第12話 迎えは凸凹コンビ


 「帰るぞ」と促して家へ登る道へと足を向けると、美羽が腰を上げて今までの危なげない歩き方とは比べ物にならないぐらいの身軽さで苔の浮いた石を避けながら後に続く。


 ドン臭いと思っていたがそれは目が見えにくかったことが原因だったようで、よく見えるようになった美羽はイヴリールすら追い越して楽しげに歩いて行く。


「本当にすごいね。私裸眼でこんなに良く見えるのは幼稚園以来かも」

「幼稚園?なんだ、それは」


 またしても初めて聞く言葉に首を傾げると「小学校に上がる前に通う所で、そこで遊んだり、勉強したり、歌を歌ったりするんだ」なんて説明してくれたが、またしても小学校という新たな単語に渋面になるとすかさず美羽が説明を始める。


「小学校は七歳になる年から十二歳までの六年間通って計算や読み書き、理科や社会を学んだり、運動したり、歌だけじゃなく楽器を使って演奏したり、絵を描いたり何か作ったりする場所。

その次は中学校で小学校よりも難しい勉強をするんだ。それを卒業したら高校。次は大学か短大か専門学校か、中には就職する人もいるけど。

私たちは物心ついた頃から国によって学ぶことを保証され、そして義務付けられてる。勉強はちっとも楽しくなかったけど、友達と毎日会ってお喋りしたり遊んだりが楽しかったな~」

「なんだってそんなに勉強する必要があるんだ?」


 グリュライトでは読み書きできれば十分で、数を数えられても計算ができない者が多い。


 必要のない技術より生きて行くための知識と技術を優先するし、こちらでは貨幣の概念が無いので計算する必要がないからだ。


 初め貨幣制度という物がグリュライトに無い事を美羽は驚き、欲しい物は持っている者に相談してこちらが持っている別の物と交換してもらう物々交換が主流だと知ると、それだとどちらかがひどく得をして片方が損する場合が多いのではないかと言ってきた。


 確かに取引の間で損得は少なからずあり、足元を見られる場合も無いとは言えないが同じ村や町に住む住民としての信頼や信用があるので生活に困るほどの損はする事は無い。


 あちこちを旅して貴重な品物を交換して回る旅人たちが年に数回訪れるが、そのやり取りの時にさえ気を付けていれば通常の物々交換に関して問題はないのだ。


 話せば話すほど美羽との世界の差が広がりイヴリールはそわそわと落ち着かない気持ちになるが、知らぬままでいるのもひどく不安だったので会話の中で聞いたことの無い言葉が出ると尋ねるようにしている。


「なんでって言われてもなぁ。あんまり深く考えたことないけど、競争社会の中で一般常識とされる知識を身につけていなくちゃバカにされるんだよね」


 小道の一番下に足を乗せて美羽はスカートの裾を汚さないように軽く持ち上げるとゆっくりと上り始める。


 前はそんな仕草をしたことなど無かったのに。


 それはきっと見えていなかったから平気だったのであって、元居た世界では服が汚れることに対して不快に思っていたのかもしれない。


 そういえば毎日身体を洗えないことを知った時の美羽の落胆ぶりと、嫌悪感に顔を顰めたのを思えば本来は綺麗好きなのかもしれなかった。


 随分我慢をさせていたのか。

 それでも美羽はこちらの習慣に文句も言わずに従って、時には楽しんでさえいた。


「後は色んな知識や経験がある事によって、なにか決めなきゃいけない時の判断材料になったり、自分が好きな物や苦手な物を認識しておくことって結構重要だったりするしね。勉強ができるかできないかで評価されることの不満はあったけど、頑張れば伸びる可能性もあるわけだし」

「成程。そういう環境がお前を劣等感まみれのへらへら笑って誤魔化す女にしたんだな」

「へらへらって、ちょっとイヴ」


 非難の目を肩越しに向けて美羽が苦々しい顔をする。

 不満そうだがそれが事実なのだとイヴリールには思えた。


 人は欠点の方が目につきやすいと言ったのは美羽だ。


 他者と比べれば己の悪い部分ばかりが浮かび上がってくるのだから自己嫌悪と劣等感に襲われるのは当然だろう。


 グリュライトの人族は皆勤勉で穏やかだ。

 人と比べるよりも己のできることを一生懸命に磨き、今日も良い日だったと笑顔で眠りにつくことを幸せだと思っている。


 できないことはできる者に頼めばいいのだから、嘆いて落ち込む必要が無い。


「窮屈な場所なんだな。お前の居た所は」

「そうかもね。でも笑顔は人間関係を円滑にするための技術のひとつなんだからね。イヴも私にならって少しは愛想よく笑わないと。イケメンなのに勿体無い。イヴが笑ったら村の女の子はみんなキャーキャー言って村一番のアイドルになれるのに」

