第11話 祝福は羞恥プレイ
タバサが昼食に用意したのはパンの間に切れ目を入れて、ゆでた卵とジャリングとカタンを塩で和えたサンドイッチという物だった。
これは美羽の世界での食べ物で簡単ながら美味しいとタバサが気に入って良く作る料理のひとつだ。
初めて食べたアリウムも喜んで黙々と手を伸ばして食べていた。
「アムは素直で真っ直ぐに育ったわね」
小さな赤い果実が長いヘタで二つくっついているチェリを洗ってから出すと、それもすぐさま手を着けて「美味しい!」と歓声を上げる。
「きっとルテアさんの育て方が良かったんだわ。うちのイヴも一緒に育ててもらえばこんなに可愛らしい息子に育ったかもしれないわね」
「俺は母さんと親父の子だから、アムみたいな性格になれるわけないだろ」
じっとりと責めるような視線に顔をしかめてイヴリールはチェリを掴んで口に放りこむ。
アリウムの母であるルテアには会ったことが無いが、アリウムを見ていると穏やかで可愛らしい女性なのだろうなと想像はつく。
気の強いタバサとは真逆で。
それがまたウィンロウの言い訳をできなくさせている。
似ていたから惹かれたとは口が裂けても言えない。
では何故なのかイヴリールは子どもだったので理由など教えてもらえず、母は父の言い分を聞いたのかもしれないがそれでも里を出たのだからルテアに走った訳は到底許せる物では無かったのかもしれない。
「アムくんはイヴとはお母さんが違うんだね」
「そう。でも父さんは一緒だから義理でも兄弟は兄弟だし」
「うん?そういえば前にイヴから竜族はひとりの人しか愛せないようにできてるって聞いたけど、その時に例外があるって、もしかして」
舌打ちしてイヴは顔を背ける。
覚えていなくても良い事をいちいち覚えているその記憶力を別のことに回して欲しいものだ。
「あー、なんか微妙な話しみたいだからこれ以上はやめておこうかな」
察して美羽はあははと笑い、タバサを見て更にへらへらと笑う。
母親が違うと言う内容の会話はグリュライトの言葉を使っていないのでタバサには分らないはずだが、様子からなにを話していたのか理解したようで困ったように苦笑いする。
「イヴの父親であるウィンは竜族の風上にも置けない女好きだから気を付けてね」
「えっと、はい。でもウィンさん、私、女見ない。大丈夫」
「そんなことないわよ!ムーはとっても、ちゃみんぐ?だから」
一緒に居る時間が長くなるにつれて、美羽の使う言葉を面白がってタバサも使うようになっていた。
お互いを理解したいと思う気持ちの表れなので微笑ましくはあるが、あまり仲良くなり過ぎれば別れの際に辛くなる。
美羽が笑って訂正した。
「チャーミング、です」
「そう、それそれ、ちゃーみんぐ」
「タバサさん、チャーミング。私大好き」
「ありがとう。ムーみたいな子は誰からも好かれるんだから、自信持って」
「自信、難しい。私可愛くない。糸紡ぎできない。機織りできない。誰も選ばない、ここでは私、余所者」
首を大きく振り弱々しく俯く姿にタバサが慌てて「そんなことないわよ」と肩を抱く。
元気の無くなった美羽を励ますように背中を擦ってチェリの実を目の前に置いた。
甘くて美味しい物を食べれば機嫌が直ると思われているので、やはり子ども扱いされているのは否めない。だが美羽はのろのろと手を伸べてヘタを摘まむと口に小さな果実を銜える。
「美味しい」
何故かポロリと涙を零した美羽を見てタバサは焦り、紺色のスカーフを巻いた頭をそっと抱き寄せて「大丈夫よ」と呼びかけた。
大体が笑って誤魔化す図太い神経の持ち主の癖に、自分自身対する劣等感が人一倍強い美羽はそれを他人に気取られることを嫌うかのように明るく振る舞う。
今まで何度か泣きそうな状況に陥ったことがあったが、美羽はそれでも涙を見せたことが無かった。
それなのに何故今なのか。
「……畑と家畜の世話ができて、家事が最低限こなせるくせに何が不満なんだ」
「イヴ」
涙の理由が分からずに苛立っているイヴリールには母の窘める声など聞こえない。
立ち上がりタバサの腕の中から無理矢理引き剥がして顔を見ると、途方に暮れた目から涙が溢れて流れた。
「俺より村の連中に受け入れられてるくせに何が余所者だ!甘えんな!」
