第13話 息子殺しの汚名
玄関の扉が勢い良く開かれて一番にタバサが走り出てくる。そしてイヴリールの胸倉を掴むと「どうして行かせたのよ!」と激しく責めた。
アリウムもタバサと同意見らしく、大きな瞳に怒りを昇らせていた。
「あいつが、行きたいって言ったんだ。だから」
「あんたね!ムーの意見を尊重して送り出してやったつもりだろうけど、全然納得してないって顔してるじゃないの!」
頭の中が全て混ぜ合わさってしまうのではないかというぐらい強く揺さぶってタバサが涙目で喚き散らした。
母親が言う通り喜んで送り出したつもりも、納得もしていない。
胸を掻き毟るような焦燥感がずっとイヴリールを襲い、後悔ばかりが浮かんでくるのだ。
「あんな得体の知れない竜族とムーだけ行かせて!あんたは本当になにやってんのよ!?」
腕をしならせてイヴリールの頬をタバサの手が打ち据える。
乾いた音が響いて、鼓膜がブルブルと震え、ひりつく様な痛みに左頬を押えた。
「痛っ」
「好きな女を守るのが男でしょ!ムーが行きたがったのならどうして一緒に行かなかったの!?こんなに腑抜けた男に育ったなんてっ。情けない!」
「ちょっと待て!今」
聞き捨てならない様なことをタバサが口にした。
腰に手を当てて息子を半眼で眺める母は鼻でイヴリールの動揺を笑って突き放す。
「なによ?ムーのこと好きなんでしょ!口や態度は素直じゃないけど、竜族の身体は正直なんだから今更誤魔化しても遅いわよ!」
「イヴ兄ちゃん、美羽さんに嫌がられて痛がってたもんね」
「ぐっ……」
悔しいがタバサとアリウムにはさっき泣いている美羽の眉間を強く押して拒絶された時右腕がびくりと痛みに跳ねたのを見られている。
言い逃れはできない。
「好意を抱いている相手の拒絶の言葉や態度は、その想いの分だけ跳ね返ってくるようにできてるんだから嘘つけないのはしょうがないよ」
涼しい顔でアリウムは慰めにもならない言葉を吐きだすと、顔を上げて兄を見上げ「どうも自覚したのは拒絶されたのがきっかけだったみたいだけどね」とにこりと微笑んだ。
アリウムが言ったように竜族は好意を持っている相手の否定や拒絶には抗えないようにできている。
無理やり連れて帰ろうものなら手酷く痛めつけられることになるのだ。
だからこそ必死で同意を得ようと努力し、相手の元に通うとされている。
一方的な想いだけで人族の女を竜族の里には連れて行けないようになっているのは、この地を創世した神と呼ばれる存在が人族を憐れんだからなのか。
「ところで祝福は上手くいったの?もしいってなかったら俺兄ちゃんのこと軽蔑するけど?」
「ちょっと待ちなさい!なによ、祝福って!?」
アリウムの発言に青くなったのはタバサだ。
イヴリールを問い詰めるようにギロリと睨むので逃れるように視線を反らす。
「片言だったから俺は兄ちゃんに喋れるようにしてもらったらって勧めたんだけど。美羽さんは目があんまり見えてなかったみたいで、目が見えるようになったらいいなって言って。最初は兄ちゃんも乗り気じゃなかったし、美羽さんも、えっとタダより高い物は無い、だったかな」
成り行きをアリウムが説明しているがタバサはじっとイヴリールに視線を注いで動かさない。
「軽い願いを叶えてもらうなんて申し訳ないって言って席を立った美羽さんに兄ちゃんが見えるようにしてやるって連れ出したから。与えたんだよね?」
「……………………で?どうなの?与えたの?」
背中を怖気が駆け上がる。
事実を問い詰めるタバサの短い言葉には感情を抑えているのに怒りだけが滲み出ていた。
「う、ああ。与えたよ、悪いか!」
「それで?美羽さんは受け入れてくれた?」
目を輝かせてアリウムがイヴリールの腕を引く。
