【第一章】予期せぬ再会①

 月日が流れ、ユノは十八歳になった。

「ユノ、今日は中庭の草むしりを手伝ってほしいんだって」

 せんぱい侍女のキーラに言われて、コットンドレスに白いエプロンを着けたユノはうなずいた。

 ここは王都の中心地にある王宮である。

 広大なしきには国王と王太子のきゆう殿でんせいべつてい、深い森の中に川が流れる庭園などがある。

 その敷地の奥、小高いおかの上に奥の別邸と呼ばれる第三王子が住む宮殿があった。

(元々は国王陛下の側妃で、第三王子殿下のご母堂のために建てられたのよね。だけど彼女は十年も前にくなられてしまった)

 この『奥の宮殿』こそがユノの勤め先である。

 三年半前に王都に出てきて、なんとかここの下働きの侍女としてやとってもらえたのだ。それ以来、ひたすら真面目まじめに勤めている。

 ディルクのことを忘れた日はない。けれど思い出すたびに自己けんおちいって自分が嫌になる。罪悪感をともなう胸の痛みは、今でもちっともうすれてくれない。

(でも当然よね……)

 あんなにもやさしいディルクを傷つけたのだから。

 キーラといつしよに、階段を下りて中庭へ出た。

 半屋外のかいろうがぐるりと取り囲む中庭の真ん中では、ふんすいが水をき上げていた。はしに上った庭師たちが風通しをよくするためライラックの枝葉を切り落としたり、地面からモコモコと生えるプリペットを丸い形に整えている。

 ユノと同じ格好の侍女たちが地面にしゃがみ、おしゃべりしながらびた雑草をいていた。

 みなが生き生きして見えるのは天気がいいから、というだけの理由ではないだろう。

「ねえ、ユノは聞いた? 第三王子殿下が昨日のよるおそくに北東部のけん先からもどってこられたんだって」

 同じようにしゃがみこんだキーラが、抜いた雑草を手に興奮した顔で言った。

 ここの若き当主──第三王子で王立団の幹部を務める──が、長年のえんせいを終えて帰ってきたのだ。

 王子が遠征に向かったのが、ユノが勤め始めたのとちょうど同時期のことだった。だからユノは顔も知らない。けれど、

(第三王子殿下もディルクという名前なのよね)

 ここに雇われるまで知らなかった。

 正妃の子どもである王太子と第二王子とはちがい、第三王子は亡き側妃の子どもである。

 しかも新しい側妃が第三王子をこっそりと亡き者にしようとくわだてていたらしく、水面下ではあるがその件で十年以上もごたついていた。

 そのため第三王子の姿は世間いつぱんには知られていない。

 その彼の名が『ディルク』というのだ。

 めずらしい名前ではない。けれど耳にした時は思わず心が動いた。

 一緒にしよくたくを囲み、ユノが焼いたとりこうそう焼きを口いっぱいにほおっていたあのディルクと、ここの当主とは全くの別人だとわかっている。だって王族なのだから。

 それでも胸が苦しくなったのは事実だ。一度も忘れたことのない人──。

「それでね、ディルク様は今はこの宮殿におられるんだけど、午後に国王陛下のところへかんのごあいさつに行かれるそうよ。そのまま何日か騎士団本部にめられると聞いたわ。だから本格的にこの宮殿に戻られるのはまだ先みたい。ユノはディルク様のお顔をまだ見たことがないんでしょう? 戻ってこられたら見られるわよ」

 力説するキーラにあいまいに笑う。

 ここの当主で第三王子だなんて雲の上の存在過ぎて、正直見てみたいなんて気持ちはみじんもない。

 けれどユノを思いやってくれるキーラの気持ちはとてもうれしいので、なおに「はい」と頷いた。

 そこへ、

「ちょっとキーラにユノ、そこをどいてちょうだい」

 り返ると、一人のじよが口角をゆがめて立っていた。アイネといったか。

だんのチューリップをとりたいのよ。ディルク様のしんしつびんかざろうと思って。でもあなたたち下働きの侍女には関係のないことよね。だから早くどいてちょうだい」

 わざわざここを通らなくても、少し大回りすれば花壇へ行ける。

 キーラがくやしそうな顔をしたけれど何も言い返せない。

 侍女にも階級があって、ゆうふくな商人の家や下級貴族のむすめぎよう見習いとして侍女になると上級侍女と呼ばれる。お客の接待だったり、主人やその家族に料理のはいぜんをしたりと表の仕事をになうのだ。

