第9話 覗きとジョーと強盗と


 家の扉が開く音がして暖炉の火を見ていたイヴリールは顔を上げて「お帰り」と迎えた。


 一緒に村の川に水浴びに行ったはずの美羽を連れていないタバサに首を傾げると、母は微妙な顔をして先に戻っていて欲しいと頼まれたのだと答える。


「随分暖かくなってきたから水が気持ちいいのでゆっくりしたいって言って」

「のんびりしてたら日が暮れる」

「そう言ったんだけど、暗くなる前には帰るからって……」


 浮かない顔をしているのでタバサも随分引き下がって声をかけたのだろうが、頑なに美羽が独りにして欲しいと頼んだに違いない。


「あいつ、ほんとに世話の焼ける」


 目が見えにくい癖にひとりで薄暗い森の道を歩いて帰るつもりか。


 舌打ちをして立ち上がるとタバサと入れ替わりで外へ出ると空は青さを薄れさせて太陽の光も柔らかくなっていた。


 足早に森を行き、見えてきた村の入り口を超えて中央の広場まで出るとそこから左側へと進路を取る。

 木の柵で木戸が作られそこには“本日女性限定日”と記された板がかけられていた。


 その前で立ち止まり美羽が出てくるのを待つ。


「イヴ?どうしたの、珍しい」

「……お前か」


 水浴びを済ませたローラが林の中の道を歩いて来て木戸を挟んで向き合う。

 村の川は日替わりで男女が入れ替わって使用する。


 川の傍に着替えの為の小屋が建っており、ぐるりと周囲を高い塀で覆われていて女が安心して水に浸かり汚れを落とすことができるのは村の川だけだ。


 イヴリールはわざわざここを使わなくても家の傍の川で済ませられるが、タバサと美羽はそうはいかないので村まで足を運んで水を使っている。


「あー」

「言わなくても分かるわよ。あの女を心配して来たんでしょ?本当に過保護ね」


 顔の右側半分を歪めてローラが川の方へと視線を向けた。

 汚れた衣類を洗った物を籠に入れて下げている幼馴染は清潔な服に身を包んでいる。


「暗い顔して川に浸かってる姿を見てたら鬱陶しいを通り過ぎて哀れになって来たわよ。いつもは私がきつい言葉を投げると、気持ち悪い顔で笑ったり下手くそな片言で喋ってくるのに。今日は一言も返してこなかった。なんかあったの?」


 洗い髪の赤毛がくるくると巻いて耳元にかかっているローラはどことなく艶っぽい。白い肌がほんのりと赤らんでいるのにもつい目が行ってしまう辺り、イヴリールも男なのだと自覚する。


「イヴ?聞いてるの?あの女、どうしたのよ?」

「え?ああ。悪い。今まで見ないようにしてた問題をこれ以上そのままにはできないってことに気付いて焦ってんだ。小父さんから聞いてるだろ?あいつがこの世界じゃない別の世界から来たって」


 ローラはまあねと頷いてから肩を竦める。


「信じられないけど、あんな恥ずかしい格好してても平気だって感覚の人族がこのグリュライトにいるとは思えないし」

「あいつは帰りたがってる。家族が心配してるはずなのに、こっちで暢気に生活している自分が許せないんだ。待ってたって迎えは来ないから、帰る為の努力を怠ったら本当に帰れなくなるって怯えてる」