「うー!甘えてなんか、ないよ!」
掴まれた肩を動かして逃れようとしながら反発する美羽の眉間に皺が寄っている。
最近ではそこに力が入っていなくても皺が残っているのを本人は知っているのだろうか。
「糸を紡げなくても、機が織れなくても問題ないだろ!自信が持てないのは自分の所為だ。そして可愛くないのも、ここに!」
皺に指を当ててぐりぐりと擦り「力が入ってるからだろうが!」と指摘する。
「やだ!痛い!」
泣きじゃくりながらイヴリールの手を払い除けようと悲鳴を上げた時、微かな電流が流れて腕が痺れた。
びくりと右腕が跳ねたので他の三人も異変に気付く。
その現象に一番驚いたのは自分自身。
「え……?なに?どうしたの?イヴ、大丈夫?私そんなに馬鹿力だった?」
自分の所為だと慌てた美羽の目からは涙は消え、青い顔で心配そうに手を伸ばしてくる。傷だらけの指が触れる前にイヴリールは離れて「大丈夫だ、なんでもない」と横を向く。
「でもっ」
「ムー、大丈夫よ。なんでもないから。大体女の子に乱暴するイヴが悪いの」
「そうだよ、美羽さんは悪くない。イヴ兄ちゃんが意地悪するからきっと罰が当たったんだよ」
「……悪かったな」
謝罪して自分の席に戻ると頬杖をついて床を眺める。
タバサが食器を片づけ始めたので美羽も手伝おうと立ち上がるとアリウムが「美羽さん」と呼び止めた。
「タバサさんと話してる時に気付いたんだけど、言葉片言なんだね」
「うん。そう。まだ難しくて、上手く喋れないんだ」
「どうしてイヴ兄ちゃんに話せるようにしてもらわないの?」
「え?どういう意味か分かんないんだけど……」
「アム!余計なこと言うな」
アリウムがイヴリールになにをさせようとしているのか気付いて睨むが、弟は邪気の無い顔の下に強かさを隠して微笑むと無視し美羽に座るように勧めた。
「でも」
片づけを手伝わなくてはとタバサを窺う美羽に「働かざる者食うべからずだろ。さっさと行けよ」と促すが、アリウムが先手を打ってタバサに「美羽さん借りるね」と申告してしまう。
タバサが軽い口調で了解するので美羽はイヴリールの顔色を見ながらも渋々腰を下ろした。
「俺達竜族は人族に祝福って言う特別な力を授けることができるんだ。たった一回だけだけどね」
「祝福?」
「そう。なんでも一個だけ叶えてあげられる。あ、美羽さんが元の世界に帰りたいってのとか、死んだ人を蘇らせてってのは無理だけど。例えば言葉が分かるようになるとか、寿命を延ばすとか、見た目が美人になるとか」
「……なんでもいいの?」
おそるおそる聞き返す美羽にアリウムは力強く頷く。
なんでも叶うと言われて瞳に一瞬浮かんだ希望の光が、その次の瞬間には消え失せて美羽はやっぱりいいやと苦笑する。
「そんな都合のいい話に乗っかって、またイヴに迷惑かけちゃうかもしれないし」
「兄ちゃんには迷惑かからないと思うよ?祝福を与えたからって兄ちゃんが損するわけでもないし」
アリウムが熱心に言えば言うほど美羽の顔には諦めと失望が色濃く出てくる。
「美羽さん。イヴ兄ちゃんにお願いして祝福してもらいなよ。ね?」
「んー。もしイヴが損しないような力なら、きっと私にさっさと分け与えて喋れるようにしてくれたと思う。言葉が分からなくてイヴは面倒臭かった筈なのに、簡単に力を授けるよりも地道な方法を選んだってことは、その祝福は誰にでも与えていいものじゃないってことでしょ?それぐらい分かる」
銀色の柔らかな髪に手を伸べて撫でてから、美羽は悲しそうに微笑んでごめんねとアリウムに謝った。
「アムくんが私のこと心配して一生懸命考えてくれたのに。でも私これでも片言のコミュニケーション結構楽しんでるから」
「……本当に俺が成体になってたら祝福でもなんでもしてあげたのに」
眉を下げて悔しそうに唇を噛むアリウムの言葉に嘘偽りは無かった。
今もし髪の色が黒くなったとしたら、すぐにでも美羽にその力を与えることを躊躇わないだろう。
イヴリールは先程痺れた右腕を擦って美羽を睨むように強く見る。
「おい。もし叶うなら何を願うつもりだった?言葉か?容姿か?」
純粋に興味があった。
