2章:一歩ずつしか
「おはよう」
私はなんとか今日も登校出来ている。実は中2の3月くらいから、放課後に廊下に出て色々な人と話をした。そのほとんどが女子だったけれど、私には貴重な時間だった。
そのおかげもあって、昨日教室に入る時に怯えることもなかったのだ。
「このクラスさ、ホント静かだよな」
泰雅が、美術部の女子にクラスの静けさについて語っていた。
私が今年から学校に戻るのを配慮してもらった結果だとは、流石に言えなかった。
私が去年、イジメられて不登校だったことは学年中が知っている。昨日は廊下を歩くだけでヒヤヒヤしていたけれど、誰もがさも昨日までいたかのように振る舞ってくれた。
しかし「優しい人もいるんだな」と考えてる余裕は無かった。
「しょうがないよ。先生が決めたんだから」
私は、何も知らないというニュアンスで返した。
「いやでも、このクラスだけ静かすぎるだろ」
しょうがないじゃん。うるさい人たちがイジメてきたんだから。
昨日、宇野先生が「うるさい奴らはみんな他クラスに追っ払った」と冗談めかして話していたのを思い出した。私は1人恥ずかしがった。
「まあ、みんな優しいし、いいんじゃない?」
私はさりげなくその場を離れた。
3時間目。さっきから私は具合が悪い。
「じゃあ今から、自己紹介をしてもらいます」
は?最悪。もう死んじゃう…。
今、本当に話せる状態じゃないのに。
「自分はどんな人間か、頑張りたいことは何か、を言って下さい」
担任は私の変化に気づく様子もなく、笑顔で話し続けていた。
次第に、顔を上げていられなくなり、机に突っ伏した。
頭では、さっきから様々な事が浮かんでいた。
自分がどんな人間か、みんな分かってるでしょ?
イジメられて、好きな人も失って、みんなと同じように過ごすことも出来ない。
学年中から、浮いてしまった人間ですよ。
どんどんネガティブな方へ思考が暴走を始める。
笑人に会いたくても会えない。もう死んだ。私がイジメられてさえいなければ、もっと長く見ていられたのに。話せていたかも知れないのに。関われたかも知れないのに。
誰か助けて…。
「えー、名前は橋本笑人です」
自分を追い詰めていた私は、光のような声にパッと顔を上げた。
ー絶対に聞こえるはずのない声。
私が座っている席の通路を挟んで隣で、笑人が自己紹介をしていた。
みんなは、笑人を見て爆笑していた。
一瞬、笑人が生き返ったのかも知れないと思った。
でも、すぐに気づく。
ー私は幻想を見ている。笑人は本当に死んだんだ。
なんで…なんで笑人がいるの?笑人は死んだのに、私の横で笑人が笑ってる。
消えない。幻想がー。
「大丈夫? とりあえず廊下に出る?」
やっと担任教師が私の元へ来た。私が座っているのは、廊下側の1番後ろの1人席だ。
私は流されるまま席を立った。椅子がガシャンと大きな音を立てたが、面白い自己紹介で浮かれきった教室内では気にも留められなかった。
席を立った瞬間、黒板の前に写真撮影のために並んでいる列の最後尾に「幻想」が現れた。
ー笑人が心配そうにこちらを見ていた。
翌日、私は学校を休んだ。
先生からは、これそうな日だけ登校すれば良いと言われていたので、遠慮なく休むことにした。
内心、また引きこもろうと考えていた。もう学校には行きたくない、なんて何度も頭で考えているのだから。
でも逃げたくはない。ここで逃げるのはまだ違う気がする。
私はある決意を胸に、放課後にプリントをもらいに行くことに決めた。
※ ※ ※ ※
「あ、それが嫌だったのね。なんだ、じゃあちゃんと言えば良かったんだね」
学校へ向かう前、担任教師から家に電話がかかってきた。
私が今日学校を休んだのは、もちろん体調がそぐわないからという理由もあったが、1番は修学旅行と体育祭の日程が近いからだ。
「体育祭はずっと5月にあると思ってて、修学旅行よりも先だと思ってたんです。だからすごい嫌で、修学旅行だけ出るのは周りからズルいと思われると思ったんです」
私が去年不登校になった理由は、体育祭の影響が大きい。しかし修学旅行は京都と広島へ行ける。修学旅行は行きたいが、体育祭はトラウマで出たくない、という勝手な気持ちがあった。
