【第一章】予期せぬ再会②

 目を覚ますと、きゆう殿でん内にあるりよう室のベッドの上だった。心配そうにのぞき込むキーラの顔。そしてその後ろで、小声で話をしているのはルーベンと──。

「ディルク……様?」

 どうしてここに? 慌てて起き上がると、鼻の付け根がズキリと痛んだ。キーラが慌てたように言う。

してるんだから無理しちゃ駄目よ」

 痛みにえながらそっとさわるとガーゼがられていた。

 ディルクが近寄ってきて、ゆっくりした口調で聞く。

「平気? あのの人形がユノに頭突きしたそうだけど、覚えている?」

「……はい。なんとなくですが」

 本当になんとなくだ。

「そう。とりあえずルーベンが人形ごと魔具部屋にかぎをかけてふういんしたからだいじようだよ。大聖堂に大司祭を呼びに行かせてるから、くわしい話はそれからだね」

 よかった。ホッとしたら、ディルクの前で、顔の中心にガーゼをかぶせている不格好な自分が気になった。人形のことなどもっと考えることがあるだろうに、そんなことが気になる自分が嫌になる。

 元々すすよごれもついているし、そんなことディルクは気にもしていないとわかっている。それでも恥ずかしくて、ユノは手で鼻のガーゼをかくしてうつむいた。

 ディルクが微笑ほほえんだ。

「ひょっとしてその怪我を気にしてるの? 別にだんと変わらないから大丈夫だよ」

 その通りだし、ディルクは気を遣って言ってくれたのだろう。それでもショックを受けた。

 うつむくユノの前で、ディルクがきびすを返す。

「じゃあ俺は仕事があるからこれで」

 ユノは慌てて頭を下げて、ふと思った。キーラとルーベンがここにいるのはわかるけれど、なぜディルクまで?

「あの、ディルク……様はどうしてここに?」

 おそる恐る聞くと、ディルクがぴたりと歩を止めた。

 変な間があった。空気がぴんと張りめるような変な間だ。

 けれどディルクはすぐにり返り、がおで答えた。

「そこのきんぱつじよが血相を変えて、ルーベンを呼びにきたんだよ。魔具部屋で大変なことが起こったとね。魔具は兄上から預かっている大事な物だから、こうして様子を見にきたんだ。それだけだよ」

「申し訳ありません……!」

 きようしゆくするしかない。自分にできるのはきちんと仕事をすることだけなのに、それすら出来ない。それどころかめいわくをかけてしまった。

 せめてこれ以上負担に思われたくもいとわれたくもないのに。

「申し訳ありませんでした……」

 深く頭を下げた。声がふるえないようにしようと頑張ったら、代わりに体が震えてしまった。

 細いかたを震わせて謝るユノに、

「──別に謝る必要はないよ」

 ディルクが顔をそむけてかたい声で言った。

 そこへノックの音がして、青ざめた顔の侍女が飛び込んできた。

「魔具部屋が、魔具部屋が大変なんです! 扉が……!」

 ただ事ではない。まさかあの人形が何か?

 ディルクとルーベンが顔を見合わせて同時に施療室を飛び出した。ユノも慌ててベッドから下り、痛む鼻を押さえてキーラと魔具部屋へ向かう。

 うすぐらろうき当たりに着くと、

(どうなってるの?)

 唖然とするしかない。魔具部屋の扉の内側から、何かが当たるにぶい音が連続して聞こえてくるのだ。

「まさか、あの人形が……? うそだろう。魔具が動くこと自体はそこまでめずらしくはないが、私の封印を破ろうとするなんて今まで一度もなかったのに……」

 ルーベンががくぜんとつぶやいた。

 音はだんだん強く大きくなってきて、そのたびに鉄の扉がわずかにきしみ始めている。

(あの人形が扉に体当たりしてるの……?)

