【第一章】予期せぬ再会②
目を覚ますと、
「ディルク……様?」
どうしてここに? 慌てて起き上がると、鼻の付け根がズキリと痛んだ。キーラが慌てたように言う。
「
痛みに
ディルクが近寄ってきて、ゆっくりした口調で聞く。
「平気? あの
「……はい。なんとなくですが」
本当になんとなくだ。
「そう。とりあえずルーベンが人形ごと魔具部屋に
よかった。ホッとしたら、ディルクの前で、顔の中心にガーゼをかぶせている不格好な自分が気になった。人形のことなどもっと考えることがあるだろうに、そんなことが気になる自分が嫌になる。
元々
ディルクが
「ひょっとしてその怪我を気にしてるの? 別に
その通りだし、ディルクは気を遣って言ってくれたのだろう。それでもショックを受けた。
うつむくユノの前で、ディルクがきびすを返す。
「じゃあ俺は仕事があるからこれで」
ユノは慌てて頭を下げて、ふと思った。キーラとルーベンがここにいるのはわかるけれど、なぜディルクまで?
「あの、ディルク……様はどうしてここに?」
変な間があった。空気がぴんと張り
けれどディルクはすぐに
「そこの
「申し訳ありません……!」
せめてこれ以上負担に思われたくも
「申し訳ありませんでした……」
深く頭を下げた。声が
細い
「──別に謝る必要はないよ」
ディルクが顔を
そこへノックの音がして、青ざめた顔の侍女が飛び込んできた。
「魔具部屋が、魔具部屋が大変なんです! 扉が……!」
ただ事ではない。まさかあの人形が何か?
ディルクとルーベンが顔を見合わせて同時に施療室を飛び出した。ユノも慌ててベッドから下り、痛む鼻を押さえてキーラと魔具部屋へ向かう。
(どうなってるの?)
唖然とするしかない。魔具部屋の扉の内側から、何かが当たる
「まさか、あの人形が……?
ルーベンが
音はだんだん強く大きくなってきて、そのたびに鉄の扉がわずかにきしみ始めている。
(あの人形が扉に体当たりしてるの……?)
信じられないけれど、ルーベンの表情や音の具合からそういう
不気味で異様な音が薄暗い廊下に
あまりの状況に
「お前、これをどうにか出来るか?」
「無理……だと思います。こんなことは初めてなんです。魔具が動くなんてこと……しかもこれほどすさまじく……」
「だけどなんとかしないと扉が破られるよ」
ディルクの言葉どおり、内部から響いてくる音はすでに
ディルクが、ユノの
「大司祭がここへ向かっているところだけど、至急来るようにと伝えてきてくれ」
「はい!」
キーラが転がるように駆け出して行く。ディルクがユノに微笑んだ。
「扉の前から
鼻についたガーゼのことだ。
こんな時に落ち込んでいる場合ではないとわかっていても気分が
うつむいてそっとガーゼに
「
「しかし……あれは魔具です! 強力な魔力のこもった得体の知れないもので、首を落としたらどうなるのか、状況がよくなるのか悪くなるのか見当もつきません!」
「じゃあ全身を切り刻むよ。そうしたらとりあえず動きは止められるだろう」
そこへ、
「ディルク様、大丈夫ですか!?」
「何事です!?」
宮殿にいた部下の
それを受けてルーベンは
「扉を開けて、あの人形を直接封印してみます」
「わかった」
ルーベンが扉に手をかざす。そこで思い出したことがあるのかユノを振り返った。何か言いたげにじっと見つめる。
ユノは
「早くしなよ」
「──鍵を解除します」
ルーベンが扉に手をかざす。
ユノが前に聞いたのと同じ、パンッと
ほんの
予想もしていなかった出来事に何もできない。ただ
「ユノ!」
不意に、目の前に何かが立ちはだかった。
それがディルクの背中だと気がついた時には、ディルクは剣を
剣が数回ひるがえり、なぎ
ルーベンが急いで
(なんとかなったの……?)