自分にコンプレックスを多く抱えている美羽が何を望むのか。
その内容によっては軽蔑しそうだが、あの一瞬の希望の光の元を知りたいと強く思った。
「言葉は今勉強中だし、容姿はもう諦めてるからさ。私が今一番困ってるのは、視力だから目が見えるようになりたいなって思ったんだけど。これも帰れたらコンタクトや眼鏡があるからそこまで重要じゃないかなーなんて」
「目が見えるようにって、美羽さん目不自由なの?」
「あ、見えないんじゃなくて見えにくいの。こう、ぼんやりしててアムくんの顔も近づけないと良く見えないから」
「病気……なの?」
聞いて良い事なのかと恐る恐る尋ねたアリウムに美羽が「違う、違う!」と急いで否定する。
あちらの世界では色々な要素があり、目を使いすぎ視力が落ちる人が多いらしい。
その為に眼鏡やコンタクトという見える力を補助する道具が発達しているのだと教えられ病気では無かったのかとアリウムと一緒にほっとする。
「遠くのものが見えにくくて近くの物は見えるから近視って言うんだけど。助けも無く見えたら良いなってくらいのことだから、気にしないで」
両手を振って美羽はタバサの手伝いに行こうと再び腰を上げる。
横を擦り抜けて行こうとした腕を掴んで「……してやる」と口から出た声は自分でも驚くほど小さくて舌打ちする。
「なに?イヴ」
「してやるって言ったんだ」
「それって……つまり、例の祝福ってやつ?うえっ、だからいらないって言った!見えたら良いなって思うけど、そんな軽い願いを叶えてもらう資格が私には無いでしょ!?私迷惑かけてばっかりで、何ひとつ恩返しできてないのに」
「アムが言っただろ。俺が損する事は何ひとつない。気にする必要は無い」
「だめだめ!タダより高い物は無いって、私の世界では言うの!うまい話には裏があるって、これも各国共通の認識だから!」
あわあわと慌てふためく美羽の手を掴んだまま立ち上がり、その手を引いて玄関へと向かう。
アリウムが「行ってらっしゃい。邪魔はしないから安心して」と笑顔で送り出してくれた。
「ちょ、ちょっと。どこに行くの?」
「どうせなら目が見えた時、綺麗な景色の方がいいだろ」
イヴリールは川へと向かう小道へ入り「滑るから気をつけろ」と注意してゆっくりと歩いて行く。
目の悪い美羽には川へと近づくのを禁止していたので、清らかな音を立てて流れる音と空気を感じたのかほんのりと顔を綻ばせた。
匂いを嗅ぐように目を細めて少し上を向いた美羽は「良い匂い。気持ちいい」とほっと息を吐く。
「座れ」
腰かけるのに丁度良い石の上に座らせると、何をされるのかと緊張した顔になる。
目の前に立ったイヴリールを見上げるが良く見えていないのだろう、また皺を寄せるので掌で目元を覆う。
「ちょっと、見えない」
「いいか、なにをされてもじっとしてろ。動くなよ」
「や、あのね。大丈夫だから。このままで」
「うるさい」
里を出て人族の世界で育ったイヴリールに授けることができるのは、ほんのささやかな祝福だけだろう。
言葉を竜族と同じように変換したり、見える力を取り戻すぐらいならばきっと可能な範囲。
病気で見えなくなったとか、全く見えないとかならば難しいだろうが健康な目を元通りに見えるようにするのはできるはずだ。
問題は拒絶されるかもしれないという事だけ。
だからじっとして受け入れてくれれば直ぐに済む。
「目を閉じてろ」
「本気なの……?」
「お前もう、黙ってろ」
そうすれば美羽が望んでいる物は手に入るから。
掌を除けるとおとなしく目蓋を閉じてじっとしているので、イヴリールの緊張が頂点を極める。
意識しなくても心臓が激しく脈打っているのが解り、あまりの喧しさに動揺が増す。
大丈夫だ。
落ち着け。
息を吸ってから空を仰ぐと木々に切り取られた美しい青空が広がっていた。
白い雲が流れて、木々の緑が鮮やかだ。
川を流れる美しく澄んだ水と肥沃な土と苔の浮かんだ白い石、滑りやすい坂になっている家へと続く小道。
そして折り重なる木の幹の向こうに見える小さな家。
世界はこんなに美しく、色づいている。
その景色を美羽にも見て欲しいと切に願う。
だから。
こめかみを両側から掌で押えて固定して、イヴリールはそっと緩やかな曲線を描く目蓋の上に唇を落とした。