 信じられないけれど、ルーベンの表情や音の具合からそういうじようきようだと考えざるを得ない。

 不気味で異様な音が薄暗い廊下にひびく。

 あまりの状況にぼうぜんと立ちくすルーベンに、ディルクが興味深そうに扉をあごで示した。

「お前、これをどうにか出来るか?」

「無理……だと思います。こんなことは初めてなんです。魔具が動くなんてこと……しかもこれほどすさまじく……」

「だけどなんとかしないと扉が破られるよ」

 ディルクの言葉どおり、内部から響いてくる音はすでにそうおんに近い。鉄の扉の中心部分がそのたびにたわんでいる。

 ディルクが、ユノのとなりたおれそうな顔をしているキーラに言った。

「大司祭がここへ向かっているところだけど、至急来るようにと伝えてきてくれ」

「はい!」

 キーラが転がるように駆け出して行く。ディルクがユノに微笑んだ。

「扉の前からはなれたほうがいいよ。でないと、またそのガーゼが増えるから」

 鼻についたガーゼのことだ。

 こんな時に落ち込んでいる場合ではないとわかっていても気分がしずむ。そんな自分がいやだ。

 うつむいてそっとガーゼにれるユノから視線をそらし、ディルクはしんけんな顔で扉をえた。こしの剣に手をかける。

とびらが破られたら、あの人形の首を落とす」

「しかし……あれは魔具です! 強力な魔力のこもった得体の知れないもので、首を落としたらどうなるのか、状況がよくなるのか悪くなるのか見当もつきません!」

「じゃあ全身を切り刻むよ。そうしたらとりあえず動きは止められるだろう」

 そこへ、

「ディルク様、大丈夫ですか!?」

「何事です!?」

 宮殿にいた部下のや魔法使いたちが集まってきた。異様な扉を見てざわついている。けれど魔具のことは彼らにはどうにも出来ないのか、ルーベンに視線が集まった。

 それを受けてルーベンはかくを決めたようだ。

「扉を開けて、あの人形を直接封印してみます」

「わかった」

 ルーベンが扉に手をかざす。そこで思い出したことがあるのかユノを振り返った。何か言いたげにじっと見つめる。

 ユノはこんわくした。言いたいことがあるのだとはわかったけれど、その内容に全く見当がつかない。

 まどったまま見つめ返すと、二人の様子に気がついたディルクがまゆを寄せた。そしてユノたちの間をさえぎるようにしてみように低い声でルーベンに言った。

「早くしなよ」

「──鍵を解除します」

 ルーベンが扉に手をかざす。

 ユノが前に聞いたのと同じ、パンッとかわいたかすかな音が耳に届いた。

 みなが息をんで見守る中、扉がゆっくりときしみ始めた──しゆんかん、開いたすきから人形が飛び出してきた。

 わきもふらず、一直線にユノに向かってくる。ユノは廊下の離れた場所にいたにもかかわらずだ。

 ほんのまばたきする間に、人形の姿はすぐ目の前にあった。

 予想もしていなかった出来事に何もできない。ただきようで身がすくんだ。

「ユノ!」

 不意に、目の前に何かが立ちはだかった。

 それがディルクの背中だと気がついた時には、ディルクは剣をり出して飛び込んでくる人形を受け止めていた。

 剣が数回ひるがえり、なぎはらわれた人形が廊下のかべげきとつして動きを止める。

 ルーベンが急いでけ寄り、ゆかに落ちた人形に必死にふういんをかけ始める。ルーベンの手のひらから光が放たれ、人形を包みこんだ。

(なんとかなったの……?)

 心臓はバクバク言っているけれど、ようやくホッとできた。

 安心したらすぐ目の前にある背中が、泣きたくなるくらい大きく見えた。守ってくれたのだ。感謝と信じられないという思いで胸がいっぱいになった。

 手をばせば触れられるきよにある。こんな近くにいられたのは昔のことだ。

 昔は名前を呼べばやさしい笑顔を返してくれた。けれど今は気軽に呼ぶことすらできない。

 ディルクがユノをなんとも思っていないことも、隣にいた美しい女性のことも、かつてこんやくを断った自分にそんなことを言う資格のないこともじゆうぶんわかっている。それでもあふれてくるおもいは止められない。

 遠くからでいい。せめてディルクを見ていたい。好きな人の姿を見ていたい──。

 視線を感じたのか、不意にディルクが振り返った。泣きそうなユノを見てどうようしたように大きく目を見開く。

 けれどすぐに顔を背けた。再び前を向き、そして、

「離れていろと言っただろう」

 背中しに降ってきた声はひどく冷たく、そして硬いものだった。

 全身できよされているとわかり、心のやわらかい部分が引きかれた気がした。

(当然よね……)

 こんなおそろしいを相手にかばってくれたのだから。ディルクが守ってくれなかったら、ユノはまた人形に激突されてを負っていただろう。

「すみません……ありがとうございます」

だ、人形が……っ!」

 ルーベンのさけび声が聞こえた。

 ハッとして顔を上げれば、ルーベンの手をのがれた人形がゆっくりと立ち上がったところだった。封印は無理だったのか。

「どうなってるんだ!?」

「何なんだ、あの人形は!?」

 集まった騎士や魔法使いたちが青ざめながらもなんとか止めようと向かってくるが、見えない壁にはじかれるかのように近くまで寄ってこられない。

「人形が持つ魔力、いやじやだ……」

 ルーベンがあえいだ。

(邪気? こんなにもすさまじいの?)