心臓はバクバク言っているけれど、ようやくホッとできた。
安心したらすぐ目の前にある背中が、泣きたくなるくらい大きく見えた。守ってくれたのだ。感謝と信じられないという思いで胸がいっぱいになった。
手を
昔は名前を呼べば
ディルクがユノをなんとも思っていないことも、隣にいた美しい女性のことも、かつて
遠くからでいい。せめてディルクを見ていたい。好きな人の姿を見ていたい──。
視線を感じたのか、不意にディルクが振り返った。泣きそうなユノを見て
けれどすぐに顔を背けた。再び前を向き、そして、
「離れていろと言っただろう」
背中
全身で
(当然よね……)
こんな
「すみません……ありがとうございます」
「
ルーベンの
ハッとして顔を上げれば、ルーベンの手を
「どうなってるんだ!?」
「何なんだ、あの人形は!?」
集まった騎士や魔法使いたちが青ざめながらもなんとか止めようと向かってくるが、見えない壁にはじかれるかのように近くまで寄ってこられない。
「人形が持つ魔力、いや
ルーベンが
(邪気? こんなにもすさまじいの?)
見た目はただの人形なのに、さすがは悪魔が
人形がこちらを向いた。
(また飛んでくるの……!?)
ユノは恐怖から身構えた。瞬間ディルクに
ディルクの肩越しに、人形が
その相手はユノではなくディルクだ。
(
「待って……お願い、やめて!」
思わず人形に叫んでいた。これほど大きな声を出すのは初めてかもしれない。自分でもびっくりした。
実家ではずっと母やシンディの
人形も
けれどディルクの身に危険が
四年前に傷つけたのに、今ユノを守ってくれた。
ディルクを不幸にだけはしたくない。そう思ったから、あの時婚約を断ったのだから──。
「お願い、止まって……!」
突然声を上げ始めたユノに、ディルクも
けれどユノが
その時──。
『マリー』
あの時に部屋の中で聞いた声が、もう一度ユノの頭の中に聞こえた。幼い女の子の声。あの人形だ。
はじかれたように顔を上げた瞬間、
(これは何……?)
どこかの
人形は新品同然で、もちろん
女の子に母親らしき女性が話しかける。
『おじい様からのプレゼント、よかったわねえ。大事にしてね』
『うん! リリーって名前をつけたのよ。ずっと
女の子が人形を相手にままごとをしている。小さな
そこでハッと
(何、今の……?)
夢? そんなまさか。昼間だし、
混乱する視界に、人形がディルクに飛びかかろうとしている光景が映った。
ユノを守って立つディルクの背中が
(どうしたらいいの!? そうだわ、あの人形の名前……!)
「リリー!」
「あなたの名前はリリーよね? マリーがそう名付けたの!」
突然訳のわからないことを、しかも魔具相手に話しかけるユノにルーベンが、
「何を言っているんだ……?」
と、
ルーベンだけではない。その場にいる人々は
けれど──。
「おい、止まったぞ……」
人形の動きが止まった。びっくりした顔で宙に浮いたまま止まっている。
皆が呆気に取られる中、人形は体の力が
「なるほど。魔具の人形が──」
一階の応接室で、やっと
「その人形からはすっかり邪気が抜けている。ユノといったか。そうか、君は絶えたと言われる『
(浄化……?)
ユノはすっかりおとなしくなった人形を
ルーベンがユノに
「昨日の
「そんなまさか……」
「私にも信じられない。だが事実は事実だ。それにその人形。君が人形に
「……魔法?」
「
(私に魔法が使えるの……?)
