第10話 アイデンティティとコンプレックス



「兄ちゃん!イヴ兄ちゃん!」


 まるで小さな犬のように転がりながら走ってくる姿に目を細める。近づいてくるとイヴリールを親しげに兄と呼ぶ少年が随分と大きくなっている事に気付いて驚いた。


 光を受けて銀色に輝く柔らかな髪と空の青さを映したような大きな瞳、そして笑みを形作る形の良い唇にうっすらと赤い頬。


 前に会ったのは五年前だったからアリウムが八歳くらいだったはずで、それは大きくなるはずだと苦笑いした。


「兄ちゃん、俺鱗全部剥げたよ!」


 そのままの勢いで抱きついてきたアリウムを受け止めると嬉しそうに自分の成長を報告する。


 竜族の子どは生まれながら背中に鱗を持っている。


 その状態は幼体と言われ銀色に輝くその鱗は大きくなるごとに剥がれ落ち、それが全て剥がれ髪が種族ごとの色に変わったら成体したと認められるのだ。


 つまりアリウムは鱗が無くなったので成体へあと少しという所まで成長しているということ。


「後は髪が黒くなるのを待つだけだな。アムに銀の髪は似合ってるから勿体無いけど」


 みぞおち辺りにあるアリウムの頭を撫でながら惜しんでいるとぱっと顔を上げて空色の瞳に剣呑な色を浮かべ「俺ははやく兄ちゃんや父さんみたいな黒い髪になりたいよ!」と頬を膨らませるがその仕草全てが愛らしい。


「今日はアムだけか?」

「今はね。父さんは後から来るって。久しぶりに会うからタバサさんに贈り物を用意したり、身だしなみに気を付けてるみたい」


 クスクスと笑ってアリウムがイヴリールから離れると森への道へと歩き始める。

 父とアリウムとの合流地点は村から北にずれた場所で、更に村から距離のある場所に決めていた。


 なるべく竜族である父とアリウムが村に近づかないようにと配慮してのことだが、逆に森の中の小屋には近くなり小道を進むと畑に出ることができる。


「兄ちゃんが父さんに助言を求めるなんて珍しいから、父さん何を言われるんだろうってびくびくしてたよ?」


 母親違いの弟であるアリウムは、イヴリールが父を嫌っている理由を知りながらも屈託のない笑顔と言葉で懐いてくれる。

 だからこそウィンロウとの間に子をもうけて黒竜の里に住んでいるアリウムの母であるルテアや義理の弟を憎めず、全ての負の感情を父に向けるしかなかった。


「できれば頼りたくは無かったけど、俺には解決できないし。別の世界への接点についてなんて親父ぐらいにしか聞けないしな」

「別の世界への接点?どうしてそんなことを知りたいの?」


 見えてきた畑を前にイヴリールは後ろから肩を掴んで止め、怪訝そうに振り返るアリウムと自分の口に人差し指を当てる。静かにするように警告してから視線を畑の方へと向けた。


 つられるように畑を覗き込むようにして眺めるアリウムにもトミュの葉と茎に群がる虫を退治するべく奮闘している美羽の姿が見えただろう。


「誰?もしかしてイヴ兄ちゃんの伴侶?」

「ばか。違う」

「じゃあどうしてタバサさん以外の女の人が家にいるの?ああ!もしかしてタバサさん再婚しちゃった?新しい子どもができたの?」


 アリウムにすら子どもだと認識された美羽が哀れではあったが、会わずにいた五年の間に再婚して子どもができたのなら美羽程の大きさの子を作るのは不可能である。


 そんなことは口にしたアリウムも分かっているようで「さすがに違うよね」と苦笑いした。


「母さんは俺がいる間は誰とも添えないさ。それに再婚したところで子どもを産めないのは知ってるだろ」


 人族の出産も命がけだと聞くが、異種間の竜族の子を孕んで産んだ女の身体は次の妊娠をすることができなくなる。

 それは竜族の子だけでなく人族との間にも当てはまるのだ。


 そうまでして己の子を産んでくれた女を竜族の雄は大切にし、我が子よりも妻を優先し溺愛する。


 竜族の子など放っておいても勝手に大きくなるんだからと、イヴリールは父の腕に抱かれ記憶どころか寝かしつけてもらった覚えも無い。


 逆にタバサの愛情を奪う子憎たらしい存在だとあからさまに邪険にされたこともあった。


 その都度タバサに叱られて家から叩き出されていたが。


「それであの人は?」


 小声でアリウムが美羽のことを尋ねて来るので、森の奥へと少し戻ってからイヴリールは説明した。


 村の森に突然現れた奇妙な姿の女で、名前は美羽。

 家に居たはずが気付いたらこの森にいたのだと主張していること。

 喋っている言葉はどうもここグリュライトの物ではないようで、本人がこの世界とは全く別の場所から来たんだと思うと告げたことも話す。


 そして帰りたがっていることも。


「それで別の世界への接点について知りたいのか」

「繋がっているのならそれを超えることはできるだろ?そもそも接点が無ければ美羽がここへ来ることはできないから、知られていなくても他の異界へと繋がる接点はあるんだろうし」