 対してユノたち下働きは下級侍女と呼ばれ、そうや料理の手伝い、皿洗いなど裏方の仕事をする。

 そうほうの間には目には見えないけれどれっきとした身分のかべがある。上級侍女の中にはアイネのように、事あるごとにそれをわからせようとする者もいるのだ。

 キーラがくちびるみ、しぶしぶ立ち上がった。

 ユノものろのろとそれにならった。

 故意に人を傷つけようとする人間は苦手だ。妹を思い出す──。

 アイネが当然だと言いたげなみをかべた。その時、

「ねえ、ディルク様よ!」

 他の侍女たちのかんせいがして、アイネとキーラがはじかれたように顔を上げた。

 中庭をぐるりと取り囲む半屋外の回廊。中庭側は壁代わりに柱がとうかんかくに並んでいる。そこを騎士の隊服を着た男性が、ちょうど部下たちを連れて歩いて行くところだった。

 ユノは力なく雑草の土を落としていたため、顔を上げるのがおくれた。そのせいで見えたのは当主の後ろ姿だけだ。

 少しきよはあるけれど、その後ろ姿からは落ち着きとげんがうかがえた。

「ああ、行ってしまわれるわ。もっとお姿を見たいのに……!」

 アイネが悔しさのこもった声でつぶやいた。

(あの方が当主様なのね……)

 皆のようにどうしても姿を見たいとは思っていなかったので、特に残念ではない。ただ、

(ディルクと同じくろかみなんだわ)

 胸がギュウッとめ付けられた。

 もちろん黒髪なんて大勢いる。ただディルクを思い出して切なくなった。あの明るい笑顔と優しい口調を──。

「おーい、だれからバケツを持ってきてくれないか?」

 庭師の言葉でハッとわれに返った。

(いけない。思い出してる場合じゃないわ。ちゃんと仕事をしないと)

 ここを追い出されたら行くところなんてない。三年半勤めてようやく慣れてきたところなのだ。めんどうのいいキーラもいるし、クビになりたくない。

 侍女たちは当主を遠目でもいいから見送りたいために動かない。

「私が取ってきます」

 とユノは中庭のすみの奥にある納屋へ走った。後ろからキーラの声が追いかけてきた。

「あっ、ついでにぶくろも持ってきてくれないかな?」

「はい」

「ありがとう。お願いね。『ユノ』──!」

 その名前に反応したのは、回廊を歩く当主だった。足を止めておどろいた顔で振り返る。回廊を飛び出して中庭に降り立ち、ぜんと見返す侍女たちを見比べた。

 アイネが興奮した様子で一歩前へ出る。

 だが当主は──らくたんした顔をした。

 そのままアイネにはいちべつもくれずに回廊へ戻ると、

「ディルク様、どうされたのですか!?」

 驚いて後をついてきた部下たちにしようしてみせた。

「悪い。なんでもないよ。ちょっと昔の知り合いの名前が聞こえたから驚いただけだ。だけど考えてみれば、彼女がこんなところにいるはずないから別人だね」

「そうですか……」

 部下たちが顔を見合わせる。一人がおずおずと切り出した。

「その昔の知り合いというのは、ひょっとしてディルク様がサスカル元騎士団長のところに預けられていた時の方ですか?」

 当主──ディルクはあざやかな青い目で彼らを見返した。そしてちようするようにうなずいた。

「ああ、そうだよ」


    ● ● ●


 それから十日後のことである。

「ユノ、ここに並ぼう」

「はい」

 キーラの後に続いて、ユノはかべぎわの列の一番後ろについた。

 大きなシャンデリアのり下がる広いげんかんホール。正式にこのきゆう殿でんもどってきた当主をむかえるため、使用人たちがずらりと並んでいる。

「ユノはこの間も結局、ディルク様のお顔を見られなかったんでしょう? 実はユノが納屋へ行った後で、なぜかわからないけどディルク様が私たちに関心を寄せられたのよ。ものすごく驚いた顔で、かいろうから外へ飛び出してこられたんだから」