薄い瞼の向こうで驚いたのか眼球が動く。
睫毛の縁をなぞる様に舌を添わせると我慢できなくなったのか美羽が「ちょっ、イヴ止めて!」と叫んだ。
「痛っ!」
舌に激痛が走り脳天まで突き抜ける。
口を押えて膝を着くと予想以上の拒絶にイヴリールは震えた。
さっきの比じゃない。
痛み以上に拒絶されたという事実が精神的に衝撃を与え、打ちのめされる。
「なにを!一体なにを考えてんのよ!こんなことして、なんのつもりでっ」
怒りなのか羞恥なのか顔を真っ赤にして蹲るイヴリールを見下ろす。
問い詰められても今は喋ることができない。
舌は麻痺して、酷い痛みで血の味が広がっている。
頭が揺れていて、吐き気がするほどだ。
「ばかにしてんの?私の希望を聞いてそれを叶えるふりをしてからかって。そんなことして一体なにが楽しいのよ!」
ぽかりと美羽の拳が肩を打つ。
そのか弱さに苦しくなり、そして悲しくなる。
ばかにしてもいないし、からかってもいない。
真実目が見えるようになればと願っているのに。
「何か言いなさいよ!ばか、ばか!本当にイヴは紳士じゃないんだから!」
もう一度ぽかりと拳が振り下ろされた。
その手をとらえてゆっくりと顔を上げると美羽が「なによ!やるの?」と好戦的な目を向けてくる。
それをじっと見つめ返すと美羽の方が怯んで、目を泳がせると何かに気付いた様に辺りを見回し始めた。
「え?ちょと、なに?片方だけ見えるんだけど、これって、さっきの?」
「…………何をされても、じっとしてろって言ったはずだ」
痛む舌を動かして立ち上がり水際に寄り水を掬って口を濯いだ。
吐き出した水が赤くなっていたので中か舌のどこかが切れているのだろう。
「ご、ごめん。だってまさか、あんなことされるとは思ってなかったから」
俯いた美羽の耳が赤くなっている。
イヴリールは口元を拭ってから美羽の前に立つと、できるだけ優しく頬に手を添えて顔を上げさせる。
「う、えっと。もう一回?」
「当然だ」
「あれ、他に方法無いの?」
「無い」
「って、どんな羞恥プレイなのよ!勘弁して」
「片方見えてる方が生活し辛いだろ。少し我慢しろ」
しばらくあうあう言っていたが諦めて腹を括り美羽は目を閉じて少し上を向いた。
また拒まれるかもしれないと恐怖したが、次は何をされるか分かっていて目を閉じ身を委ねているのだからと心を落ち着かせて再び目蓋に口づけた。
びくりと美羽の身体が跳ねて強張るが、堪えて両拳を腿の上に押し付けている。
震える睫毛の先をゆっくりと舌先で辿れば美羽の顔は真っ赤に染まり、喉の奥の方で何やら呻いていた。
唇を離そうとした時に目についた眉間の皺にも優しく口づけてから名残惜しい気持ちで身を起こす。
「ふわあああ!もう、だめだ。心臓止まるかと、いや、心臓が爆発するかと!」
悶えながら頭を抱えて膝の上に倒れ込む。
恥ずかしがってなかなか顔を上げない美羽に痺れを切らして「ちゃんと見えるようになったか確認しろ」とスカーフを掴んで引っ張った。
「ちょっと!止めてよ。これ外したら裸を見られたのと同じ事だって教えたくれたのイヴだよね!?」
「いいから見てみろ」
抗議しながらスカーフを押えている美羽に周りを見るように勧めた。
言われるがまま視線を動かしてまず正面に流れる川の煌めく水面を。
そして太い幹が広げる枝葉の緑。
澄みきった青い空と白い雲。
河原に転がる白い石と湿った土の色。
水分が含まれた土と葉で滑りやすい坂道と、その向こうに見える生活の基礎である我が家。
「ああ……すごい。こんなに色に溢れた、素敵な所だったんだね」
素直な感想にイヴリールは苦笑する。
きっとどんなに言葉を尽くしても実際に目の前に広がる景色の美しさを表す事は出来ない。
「イヴ。ありがとう」
眉間に皺を寄せない晴やかな顔で笑むと美羽は心からの感謝を伝えてきた。
なんだか照れくさくて「別に」と答えると美羽がしげしげと顔を見つめてくる。
不躾な視線に顔を顰めれば「イヴってイケメンだったんだねー……」と驚かれた。
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