3章:明日は来る
大祐に頼んで、今日は一緒に登校してもらうことになった。
やっぱり1人は不安だし心細いのだ。
教室に入ると、すでに3分の1くらいの生徒が登校していた。
「おはよう」
私はクラス替えをしてから行動を共にしていた優花に、心配をかけてしまったことを謝った。
優花とは、中1の時も同じクラスだった。でもその時は、こんなに一緒にいる仲では無かった。
「ううん、もう大丈夫?」
私が心配をかけてしまったのに、逆に謝ってきた彼女にどういう反応をすればいいか分からないでいると、隣から冷たい言葉が降ってきた。
「え、お前発表が嫌で出て行ったんじゃないの?」
発表とは、一昨日あった自己紹介の事だろう。確かに私は教室から出て行った。
でも決して「逃げた」わけじゃない。
「…なんでそんな事言うの?」
心に刺さったトゲに気づかれないように平然を装う。
声が少し上擦ったかもしれない。
私に冷たい声を浴びせてきたのはー七星だった。
彼は鼻で笑った後、どこかに行ってしまった。私もトボトボと自分の席に戻った。
優花の存在なんてもう頭に無かった。
頭の中では黒い感情が渦巻いていた。
なんで…なんでそんな事言うの?まさか、みんなも、普通に話してた優花にまでそんな風に思われているの?面倒くさいから逃げた、って。
私は逃げないって誓った。笑人に。そしてー自分に。
でも誰か1人にでも「逃げた」と思われたらダメなのだ。
笑人を悲しませてしまう。笑人が幻滅してしまうかも知れない。
こんなに弱い人間なんだ、って。
私は、1時間目の身体測定が終わった後、教室から逃げ出した。
クラスのサッカー部の男子に視力検査の時、笑われたような気がした。
みんなが私を見て笑っている、私の心を殺そうとしてくる、そんな気がした。
誰も味方はいない。辛いと言うことも出来ない。
もう知らない。私は私の人生を呪ってやる。そうやって生きる。
そうすれば、もう誰も傷つかない。嫌な思いもしない。
私は今、小さな個室にいる。ここが私の逃げ場だ。
机に突っ伏して、泣く。ひたすら泣いた。狂ったように泣き叫んだ。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー」
この世界には私しかいない。
「そんなに泣かないでよ」
スッと頭に手が置かれた、ような気がした。
私はビクッと肩を震わせて顔を上げた。
そこには、笑人の幻想がいた。この世にはもう存在しないもの。
驚きすぎて、涙はすっかり止まっていた。
「なんでここにいるの…?」
「なんでって、心配したからだよ」
そうだ。私は教室から逃げ出したんだ。一昨日の笑人の幻想は、私の席の通路を挟んで隣の席に現れた。だから今日も、私が逃げ出したことに気づいてたんだ。
「え、今授業中でしょ?」
「うん。そうだけど、俺はもう死んでるから関係ないよ」
自分で言ってるし…。え、ということは、笑人は…。
「自分で死んでることに気づいてるの?」
「まあね。だってみんなは俺のこと見えてないじゃん」
いや、一昨日の自己紹介の時、みんなは笑人を見て笑っていた。
そこで私は、ある1つの結論に辿り着いた。
「もしかして、笑人が見えてるのって私だけなの?」
私は笑人の目を見つめる。彼は微笑みながら「半分正解」と答えた。
「半分ってことは、間違ってるところもあるってこと?」
「まあ、そうなるね」
さっきからハッキリしないな。何を隠してるの?