「えっ、どうしてですか?」

「さあ、わからない。あのいやなアイネは自分が注目されたとかんちがいしたみたいで喜んでいたけど、ディルク様は落胆した顔をしておられたわ。なんていうか、目当ての者がいなかった……とでも言うのかな? まあアイネはばつが悪そうな顔をしていたからスッとしたけどね。──でも今日こそはユノもディルク様のお顔が見られるわよ! 下働きの侍女なんて、こんな機会でもないとお会いすることはないから」

 ユノにはやはり当主の顔を見たいという願望はない。

 けれどキーラがせっかく連れてきてくれたのだし、ディルクと同じ名前でしかも同じ髪色だったから一度見てみようと思ったのだ。

 二列前にいた侍女が振り返った。その嫌味な笑顔はまたもやアイネである。

 たんにキーラが顔をしかめた。

(嫌だな……)

「ねえ、下働きのじよはこんなところにいなくていいのよ。さっさと掃除に戻ったら? 私たち上級侍女ならともかく、下級侍女なんてディルク様をお迎えするのに全く必要ないわ。むしろじやでしょう。こんなにも人がいるんだから、少しは考えたら?」

 この前、ばつが悪い思いをしたことへの八つ当たりもふくんでいるのかもしれない。キーラが嫌な顔をした。

 ユノはうつむいた。どうがして胸が苦しい。この前と同じだ。妹を思い出す。だから体の前で両手を強くにぎりしめることしかできない。

 だって事実なのだ。アイネの言うことも、妹の言うことも──。

「……ユノ、行こうか?」

 キーラが仕方なさそうに言い、アイネが笑いながら頷いた。

 その時、

「ディルク様が戻られたぞ!」

 玄関ホールがいつしゆんざわめき、そして一気に静まり返った。みなが静かに頭を下げている。この場からはなれそびれたユノたちも同じように頭を下げた。

 開かれたげんかんとびらから当主が姿を現した気配がした。

「お帰りなさいませ!」

 しつたちや料理人たち、そして侍女たちも大きな声で出迎える。

 ふととなりを見ると、キーラが半分ほど顔を上げてなんとかディルクの姿を見ようとひとがきの間から目をらしていた。

 ほらユノも! と言いたげに目くばせされたので、おそる恐る顔を上げた。

 二列前でアイネが目をかがやかせて、「お帰りなさいませ!」と何度もさけんでいる。この前の気まずい思いはすでにふつしよくされたようだ。なんとか声を聞き取ってもらい、もう一度自分をかくにんしてもらいたいという願いがけて見えた。

 ユノもキーラにならってびをしてみた。人が多過ぎる。けれどそのすきから少しだけ見ることができた。

 当主は部下のたちを後ろに従えて、落ち着いた態度でゆっくりと歩いてくる。

 引き締まった長身に騎士団の隊服をまとい、くろかみにあざやかな青い目。

(──えっ?)

 見間違いかと思った。常に心にあるから、その人の姿に見えただけだと。

 けれど違う。

(ディルクだわ……)

 使用人たちの前を歩いているのは、四年前に別れたあのディルクだ。

 背が伸びて顔つきも大人っぽくなったけれど、あのディルクなのだ。

うそ……)

 きようがくで心臓が口から飛び出しそうだ。

 母はディルクが上流貴族かもしれないと言っていたけれど、さすがに王族だなんて考えもしなかった。

(本当に……?)

 それでも、ここに来てから耳にしたうわさを思い出してなつとくがいった。

 子どもだったディルクは国王の新しいそくに命をねらわれていた。それをかいするために、ユノのき父の友人で、元王立騎士団長のサスカルのもとみつに預けられたのか。

 友人夫妻はどれほど母に問いめられても、ディルクのじようも預かった理由も話さなかったと言っていたではないか──。

 先ほどキーラに言われたこともよみがえる。

『実はユノがへ行った後で、なぜかわからないけどディルク様が私たちに関心を寄せられたのよ。ものすごく驚いた顔で、回廊から外へ飛び出してこられたんだから──』

 ディルクが驚いた顔をした理由は、ユノの名を耳にしたからだったのだ。

 ぼうぜんとするしかないユノの視線の先を、ディルクが通り過ぎて行く。

 ふとディルクがこちらを向いたのであわてて下を向いた。合わせる顔なんてない。相手は王族で、何より自分が傷つけた相手なのだ。

「ねえ、見た!? 前と同じく、ディルク様がこちらを見てくださったわ!」

 アイネのはしゃいだ声が聞こえて、ユノはいのるようにギュッと目を閉じた。

(お願い、早く行ってしまって……!)

