第14話 美羽の役割
美羽が異界から来たこと、そして黄竜と赤竜が迎えに来て神殿へと向かったことを告げるとウィンロウは難しそうに唸った。
タバサが淹れた茶を啜ってまた唸り、顔を上げてイヴリールを眺める。
「で、お前はどうしたいんだ?」
意見を求められて口籠るとアリウムが「兄ちゃん」と元気づけるように腕を叩く。だが漠然とどうしたいのかと問われても困るのだ。
「いいのか?その美羽って子がいなくなっても」
「いなくなるって、もう帰ってこないみたいな言い方すんなよ」
別れ際に竜族と交流して、イヴリールと村人たちの間にある誤解を解くのだと張り切っていた美羽を思い出す。
しかも「ちょっと行ってくる」と軽い雰囲気で出かけたことも危機感を薄れさせてもいた。
「なんだよ。お前、その子が戻ってくるって思ってんのか?」
「ちょっと、どういうこと?ムーは帰ってこられないの?ここに戻れないまま、あっちに帰っちゃうってことなの?」
不安げに声を上げたのはタバサで、ウィンロウから一番離れた席から元旦那を見ている。
イヴリールは父の発言の意味を探ろうと思考を動かすがどうも上滑りして上手いこと形にならない。
「多分な」
頬杖をついて木の茶器の縁を撫でながら浮かない顔でウィンロウは呟いた。
「竜の巫女に選ばれたってどういう意味なの?ムーはその神殿って所で何をさせられるの?」
怯えが滲むのは同じ女だからか。
最悪の場合を想像して震えタバサは自らの腕を掻き抱く。
そういえばしきりにイヴリールと美羽の関係を気にしていた。
二人の間になにも無いと知ると「俺たちにも可能性がある」と安心した様子だった上に最初から美羽を手に入れることが目的だとも言っていたことを思い出す。
初めて相対する多種族の竜の威圧感に圧されて冷静さを欠いていたのは間違いない。
「あいつらっ!」
「おいおい。怒るのは筋違いだろ。碌に引き止めもせずに行かせたお前が悪い。せめて詳しい状況が分かるまで待つか、ついて行くかしないと」
憤るイヴリールをウィンロウが窘めてアリウムを見た。
「一応イヴ兄ちゃんに巫女の簡単な説明はしといたんだけど、美羽さんの役目まではちょっと言えなかった」
教えておけば美羽さんが行くことを許すことは無かったのにと後悔の滲む声で項垂れる。
しゅんとしたアリウムの頭をテーブルに身を乗り出して撫でてからウィンロウは「済んじまったことはしょうがない」と笑う。
「竜の巫女の事をタバサは知らないだろうからまずはそこから説明するな。巫女は異界の女性と竜族との間に産まれる唯一の雌竜のことで、神託による予言や助言によりすべての竜を導く尊い存在として竜族の頂点に君臨しているんだ」
性質も荒く協調性も低い竜族を纏め上げるのは簡単なことではない。
それを雌である竜がやるというのだからどれほど恐ろしい女なのだろうか。
「巫女は接点のない世界へ渡る力を授かっている」
ウィンロウがこちらを見て重い声で続けた。
「なあ、イヴ。どうして今、神殿に六種の竜族が集められているか分かるか?」
「そんなの、分かるわけがないだろ」
竜族についてアリウムよりも知らないことが多いイヴリールに答えられるわけがないのにウィンロウは意地悪だ。
「俺の話を聞いていたなら分かるはずだ。いくら鈍いお前でもな。いいか。巫女は異界の女性と竜族の間にしか生まれない」
「っ!」
「ちょっと待って!ムーが選ばれたってことは、もしかして」
息を飲んだイヴリールと青ざめたタバサにウィンロウは「そうだ」と頷く。
「その子は次の巫女を産むために連れて来られた。心配しなくても嫌がることを無理矢理することは無いだろうが」
「じゃあ、美羽は神殿で、六種の竜と――」
考えただけで身体がカッと熱くなる。
美羽の役目を知っていれば確かにイヴリールはあの竜たちと一緒には行かせなかっただろう。
アリウムは役目を果たさなくては帰れないと言っていた。
つまりどこかの里の竜族と婚姻を結んで子供を、巫女を産まなければ帰れないのだ。
目の前が真っ暗になった。
俺はやすやすと他の竜族に美羽を差し出したのだ。
クレマの意地の悪い笑顔を思い出し激しく震えだした身体に力を入れて押え込もうとしたができなかった。
知らなかったとはいえ自分の失態に対しての怒りは誰にぶつけることもできずに内側へと向けられる。
「神殿で大切に扱われているはずだ。落ち着け」
「ウィン、イヴはムーに祝福を与えたわ。それでもどうにもできない?」
連れ戻しに行けば帰してもらえるのではないかと期待を込めて伝えるが「難しいだろうな」と一蹴される。
「でも祝福を与えて、受け入れたのならばそれを理由にその子を黒竜の里には連れては行けるだろう」
「ここには、戻れないの?」