「それで、あの暗さなのね」


 目を伏せてため息を吐くと、深く同情した顔を上げてイヴリールを見上げる。

 視線が合うとにこっと微笑んで木戸に手をかけて出てきた。


「帰りたくても帰れないなんて私には想像もできないわ。きっと辛くて、寂しくて、不安なんだと思う。あの女の気持ちが分かるのはきっとイヴだけだわ」

「お前」

「気づかないと思う方が馬鹿よ。イヴはいつも西の空を睨んで、そして恋焦がれて見てた。セロ村に来てからずっとね。私は傍でずっとイヴを見てきたから分かる」


 黒竜の里へ戻りたいと思っていても、口にしたことは一度も無い。

 そんなことを言えば母を裏切ることになり、そして父を慕っているのだと思われてしまう。


 だからそっと胸にしまって今まで生きて来たのに。

 ローラに見抜かれていたとは。


「言っとくけど、諦めたわけじゃないからね」


 手を伸ばして木戸に掛けられた札を引っくり返し“使用禁止”にしてローラは手を振って歩き出す。


「おい」

「多分あの様子じゃ、中まで迎えに行って怒鳴りつけないと出てこないと思うわよ」

「中までって!」

「塀の外から呼べば~?」


 事も無げに応えてさっさと帰って行く背中を為す術も無く見送って、悩んだ挙句西の空を見て紫色が滲み始めたのを確認すると決心して木戸を押して入った。


 妙に軋んだ音を立てて戸が閉まり、イヴリールは戸惑いながらも進む。

 誰かに見られでもしたら女の水浴びを覗きに行っていると騒がれてしまう。


 ローラに嗾けられてとんでもないことをしているのかもしれないと動揺する一方で、美羽の事を快く思っていないはずの幼馴染が迎えに行ってやれと同情するほど落ち込んでいるのかと心配でじっとしていられない。


「面倒ばっかりだ」


 愚痴をこぼしながら、どうしても放っておけなくて心がぐちゃぐちゃに掻き乱されていく。


 きっとローラが言ったように美羽の心情や状況に同情し、本当の意味で分かってやれるのはイヴリールだけだから。

 気になってしまうのだ。


 林の中は随分薄暗くなっていた。

 川から出るように急がせて家に帰らねばタバサが心配する。


 目の前に板塀と小屋が見えてきた。手早く済ませて帰ろうと速度を上げようとした時、塀の前に人の気配と言葉を交わす小さな声に気付いて歩を止めた。


 人影は五つ。


 薄暗くてもイヴリールの視界はくっきりとその姿を映しだす。


「────なにやってんだっ」

「「うわっ!」」


 飛び上がって悲鳴を上げたのは二人。

 驚きすぎて声が出なかったのが一人。

 動じなかったのが二人。


「なんだ?イヴも覗きに来たのか?」


 陽気な声で動じなかった一人である五人の中で一番年長の男、ジョーが華やかな顔に笑みを浮かべてイヴリールを見る。


 歓迎するように両手を広げるので「ばかかっ!」と怒鳴ると少年の域を出ない悲鳴を上げた片割れが「声が大きいよ!」と小さく叫んで慌てる。


「女に不自由してない奴がなに覗きなんてやってんだっ」

「イヴこそばかだな~」


 爽やかだと女が騒いでいる声と笑顔でジョーは嘆く。

 イヴリールの愚かさを。


 何故ばかだと言われねばならないのかと腹を立てていると「女には不自由してなくても、異国の女の裸には興味があるんだよ」さらりと口にされた言葉に頭の中が真っ白になった。


「ちょっと、ジョー。イヴの気持ちを考えて、もう少し言い方を変えてあげないと」


 柔和な顔に申し訳なさを張り付けた、動じなかったもう一人に腕を伸ばしその首に巻きつけてぐいっと引き寄せた。


 髪に服に染みついた薬草の匂い。


「あろうことかグリッドまでいるとは!お前、紳士はどうした!?」

「落ち着いてよ。イヴ。おれだって男なんだからさ」

「そうだ、そうだ!少し覗くくらいいいだろ」

「お前等!」


 覗きを正当化させようとしている若い男達を見渡して、イヴリールは怒りを爆発させた。


「異国の女だろうがついてるもんは同じもんだ!村の女を覗けば問題になるからって、美羽を覗こうってその精神が醜いぞ!俺に覗いていたと吹聴されたくなかったらさっさと帰れ!!」