「異界かぁ。あの人本当に別の世界から来たの?」


 疑っているというよりも確認したがっているアリウムにそうだと思うと伝えると、弟は少し困ったような顔で首を左へと傾けた。

 話すべきかどうか悩んでいるようで、ちらりとイヴリールを見上げると観念したかのように口を開く。


「兄ちゃん。あの人、美羽?美羽は多分竜の巫女に選ばれた人だと思う。一月前に竜族の間で巫女が異界から選んだ女性を連れてきたって噂が流れたから。そのせいでみんな落ち着きなくて、里はピリピリしてるし。噂が流れた割にはその女の人がどの竜族の里にもいないって言ってたから誤報なのかと思ってたけど。

まさかこんな所にいるとはね」


 自分の知らないことをぺらぺらと話し始めた弟にイヴリールは戸惑いながらも必死で理解しようと質問する。


「竜の巫女に選ばれた?なんだそれ」

「そっか。イヴ兄ちゃんは五つまでしか里に居なかったから知らないんだね」


 イアリウムは優しく微笑んで頷き、今度は竜の巫女について説明をしてくれた。


「竜の巫女は異界の女性と竜族との間に産まれる唯一の雌竜のことだよ。接点の無い異界へと行く事の出来る力を持っていて、占いや神託を行う尊い存在なんだ。今の巫女は白竜の里で生まれて生活しているから俺も会ったことは無いけど、随分お年を召しているらしい。だからこそ次の巫女を迎える為に異界へと渡って候補を見つけて来たらしいんだけど」

「それが美羽?」

「多分ね」


 確信を込めた”多分”にイヴリールはほんの少しだけほっとする。


「じゃあその竜の巫女に会って頼めば、美羽は帰れるんだな?」

「んー。そうは上手く行かないみたいだけどね」


 眉を片方上げて言葉を濁したアリウムを見ると弱り果てたかのように肩を落とす。

 その仕草がまたしても愛らしくイヴリールはいつまでも怖い顔をしていられない。


「じゃあ、あいつは二度と帰れないのか?」

「…………帰れるよ。でも役目を果たしてからじゃなきゃ戻れないって聞いてる。俺はまだ成体じゃないから詳しく内容は教えてもらえてないんだ。だから後は父さんに聞いてよ」