「戻ればセロ村に迷惑がかかるぞ?ここに巫女の選んだ女がいたことは竜族全員に知られている。その子が望んだからとこの家に戻せば竜族があちこちから押し寄せてくることになる。そうなれば大混乱だ」
「じゃあもう」
会えないのねとタバサが小さく囁くように吐き出して顔を覆って俯く。
ウィンロウが蕩けるような笑みを浮かべて「タバサが里に戻れば、その子と住むこともできるよ」とここぞとばかりに口説くが「やめて」と母は洟を啜りながら首を振る。
「そんな甘い言葉に乗せられて里に戻ったらルテアさんが困るでしょっ」
「タバサ、あいつは」
「良いの、聞きたくない」
言葉を連ねようとするウィンロウを遮ってタバサはぐいと目元を拭うと息子としっかり向き合った。
心の中の嵐に翻弄されて心此処に非ずの状態のイヴリールの両肩に手を乗せて「しっかりしなさい!」と鼓舞する。
「これはいい機会だわ。あんたはムーを連れて黒竜の里に戻りなさい。これ以上イヴをこの村に引き止めておくことは難しいって私も思っていたから、親離れ子離れの時期が来たんだと思えば我慢できる」
「でも、母さんを置いてはいけない」
「私はイヴが本当に好きな子と結ばれるなら反対はしない。ムーならきっといい伴侶になるわ。ただ」
瞳が大きく揺れてタバサが声を震わせる。
イヴリールをその胸に抱き締めて「可哀相に」と涙を流す。
「たったひとりしか愛せないのに、あんたが選んだ子が異界の子で、帰ってしまえば二度と会えなくなってしまうなんて」
「帰るかどうかは分からないよ。兄ちゃんが帰りたくないってくらい夢中にすることができればずっと一緒に居られる」
「だめよ。そんなことイヴにできる訳ないわ」
アリウムの言葉に泣きながらタバサが笑う。
「不器用で、意地っ張りで素直じゃないイヴにムーがいつまでも夢中でいられるとは思えないわ。今まではムーの言葉を分かって名前を呼べるのはイヴだけだったけど、神殿には他の竜族もいるんでしょ?きっと素敵な相手ばかりですぐに忘れられちゃうわよ」
「おい」
あんまりな言い分に渋面で腕の中から抜け出すとタバサはイヴリールの頬を撫でて「ごめんね」と今度は謝ってきた。
「あんたは私の悪い所ばっかり受け継いで、ウィンの方に似ていればムーだって」
「冗談じゃない。小さい頃から親父みたいにはなるなって言っておきながら今更そんなこと言われても困る!」
「……それもそうね」
苦笑いしているタバサの手から逃れてイヴリールは父を振り返る。
そのウィンロウの目に嫉妬の色があることを認めて呆れた。
実の子に隠しもせず焼きもちを焼くなんて。
なんだか昔に戻ったみたいでくすぐったい気持ちになった。
母は父にルテアとの行為の経緯を聞いていないのだと今までのやり取りでイヴリールはやっと気づいた。
タバサに聞きたくないと拒絶されればウィンロウは何も語れなくなってしまう。
今でも父は母に対して深い愛情を持っており、復縁したいと望んでいるのだ。
それをアリウムは嫌がるどころか応援しているように見える。
ウィンロウに対する恨みや怒りは今日一日で薄らいでいて、タバサが怒りを鎮めて復縁を受け入れれば全てが上手くいくのにと淡い期待を抱くほどにまで回復していた。
「祝福まで与えたイヴに今更確認する必要は無いと思うが、その子を伴侶に迎え一生愛する覚悟はできているんだろうな?」
「ああ」
タバサとアリウムの瞳に勇気づけられるように頷く。
美羽が鋭く気付いた様に祝福は誰にでも与えることのできる力では無い。
そして何度もできる物でも無いのだ。
一生に一度。
たったひとりの大切な人の為に注ぐことのできる貴重な奇跡の力なのだ。
決まった伴侶がいないイヴリールが美羽に祝福を与えるということは、他の者を愛することができなくなるということ。
例え拒まれて他の男を選ぼうとも、イヴリールは永遠にずっと死ぬまで他の誰も伴侶に迎えることもできず美羽だけを想い続けるしかないのだ。
きっと知れば美羽は断っただろうし、全力で抵抗しただろう。
教えなかったのは自分の気持ちを知られるのが恐かったから。
そして想いを受け入れて貰えなかった時の喪失感を恐れたから。
狡いのだ、自分は。
注いだイヴリールの力を美羽が受け入れたということは、少なからず好意を持っているという事実を教えてくれた。
人族と竜族はそもそも作りが違う。竜族の力を与えられると人族は異質な力を畏れて反射的に逃れようとする。
それが反発し拒絶となって現れるのだ。
本能で竜族に怯える人族は祝福を授けようとすると、互いに深く愛し合っていても時折無意識に拒絶してしまい上手くいかないこともある。
美羽は竜族に対しての知識が低いせいか、すんなりと受け入れてくれたようだったが重要なのはイヴリールの力を身体に受け入れてくれたことだ。
