第8話 うらしまたろう伝説と世界共通の認識
厄介者が現れ、振り回され続けてから早い物で光の月から火の月の半ば辺りになり、陽射しが強く照り始めている。
最近ではたどたどしい言葉を使いながらタバサと村へ行く事も多くなり、それなりに村人たちと仲良くなってきているようだ。
“働かざる者食うべからず“と言っていた通り怪我の癒えた頃から猛然と、幽鬼にでも憑りつかれた様な勢いでてきぱきと仕事をするようになった。
来た頃は真っ白く綺麗な指をしていたが、最近では進んで畑仕事を手伝うので爪の間や指に泥や野菜の灰汁が入り込んで取れなくなっているが本人は全く気にしていない様子。
汗を拭いながらご満悦の表情で働く姿は頼もしくもあり、また逞しくもあった。
糸の紡ぎ方や織物の織り方をタバサが教えたが、そっちの方の才能はないらしくすぐに飽きて自分は身体を動かして働く方があっていると申し出たので、無理して貴重な糸を使い物にでき無くされるよりもと畑仕事と家畜の世話をしてもらっている。
お陰でイヴリールは水汲みを終えたら狩りに専念できるので食卓に肉が出る事が多くなり、食べきれない分は村に行って必要な物と交換することで前よりも快適な生活を送れるようになっていた。
タバサも家事を美羽と分担できるので手が空く時間が多くなり、糸を紡いだり機織りをしたりと充実した日々を送れると満足していて。
結果迷惑極まりない厄介者が生活を支える者に姿を変え、なんだかんだで騒がしいが楽しいのはちょっと不本意だったりもする。
今日も森で罠にかかった小振りの猪を担いで村へと足を踏み入れると、中央にある広場で子どもたちが集まりわいわいと騒いでいた。
何事かと近づくと子でもの中心に美羽がいたので黙って見守る。
「助けた亀、連れて行かれた。海の中、お城で綺麗なねえちゃんと楽しい。タイやヒラメが躍る、ワカメゆらゆら」
歌う様な節をつけて切れ切れに語りながら美羽は地面に枝を使って何かを描いている。
丸い形に線が四本突き出た物の上に人らしきものが乗っているのは辛うじて分かったが、綺麗なねえちゃんとやらは丸が三つ重なっているだけで判別ができない状態だ。
タイやヒラメと言いながら鳥の嘴のような物を二つくっつけた奇怪な物を描いたので、それがそのタイやヒラメという生き物の事なのだろう。
「三年経ってもう帰るよ、帰らないで。残念。これ贈り物、忘れないでわたしの事。開けちゃだめ。絶対。さよなら大好きな人」
新たに箱のような物を描いて美羽が泣くふりをして手を振る。
描くのは下手くそだが、なりきっている様子は迫真で子どもたちは皆引き込まれているようだ。
「うらしまたろう戻った。みんな知らない。七百年経ってた。びっくりして、たろう箱開けるよ。寂しい。ねえちゃん会いたいって。したら――なんと!」
「どうなったの~?」
「ミュウ教えて!」
子どもが先をせがむのを待っていた美羽がにたりと笑って「じじいなった!あっという間に!」両手を広げて最期を語ると子どもたちが目を丸くして「なんでー!」「どうして~?」を連呼した。
「分からん。おしまい。めでたし、めでたし」
しゃがんでいた姿勢から立ち上がって腰を叩く美羽にわっと子どもが抱きついて、別の話もしてくれと頼みこむ。
「もう終わり。わたし帰る」
「いいじゃん。もう少し!」
「ミュウ!お願い」
娯楽の少ない村の子どもたちは余所から来た美羽の語る不思議な話を聞きたがる。単語を繋ぎ合わせて喋る美羽の言葉は聞き取り辛いはずなのに、夢中になって耳をそばだてて聞き入る姿が微笑ましくもあるが懸念も抱く。
「お前等。こんな所で遊んでていいのか?家の仕事はどうした?」
「うわっ!イヴだ」
「逃げろっ」
子どもとはいえどこの家でも大切な働き手である。
それが美羽の話を聞くために広場に集まって遊んでいては親に怒られ、いらぬ誤解から疎まれてしまう。
イヴリールが現れたことで子どもたちは慌てて散り散りに逃げて行く。
今は美羽がひとりで村に行っても村人たちは概ね温かく受け入れてくれている。だからこそ嫌われるようなことになって欲しくなかった。
「イヴ、もしかしてずっと見てたの?」
慌てて地面を靴底で擦って消しながら美羽が気まずそうに尋ねてくる。
猪を担ぎ直しながら「まあな」と答えると青くなった、
「それなら声をかけてよ!」
「あんな下手くそな喋りでよくガキどもが喜ぶもんだ」
率直な感想を述べると美羽は怒らずに微笑んで、どこか誇らしげに胸を反らす。
「下手くそかもしれないけど、ちゃんと通じてるから。それが嬉しくてねだられるたびに知ってる昔話を喋っちゃうんだけどね」
「なんだったんだ?今日のあの亀がどうとか、綺麗なねえちゃんがどうとかって」
「うっ!だって綺麗なねえちゃんって言うしかなかったんだもん!乙姫様って言ったら子どもたちが聞き取れないって言うから」
今度は赤くなり懸命に反論するが語尾が小さくなっていく。
知っている言葉が少ない中で必死に代わりの言葉をひねり出したのだろう。
どうやら綺麗なねえちゃん(乙姫様という名らしい)の所に亀を伴ってうらしまたろうなる者が竜宮城を訪れるという内容で、三年も楽しんだ後で家に帰ると言い出した奴に贈り物まで持たせて帰してくれたらしい。