 帰れないわけでは無いと聞いて安心する反面、果たさなければならない役目とはなんだと胸騒ぎもする。


 訳も解らず連れて来られて、役目を果たさなければ帰さないとはどういうことなんだと腹も立つ。


 だが父に助けを求めたのは無駄ではなかったのだと言い聞かせ、アリウムを促してイヴリールは畑へと向かった。


 わざと大きな音を立てて茂みを掻き分けると美羽が顔を上げて「イヴ?」と確認してくるので、少し後ろにいたアリウムの背中を押して前に出した。

 目を瞬かせて美羽は手をエプロンで拭いながら慎重に歩を進めて畑の縁まで歩いてくる。


「紹介してやる。俺の弟のアリウムだ」

「弟?イヴに弟がいたなんて初耳なんだけど」


 そりゃ言ってないからなと呟くと美羽は顔を顰める。だがにこりと微笑んだアリウムと視線がぼんやり合ったところでぽかんと目も口も丸くした。


「こんにちは。美羽さん。俺のことはアムって呼んでくれると嬉しいな」


  無邪気な笑顔のアリウムに美羽がびくりと驚いて一歩下がりかけ、なにやら思い直して眉間に皺を寄せて顔を近づけようとする。


「やめろ!見られん顔が更に見るに耐えん顔になるって言ってんだろうが!」

「や!だって。こんな美少年なかなかお目にかかれないんだからね!せめてよく見ておかないと後で絶対後悔するし!」


 弟の後ろから手を伸ばして額をぐっと押し退け怒鳴ると美羽はそれでもアリウムに近づこうとするので弟を背中に庇った。


 当のアリウムはグリュライトの女とは違った異界の女に興味を持ったようで笑いながら「おもしろいね、美羽さんは」と受け入れる。


「また!私を美羽って呼んでくれた!嬉しい、アムくん。よろしくね。いや~天使のようなってのはアムくんみたいな子のことをいうのね。眼福、眼福」

「大袈裟だな。美羽さんは」


 ふふふと笑い声をあげたアリウムを前に美羽は蕩けるような顔で大喜びする。


「また、美羽って!もう、なんか大安売りの大バーゲンって感じだけど、私飢えてるからどんどん呼んでよ!アムくん可愛すぎる!!」

「名前呼んだだけで感激されるなんて初めてだけど……兄ちゃんは美羽さんのこと名前で呼ばないの?」

「そう!おいとかお前とかしか呼んでくれなくて。村の人たちは美羽って発音しにくいみたいでムーとかミュウって呼ばれてるから」


 だから飢えているのですと両手を伸ばしてアリウムの白い頬を左右から挟み込んで美羽は微笑んだ。覗き込むように顔を近づけて愛らしい顔を堪能した後、突然ぎゅっと胸に頭を抱き締めた。


「うわわっ。美羽さ~ん?」

「いいな~。綺麗な銀髪に白い頬。滑々のお肌。天使のように愛らしい顔。聞いていて和む美しい声。アムくんは将来有望株。ジャニーズも夢じゃないよ」


 美羽の胸に顔を埋めてよしよしと頭を撫でられているアリウムの表情は見えないが、困っていようと喜んでいようとなんだかおもしろくない。

 苛々と湧き上がってくる感情に任せて美羽の肩をぐいと押す。


「いい加減にしろ!これ以上弟を籠絡するなら、家から叩き出してやる!」

「ええっ!そりゃ困る。私他に行く所ないのに」


 慌ててアリウムを解放して離れた美羽は自分の行動が行き過ぎたことを反省して素直に頭を下げた。


「ごめんなさい。ちょっとテンション上がり過ぎました」

「本当に節操ないな。見られん顔してる上に見境ないとか有り得ん」

「いや、ちょっと言わせてもらえますか?コンプレックスはアイデンティティーの一部であり、人は完璧な生き物ではないので長所のみで形成されてはいないんですよ!」


 むっとした顔で何故か興奮を押えた声で反論してくる内容は到底理解できる物では無かった。更に言い募ろうと口を開いた美羽の言葉を「やめろ。意味不明だ」とバッサリと斬り捨てる。


「なによー。言葉が分かるんなら意味も分かれよ!」


 不貞腐れながらもコンプレックスとは欠点や劣等感のことで、アイデンティティーは自分自身、つまり自己のことだと言う。


 分かったような、分からないような。


「つまりお前の自己は通常の人族よりも欠点の方が多く、長所は少ないって自覚はあると」

「ちょっと、最初に言ったでしょ。私は平凡を地で行く女だって。これが普通なの。欠点の方が見つけやすくて目立つんだから仕方ないの。イヴが私の良い所を見つけられないだけなんだから」

「良い所?図太い神経と誰とでも直ぐ馴染む所ぐらいじゃないか?」

「ぐっ。反論できない」


 悔しそうにしながら美羽は会話を止めて仕事へと戻るのか赤い実がなるトミュの元へと歩き出す。


「そんなことないよ。美羽さん可愛いし、面白いし。俺が成体になったら婚姻を申し込んでも良いぐらいに魅力的だよ」


 本気か冗談かアリウムが裏の無い様な笑顔で美羽の後ろ姿に声をかけた。


 ぎょっとしたのはイヴリールだけでは無く、美羽も驚いて転びそうになり辛うじて堪えた後で戸惑いの顔を向けた。


「ちょ、ちょっと。アムくん。お姉さんをからかっては駄目よ。ここに来てから私子ども扱いされることが多いけど、本当は成人した大人だし、アムくんよりずっと年上なんだからね?」

「分かってるよ。本当に残念だな。美羽さんが後一年遅くこっちに来てたらよかったのに。その頃には俺成体になってるはずだから立候補できたのになー」


 残念と繰り返してアリウムはイヴリールに意味深な笑みを見せてから「タバサさんに挨拶してくる」と駆けて行く。


「……なんかイヴとは違って愛くるしくて、ちょっとびっくりした。冗談でもあんな可愛い子に結婚してもいいって言われて私年甲斐も無くドキドキしちゃったよ」


 あははと乾いた笑い声をたてて美羽はトミュの虫取りを再開する。

 掌に収まるほどに成長した実はまだ青いが、太陽の光を浴びてつるりとした表面を光らせていた。


 意味ありげなアリウムの発言と笑顔に治まったはずの胸騒ぎが再び襲う。

 なにかが起こる。


 その予感は確実な物として未来で待っているのを感じる。


 それは美羽が望んだことで、イヴリールとタバサも戻る為の協力は惜しまないと約束した。


 だからこそ。

 これは通らねばならぬ道なのだと奮い立たせてアリウムを追って家へと戻った。

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