「「「ひいっ!」」」


 恐れ戦いて若い少年達は年長組を残して逃げて行った。

 地に足がついていない不安定な走り方で、途中で何度も足を縺れさせ転びそうになりながらも必死で駆ける。


「……可哀相に。竜族が本気で怒れば人族は怯えるさ。イヴ手加減してやれよ~」


 ジョーがイヴリールを責めるように見るので、構わずに空いている方の手を伸ばしてその胸元を掴むと引き寄せた。「ちょっと!勘弁。俺は男には興味ないからさ」と尚も軽い口調で宥めようとする。


「俺にもあるわけないだろっ!」

「ぐわっ、痛ぇ!」


 首を反らしてから思い切りよくジョーの形の良い額に向けて頭を振り下ろす。両手で額を押えて蹲るジョーを見て、グリッドが流石にまずいと察して真面目な顔をして「ごめん。悪ふざけが過ぎた」と早々に謝ってきた。


「まったく、お前等大概にしろよ。いつまでガキみたいなことしてんだ」

「そうは言うけどよ~。ああ、痛い。くそっ、加減しろよ。俺に何かあったら泣く女が沢山いるんだからなー」


 涙目で痛みを堪えているジョーが下から視線を上げて訴える。

 それを鼻で笑って流してグリッドの首から手を離す。


「泣く女が山ほどいるのなら覗きなんてするな!それこそ嫌われて、捨てられるぞ」

「だからただの好奇心だって。イヴが妬かなくても、俺は村と隣町に可愛い子が待っててくれるから心配しなくても大丈夫だし」

「誰が!妬くか!」

「そこは妬いてあげなよ」

「グリッド!お前、何言って」


 軽口ばかりのジョーを相手にするのも精神的にきついのに、まさかグリッドまで一緒になって弄ってくるとは。


「ミュウのこと放っておけないって顔に書いてあるよ?なんだかんだで仲良さそうだしさ。村の女の子の半分はイヴを取られちゃったって泣いてたり、悔しがってるくらいイヴが相手にミュウを選ぶってみんなが思ってるよ」

「そうそう。さっきだって、『異国の女でもついてるものは同じだ!』って言ったのを聞くと、もうそういう仲になってるんだなって俺思っちゃったし~?」

「そういう意味じゃなく、常識の範囲での意見だ!」


 そろそろ血管が切れそうだ。

 なにを言っても面白がってからかってくる。


「まあまあ、落ち着いて」

「誰が怒らせてんだ!」

「いちいち感情を乱して怒るってことは、イヴは真剣にミュウのことを考えてるってことなんじゃないのか?」


 ジョーがにやりと笑って立ち上がり額を擦って村の方へと歩き出す。言いたい事を言って満足した顔で去って行くジョーにイライラを抑えられずに舌打ちする。


 華やかな見た目と笑顔で女を虜にする男はイヴリールとグリッドより二つ年上で、相手は幾らでもいるのに世帯を持とうとはしない。


 ひとりの女に決めるのが勿体無いからだと嘯いているが、ジョーが初恋の女性を忘れられないのだと噂で聞いたことがあった。


 決して本気にならないと決めているのに、寂しいから女を求める。


 そんな男を女たちは何故か優しく受け入れて、捨てられても文句を言わず次の相手がジョーを本気にさせてくれればと願うのだ。


「ダメ男なのに、女はジョーに甘い」

「ジョーは欠点だらけだけど、純粋で女心を擽るのが巧いから」


 くすくすと笑ってグリッドも歩き出す。

 気付けば空は薄闇を連れて月の姿も見えている。


 足元が暗くて不確かになるのを心配して「気をつけろよ」と声をかければ、グリッドは立ち止まりこちらを振り返った。


「イヴ。ローラも泣いてたよ。他の子と同じように」


 グリッドの声には非難が混じっていた。

 それなのに優しげな面には見ている方が辛くなるような悲しい笑みを浮かべて。


「そんなこと」


 言われてもイヴリールにはどうしようもない。

 目の前で泣かれたわけでもないので慰めることも、言い訳することもできない。


 謝罪するのもまた違う。


「ただ、知っていて欲しくて」


 イヴリールの戸惑いを感じてグリッドは自嘲気味に笑うと手を振って立ち去っていく。友人の気落ちした後ろ姿をじっと眺めていると小屋の方から扉が開く音が聞こえた。

 のろのろと顔を向けると美羽がビクリと身体を竦ませて、眉間に皺を刻んで目を細める。「あの、えと誰ですか?」とたどたどしいグリュライトの言葉が小さな唇から零れイヴリールはゆっくりと呼吸を整えた。