 見た目はただの人形なのに、さすがは悪魔がいているという魔具か。こんなものどうしたらいいのだ。

 人形がこちらを向いた。

(また飛んでくるの……!?)

 ユノは恐怖から身構えた。瞬間ディルクにかたつかまれ、かばうようにさらに後ろに追いやられる。肩に触れたディルクの左手は不思議と熱い。

 ディルクの肩越しに、人形がいかりの顔でこうげき対象を見据えているのがわかった。

 その相手はユノではなくディルクだ。

うそ……)

「待って……お願い、やめて!」

 思わず人形に叫んでいた。これほど大きな声を出すのは初めてかもしれない。自分でもびっくりした。

 実家ではずっと母やシンディのげんそこねないように静かにしていたし、ここへ来てからもあたえられた仕事をせっせとこなすだけで大声を上げることなんてなかった。

 人形もこわいし、人々のあつに取られた視線が集まるのも怖い。

 けれどディルクの身に危険がおよぶのは嫌なのだ。

 四年前に傷つけたのに、今ユノを守ってくれた。

 ディルクを不幸にだけはしたくない。そう思ったから、あの時婚約を断ったのだから──。

「お願い、止まって……!」

 突然声を上げ始めたユノに、ディルクもおどろいたようだ。目を見開いてり返った。

 けれどユノがだれのためにうつたえているか気づいたのだろう。ギュッと強くくちびるみしめた。

 その時──。

『マリー』

 あの時に部屋の中で聞いた声が、もう一度ユノの頭の中に聞こえた。幼い女の子の声。あの人形だ。

 はじかれたように顔を上げた瞬間、のうに見たこともない光景があざやかに流れていった。

(これは何……?)


 どこかのていたくだ。前庭に葉っぱの色が独特な大きな木がある。そして大きなだんのある広い居間で、十歳くらいの女の子ががおであの人形をいている。

 人形は新品同然で、もちろんほおに穴も開いておらず、かみも着ているドレスもぴかぴかだ。

 女の子に母親らしき女性が話しかける。

『おじい様からのプレゼント、よかったわねえ。大事にしてね』

『うん! リリーって名前をつけたのよ。ずっといつしよにいるんだから!』

 女の子が人形を相手にままごとをしている。小さなに座っておもちゃのケーキを前に置かれた人形は、とても幸せそうだ──。


 そこでハッとわれに返った。

(何、今の……?)

 夢? そんなまさか。昼間だし、ねむってなんていない。では、あれは一体──。

 混乱する視界に、人形がディルクに飛びかかろうとしている光景が映った。

 ユノを守って立つディルクの背中がきんちようと怒りを放つ。

(どうしたらいいの!? そうだわ、あの人形の名前……!)

「リリー!」

 とつに呼びかけた。頭にかんだ光景が事実ならあの人形の名前はリリーだ。

「あなたの名前はリリーよね? マリーがそう名付けたの!」

 突然訳のわからないことを、しかも魔具相手に話しかけるユノにルーベンが、

「何を言っているんだ……?」

 と、ぜんとしている。

 ルーベンだけではない。その場にいる人々はみな同じような表情でユノを見つめる。

 けれど──。

「おい、止まったぞ……」

 人形の動きが止まった。びっくりした顔で宙に浮いたまま止まっている。

 皆が呆気に取られる中、人形は体の力がけたようにゆっくりと下りてきた。そして、ろうにぽてんとこしを下ろした。



「なるほど。魔具の人形が──」

 一階の応接室で、やっととうちやくした大司祭がルーベンから事のてんまつを聞く。たんに申し訳なさそうな顔から驚いた顔に変わった。

「その人形からはすっかり邪気が抜けている。ユノといったか。そうか、君は絶えたと言われる『じよう』の力を使えるのかもしれない」

(浄化……?)