「やなこった」


 即答すると美羽が顔いっぱいで顰め面をするので「また見られない顔になってるぞ」と注意するとぷいと前を向いた。


「もう、またそうやって反発する。そんなんだから村の人たちとイヴの間の溝が埋まらないんだよ!」


 大股で坂を上りながらイヴリールと村人の間の事を心配する。

 十三年近くこのセロ村で生活していて溝が深まることはあっても狭まることは無かった。

 そのことを責めるつもりもないし、修復しようと動くこともしなかったのはお互いの為でもある。


「……必要ない。言っただろ。竜族は人族に心の底から忌み嫌われてるって」

「必要ある!だって誤解を解けば村の人たちだって竜族のことやイヴのこと受け入れてくれるかもしれないじゃん」

「いいさ。誤解じゃない。竜族は天災なんだ。いるだけで迷惑かけてるんだから、これ以上面倒起こさないようにしてないといけないんだよ」

「イヴ!」


 上りきった場所で身体を勢いよく反転させて睨み上げてくる美羽の顔には怒りではなく悲しみが浮かんでいた。


 自分ではどうにもできない歯痒さと、それでも良好な関係になって欲しいという希望に色取られた表情がイヴリールの胸の奥をぎゅっと縮ませる。


「いいんだ」


 言い含めるように囁くと美羽は良く見えるようになった瞳で目の前の竜族の男の中にある諦らめに気付いたのか悔しそうに頬を歪めて俯いた。


「そろそろ親父が来る。さっさと帰るぞ」


 通り過ぎる際に細い肩を軽く叩いて家へと歩むと美羽も黙ってついてきた。

 笑ったり、怒ったり、落ち込んだりと忙しい女だが喋らなくなると途端にこちらが不安になる。


「……なんだ?」


 首の後ろがそわそわと騒いで全身に緊張が走った。

 寒くも無いのに鳥肌が一気に立ち、心臓が激しく脈動する。


 上から押し付けられるような圧迫感と、手足を両側から引っ張られるような強烈な違和感に本能が危険を報せていた。


「どうしたの?イヴ」


 不思議そうな暢気な声で問うので苛立ちながら家を指差して叫んだ。


「美羽。家に入ってろ!」

「う、え?あわ、なんで?」

「おい、聞いてんのか!?」


 何故か動揺して固まっている美羽を半眼で睨みながら怒鳴れば「だって、名前。いきなり呼ぶから」などと理由はイヴリールが名前を呼んだからだと言う。


 舌打ちして美羽の肩を押して家に向かって押し出し、更に背中も押して急がせた。


「アムの傍から離れるなよ!」

「え?アムくん?なんで?」

「うるさい。説明している暇は無い」


 アリウムは幼体とはいえ竜族だ。


 生まれてからずっと黒竜の里で生活しているので十分力を蓄えている。

 人族の世界で成体になったイヴリールより余程力は強く、美羽とタバサを護るぐらいはできるだろう。


 悔しいが。


 それにそろそろウィンロウが来るはずで、それまでの時間稼ぎぐらいならできる――と信じたい。


「ほら、速く行け!」


 再度声を張り上げると美羽が頷いて玄関へと走り出す。

 その姿に安堵する前に空から巨大な炎に包まれた男と、大地を揺るがし降り立った男が現れた。


 体の中を駆け巡る不快感が治まるどころか増してゆく。


「見~つけたぁ」


 黄味がかった金色の髪に垂れた緑の瞳をした男は、自分が着地した時の地面の揺れに転んで逃げそこなった美羽を見て楽しげに笑う。

 どこか子どもっぽい表情とのんびりとした口調はそれほど恐怖心を煽られないが、肩幅が広く筋張った体形には無駄な物が一切無い。


「え?喋ってる言葉が分かるってことは、この人も竜族……?」


 目を丸くして地面に座ったまま美羽が突然現れた男二人を見比べて、それから答えを求めてイヴリールを見る。


「中に入ってろっ」


 美羽の前に立ち、もう一度有無を言わせぬ口調で繰り返すと慌てた様子で両手を着いて立ち上がり中腰のままで足を動かそうとするが「うえっ!?なにこれ!足が動かないんだけどっ」と上擦った声を上げた。