その嬉しそうな顔に照れ臭さをなんとか隠しながら「最初はかなり抵抗されたけど、最後は受け入れて、喜んでた」と答えるとアリウムは満足そうに微笑んだ。
「良かった」
「――――良くないわよ!あんたちゃんとムーに祝福を授けることと、受け入れることの意味を教えたの!?」
黙っているとタバサが逆上してスカーフを乱暴に取ると地面に叩きつけて赤銅色の髪を掻き毟った。
その一連の動作にアリウムが赤面して顔を伏せるがタバサは一向に気にしていない。
更に手を伸ばしてイヴリールの腕を掴むとぐいぐいと引っ張り薪を割る為の切株の所まで連れて行く。
「あんたをそんな風に育てたのは私の責任だわ。そこに座りなさい」
平坦な声にイヴリールはおとなしく言われた通りに切株の傍に座った。
正座した膝の上に両拳を軽く握って乗せると頭上から落とされるタバサの声に耳を向ける。
「あんたには悪いことしたと思ってる。私がこっちに連れてきたせいで竜族としては中途半端で、色んな我慢も嫌な思いもさせた。でももう少し利口で、人の気持ちの解る男に育ったと思ってたけど間違ってたみたいね」
タバサは切株の上に置いてある小振りの斧の柄に手をかけた。
使い古され、手に馴染むように削れた柄は母の手に違和感なく収まっている。
「死んで詫びなさい。私も直ぐに逝くから心配しないで」
「……母さん」
「大丈夫よ。痛いかもしれないけど、全力で振り下ろすから」
目を上げて見れば母の瞳には涙が浮かんでいた。
本気なのだと覚り諦めて目を閉じる。
「タバサさん、止めて!兄ちゃんを唆したは俺なんだからっ」
アリウムが駆けてきてタバサの腰にしがみ付く。
その肩を押して引き離してからタバサは両手で柄を握り己の背中に当たるほどの勢いで振りかぶった。
「兄ちゃん!」
「イヴ、ごめんねっ」
悲鳴が木霊してイヴリールは自分が引き起こしたこと全てに後悔と反省をしながら全てが終わるのを待った。
だが振り下ろされる音も気配も無く、一向に痛みは襲って来ない。
不思議に思って目を開ければ母の後ろに背の高い影があった。
「何事だ?」
「ちょっと、邪魔しないで!」
右手だけでタバサの腕を押えて止め、状況を把握しようと男が全員の顔を眺めるが誰も口を開かない。
仕方なく、なのか。
白い肌に映えるような黒い髪と碧色の目をしている黒い服の男が嫌味なほどに整った顔を後ろからタバサの耳元に寄せて甘い声で囁く。
「イヴがどうなろうと構わないが、俺の大事なタバサが息子殺しの汚名を被るのは許し難い。どうせあいつがやらかしたことでお前が責任感じてるんだろう?必要ない。あいつはもう子どもじゃない」
「くっ、放してよ!」
身を捩って逃れようとするタバサの腰に左手を絡めて難なく引き寄せ男は嬉しそうに低く笑う。
斧を振り上げたままの姿勢が辛くて顔を顰める母の姿にイヴリールは慌てて立ち上がったが、その前に怒りに顔を赤くしたタバサが叫んだ。
「そのっ!汚い手を退けろって言ってんのよ!」
「ぐわっ!」
途端に男は文字通り吹き飛ばされて地面に転がる。
肩で息をしながら眦を上げてタバサが振り返ると「今度触ったら殺してやるわよ!ウィン!」罵倒して斧をちらつかせた。
「いいじゃないか。あんなに愛し合った仲だろ?お互い知らない場所なんかどこも無いほど寝台で楽しんだのに。つれないなぁ。まあそういうところも好きなんだけど」
「ふんっ!あんたは私だけじゃなく他の女も楽しんだようだけどね?」
「それはだな」
「いいのよ。その話はもう終わった話だから今更蒸し返すつもりはないわ。イヴが考え無しなのは私の育て方が悪かったんじゃなくて、きっとあんたの血が入ってるからなのね」
斧を元通り切株に振り落として固定するとタバサは自分が叩きつけたスカーフを拾い、隙無く身につけながら玄関へと向かった。