 ユノはすっかりおとなしくなった人形をひざの上に抱いて、ソファーに浅く腰かけていた。ディルクと大司祭、それにルーベン。三人から注目されてなんだか心地ごこちが悪い。

 ルーベンがユノにしんけんな顔で言う。

「昨日のそう担当のじよたちに確かめたら、やはり私はきちんとかぎをかけていた。だから今日の最初の鍵は君が開けたことになる。君はあの部屋のふういんを解いたんだ」

「そんなまさか……」

「私にも信じられない。だが事実は事実だ。それにその人形。君が人形にれたら動き出したと聞く。今までこんなことは一度もなかった。魔具を部屋に押し込めて封印しているのは、私にも大司祭様にもそうすることしか出来ないからだ。大司祭様の言われる通り、君にはほかの者には使えない浄化魔法が使えるのかもしれない」

「……魔法?」

とくしゆな魔法だ。大昔に使い手がいたが絶えて久しい。今ではその存在を知る者すらまれだ。だから君自身や周囲が、その能力に気づかなかったのも無理はない」

(私に魔法が使えるの……?)

 とても信じられない。今までのつらおくこわだかに否定する。

(でも、でも、もしかしたら──)

 一度も持ち得たことのない希望が、胸の内でふくらんだ。

 ずっと「魔法が使えない人間に価値はない」と言われ続けてきた。けれどちがうかもしれない。特殊といえど魔法が使えるかもしれないのだ。

「よかったね」

 ディルクだ。どこか素っ気ない口調だけれど、そんなことを言われるなんて思っていなかったのでうれしくなった。しかし、

「昔からそのことでずっとなやんでいたから。これでご家族も喜ぶんじゃない?」

 思わず顔が引きつった。母とシンディのことを思い出すと今でも胸の内が冷たくなる。

 ディルクがいぶかしげな顔をした。

「どうかした?」

「なんでもありません……!」

 力いっぱい首を横に振った。自分の気持ちはとりあえず後だ。それよりもかんどうされたことをディルクに知られたくない。

 ただでさえやとってもらっている身なのだ。いらない子だと言われ家を追い出されたと知られたら、ずかしくてどうにかなってしまう。

「──そう」

 と、ディルクがまゆを寄せた。

「それで君が『見えた』という映像だが」

 ルーベンの質問に、ユノは気を取り直してうなずいた。確かにこの人形は『リリー』と呼ばれていて、持ち主はマリーという名前の女の子だった。

「マリーの家は大きな邸宅で……庭に大きな木が見えました。葉っぱの先が赤色でとてもれいでした」

「先が赤?」と反応したのはディルクだ。

「オールリの木だね。ここらではめつに生えていないからめずらしいんだよ。確かカフドこうしやく家の庭で見た気がする」

「本当ですか!?」

 あれは実際の光景だったのか。

「カフド公爵のおい団員だからよく覚えてるよ。その家には小さな女の子もいた気がする。公爵のまごむすめで十歳くらいかな」

「その子です!」

 思わず声を上げていた。

(すごい。本当にマリーがいるんだわ)

 めずらしく興奮するユノに、ディルクが目をせて低い声で言った。

「その女の子はマリーじゃないよ。その人形はだいぶ古いから、持ち主だったマリーはもうかなりのねんれいになってるはずだ。それか──もうこの世にはいない」

 そうだ。その通りだ。喜びが一転して落ち込んだ。考え無しに声を上げてしまった。恥ずかしいし情けない。

「私は覚えがないのですが、カフド公爵家にマリーという名の女性はいましたかな?」

「俺も聞いたことがない」

 大司祭と話すディルクから視線をそらし、膝の上の人形を見た。部屋での様子から一転して静かに座っている。静か過ぎるくらいだ。

 それでも『マリー』と呼んだ切なげなひびきを覚えている。

 それにこの人形を見ていると、幼いころに持っていた人形を思い出す。シンディに取られてしまったユノが守れなかった人形を──。

 ユノはこくりとつばを飲み込み、おそる恐る切り出した。

「あの、カフド公爵家でこの人形のことを聞いてみたいんですが……」

 自分から何かをやりたいと口にしたのは初めての気がした。

 けれどそうしたいのだ。この人形──リリーはきっと持ち主のマリーに会いたがっている。だから会わせてあげたい。リリーのためにも、そしてユノが昔持っていた人形のためにも。

「いいよ。俺が一緒に行く」

 ディルクがたんたんとした口調で言った。ユノにはもう興味はないと、改めてき付けられたような気がした。それでもあの時守ってくれた。それでじゆうぶんだと思っているのに胸が痛い。その痛みから目をそらすように、

「ありがとうございます。──よかったね」

 膝の上の人形に言うと、それまで反応のなかった人形がようやく顔を上げた。じっとユノを見つめてくる。

(喜んでくれているのかな?)