「あ、じゃあそろそろ消えるね」
笑人はそう言うと、部屋の死角に隠れた。
私が追おうとした時、部屋のドアがガチャっと音を立てた。
私が慌てて座ったタイミングで、担任の宇野先生が部屋に入ってきた。
「遅くなってゴメンね。どうしたの?」
私はすぐに反応出来なかった。さっきの出来事が強烈すぎたのだ。
「いえ、泣き疲れただけです」
咄嗟に嘘をつく。でもさっきまで泣いていたのは本当だ。
「あ、それでね。この後、修学旅行の班決めがあって…」
先生は椅子に座ると同時に話し始めた。かなり急いでいるみたいだ。
数分話して、全て優花と同じ班にするということで話がついた。
私は、体操服のままになっていた服を、宇野先生が部屋から出てすぐに着替えた。
しばらく袋に入れて放置していた制服は、かなり冷たくなっていた。
ー私の今の心の温度を表していた。
「来てくれてありがとう」
次の授業の時間、私の逃げ場に修学旅行で同じ班になった女子3人が集まった。
みんなで行きたい場所を提案するというのが、この時間の目的らしい。
「一緒にパソコン見よ」
隣に座っている優花に促され、パソコン上に浮かぶ、お好み焼き屋のグルメを眺める。
「私、キャベツ嫌いなの」
「じゃあ、キャベツなしのお好み焼き屋を探そう」
私達はクスクス笑い合いながら、パソコンを操作しあう。
次第にここが教室ではないと安心したらしく、偶然同じ班になっていた茉莉が
「茉莉さ、みんな『ちゃん』で呼んじゃうんだよね」と修学旅行に関係のない話をし出した。
「まあ、癖とか呼びやすい呼びにくいとかもあるしね」
私はすかさずフォローを入れた。
「どー? どれくらい進んだー?」
しばらくして部屋に宇野先生が入ってきた。私達は、さっきまで話していたことを隠さずに話した。
「なんだ。そんなこと話してたの」
「そうなんですよー」
「まあ、好きに呼べばいいよ。本人が嫌がってない呼び方なら」
話しは決着した。すると宇野先生が私に向かって何やら話し始めた。
「どうする? 教室に戻る?」
私は、1時間目からずっとここにいる。今さら戻るのには抵抗がある。
「大丈夫だよ。みんな優しいし」
栞が紙をまとめながら、私に言う。
「ここにいても全然大丈夫だけど」
本当はここにいたい気持ちがある。でも逃げるのも嫌だ。
「はい、分かりました」
私は、優花や茉莉、そして栞を信じることにした。
「じゃあ、みんな戻ろう」
私達は、小声で話しながら薄暗い廊下を歩いたー。
賑やかな教室に戻り、何とかチャイムがなるまで教室にいることが出来た。
結局、ほとんどというか、全くというほど何も決まらなかった。
これからお昼の時間だ。何もお腹に入らない気しかしないのだが。
「いただきます」
私は、あいさつだけ合わせると、机に突っ伏した。
今の教室の空気に私はついていけない。あわせる事も出来ない。
「大丈夫か?」
ふと前から、男子の声が聞こえた。
顔を上げると面白い男子、景がこちらを見ていた。
「大丈夫じゃない…」私は掠れ声で答える。
「お弁当食べれそうにないから、いるんだったらあげる」
ついでにそう付け足して、私は再び机に突っ伏した。
「保健室行けば?」
また幻想の笑人の声がする。保健室とかそういう問題じゃないのに。
私はなんとか顔を上げ、目の前のお弁当袋を開けて、中身に手を付けた。
お昼休みは、4時間目の途中までいた逃げ場で時間を潰し、5時間目は息を殺すように席でじっと耐えることにした。
幸いなことに、体育館で行われている部活動紹介に出る3年生が多く、教室に残っている生徒は少なかった。
そして、この時間にやるべきことは「3年生で頑張りたいこと」の作文を書くことだ。
頑張るも何も、私がこの年に頑張ることは1つしかない。
「人間関係」私はそのテーマについて、去年の経験を踏まえながら、みっちり仕上げた。
出来れば、3年生は卒業までずっと学校に通えたら。そんな淡い願いを心の片隅で唱えながらー。
「今日、一緒に帰らない?」
授業が終わった放課後、宇野先生と話すために、教卓の側に行った時の出来事。
普段はあまり話さないが、保育園が一緒で、中学3年間ずっと同じクラスだった向日葵に話しかけらた。
今はそんな気分じゃないのを知ってるはずなのに。まさか気分でとか?