「少しは俺の話も聞けっての。まったく、久しぶりに来てみればタバサに殺されそうになってるし一体お前は何やらかしたんだよ?」
「説明してやる必要は無い」
「かぁー!相変わらず可愛くないね。アムを見てみろ。あんな愛らしい竜族の子を俺は見たこと無いぞ」
「自慢か」
確かに誇りたくなるほどアリウムは愛らしく、明るくて真っ直ぐだ。
イヴにとっても自慢の弟なのだからウィンロウにとっても自慢の息子であってもおかしくは無い。
じっと見つめてくる父の目が鬱陶しくて舌打ちすると、ウィンロウはぐっと上からイヴリールの頭部を鷲掴みにして押さえつけてきた。
「てめっ。こら!なにしてんだっ。縮む!」
せっかく伸びた身長を上から力づくで押え込まれ、縮むのではないかという強力な痛みにたまらず顔を歪める。
「お前は本当に何にも分かっちゃいないんだな。アム、タバサを手伝ってやれ」
「うん。それはいいけど、父さんイヴ兄ちゃんと喧嘩しないでよ?」
「はいはい」
ウィンロウが心配を笑って払拭してやると安心したようにアリウムは扉へと走って行った。
それを見送っている間も変わらず上から力を入れられてイヴリールは唸る。
「このっ、馬鹿力!」
乱暴に振り払おうとするが里で力を無尽蔵に蓄えている竜族には勝てない。
悔しいが成すがままでいるしかなかった。
アリウムの姿が扉の向こうに消えるたところでやっとイヴリールの頭から手を退けたウィンロウは一歩下がってからしげしげと息子を眺める。
「グリュライトに居ながら成体になれたってのは意外だが、能力は残念な程恵まれていないな。哀れで涙が出そうだ」
「うるさい!」
「噛みつくなよ。誉めてんだ」
「それのどこが誉めてるんだ!」
ウィンロウがまた腕を伸ばして今度は優しく頭を撫でた。
不意に示された親らしい行動にびくりと身体が反応する。
それは拒否反応だったのか、ただの驚きか。
「良く成長したなぁ。五年前に会った時はアムと同じ銀髪で、ひょろひょろとした痩せっぽちのガキだったのに。正直ずっと幼体のままかもしれないなと心配してたんだが」
流石俺の息子だと笑ったウィンロウの顔をイヴリールは固まって見上げることしかできなかった。
「俺のこと、親父は関心ないんだと思ってた」
ぽつりと正直に呟くと綺麗な顔に甘い笑顔を浮かべて「んなわけないだろ」と否定する。そのことが酷く意外でぽかんとしているとべしっと額を叩かれた。
「俺とタバサの間にできた大切な息子だ。関心ないわけがない。心配もするさ。どんなに憎まれていようと、離れていようともな」
「親父どうした?腹でも痛いのか?」
「お前な、息子の成長を喜んでいる父によくそんなこと言えるな」
茶化さないと照れ臭くて、イヴリールは膨れてそっぽを向く。
その耳にため息を吐きながら「アリウムは」と呟くのでチラリと視線だけ戻す。
「イヴとタバサが竜の里から出て行ったことを自分のせいだと思っている。周りからは妻帯者の竜族に言い寄って寝取った女だと陰口を叩かれるルテアを見て育ち、同年代の竜族から蔑まれている間に嫌われないようにと努力した結果があれだ」
明るく真っ直ぐで愛らしい笑顔のアリウム。
そうすることで自分を守り、母や父に心配させないことを知っているから必死で演じるのか。
ならば本当のアリウムはどこにいる?
苦しくて無意識に胸を押えるとウィンロウが苦笑する。
「俺にとってはアリウムもイヴリールも自慢の息子だ。それは変わらない。
さてと。珍しくお前が俺を頼って来たんだ。その内容を聞いてやるさ」
背中を押してウィンロウはイヴリールを伴って玄関へと向かった。
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