 ようやく胸の内がほころんだ。

 小さく微笑ほほえむユノをじっと見つめるディルクに、ルーベンがおどろいた顔で聞いた。

「どうされたんですか?」

「何が?」

「『俺がいつしよに行く』なんておやさしい言葉、だんのディルク様なら絶対に言いません」

「お前は俺を何だと思ってるの? 俺は自他ともに認める親切な人だからだれにでも言うよ」

「いいえ。私は一度もそんな経験はありません。他の者たちに対してもです。そんな場面を今まで見たことがありません」

「──カフド公爵家へ行くんだろう。俺が一番よく知っているから適任だと思っただけだ」

「本当ですか? そういえばそうどうの時も、そつせんして人形からユノをかばいましたよね?」

 はじかれたように顔を上げるとディルクと目が合った。

 しゆんかん、目をそらされる。

(仕方のないことよね……)

 うつむくユノの耳に、ディルクのみようかたい声が聞こえた。

「──ユノは昔の知り合いだからだよ。それだけだ」

「ええっ? 私もそこそこ長い付き合いですが、そんな風にしていただいたことは一度もありませんが」

「お前、いい加減に口を閉じたほうがいいよ」

「なぜですか。事実ではありませんか」

 あくまでおお真面目まじめなルーベンに、ディルクが顔をしかめる。

 そんな二人をにこにことながめていた大司祭がユノに微笑んだ。

「その人形はあなたのもとで安心しているようだ。魔力は備えているが悪いものはけたから、もうだいじよう。持ち主に返してあげておくれ。ルーベンは私より魔力量が多いのでたよりになるから」

「さっきは全く頼りにならなかったけどね」

 仕返しとばかりにディルクががおで言い、今度はルーベンが顔をしかめた。

(仲がいいなあ)

 微笑ましく思う反面、ルーベンがうらやましい。そんな勝手な自分にまた落ち込んでしまった。



 翌日の午後、ユノは魔具部屋のすみに座るリリーに話しかけた。

「今からカフド公爵家へ行くんだよ」

(マリーに会えるといいけど)

 不安はあるが、今朝までにできる限りリリーを綺麗に手入れしておいた。みぎほおの穴をふさぎ、からまったかみは洗ってていねいに解きほぐした。ドレスも洗ってほつれていたところを直した。

 頭の中に見えた昔のリリーと全く同じ──とまではいかないけれど、ちがえたとは思う。

「さあ──あれ? どこに行ったの?」

 さっきまで隅に座っていたリリーが消えている。ユノはあせって部屋中をさがした。

「見つけた。どうしてかくれるの?」

 リリーはたなかげに身をひそめていた。ユノは実家でよく暗い場所に隠れて泣いていたから、隠れやすいところを見つけるのは得意なのだ。

「せっかく綺麗になったのによごれちゃうよ。ねえ待って!」

 リリーがさらにげようとしたので、あわててつかまえた。じやが抜けたせいか以前のきようぼう性はもうない。

「どうしたの? マリーに会えるかもしれないのに」

 あれほど切なげな声で呼んでいたではないか。会いたいはずなのになぜ?

 まだ逃げようとバタバタ手足を動かすリリーを見つめて、ハッとした。

「……もしかして自分の姿がずかしいの?」

 ピタッと動きがやんだ。しゅんとかたが落ちる。

「そっか。そうなんだね」

 綺麗になったといっても昔の姿とはほどとおい。マリーが喜んできしめていた頃の姿とは。

「心配しなくても大丈夫よ。昔の通りとは言えないかもしれないけど充分可愛かわいいし、マリーはきっと喜んでくれる……」

 言いながらうそだと気づいてしまった。喜んでくれるかどうかなんてわからない。

 自分だってそうだったじゃないか。そうでついたすすよごれや、鼻にったガーゼ姿が恥ずかしくてディルクに見られたくなかった。みすぼらしいと思われてきらわれるのがこわかったからだ。