「なっ……」


 振り返ると美羽がスカートを少し持ち上げて青い顔でイヴリールを見る。

 怯えた目を向けられて足首を見れば、足の先から甲、そして足首までまるで地面の一部になってしまったかのように一体化していた。


「……地を操る力、黄竜か。となるともう片方は赤竜」

「どういうこと?なんでこんな」

「そりゃあ俺達が迎えに来てやったってのに、逃げようとするからさ」


 炎をそのまま髪にしたかのような癖毛の赤い髪に、黄竜とは逆の吊り目で大きな朱色の瞳の赤竜が肩を竦めて美羽の疑問に答える。

 がっしりとした体格には筋肉が盛り上がり、気さくな喋り方と声とは裏腹に好戦的な印象を与えてきた。


「迎え?もしかして私、帰れるの?」

「そうそう。帰れるさ。まずは自己紹介だな。俺は赤竜のルピナスだ」


 簡単に帰れると返されて美羽の瞳が輝いた。

 赤竜が名乗ると名を覚えようとして「ルピナスさん」と呟くのを聞いたイヴリールの中にチリッとした疼きが走る。


「俺は黄竜のクレマ。なんか馴染のない顔立ちだけど、まあ許容範囲かな」

「きょ……う~ん。そうですか。すみません。見るに耐えない顔で」


 目鼻立ちや体系がはっきりしていているグリュライトの人族に比べて全体的に小さくまとまっていることを勝手に劣等感に変えていた美羽がしなくてもいい謝罪をして項垂れる。


「いや。そこまでは言ってないけどね~。そこまで薄い顔だと逆に一緒に居るうちに味わい深くなると思うし?」

「スルメのような言い方しないで下さい」

「スルメ?なにそれ?美味しいの?食べ物?」


 黄竜クレマの言い方に美羽が微妙な顔をして軽い拒否反応を示したが、その独特の返しに何故か食いついてスルメについて詳しく聞いてくる。


「え、食べ物です。海の生き物で、それを干した物を食べるんですけど噛めば噛むほど味が出てくるお酒のつまみとしてメジャーなやつなんですけど」

「へ~。じゃあ君もそのスルメみたいに美味しいのかなぁ。食べてみたいな~」


 美味い物だと決めつけてクレマが物欲しそうな視線を美羽に注ぐので背中に庇って見えないようにすると、ルピナスがやっとイヴリールに気付いたと言わんばかりの顔で「なんだ、お前?」と低い声で睨んできた。