 そうすれば下級侍女が当主と顔を合わせることなんてないのだから。

 きような自分に嫌気が差すけれど、ディルクこそユノに会いたいなんて思っていないだろう。本心からそう思う。けれどそれこそが卑怯なことなのかどうか、どうようし過ぎていてわからない。

「ああ、行ってしまわれるわ……」

 アイネの残念そうなつぶやきが聞こえて、ユノはあんの息をいた。

 ディルクの一番後ろについていたローブ姿の司祭が、小走りに前にけていった。

「ディルク様、今日の午後、ここに新しいが持ち込まれます。前にもお話ししましたが念のためと思いまして」

「えっ? そんなこと聞いた覚えはないけど」

「ちょっとじようだんでしょう! 確かにお話ししましたよ。しかも何度も!」

 鼻息あらく詰め寄る司祭にディルクが笑って言う。

「わかってるよ。確かに聞いた。ちょっと言ってみただけだよ」

 あきれた顔をする司祭の前で、ディルクがちょうど使用人たちの前列にいた年配のじよがしら微笑ほほえんだ。

「そのことを今日の魔具部屋のそう担当たちに伝えておいてくれないか」

「承知いたしました。今日の担当の侍女はキーラと──それに『ユノ』ですね」

 ディルクがしようした。

「また『ユノ』か」

「どうかなさいましたか?」

「前にも宮殿内でその名前を耳にしたんだよ。知り合いの名前といつしよだったからおどろいたけど、まあよくある名前だしね。彼女がここにいるわけないから別人だ」

 ユノはうつむいたままくちびるみしめた。最低だとわかっていても、ディルクが自分のことをほんの少しでも思い出してくれたことがひどくうれしい。

 けれどそれは一瞬のことで、すぐに現実に戻った。

 別人だと思ったまま過ぎていってほしい。合わせる顔なんてないのだ。

 けれどユノの願いとは裏腹に、ディルクが話のついでというように侍女頭に聞く。

「それで、そのむすめの名字は?」

「確かマイデンだったかと。ユノ・マイデンです」

 実家をかんどうされたから本来の名字である『ベリスター』は使えない。だから名前を聞かれた時、とっさに近くにあった小麦ぶくろに書かれた産地を答えたのだ。それが功を奏するなんて思わなかった。

「そう。やっぱり別人だね」

 ディルクがかたをすくめて歩き始めた。

(よかった……)

 自己けんおちいりながらも心底ホッとした時、不意に二列前から上ずった声がした。

「ディルク様、ユノならそこにいますわ!」

 ギョッとした。

 アイネだ。上級侍女といえど当主にはおいそれと話しかけられない。だから今がチャンスだと思ったのだろう。きっと下級侍女のユノが王子の知り合いのわけがないから、ユノも期待外れだという顔をされればいいと意地の悪いことも考えたのだ。

 ホールに集まる全員の視線が集まり、ユノは青ざめた。ディルクに見つかることもこわいけれど大勢の人に注目されるのもきようでしかない。

 おろおろしながら急いでこの場から離れようとした。けれど背後はかべで、前も左右も人だらけで身動きがとれない。泣きたい気持ちでいると、

「もういいよ。しょせん知らない侍女だ」

 幸いにも、ディルクの興味なさそうな声がした。

「そうですよね! よくあるうすちやいろの髪と目の、特に美人でもないただの下級侍女ですもの!」

「──薄茶色の髪と目?」

 ディルクがぴたりと足を止める。

 ユノは心臓が縮まる思いがした。

(どうしよう。どうしたらいいの……?)

