最悪の男

いつものズボラが見えないほど綺麗に化粧をされ(アイラインとかノーズシャドウとかも入れられた)、巻かれた髪。しっかりとした薄青アドレスを纏い、私は項垂れていた。

「はぁ、帰りたい。今すぐに」

「ダメですよ。先生」

豪華なホテルのホール。シャンデリアとサーモンピンクと薄ピンクを貴重に装飾された壁と赤絨毯の隅にうずくまって一人で闇を作り出していた。シャンパンを持っているが、炭酸なんて抜けて結露で手が少し濡れていた。

「面倒い。寝たい。帰りたい」

「せっかくのパーティーなんだから楽しみましょう!」

「大体、勝手にやってろよ。私は知らないし」

「まぁまぁ!美味しいご飯があるんですから!それ食べましょ!ね!」

「絵里、お前は私の話を聞いてくれ…」

私が動くと大体のやつが話しかけてくる。それにいちいち対応しなくちゃいけないし、無下にできないのが余りにも面倒なのだ。

「取ってきてよぉ」

「さすがに自分で行ってください」

「ちぇ」

重い腰を上げて、バイキング形式になっている食事を取りに向かう。いくつか取った辺りで案の定、私に話しかける人物がいた。

「北野先生ですよね?」

「え?まぁ、はい」

50代ぐらいの男の声に振り返る

「どうもどうも、私は橋村出版社の前島と申します」

橋村出版社の前島。私にとって恐ろしくやな言葉だった。

「…はい」

前島は私が初めて出版社に小説を持ってった時に読んでもらったうち一人だ。コイツに私は紙媒体で渡した小説を目の前で破り捨てられた挙句、死ぬほど罵倒された。だから私はこいつが嫌いでしょうがない。

「私の事覚えていらしたりします?」

「まあ」

「へぇ〜、いやぁ自分の目が憎いですよぉ、こんなにいい才能をほかの出版社に潰させてしまうなんて、悲しいものです」

「潰れてる?私が?」

「あんな…バカが書くような、文章になってしまって…うちに持ってきた時はまだマシだったのに…」

「・・・」

聞いてるだけで耳が腐る気がして、踵を返した時、ズカズカと怒った顔でこちらに近づいてくる絵里が目に入った。

「貴方、何様ですか!」

「はい?」

(あちゃあ…)

「先程から黙って聞いていれば、先生の悪口ばかり!貴方は先生の話や作品を馬鹿だと非難する理由はないでしょう!ていうか!先生の話は…あれだけ緻密で分かりやすい作品、馬鹿じゃ書けませんよ!」

「待て、やめろ絵里…」

「先生が一つの作品にどれほど愛情や熱量を持ってるか、私は知ってます!それを馬鹿にされてるんですよ!」

「私の事はいいよ。ホントに」

「私が良くありません!」

前島がキョトンとした後、大笑いしながら

「いやぁ、随分馬鹿そうな担当がつきましたね。なんですか?担当が馬鹿になれば作家もバカになるんですか?」

「先生は…」

「うるせぇよ」

「「え?」」

遥のものとは思えないほどドスの効いた声が二人の耳に聞こえて身震いした。

「前島。別に、アンタがどう思おうと、自分で書いたもんに後悔はないし、読者がどう思おうがどうでもいい。批判も感想の内だからね。でも」

私が一歩前に出て前島の茶色い対してオシャレでもないネクタイを引き下げて、

「担当の悪口は違ぇだろ」

「なっ!」

前島は私がクソダサネクタイを離すと、後ろにそのまま崩れ落ちて尻もちを着いた。

「はぁ!流行りだけのバカ作家が!小説もろくに読めないくせに、足りない頭のくせに調子に乗るなよ!」

「調子乗ってんのはどっちだよッチ。マジめんどい。死ね」

「お前ッ!今の言葉大問題だぞ!嗚呼そうか、お前は貧相な語彙しかないからそんなことしか言えないんだな。なるほどなぁ、"小説所か本もまともに読めない"ろくでもないクソ作家がっ!」

(ッ!誰のせいだと思ってんだ。このクソ編集!)

私は歯を食いしばって深呼吸した。

「絵里。行くよ」

「え?でもっ!」

「相手にしてるだけ無駄」

ヒールをズカズカさせて会場を出た。

来た時は昼間だったのにもうすっかり夜更けになっていた。夜風が当たる港町。潮風独特のベタベタとした空気が整った髪を崩して肌に貼り付ける。

(あああもぅ!なんなんだよあのクソじじい!私の作品も絵里の事もいいやがって!うるせぇわ!私だって…本当は…)


『ハッこんなゴミ同然なものを持ってこられちゃ困るよ』


「ッチ」

「先生ーーー!」

後ろから聞こえた声に振り返ると、絵里が息を切らしていた。

「絵里…ごめん、絵里の顔に泥塗った」

「え?!いえいえ!私の方こそすみません!こんな事なら来ない方が良かったですよね」

「いや、私の因縁でこうなったわけだし全面的に私が悪いよ」

「あの、先生」

「何?」

「どうして、その、小説が読めないんですか?」

「え?」

「いや、その、先生、新聞とか、論文とか、そういうのは読むじゃないですか」

「まぁ」

「長文読解が苦手とかではなさそうなのに、なんでかなって」

「…私だって、昔から小説読むのが好きだったのよ」

「え?」

「前島が、私の小説破った時、言ってたんだよ。お前みたいな素人丸出しのガキに真似される大作家達が可哀想だって。それから、本読むたびに、あのセリフが浮かんで、読むのがしんどくなってきて………笑っちゃうわよね。あんなクズの言ってる事未だにチラついて読めないなんて」

あの破られた小説がかかって、文字が見えなくなった。その瞬間から私は未来ある人間では無い。

「そんなこと…」

「かなんだな〜。ずっと好きで書いてたはずなのに、好きな事書くのが怖くなってきちゃって」

「先生…」

「あ、小説家辞めるとかじゃないから。ただ、どっか疑問が残るって感じ」

「直木賞取りましょ!」

「は?」

「私は先生に直木賞取って欲しいくて頑張ってきました!」

「馬鹿じゃないの?ずっと思ってたけど、どの賞取るかなんて担当が決める事じゃなくて作家が決める事だから」

「わかってます!でも、私は先生と一緒に賞を取りたい!」

「意味わかんない。本当、あんた馬鹿だよ」

「馬鹿でいいです!先生、先生の心から好きな物を、全力で書きましょうよ!今の先生なら絶対に書けますよ!」

「それで直木賞とか言ってるの?何も考えて無さすぎでしょ」

「先生!私は先生の初めての作品を読んでこの仕事に就きました!今でも先生の担当になった、こと後悔した事一度もありません!」

絵里と、私の間を生ぬるい風が吹き抜ける。そこには見えない温度差の壁があるようで本来の距離より遠く感じた。

「うん。ありがとう。慰めは明日にして」

「違っ!・・・、慰めなんかじゃないです!本当に私は先生の話が好きなんです!!先生!」

私は絵里に背を向けて駅へと歩く。その私の背中を絵里は追いかけてきてはくれなかった。

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