異界から来た女だからかもしれないが、イヴリールにとってそれが救いになったのは間違いない。
嫌われてはいないのだ。
そう思うと胸がほんのりと温かくなる。
だからこそ他の竜族に取られる前に奪い返して、気持ちを伝えなくてはならない。他の雄の子を宿すなど我慢がならず、今から後を追って神殿へと急いで行かねばと気が逸る。
「神殿は何処にある?」
「慌てるな。今から行っても門前払いだぞ」
ウィンロウが立ち上がり手を出すようにと促された。
右手を差し出すと掌を上向きにして、左手も同じようにするようにと言われるがまま応じる。
「イヴ、黒竜の力は闇を操る力だ。闇は全てを飲み込み己の力に変える」
「そういや、赤竜がそんな事言ってたな」
戦う相手としては厄介だと黄竜も同意していたことを思い出す。
「お前の中は空っぽだ。美羽に全ての力を注いだからだろうな。だから俺の力を吸い取って己の力にしろ」
「親父のを?」
「手っ取り早い方法としてはそれしかない。里に戻ってお前の中に力が満たされるまで待っていたら美羽は他の竜族の物になる。それは嫌だろ?」
「当たり前だ!」
興奮して怒鳴り返すとウィンロウは目を細めて微笑んだ。
「いいか、イヴ。愛する女を手に入れるには困難が伴う。特にお前の場合は全竜族が敵だ。選ばれし女性を手に入れることは未来の巫女を授かる名誉に与るということだけじゃない。巫女を戴く里は恩恵を受けその地の力が強くなる」
つまりそこに住む竜族の力も強くなるということ。
「だからこそ熾烈な争いをしてまで異界の女を手に入れようとするんだ。竜族にとって力こそ全てだからな。他の奴らは死に物狂いで向かってくるだろう。気を抜くんじゃないぞ?」
ウィンロウは念押ししてイヴリールの手に左右の掌を合わせるように乗せた。
目を伏せてゆっくりと呼吸を吐き出す父に慌てて「やり方は?」と問えば、竜族は教わらなくても本能で知っていると微笑まれる。
父にならって呼吸を整えて目を閉じた。
重なっている掌からじわりと熱が伝わり、全身が粟立つ。
自分の物とよく似た力だが違うのだと分かる。
不愉快さを紛らしながらイヴリールはゆるりと入り込んでくるウィンロウの気配を受け入れようと無心になった。
雪が降り積もる様に緩慢な動きだった物が次第に、雨が叩きつけるような激しい勢いになる。
足元が揺れるような感覚すらあり、イヴリールは堪らずに腹に力を入れて息を大きく吸い上げた。
「うっ……!」
苦しそうに呻いたのはウィンロウだ。
雨が降り続けて川が増水した時のような押し寄せる濁流のように黒い力が一気にイヴリールの中に流れ込んできた。
何度も何度も受けて、それを飢えた身体に染みわたらせると不思議なことに身体が軽くなって行く。
力が溜まるほどに浮き上がるほどの感覚が襲うなど知らなかった。
「お前、手加減しろっ。全部持って行く気か」
吸い付くように触れていた掌を無理矢理引き剥がしてウィンロウは恨めしそうに睨んでくる。
「手加減も何も……やり方すら知らないのに、そんなことできるか」
「ちっ。飢えた竜族の貪欲さは恐ろしいもんがあるな」
疲れたように椅子に座り、茶を煽って飲むと脱力して美しい碧色の瞳を閉じる。
タバサが汗が浮いて前髪が張り付いた額を心配そうに「ねえ、大丈夫なの?」と払うと、途端に薄目を開けて「タバサが抱かせてくれればすぐにでも元気になるんだけどな」などと甘える声を出す。
「心配して損したっ!」
尻へと伸ばされた手をぴしゃりと打ち据えて離れると茶器を片付ける為に去って行く。それを名残惜しそうに眺めて「イヴ、アムを連れて行け」と指示する。
「アム、神殿の場所は分かるな?」
「うん。大丈夫」
「よし、じゃあ行ってこい。俺は少し休んでからじゃないと動けないからな。必ず美羽を連れて戻ってこいよ」
戻る場所はセロ村では無く、黒竜の里だ。
恋焦がれた場所。
ようやく帰れる――だが。
「でも、母さんが」
「なんとかして俺が口説き落とすから、お前は何も心配せずに行ってこい」
「もしかして父さんはタバサさんと二人っきりになりたくて俺達を追い出すつもりじゃないだろうね?」
クスクスと笑いながらアリウムがウィンロウを問い詰めると、父は綺麗に片目を瞑って見せた。
「頑張ってね。父さん」
「お前等もな」
ウィンロウの励ましにイヴリールはしっかりと頷いた。
アリウムと一緒に玄関に立つと母をじっと見つめて「行ってくる」とだけ伝える。
「気を付けて」
タバサが涙目で気丈に笑う。
きっと父が母を里に連れて来てくれると信じているから別れは言わない。
玄関扉を押し開けて今までにないほど力で満たされた身体を駆って空を飛んだ。
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