しかも帰ったはずがそのうらしまたろうを知る者はいなくなり、七百年も経っていたという相変わらずの理解不能な展開の上、乙姫様恋しさに箱を開けたらば爺になっていたという話だった。
一体なにが面白いのか。
「海の世界と陸では流れてる時間が違うって設定なんだよ。これは日本のお話なんだけど似たような話が外国にもあって、妖精の国へ誘われて数日過ごして戻ったら同じように数年経っていたっていうしね。意外と各国共通の認識なんだよ。別世界では時の流れが違うのは――って、ちょっと待って!」
美羽が突然イヴリールの腕を掴んで乱暴に引っ張った。
そうされると担いでいた猪が肩から落ちそうになり「おい!」と注意するが、血走った目で睨み上げてくるので閉口する。
「もしかしてここもそうなの!?有り得るよね?十分!?もしそうなら私が帰ったら数年、もしくは数十年経ってるってこと?」
上擦った声に美羽が何を恐れているのかを覚る。
さっきの昔話のように三年で七百年も過ぎていたということが現実として有り得るのだとしたら、美羽は元の世界に戻ったとしても拠り所を失ってしまう。
家族も仕事も友人も。
「今まで考えたことも無かった……。仕事は首になっただろうから諦めてたけど、お母さんやお父さんきっと心配して探してくれてるのに。私は暢気に暮らしてて」
「落ち着け」
「嫌だ、できない。帰らなきゃ、直ぐに。そのうち帰れる方法見つかるかなとか問題を先送りにしてたけどそんなんじゃ駄目!見つけなきゃ!動かなきゃ!」
今にも走り出して行きそうな勢いの美羽の腕を捕まえて、なんとか思いとどまらせようと言葉を探す。
「闇雲に動いた所で帰る方法が見つかるのか?焦っても意味ないだろ」
「あるよ!あるに決まってる。待ってたって迎えは来ないんだから、帰る為の努力を怠ったら本当に帰れなくなるよ!」
泣きそうな声で必死に訴えるその黒い瞳を覗き込んで「美羽。落ち着け」と呼びかけた。
名前を呼ばれてびくりと固まると美羽の顔から表情が消える。
頭に巻くスカーフの意味を教えた時に違う世界なのだと途方に暮れ、自分がここにいる理由が分からずに絶望し恐怖していたあの夜以来美羽が弱音を吐く事は無かった。
いつもへらへらと笑って楽しそうに暮らしていたから大丈夫なんだと勝手に思っていた。
美羽はこの世界よりも元の世界を望み帰りたがっていたのに。
当然だ。
イヴリールが黒竜の国へと帰りたがっている以上に美羽は切実に故郷を求めている。
もしかしたら二度と帰れないかもしれない。
そう思いながらも奇跡を信じて帰郷できる日を待ち望んでいるのだ。
胸がズキリと痛む。
「帰りたいか?」
問えば「当たり前じゃない」と顔を歪めて答える。
それならばどうして必死になってここの言葉を覚えたのだ。
何故無防備な笑顔でタバサとイヴリールだけだった暮らしの中に入り込んできた。
なんで村人と子どもたちと楽しそうに交流する。
いずれ去るはずの場所で心を通わせる必要が何処にあるのだ。
「イヴ?」
怪訝そうな顔から目を反らして腕を放す。
胸に渦巻いている美羽への謂れなき批判を口にすればひどく傷つけるもので。
憤りを抱くほどに自分の中にこの奇妙な女の存在が大きくなっていることが苦しくて憎い。
「親父に聞いてやる」
「親父って、イヴのお父さん?」
「だからおとなしく待ってろ」
竜族はグリュライトへと接点を越えてやって来る能力を持つ。
もしかしたらその接点が美羽の世界とも通じていれば帰る事は可能かもしれないと考えてはいた。
ただそれを確認するのが面倒で美羽も困っていないようだからと決めつけてイヴリールはそれ以上の行動を起こすのを控えた。
努力を怠ったのは美羽ではない。
イヴリールなのだ。
「イヴのお父さんって、いないのかと思ってた」
「……いなけりゃよかったさ」
吐き捨てたイヴリールの背中を美羽が力一杯殴って「そんな事言わないの!」と怒鳴りつける。
自分は会いたくても会えないんだから贅沢を言うなと涙目で訴えられたら頭を掻いて黙るしかない。
「とにかく黒竜の里にいるから連絡してみるさ」
「なにか、分かるかな?」
「期待すんなよ!」
念押ししてからイヴリールは村長の家へと足を向ける。
狩った獲物の処遇に困った時はバダムの所に持って行けばそこで引き取ってくれることになっていた。
前もって必要な生活必需品を伝えておき、村長が革を剥いで肉にして必要な物と引き換えに村人に渡す。
次に行った時にバダムからイヴリールがそれを引きとるという手筈だ。
もちろんバダムは引き換えても残る肉と、寒い冬には必要不可欠な毛皮を手に入れる事ができるので損する事は無い。
肩越しにちらりと見やると美羽はゆっくりと森の方へと歩いて行く。
ここでの暮らしに馴染んで不自由なく全てが回っているのに美羽は満足していないのだ。
父であるウィンロウに連絡をするのは簡単だ。
だがタバサがなんと言うか。
「きっとあいつの為なら母さんはそうしてやりなさいって言うんだろうな」
反対して欲しいと思いながら、簡単にタバサが同意してくれるのが分かって虚しくなる。
母とて美羽がいなくなるのを喜ぶより悲しむはずなのに。
猪を揺すり上げるとその重みが疲れを冗長させ無性に腹が立ったが、それすらも直ぐに霧散して焦燥のみが残り倦怠感を纏わせて歩いた。
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