「体育祭はね、6月なの。だから修学旅行よりも遅いから、大丈夫よ」
私は中1の体育祭が5月に行われていたので、今年の体育祭も5月で修学旅行よりも先だと勘違いをしていた。
「それに、体育祭だけ見学にしてもらう事も普通は出来ないけど、光羽には事情があるし、クラスの子も優しいから、そうする事も出来るよ」
私は色々な人に気を遣わせているのだと、改めて実感した。
「じゃあ放課後にプリントをもらいに行きます。明日、身体測定があって体操服登校なんですよね?私、体操服学校なんですよ」
「あ、もう持ってきてたのね。じゃあ学校で待ってます」
宇野先生と電話した数十分後、私は制服に着替え家を出た。
誤解が解けた後って、なんでこんなにスッキリするのだろう。本当に気持ちが良い。
「大祐!」
幼なじみの大祐を家の前で見つけた。私は彼に突進する。
「あ、光羽」
大祐は頭が良く、気遣いができる良い人。本当になんかすごい人なのだ。
「今から、学校にプリント取りに行く。一緒に来て」
私は、大祐の腕を引っ張った。
彼は、少し驚いていたが素直に従ってくれた。
「今日さ、学年集会でみんなの前で説教された。東先生に」
大祐は少し疲れていた。話を聞くところによると、どうやら声の大きさについて東先生に注意されたらしい。
「『声が小さい。聞こえねぇ』って。挙句の果てに『お前が成長するチャンスだ』とか訳分かんない事まで言われた」
大祐はしっかりしていることもあって、学級委員長を務めていた。学年集会の号令は、高確率で彼の担当になる。その号令の時の話だろう。
そういえば、東は昨日の全校集会の時も、教室に戻る際に喋っていたというだけで、3年生だけを体育館に連れ戻し、怒号を浴びせてきた。私が昨日具合が悪くなったのは、その影響もあるかも知れない。
しかも1番怖いのは、東が女性という点だ。
「あの人、保健の授業の時、結婚したいって言ってなかったっけ?」
「あー言ってた。あの人に近づく男性はいないよ」
大祐は今日の件で、東先生が嫌いになってしまったらしい。私も正直苦手だか。
それから大祐は「俺の見方だと、平尾先生か奥野先生と上手くいっていない」だとか、自分の推理をグチグチと語りだした。
私は、だんだん面白くなってきて、ずっと誰にも言っていなかった東の黒歴史を大祐に話していた。
「聞いてよ! あの人さ、私が不登校になってすぐ、家に電話かけてきてさ。私に明日から部活来いって言ってきたの。しかもめっちゃ説得されてさ。私病んでたから思わず「はい」って言っちゃったらさ、それを部活のみんなに言いふらされたの。ヤバくない」
「は? 頭おかしいだろ」
「しかもしかも! 光羽さんが何か話してくれるかも知れないから『明日、家行きます』とか言いだして。何回も電話しまくってきて、家族が何時間も電話に取り合ってたよ」
「うわーヤバ」
「私、アイツにされた事がきっかけで、2年の間は絶対に学校に行かないって決めたくらいだよ」
「すげぇわ」
大祐に話した事で、心に密かに眠っていた靄が解消されていく気がした。
自分が経験した嫌な事が、誰かを笑顔に変えることもある。
変換、変容。そんな言葉が頭に浮かんだ。
大祐はすっかり、いつもの彼に戻ってくれた。私は自分の事のように嬉しかった。
「大祐も連れてきたんだ」
学校に着くと、待っていた宇野先生が笑顔で出迎えてくれた。
大祐を昇降口の前で待たせておいて、私は先生と教室に向かった。
「はい。今日のプリントはこれだけ」
私の机の中から、何枚かのプリントを取り出し手渡された。
「ありがとうございます」
ロッカーに入っていた体操服袋と一緒に、リュックに詰め込んだ。
「えーと、明日は身体測定と決め事だけ。お昼があるから、お弁当も忘れないでね」
「はい」
明日はかなり長い。でも多分大丈夫だろう。
それから何分間か先生とのやり取りが続いた。
「じゃあ、大祐待ってるし早く行こうか」
私たちは新鮮な匂いのする教室を後にした。光り輝く夕日が、いくつもの机をオレンジ色に染めていた。
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