「なんだとはなんだ。お前等誰の許しを受けてここにいる?村に許可を貰って来たわけじゃないだろ!勝手に入ってきやがって。二度とこの地に来れなくなるぞ!」


 竜族がグリュライトへで伴侶探しをする時は村長や町長に許可を得る必要がある。

 勝手に村や町に入って親の知らぬうちに年頃の娘たちが連れ去られないようにと人族からの要請により古くから定められた取り決めだ。


 それを破ればその土地に竜族は立ち入る権利を失う。


 人族は竜族に比べれば力も体も脆弱だが、集団になった時の恐ろしさと意思の強さは軽く見ることはできない。

 彼らがいなくては繁殖ができない分、竜族も譲歩しなければならないのだ。


 普通は竜族が村を自由に歩き回りたい時は村長の家を最初に訪れ、バダムが許可するか決める。

 そして許可した場合は村中に竜族が来たことが広まって初めて村長の家から出ることができるのだが、赤竜と黄竜が訪問したという事実が知らされている気配は無い。


 もし知らせが来たのならタバサかアリウムが慌てて呼びに来るはずだ。


 しかも種の違う竜族が一緒にセロ村を訪れるなど異例の事で、これ以上の面倒事を嫌がるバダムが彼らに入村の許可を出すとは思えない。


 元々今日はアリウムとウィンロウが来ることを事前に報せている。

 村に四体の竜族が滞在するなど許されることではないだろう。


「別にグリュライトは広いし?この辺の土地に出入りできなくなっても困らないしね。俺はもっと東の方にある土地のおとなしい感じの子の方が好みだしさ」


 セロ村のある地域はどちらかといえば活発で明るい性質の女が多い。

 気が強く、派手な顔立ちが特徴だ。


 クレマの好みの伴侶候補が少ないから、この土地の出入りする権利を失っても構わないと言う。


 だが取り決めを破った種の竜だけが出入りできなくなるわけでは無く、全ての竜族がその辺一帯の出入りができなくなるので迷惑極まりない行為であるのは間違いない。


「俺はどちらかといったらこの地域にいる激しい女の方が好きだから、一応許可貰おうぜとは言ったんだがな。こいつ、聞く耳持たないでやんの」

「赤竜の都合なんかどうでもいいよ。そんなことより重要なのはその異界の子を手に入れることだし」

「おい!竜族の伴侶について“そんなこと”はないだろ」

「細かいこと言わないでよ。赤竜ってもっと大雑把な奴が多いと思ってたけど面倒だな。意外と」

「お前こそ。黄竜は慎重な奴が多いって聞いてたけど、全然っ違う!なんだよその、俺が良ければ他はどうでも?みたいな態度は」


 突然始まったクレマとルピナスの言い争いにイヴリールは頭が痛くなってきた。

 元より竜族がそれぞれ種で別れて生活しているのは縄張りに対しての強い執着があるからだ。


 同色種の中での伴侶の取り合いは禁忌とされているが、他の竜族がその伴侶を見初めた場合は奪い合いの決闘となる。


 相手が降伏するか、死ぬまで続く。

 竜族はひとりしか愛せないので、まず降伏する事はない。


 どちらかが命を落とす。

 そんな激しさを持つ竜族が他の竜族と仲良くできるはずが無いのだ。


「村長に許しを貰って出直して来い!それからさっさとこれ、外せ!」


 いつまでも続きそうな喧嘩にうんざりしながら怒鳴ると、クレマが不思議そうな顔で首を傾げる。


「外せって君は黒竜じゃないの?成体の黒竜ならそれくらいの軽い物なら簡単に外せると思うけど?」

「なに!?こいつも竜族なのか!」

「鈍~い。まあ、確かに成体の割に力が微力だけど。異界の子が言葉を理解できてるからまず間違いないと思うよ」

「黒竜の闇は何でも飲み込むからな。忌々しい事に力も吸い取りやがる。親父たちが黒竜とは戦いたくないってぼやいてたぐらいだ」

「戦うには厄介な相手だよね。確かに」

「そういや噂で黒竜の中に浮気して女に逃げられた奴がいるって聞いたぞ。あれか。お前の母親がその哀れな女か?」


 ルピナスが眉を跳ね上げて気の毒そうな顔をするが、クレマは「浮気するぐらいだからよっぽど気が強くて、束縛も強い女だったんじゃないの~?俺なら御免だな」とにこりと微笑んだ。


 そこに低い声で「ちょっと!」と割り込んだのは美羽だった。


「タバサさんは愛情深くて優しい人なんだから!美人で、働き者で笑顔が素敵な女性で私の憧れなんだからね!それを――」


 ぐいと後ろからイヴリールの腕を押して美羽が怒りに顔を赤くして黄竜にぶつけた。腕にかけられたままの指にぎゅっと力が入ったのに気付く。


「許さないんだから!あんな素敵な人を裏切って浮気する竜族の方がどうかしてる!男は浮気する生き物だってのはただの甘えなんだから!女はね、そんな男の小さいプライドなんか知ったこっちゃないの!タバサさんを悪くいう奴は私が殴って後悔させてやる!だから」


