声をかけてきた。


 その男が足繁く通っていた女もいなくなったと教えてくれたことから、どうやらルテアは男に捨てられたのだと判明した。


 しかも男は女と共に村の特産品として人気の高い織物の一番上等の反物を数反持って逃げている。


 それを元手に新たな場所で家を手に入れることは可能だ。

 ウィンロウは他にも男はいるから諦めろと諭したがルテアは頑なに男を求めた。


 見つけ出してその目で確かめなくては諦められないと泣くルテアに絆されて、次の町、そして先にある村まで旅をした。


 そこでようやく目当ての男を探し出し、ルテアは村に帰ろうと縋りついたが素っ気無くかわされて


「お前みたいな湿っぽい女なんか本気のわけないだろ?遊ばれているのにも気づかないで、のこのここんな所まで探しに来て鬱陶しい。そんなにおれのことを忘れられないのなら最後に一回だけ抱いてやる。それで諦めてとっとと失せろ」と無理矢理その場で襲われそうになったのを助けたのはウィンロウ。


 遊ばれて捨てられた自分には魅力がないのだと泣き喚いて自棄になったルテアにそんなことはない、十分魅力的な女性だと囁かれて魔が差したのはルテアの方だ。


 見ず知らずの女を心配して遠い村までついて来てくれたウィンロウに身も心も弱っていたルテアは懇願した。


 竜族だと知っていて。

 そして伴侶も子もいる事を知っていて―― 一度だけでいいからと。


「父さんは母さんを哀れに思い、母さんは父さんに一晩の夢を抱いた。憐憫と同情で関係を持った父さんと一瞬だけ夢を見た母さんの間に産まれたのが俺だから。父さんと母さんは婚姻関係を結んでない。そもそも父さんはタバサさんと別れたつもりはないからね」

「アム……」


 名を呼んだもののなんと言っていいのか分からずに口を噤む。ウィンロウが語らない真実をまさかアリウムから聞かされるとは思わなかった。


「つまり同意の上であれば、少しの情で子を作れるってことだよ?だから美羽さんだって兄ちゃんとじゃなくてもできる。これが焦らずにいられるかー!」

「お、おい!落ち着けっ」

「しかも無理矢理事に及ばれて美羽さんが拒絶したくても力の差はあるし、肝心のイヴ兄ちゃんを苦しめたあの反逆する力は相手の竜族が美羽さんのことを好きだと思っていなくちゃ意味ないし!」


 両拳を握りしめてアリウムがぶるぶると震える。興奮して目が血走っているので少し怖い。


「男は好きでもない女とでもできるんだよ!?」


 ジョーと同じことを口にする可愛い弟は狼狽えている兄を臆病者だと言わんばかりに半眼で眺めた。


「年頃の雄なんて女の人とやることしか考えてないんだ!やらしい妄想して、練習して、勉強して……兄ちゃん聞いてんの!?」

「…………聞きたくない、アムの口からそんなこと」

「温い!そんなこと言ってると美羽さん俺が取っちゃうからね!」


 弟の明け透けな発言に狼狽えていると人差し指をびしっと胸元につきつけられた。


「なっ、どうしてあんな変り者にアムが拘る!アムなら他に幾らでもいい女が」

「いやだ!俺は美羽さんがいいんだ。兄ちゃんがあんまり情けないことばっかり言うと協力しないよ!」


 聞き分けの良い、いつも笑顔のアリウムはどこへ行ったのか。感情に任せて頬を上気させ、燃えるような瞳で激しく訴えてくる。


「アム……いい加減にっ」

「いい加減にするのは兄ちゃんの方だよ。俺は美羽さんと兄ちゃんに幸せになってもらいたいんだ。他の竜なんて嫌だ。だから」


 がつんと側頭部になにかが思いっきり振り下ろされた。

 同時に流れ込んでくる力が破裂して視界を奪う。


 寝台の上に倒れ込んだ感触だけがはっきりとしていて何が起きたのか分からぬまま意識が遠退いて行く。


「美羽さんの所に行ってくる。大丈夫、大人しくしておくようにって言われたのは兄ちゃんだけだ。俺は自由だ。安心して」


 優しい声だけ残して気配が遠ざかっていく。


「あ、む」


 呼び止めようとしたがその前に意識も消えた。扉の閉じる音が微かに聞こえたような気がしたがそれも定かでは無かった。


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