「いや、今日はちょっとダメ」
私はそっけなく返答し、その場を離れた。
「じゃあ、光羽。あの部屋に行こう!」
宇野先生がすぐに私の元へ来た。私は逃げるように教室から去った。
家に帰ると、疲弊した体が悲鳴を上げていた。
明日も学校を休もうと決めた時、七星の顔が浮かんだ。
今日、私にデリカシーの無いことを口走った彼。
宇野先生が昼休み、私が逃げ場で時間を潰していた時、七星に私が傷ついている事を話しに行ってくれた。
彼はわざと言ったわけではなく、思った事を口走ってしまっただけみたいだ。
七星も過去、悪者にされたり理不尽な目にあった経験があるのだという。
人は見た目だけでは、何も分からない。
いつもヘラヘラしている七星が、過去に辛い思いをした事があって、それを今でも忘れられないでいた。
笑人だってそうだ。優しくて穏やかなのに、本当は死ぬ未来しか来ない病気と必死に闘っていた。
みんな何かを抱えて、だからみんな色んな性格で、色んな個性を持った人になるんだ。
同じ人なんて、この世に1人もいない。だから人間は面白いんだ。
明日は休むけど、来週は学校に行こう。私はそう決めた。
※ ※ ※ ※
「なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの!」
私は起きた瞬間から、絶叫していた。
今日は日曜日。明日からも学校に行こうと思っていたのだが、今の私はパニックを起こしていた。
「もう二度と学校になんか行かない!」
私は声の限り叫んだ。おばあちゃんはさっきから無視を貫いている。
衝動的に自分の部屋にあった洋服や小物、雑貨、本などをスーツケースやボストンバックに詰め込んだ。
リビングが私の物で溢れかえった。もう何もかも忘れて、遠くへ消えてしまいたい。
ー遡ること、2日前。
私は、今日休むことを宇野先生にメールした。ついでに「昨日書いた作文を廊下に貼り出さないで下さい」とのお申し付けも込で。
これはワガママなんかじゃない。先生のためでもあるのだ、と自分に言い聞かせた。
すると、夜。宇野先生からメールが来た。
『この前言ってた地理の課題、井納先生が説明をして下さるそうなので、月曜日の昼休みに職員室まで来てくださいとの事ですよ』
始業式の日、青生が社会のノートを手に登校をしていたので、宇野先生に地理の課題について質問をしておいていたのだ。
でもこんな状況の時に、わざわざメールして来なくても、という文句をグッと耐えた。
そして、新たにやるべき事を見つけてしまった。
私は、去年不登校になって4日後にスマホだったのをガラケーに変えた。電話番号もメールアドレスも変えて、たくさんいた人たちとの繋がりを断ち切った。
でも、今年学校に戻って気づいた。
私には、まだ連絡を取り合いたい人がたくさんいる。その人たちとの連絡手段まで断ち切るのは違う。
優花にメールアドレス教えなきゃ。そしてそのついでに今日の授業でノートを取ったところを見せてもらって写して…。
どんどん頭に、色んな事がグルグル回り始めた。その結果ー。
「あーーー!どいつもこいつもみんなウザい」と発狂するまでに至ってしまった。
あいにく、色々な事情があって、お母さんは家に帰って来なかった。
そのストレスもあるのだろう。だって仕事などという理由では断じてないからー。
「わぁぁぁーーーーーーー」
今まで考えていた事が、一気に頭の頂上にぶつかった感じがした。
ノートを写す、メアドを渡す、職員室に行く、ひどい対応をしてしまった向日葵に謝る、それ以外にも…。
「あああああああああああああああ」
さっきから頭が何かに乗っ取られているみたいに思うように動かない。
ー笑人…。
私は狂ったように叫び続けた。
お母さんが帰ってきた。謝ったり、話し合ったりした結果、明日からも頑張るという事で終わった。
短いようで長い1日が終わった。どんな日を過ごそうと、どんなひどい目にあった日だったとしても、どんなに幸せな日だったとしてもー。
明日は来る、のだ。
一歩ずつしか進めない。一気に何歩も進もうとするから、生きづらくなるんだ。
どうせ明日は来るんだから、今から不安がる事なんてないんだ。どんなに辛くたって、どんなに残酷であろうと、明日は誰にでも平等なんだ。
だって、明日は来るんだからー。
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