「遅い。どれだけ川に浸かってたんだ。ふやけて更に見られない顔になるぞ」

「ふえ?イヴ?さっき、外で男の人の声がしてたから、もしかして強盗かと……」

「強盗が恐かったらさっさと出てこい!こんなに暗くなって、どうやって帰るつもりだったんだ」

「もちろん歩いて帰る、つもりだったけど」


 他に方法はないじゃんと美羽が怪訝そうな顔をするので、近づいて抱えていた籠を引っ手繰る。


「ちょっと、それ中に下着も入ってるんだから返して!」


 洗った衣服が入っているので慌てて伸ばされた美羽の手を躱して歩き出す。しばらくは返せ返せとうるさかったが、無視しているとやがて諦めたようだった。


「……心配してた」

「へ?」


 木戸を抜け村へ向かう道へと入ったところでぽつりと呟くと背後で間の抜けた声が上がる。

 なんだか照れくさくて「ローラが」と続けた。


「う、なんだ。ローラさん?そういえば川で一緒だったから。心配してくれるなんてローラさん優しいね。いつも私に声かけてくれるし、『なにやってんのよ!』って怒りながら教えてくれたり、手伝ってくれるんだよ。彼女、いい子だよね」


 へらりと笑って美羽が歩調を速くして追いつきイヴリールの横を歩き始める。

 洗ったまま拭いていないのか、ぽたぽたと毛先から水滴を垂れて肩をじわりと濡らしていた。


「お前なんで拭いて出てこないんだ」

「え?だって、外で男の人の言い争うような声が聞こえたから恐くなって。慌てて川から上がってよく拭かずに着替えちゃったから。さすがに裸で強盗と行きあうのはいやだなって思ってさ。そういえばイヴ誰と喋ってたの?」


 村の若い連中が五人覗こうとしていたとは言えないので黙っていると、美羽が「もしかして」と胡乱な顔をする。


 ばれたのかと身構えたが「脅かして私が飛び出してくるのを笑ってやろうって思ってたんでしょ!」と見当違いの答えに脱力する。他に言い訳が見つからなかったので曖昧に頷くと唇を尖らせて「趣味悪い」と文句を言われた。


 いつもならもっとぎゃいぎゃい言ってくるのに、それっきり口を閉ざしてしまったのでやはり気分は落ち込んでいるんだろう。


 美羽の気持ちが分かると言ってもどう言葉をかけてやればいいのか。

 結局見つけられずにただ黙って並んで歩く。


 森の入り口に着くと不意に美羽が立ち止まり息を飲んだ。

 見慣れたはずの道が雰囲気を変えて暗闇の中へと吸い込まれているように見えたからだろう。


「ほら」


 左手を差し出して促すと激しく動揺して、掴むべきか悩んで手を出したり引っ込めたりしているので面倒臭くなりこっちから動いて掴んでやる。


「お前の目じゃ見えないだろ」

「え!?」


 美羽は自分の目がよく見えないのだと誰にも言っていない。

 タバサにも、イヴリールにも。


 理由は分からないが、言わないということは知られたくないのだろうから。


「俺は黒竜だからどんなに暗くてもはっきり見えるんだよ。羨ましいか?」


 だから知らないふりをする。


 美羽が目を瞬いて眉を寄せ「また竜族の特殊能力?どんだけ便利なんだか」と不満げに呟いて顔を背けた。


 明らかにほっとしている様子の美羽にイヴリールはため息を吐く。

 繋いだ手の指が冷たくて、こんなになるぐらい川に浸かっていたのかと呆れた。


 そしてその冷たさを感じることができないぐらいに落ち込み考え込んでいたのだと思うと、己の無力さに打ちのめされそうで胸が痛んだ。

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