 これ外せっ!と怒り狂う美羽を面白そうに眺めるルピナスと、目を丸くしているクレマの間でイヴリールは笑い出しそうになる自分を懸命に堪えていた。


 ずっと迎えが来るのを待っていたはずなのに、その相手がタバサを悪く言えば逆上して食ってかかるとは。


 それだけ美羽と母との間には情と信頼が存在しているのだ。


 迎えを怒らせて帰れなくなるかもしれないと、その頭の中には思い浮かんでもいないのか。


 いや。

 イヴリール達よりも高度な学を持っている美羽がその事に気付かないはずが無い。


 だがそれすら上回る怒りに我を忘れているのだ。


「ちょっと!イヴなに笑ってんの!?タバサさんの悪口聞いて笑うなんて信じらんないんですけどっ!」


 笑いを堪えているのに気付かれて矛先がこちらへ向いてきた。


「お前が代わりに全部言ってくれたからな」

「ちゃんと怒れ!ばかっ。イヴのお母さんは私がここで出会った中で一番温かくて、美人で魅力的な人なんだから」


 またしてもぽかりと拳が降ってきて肘を殴る。

 一度では飽き足らず二度三度と叩かれるがそれがなんだか心地よくてそのままにしておく。


「なんか、もしかしてもう決まっちちゃった感じ?」


 クレマが横に立つルピナスを窺うが、赤竜は憮然とした顔で美羽とイヴリールの様子を見ていた。

 応えない赤竜を諦めて黄竜はゆっくりと美羽に近づくと「ごめんね」と跪き、拘束している足に触れるようにさっと手を払う。


 がっちりと同化していた土がさらさらと砂に変わり、美羽はほっとして足を動かして靴の上の砂を振って落とした。


「俺が見た限りではまだ二人は深い仲じゃないと思うんだけど……どう?」

「お前なにをっ」


 狼狽えたのはイヴリールだけだった。

 美羽はきょとんとした顔でクレマの言葉を聞き、そして苦笑して「そんなんじゃないよ。私とイヴは」と平然と答えた。


「じゃあまだ俺達に可能性もあるってことだね~。よかったね、赤竜」

「……まあな。そこでだ。あんたはどうしてここに来たのか理由を知りたくはないか?そして帰る方法も当然知りたいだろ?」

「そりゃ、知りたいです」


 タバサについて失礼な発言をしたクレマとは違い、同情的な態度を示したルピナスには美羽も素直で丁寧な言葉を使った。


「あんたは竜の巫女に選ばれてこの世界へ来た。悪いが帰る方法は巫女しか知らない。だから俺達はあんたを迎えに来たんだ。巫女の居る神殿に連れて行くために」

「竜の巫女。その人に会えば私帰れるんですか?」

「すぐには無理だろうが、帰る為の方法や詳しい説明は巫女がしてくれる。あんたの為にも早い方がいいだろう?」

「でも……」


 迷っている美羽の腕を引いてイヴリールは「親父が来てから決めても問題は無い」と主張する。


「そうだよね」


 頷きかけた美羽を止めたのはクレマだった。


「どっちにしろ巫女にしか帰る方法は分からないんだよ?黒竜の親父さんが来ても君は結局巫女の力に縋るしかないんだ。俺達と行く方が問題解決は早いと思うけど」

「黙れ!」

「イヴ」


 拳に力を入れて握った所で美羽が名を呼んだ。

 その決意に溢れた声から赤竜と黄竜について行こうと決めたのだと知る。


「一緒に行くつもりじゃないだろうな?」


 非難を込めて問えば美羽はへらりと笑って「ごめん」と謝る。

 今会ったばかりの竜族を信じて共に行く事を決めたことを呪い、考え直せと強引に思いを押し付けたい気持ちを押え込む。


「聞かなきゃ前に進めない。帰る方法がとんでもなく難しいことだったりしたら諦めなきゃならないし、希望があるならそれが欲しいんだ」


 見上げてくる黒い瞳を覗き込むとイヴリールはもう何も言えなくなった。

 帰りたいと思っている美羽を自分の身勝手な想いで邪魔することはできない。


 帰る為の協力を惜しまないと約束した。

 ならばここで引き止めることはそれに反するのだと無理矢理納得させた。


「それにこれを機会に竜族について学んで、イヴと村の人たちの誤解が解けるように人族を代表して交流してくるよ。ま、人族代表って言っても異世界の人間だから代表なんておこがましいのかもしれないけど」


 今度は眩しいほどの笑顔を向けて美羽は「ちょっと行ってくる」と別れを告げる。


「気を、付けてな」


 かなり時間をかけて言葉を搾り出す。


「うん、ありがとう。私がいない間イヴの仕事が増えちゃうけど、大丈夫?」

「元々全部俺がやってた仕事だ。問題ない」

「そっか。そうだよね。私がいなくても大丈夫だよね」


 自嘲気味な声にそうではないと言いたいが、それを言うにはまだイヴリールの中で気持の整理がついていない。


「じゃあ、後はよろしくね」

「心配しなくても途中で落っことしたりしないからさ」

「当たり前だろ」


 クレマがのほほんと言うのでギロリと睨むと、赤竜が手を伸ばして美羽の身体を引き寄せたのが目の端に映る。

 途端にジリジリと胸を焦がす気持ち悪さに翻弄されていると「一月も一緒に居て手を出してない君が悪いよ」とクレマの揶揄で更に燃え上がる。


「嫉妬するぐらいならグズグズせずやることやってればあの子と一緒に来れたかもしれないのにね」

「お前等、どうして二体で来た?しかも黄竜と赤竜で。もしかして神殿には他にも」


 ルピナスが美羽を抱えたまま炎を纏って飛び上がったのを確認してクレマは意地の悪い笑みを浮かべた。


「六つの竜族が揃ってるよ。あの子を待ってる」

「何故だ?何が起きてる?」

「それこそ親父さんに聞きなよ。じゃあね」

「待てっ!」


 制止の声等聞こえなかったような顔で地を蹴り黄竜は空を駆け、黄色の軌跡を残して青い空へと吸い込まれて行った。


 あのまま美羽を行かせてよかったのかという思いが渦巻いて、吐き気がするほどに気分が悪い。


「本当に、これで良かったのか?」


 考えれば考えるほど愚かな選択をしたようで不安になった。

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