 真っ白になる頭で、それでも両手で必死に顔をかくした。

 けれどだった。

 大きく目を見開いたディルクが、おおまたで人々の間をすりけてくる。アイネが驚愕の顔つきになり、使用人たちが慌てて道を空けた。

 一直線に向かってきたディルクがユノの前に立った。

(嘘……)

 心臓が口から飛び出しそうだ。恐怖で顔が上げられない。ディルクが目の前にいることが信じられなくて、再会できて嬉しいと思う反面怖くてたまらない。

「ユノ……?」

 それでも頭の上に降ってきた声に心がふるえた。なつかしい声。傷ついて震えていたユノに、いつもやさしい言葉をかけてくれた。

 思い出に勇気づけられてユノはおそる恐る顔を上げた。目の前にディルクの姿があった。背がびて、ほおの線が大人っぽくなった。


 ディルクだ。


 しゆんかん、四年前にもどった気がした。自分のしたことを忘れて、まっさらだったころに──。

 ユノの視線を受けてディルクが微笑んだ。

「久しぶりだね。元気だった? どうしてここにいるの?」

「あっ……家を出たから……」

 魔法が使えず勘当されて追い出されたなんて、ずかしくて言えない。

「そう。ご家族は元気?」

 言葉に詰まった。ディルクはユノの家をたまにおとずれていただけだ。しかもその時は母もシンディもユノに対してつらく当たらなかったから、ディルクとサスカル夫妻は実情を知らないだろう。

 けれど辛く当たられていたなんて言えない。言いたくない。

 自分を好きでいてくれたゆいいつの人だ。言ってしまえば、たとえ過去のことでもディルクの中でいやおくに変わってしまうかもしれない。そうしたら自分は唯一の支えすら失ってしまう気がする。

「事情があって内緒にせざるを得なかったけど、実は俺はこの国の王族なんだ。ごめんね、驚いただろう?」

「うん……」

 なおうなずいてハッとした。

「と、とんでもないです!」

 何をやっているのだ。相手はディルクだが、第三王子でここの当主なのだ。

「そんなにかしこまらなくていいよ」

 ディルクが笑った。四年前と同じ優しいがお

 ユノの胸に温かいものがあふれた。自分のしたことを忘れたわけではない。けれど少しだけ気が楽になった。

 やはりディルクは四年前と同じく優しい。そう思った瞬間、ずっと心にあったことが口に出た。

「あの、ごめんなさい」

「何が?」

「四年前のことです。ずっと謝ろうと思っていて、本当にごめんなさい……」

 会う資格はないと自分をいましめていたけれど、もし会えたらと心のかたすみで考えたことはあった。その時はせめて自分がこんやくを断ったことをきちんと謝りたいと思っていたのだ。

 ディルクが苦笑した。

「まだそんなことを気にしてたの? もういいよ。昔のことなんだから」

(本当にいいの……?)

 救われた気がしたその時、

「ディルク様、このじよとお知り合いですか?」

 司祭のあつに取られた声がした。ディルクの部下もほかの使用人たちも、そしてアイネもぼうぜんとユノたちを見つめている。

「そうだよ。四年前まで、俺は元団長のサスカルのもとに預けられていただろう。その時の知り合いだ。サスカルのき友人の長女だよ」

「ああ、なるほど」

 司祭たちがなつとくした顔で頷く中、おもわくが完全に外れたアイネがくやしそうに唇を噛んだ。

(よかった……)

 四年間の胸のつかえが下りた気がする。微笑むユノにディルクが言った。

「ユノは昔とちっとも変わらないね」

 はじかれたように顔を上げた。

 ディルクの笑みがまともに視界に入った。四年前と同じ優しい笑み。

(──ちがうわ)