とても信じられない。今までの
(でも、でも、もしかしたら──)
一度も持ち得たことのない希望が、胸の内でふくらんだ。
ずっと「魔法が使えない人間に価値はない」と言われ続けてきた。けれど
「よかったね」
ディルクだ。どこか素っ気ない口調だけれど、そんなことを言われるなんて思っていなかったので
「昔からそのことでずっと
思わず顔が引きつった。母とシンディのことを思い出すと今でも胸の内が冷たくなる。
ディルクがいぶかしげな顔をした。
「どうかした?」
「なんでもありません……!」
力いっぱい首を横に振った。自分の気持ちはとりあえず後だ。それよりも
ただでさえ
「──そう」
と、ディルクが
「それで君が『見えた』という映像だが」
ルーベンの質問に、ユノは気を取り直して
「マリーの家は大きな邸宅で……庭に大きな木が見えました。葉っぱの先が赤色でとても
「先が赤?」と反応したのはディルクだ。
「オールリの木だね。ここらでは
「本当ですか!?」
あれは実際の光景だったのか。
「カフド公爵の
「その子です!」
思わず声を上げていた。
(すごい。本当にマリーがいるんだわ)
めずらしく興奮するユノに、ディルクが目を
「その女の子はマリーじゃないよ。その人形はだいぶ古いから、持ち主だったマリーはもうかなりの
そうだ。その通りだ。喜びが一転して落ち込んだ。考え無しに声を上げてしまった。恥ずかしいし情けない。
「私は覚えがないのですが、カフド公爵家にマリーという名の女性はいましたかな?」
「俺も聞いたことがない」
大司祭と話すディルクから視線をそらし、膝の上の人形を見た。
それでも『マリー』と呼んだ切なげな
それにこの人形を見ていると、幼い
ユノはこくりと
「あの、カフド公爵家でこの人形のことを聞いてみたいんですが……」
自分から何かをやりたいと口にしたのは初めての気がした。
けれどそうしたいのだ。この人形──リリーはきっと持ち主のマリーに会いたがっている。だから会わせてあげたい。リリーのためにも、そしてユノが昔持っていた人形のためにも。
「いいよ。俺が一緒に行く」
ディルクが
「ありがとうございます。──よかったね」
膝の上の人形に言うと、それまで反応のなかった人形がようやく顔を上げた。じっとユノを見つめてくる。
(喜んでくれているのかな?)
ようやく胸の内がほころんだ。
小さく
「どうされたんですか?」
「何が?」
「『俺が
「お前は俺を何だと思ってるの? 俺は自他ともに認める親切な人だから
「いいえ。私は一度もそんな経験はありません。他の者たちに対してもです。そんな場面を今まで見たことがありません」
「──カフド公爵家へ行くんだろう。俺が一番よく知っているから適任だと思っただけだ」
「本当ですか? そういえば
はじかれたように顔を上げるとディルクと目が合った。
(仕方のないことよね……)
うつむくユノの耳に、ディルクの
「──ユノは昔の知り合いだからだよ。それだけだ」
「ええっ? 私もそこそこ長い付き合いですが、そんな風にしていただいたことは一度もありませんが」
「お前、いい加減に口を閉じたほうがいいよ」
「なぜですか。事実ではありませんか」
あくまで
そんな二人をにこにこと
「その人形はあなたの
「さっきは全く頼りにならなかったけどね」
仕返しとばかりにディルクが
(仲がいいなあ)
微笑ましく思う反面、ルーベンが
翌日の午後、ユノは魔具部屋の
「今からカフド公爵家へ行くんだよ」
(マリーに会えるといいけど)
不安はあるが、今朝までにできる限りリリーを綺麗に手入れしておいた。
頭の中に見えた昔のリリーと全く同じ──とまではいかないけれど、
「さあ──あれ? どこに行ったの?」
さっきまで隅に座っていたリリーが消えている。ユノは
「見つけた。どうして
リリーは
「せっかく綺麗になったのに
リリーがさらに
「どうしたの? マリーに会えるかもしれないのに」
あれほど切なげな声で呼んでいたではないか。会いたいはずなのになぜ?
まだ逃げようとバタバタ手足を動かすリリーを見つめて、ハッとした。
「……もしかして自分の姿が
ピタッと動きがやんだ。しゅんと
「そっか。そうなんだね」
綺麗になったといっても昔の姿とは
「心配しなくても大丈夫よ。昔の通りとは言えないかもしれないけど充分
言いながら
自分だってそうだったじゃないか。
「そうよね……
受け入れてもらえなかったらと考えると怖いのだ。よくわかっているはずなのに。
情けなさを
まるでユノ自身だ。自信がなくて嫌われるのが怖くて。
(直してあげられないかな)
そんなことを思った自分に驚いた。けれど直せるなら直してあげたい。もし自分に魔力があるというのなら──。
「おいで」
リリーに優しく手を
そこに現れたのはディルクとルーベンだ。
「ユノ、そろそろ出発しよう。準備は──」
リリーと向き合うユノを見て二人とも目を見張った。
(どうか元通りに。自信を持てるように)
ユノの手のひらが熱を持ち、やがて光り出す。リリーの全身が光に包まれ、そして──。
リリーがぴょこんと飛び上がった。
震えながら
元通りのリリー。頬も髪もドレスも、ユノが頭の中で見たとおりの姿だ。
「さあ、マリーのところへ行こう」
ユノは微笑んだ。必ずマリーに会える。なぜかはわからないけれどそんな予感がした。
戸口ではルーベンが目にした
その
ディルクとルーベンと一緒に、リリーを連れて馬車でカフド
ディルクが向かいに座っているため
ディルクは足を組み、ずっと顔を
ディルクがユノに興味がないことはわかっている。だからこんなことに
あの人は誰なのだろう。とてもお似合いで、そして親しげだった。ユノは腕を組むどころか視線も向けてもらえないのに──。
(ああ、
考え始めると落ち込むばかりだ。
「先ほどリリーを元通りにした力はすごかった!」
めずらしくルーベンが興奮している。
「
「うるさいよ」
すぐ隣に座っているせいか、ディルクが顔をしかめて文句を言った。けれどルーベンは気にする様子もなく、
「ですが本当にすごかったじゃありませんか! ディルク様も見とれていたでしょう?」
(えっ?)