「そうよね……いやよね」

 受け入れてもらえなかったらと考えると怖いのだ。よくわかっているはずなのに。

 情けなさをみしめてリリーを見た。リリーはうつむいたまま小刻みにふるえている。

 まるでユノ自身だ。自信がなくて嫌われるのが怖くて。

(直してあげられないかな)

 そんなことを思った自分に驚いた。けれど直せるなら直してあげたい。もし自分に魔力があるというのなら──。

「おいで」

 リリーに優しく手をばし、両手で包み込んだ。リリーがきょとんとユノを見上げる。ユノは微笑んだ。そして──両手に力を込めた。

 そこに現れたのはディルクとルーベンだ。

「ユノ、そろそろ出発しよう。準備は──」

 リリーと向き合うユノを見て二人とも目を見張った。

(どうか元通りに。自信を持てるように)

 ユノの手のひらが熱を持ち、やがて光り出す。リリーの全身が光に包まれ、そして──。

 リリーがぴょこんと飛び上がった。ばやく自分の体を見て、鏡へ飛んでいく。そして映った自分を見た。

 震えながらり返った顔は喜びに満ちていた。

 元通りのリリー。頬も髪もドレスも、ユノが頭の中で見たとおりの姿だ。

「さあ、マリーのところへ行こう」

 ユノは微笑んだ。必ずマリーに会える。なぜかはわからないけれどそんな予感がした。

 戸口ではルーベンが目にしたせきに驚いた顔をしていた。

 そのとなりでディルクは、いつもと違いどこか自信に満ちた笑みをかべるユノを、ただただ見つめていた──。



 ディルクとルーベンと一緒に、リリーを連れて馬車でカフドこうしやく家へ向かう。

 ディルクが向かいに座っているためきんちようした。大きな馬車といえど車内の広さには限界があり、馬車がれるたびにひざれ合いそうになる。

 ディルクは足を組み、ずっと顔をそむけたまま小窓の外を見ている。ルーベンとは時折話すけれど、ユノのほうは見もしない。

 ディルクがユノに興味がないことはわかっている。だからこんなことにいついちゆうしているのは自分だけだ。

 げんかんホールでディルクのうでを取ったあの美しい女性が相手なら、ディルクの反応も違うのだろうか。

 あの人は誰なのだろう。とてもお似合いで、そして親しげだった。ユノは腕を組むどころか視線も向けてもらえないのに──。

(ああ、だわ……)

 考え始めると落ち込むばかりだ。

「先ほどリリーを元通りにした力はすごかった!」

 めずらしくルーベンが興奮している。

じようほうとは邪気の浄化と再生をあわせ持つ能力なのだそうだ。やはり君は使えるんだな! まるで先代の司祭から聞いた聖──」

「うるさいよ」

 すぐ隣に座っているせいか、ディルクが顔をしかめて文句を言った。けれどルーベンは気にする様子もなく、

「ですが本当にすごかったじゃありませんか! ディルク様も見とれていたでしょう?」

(えっ?)

 ユノははじかれたように視線を向けた。

(本当に? 信じられない。そんなわけないわ。でも……)

 心の片隅で期待する自分もいる。

 けれど──。

「そんなわけないだろう。お前の見間違いだよ」

 ディルクの声は冷たい。表情も口調も必要以上にえとしていた。

(やっぱりそうよね……)

 わかりきっていたことだ。だから落ち込む必要はないのに心がしずむ。正直な自分の心に悲しくさえなった。

 うつむくユノの前でディルクがかたくなに顔を背けた。そして興奮するあまりユノのほうに身を乗り出していたルーベンの肩を右手でつかみ、力いっぱい引きもどした。



 カフド公爵家の前庭には大きなオールリの木が生え、先が赤色の葉っぱがしげっていた。ユノののうに浮かんだ通りの光景だ。マリーはきっといると確信した。

 けれど──。

「マリー……ですか。残念ながらそのような名前の女性はうちにはおりませんね。いたこともありません」

 公爵家の居間で、立派なひげをたくわえた公爵が申し訳なさそうに言った。

殿でんにはご足労いただき申し訳ありませんが、そのリリーも私には見覚えがありません」

(嘘。いないの?)

 ユノは息をんだ。そんな。膝の上のリリーを見ると、つうの人形のふりをしているけれど不安が感じ取れた。

(いたこともないの……?)