 四年前とは違う。表面では優しい笑みをかべているけれど、ディルクの目の奥にはえとした冷たい色がある。

 自分のとんでもないかんちがいに、ザッと冷水を浴びせられた気がした。

 昔ディルクと会っていた頃はれいな服を着ていた。その日だけは名門の家のむすめらしく、シンディとおそろいの新品のワンピースに、母がかみを巻いてリボンもつけてくれた。

 その頃のユノと、髪も手入れしておらず朝のそうすすよごれがついてさえいる今のユノがいつしよに見えるのだ──。

 ディルクはユノにはもう興味がない。そのことが身にみてわかり、ガツンと頭をなぐられた気がした。

 そこへ、

「ディルク、お帰りなさい」

 まるでいちじんの風のように、長い髪をなびかせたドレス姿の女性がげんかんから入ってきた。親しげにディルクのうでを取る。

「ずっと留守でさびしかったのよ。もうどこにも行かないでね」

 甘えるような声で言い、ディルクの肩に頭を乗せた。

 ユノは息をんだ。

 ゆるく巻いたつやのある髪に、見とれるほどのぼう。流行のかたの開いたドレスを品よく着こなしている。

 ユノと同じ年くらいだけれど、国で一番多い薄茶色の髪と目、十人並みの容姿と中肉中背の『へいぼん』を絵にいたようなユノとでは住む世界が違うように思えた。

 ディルクがあきれた顔で彼女を見下ろした。

「さっき国王陛下のきゆう殿でんで会ったばかりだろう?」

「だってずっと会えなかったのよ。もうはなれたくないもの」

 二人の親密なふんに、ユノは思わず一歩退いて身を縮めた。

 むなもとに階級を示すいくつもの星のバッジと、挙げたくんを示す水色のリボン。それらがついた隊服姿のディルクと、ごうなドレス姿の彼女はとてもお似合いだ。

 急に自分の格好が恥ずかしく思えた。だんは下働きでもじゆうぶんだと思っている。仕事がもらえるだけありがたいと。

 けれど今は手入れをしていない髪と、朝の掃除中に右腕とエプロンについた煤汚れがひどく気になった。隠すように横を向いた。

「じゃあ侍女の仕事をがんってね」

 ディルクがおうよう微笑ほほえみ、女性に腕を取られたまま背中を向けた。

 ユノは急いで頭を下げた。下げながらショックを受けている自分に気がついた。

 自分の立場もしたことも充分わかっているつもりだったのに、ちっともわかっていなかった。せめて謝りたいなんて、なんておこがましくて自分勝手なことを考えていたんだろう。

『ユノには二度と会いたくない』

 四年前に聞いた通り、ディルクの中ではすでに終わっていたのだと痛感した。

 わかっていたのだ。ちゃんとわかっていた。だけど心のどこかで甘えていた。ディルクはやさしいから、もしかして許してくれるんじゃないかと──。

(最低だわ……)

 自分は最低の人間だ。そんな甘えたことを考えていた自分が心底にくい。母とシンディの声がのうによみがえった。

『本当にな子ね。だれに似たのかしら? 全く産むんじゃなかったわ』

『お姉様って本当にそこないよね。私だったら恥ずかしくてたまらない』──。

(本当にそうだ……)

 その通りだ。

 ユノは頭を下げたまま必死になみだをこらえた。



 むかえが終わり、ユノは力なく宮殿の東階段を下りた。

「ユノってディルク様と知り合いだったのね。びっくりしたわ。中庭でのことも、ディルク様がさがしていたのはユノだったんだ!」

 興奮した様子のキーラに、あいまいに頷くだけでせいいつぱいだ。

 先ほどのディルクの無関心を告げる目と、一緒にいた美しい女性の姿が頭から離れてくれない。そして何よりも情けない自分自身が。

「ユノが知り合いだとわかった時のアイネの悔しそうな顔を見た? 私たち下級侍女をいつも鹿にして見下すから、みんなきらってるのよ。いやー、スカッとしたわ。──あっ、こっちよ。今日から『部屋』の掃除担当は私たちだから」

 目指す魔具部屋は半地下の一番奥にある。三年半勤めているけれど、部屋数が二百をえるこの宮殿で、ユノは今まで足をみ入れたことがない。

 のろのろと歩を進めながら落ち込むばかりだ。

 そんな自分に無理やり言い聞かせる。ディルクが話をしてくれた。それで充分じゃないか。ユノには興味なんてないこともとうにわかっていたはずだ。ただそれを心のどこかで認めたくなかっただけだ。

 四年前の一件で追い出されても仕方ない立場なのに、今まで通り置いてくれる。それだけで充分にありがたいことじゃないか。

(そうよ。だから、せめて侍女としての仕事をきちんとしよう)