ユノははじかれたように視線を向けた。
(本当に? 信じられない。そんなわけないわ。でも……)
心の片隅で期待する自分もいる。
けれど──。
「そんなわけないだろう。お前の見間違いだよ」
ディルクの声は冷たい。表情も口調も必要以上に
(やっぱりそうよね……)
わかりきっていたことだ。だから落ち込む必要はないのに心が
うつむくユノの前でディルクが
カフド公爵家の前庭には大きなオールリの木が生え、先が赤色の葉っぱが
けれど──。
「マリー……ですか。残念ながらそのような名前の女性はうちにはおりませんね。いたこともありません」
公爵家の居間で、立派なひげをたくわえた公爵が申し訳なさそうに言った。
「
(嘘。いないの?)
ユノは息を
(いたこともないの……?)
ユノは
「ですが確かにここにおられると思うんです。そんな気がするんです」
後ろに
「失礼ながら、その人形はひょっとするとローズ様が持っていらしたものではないかと」
「ローズ様?」
『マリー』とは似ても似つかない。
「マリーという名前はわかりませんが、ローズ様はそのお人形を大事に持っておられた
「そのローズ様はどこにおられるんですか?」
公爵が答える。
「私の
(寝たきりの伯母君……)
「こちらです」
と、公爵に案内されたのは日当たりのいい広い
前公爵の姉で、一度
ユノは
「この人がマリーさんなの?」
けれど反応はない。
「伯母上。ローズ伯母上」
公爵が
「最近は眠っていることが多くて……」
ユノはリリーを胸に抱いて「マリーさん」と呼びかけた。
「マリーさん、起きていただけませんか」
「伯母上……!」
公爵たちが
ユノは
「……もしかしてリリーなの?」
「そうです、リリーです!」
「なぜここに……? これは夢? リリーはもう何十年も前、私が結婚した時に荷物にまぎれて見えなくなってしまったのに」
「確かにリリーです。あなたに──マリーさんにとても会いたがっていました」
「本当に? 私もずっと会いたかったわ。リリー」
ローズは寝たまま、
「ずっと
ディルクが聞く。
「マリーという名はどこからきたんです?」
「マリーは私のあだ名です。といっても子どもの
そして
「あの箱を持ってきてもらえないかしら」
(何の箱だろう?)
侍女が手にしてきたのはレースのついた古い箱だった。中にはこれまた古い人形の服やアクセサリーなどが入っている。リリーのものだろう。公爵
「無くしたリリーを忘れるために何度も処分しようとしたんですけど、結局できなかったんですよ」
リリーはそれらをじっと見つめていたが、一着の服に興味を示したようで、
「……これ? もしかして着たいの?」
リリーがコクコクと首を縦に
(でも、これって──)
それでもリリーが目で
「あの、この服をリリーが着たいと言っているんですが……」
「言っている?」
(しまったわ)
思わず口にしてしまった。焦るユノにローズが
長く生きてきた者だからわかる、どこか
「もちろんよ」
侍女がそれを頭からすっぽりと着せると、ローズがゆっくりとリリーの頭をなでた。
「この服はね、私が子どもの頃に初めて手作りしたものなのよ」
(ああ、だからなのね……)
ユノは
それはワインレッドの
それでもその不格好な服を着て、ローズに頭をなでられているリリーは、今まで見た中で一番嬉しそうに見えた──。
魔力がないと勘当されましたが、王宮で聖女はじめます 新山サホ/角川ビーンズ文庫 @beans
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