 あせるけれど、頭のどこかで否定する自分がいる。なんだろう。不思議な感覚だ。

 ユノはおそる恐る、けれど断固として首を振った。

「ですが確かにここにおられると思うんです。そんな気がするんです」

 後ろにひかえていたろうれいしつが口を開いた。

「失礼ながら、その人形はひょっとするとローズ様が持っていらしたものではないかと」

「ローズ様?」

『マリー』とは似ても似つかない。

「マリーという名前はわかりませんが、ローズ様はそのお人形を大事に持っておられたおくがあります。もう何十年も前の話ですが」

「そのローズ様はどこにおられるんですか?」

 公爵が答える。

「私の伯母おばですが、だいぶ高齢でして今はたきりなのです」

(寝たきりの伯母君……)

「こちらです」

 と、公爵に案内されたのは日当たりのいい広いしんしつだった。大きなベッドに老齢の女性がねむっている。

 前公爵の姉で、一度けつこんして家を出たが夫がくなったためこの家に戻ってきたのだという。

 ユノはいているリリーに小声で聞いた。

「この人がマリーさんなの?」

 けれど反応はない。まどっているようにも見えた。無理もない。この女性が本当にマリーだったとしても、リリーが知っているのは小さな女の子の姿だけなのだから。

「伯母上。ローズ伯母上」

 公爵がまくらもとで呼びかけるが、ローズは目を開けない。

「最近は眠っていることが多くて……」

 ユノはリリーを胸に抱いて「マリーさん」と呼びかけた。

「マリーさん、起きていただけませんか」

 みなが息をめて見守る中、ローズがうっすらと目を開けた。

「伯母上……!」

 公爵たちがおどろいている。

 ユノはあわててローズの顔の前にリリーを差し出した。ローズがゆっくりと目を見開いた。かすれた声で、

「……もしかしてリリーなの?」

「そうです、リリーです!」

「なぜここに……? これは夢? リリーはもう何十年も前、私が結婚した時に荷物にまぎれて見えなくなってしまったのに」

「確かにリリーです。あなたに──マリーさんにとても会いたがっていました」

「本当に? 私もずっと会いたかったわ。リリー」

 ローズは寝たまま、うれしそうにふるえる手で受け取った。「リリー」といとおしそうにほおずりする。

「ずっとさがしたのだけど見つからなくて、泣く泣くあきらめたの。でも戻ってきてくれたのね」

 ディルクが聞く。

「マリーという名はどこからきたんです?」

「マリーは私のあだ名です。といっても子どものころ、一人遊びの時にだけ使った名ですけど。昔はローズという名前が好きになれなくて。だからリリーしかその名前を知らないんですよ」

 そしてそばに控えていたじよに言った。

「あの箱を持ってきてもらえないかしら」

(何の箱だろう?)

 侍女が手にしてきたのはレースのついた古い箱だった。中にはこれまた古い人形の服やアクセサリーなどが入っている。リリーのものだろう。公爵れいじようの持ち物らしくどれもごうだ。

「無くしたリリーを忘れるために何度も処分しようとしたんですけど、結局できなかったんですよ」

 リリーはそれらをじっと見つめていたが、一着の服に興味を示したようで、ほかの者たちには見つからないようにユノのかみをそっと引っ張った。

「……これ? もしかして着たいの?」

 リリーがコクコクと首を縦にる。ユノは戸惑った。

(でも、これって──)

 それでもリリーが目でうつたえ続けるので、ユノはローズに言った。

「あの、この服をリリーが着たいと言っているんですが……」

「言っている?」

 こうしやくや侍女が変な顔をした。

(しまったわ)

 思わず口にしてしまった。焦るユノにローズがやさしく笑う。

 長く生きてきた者だからわかる、どこかさとったようなみに見えた。

「もちろんよ」

 侍女がそれを頭からすっぽりと着せると、ローズがゆっくりとリリーの頭をなでた。

「この服はね、私が子どもの頃に初めて手作りしたものなのよ」

(ああ、だからなのね……)

 ユノはなつとくした。

 それはワインレッドのを切ってわきの部分をい合わせただけの、正直不格好なものだった。他の豪華でれいせいひんとは比べ物にならない。

 それでもその不格好な服を着て、ローズに頭をなでられているリリーは、今まで見た中で一番嬉しそうに見えた──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔力がないと勘当されましたが、王宮で聖女はじめます 新山サホ/角川ビーンズ文庫 @beans

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