 今の自分にできることはそれくらいなのだから。

 弱い自分を必死に奮い立たせて聞いた。

「キーラさん、魔具部屋はどういうところなんですか?」

「ん? 魔具が置いてある部屋よ。ああ、わかるわ。いやよね。どうして担当になんてなっちゃったのかしら。──わかってる。私のくじ運のせいよ。ユノまで巻き込んじゃったわね。ごめんねえ。ああっ、本当に災難だわ!」

 魔具とは何かを聞きたかったのだけど、どうやらあまりかんげいされない物らしい。

「キーラさん、その魔具って魔道具のことじゃ──」

「待って! しまった。かぎを連れてくるのを忘れたわ。ユノ、先に行って部屋の前で待っててー!」

 言うなり、キーラは明るいきんぱつり乱して全速力で階段を上って行った。

 ユノより少し年上のキーラはここに勤めて長い。たまにうっかりしているところもあるけれどめんどうのいいおおらかな性格で、ユノが一緒にいて安心できる数少ない人の一人である。だからキーラと一緒の掃除担当になれて、とてもうれしい。

(それにしても「鍵を連れてくる」って何だろう? 「持ってくる」の言いちがいかしら?)

 不思議に思いながら、ユノはうすぐらろうを進んだ。

(確か、廊下のき当たりよね?)

 たくさんの部屋が並んでいたけれど一目でわかった。

 その部屋のとびらが異様だったからだ。

 半地下なのでせんたく室やワインセラー、食料庫といったいわゆる裏方の部屋が並ぶ。だから部屋の扉はどれも木製のシンプルなものだ。けれど魔具部屋の扉だけ鉄製で重々しい。

(取っ手がない?)

 おかしい。ユノは扉を見回した。片開きの扉なのに、取っ手もドアノブもなければ鍵穴もない。のっぺりとしたただの一枚の扉なのだ。

(どうやって開けるの……?)

 こんわくして、そっと扉にれてみた。手のひらにひんやりとしたかんしよくがした。

 その時だ。扉の内部から、パンッ……! と何かがはじけるようなかすかな音がひびいた。

(何の音かしら?)

 不思議に思っていると、ギイイ……ときしむような音がして、扉が勝手に動き始めた。

(えっ……?)

 分厚い鉄製の扉がゆっくりと外側に開いていく。ユノが手をかけていないにもかかわらずだ。

(ええっ……!?)

 きようがくしてぼうぜんたたずんでいると、廊下の向こうからキーラがけてきた。

おそくなってごめんね! 鍵がなかなかつかまらなくて」

 キーラの後ろにいたのは、先ほどディルクといつしよにいた若い司祭だ。足首まであるローブに銀のかたけをまとっている。真面目まじめな顔つきに長い銀髪がよく似合う。

 王宮のすぐとなりにある大聖堂の司祭の一人だが、なぜかこの宮殿にいるのをよく見かけた。

「待たせたな」

 顔つきの通り生真面目な物言いで、そして苦虫をつぶしたような顔でユノを見た。

「あのディルク様の昔の知り合いか」

 嫌そうにつぶやき、キーラと一緒に扉に視線をやった。そして──目をいた。

「おい! なぜ扉が開いている!?」

「本当だわ、どうして!? 嫌だ、昨日のそう担当の子たちが閉めるのを忘れたの? 大変じゃない!」

「いや、昨日確かに私が閉めて鍵をかけた。覚えている」

「そうなんですか? じゃあ、どうして──?」

 顔を見合わせた二人が、何かに気づいたようにぎこちなくユノを見た。

「まさかユノが開けたの……?」

「どうやって開けたんだ……?」

 二人のしんけんさにまどった。けれど何もしていない。

「触れたら開いた……気がします」

「はああっ!?」

 二人があつに取られた顔をした。

「ユノは魔法が使えるの!?」

「そんなまさか。使えません」

 全力で首を横に振った。使えないから実家からかんどうされてしまったのだ。魔力なんて持っていないと自分が一番よくわかっている。

「──まあ確かに、魔法が使えたら下働きのじよなんてしていないわよね」

 キーラがうなずき、なつとくできないという顔の司祭に疑いの目を向けた。

「ルーベン様が昨日鍵をかけたつもりで、実はかけ忘れたんじゃないですか?」

「そんな訳はない。確かにちゃんとかけたぞ」

「でもルーベン様はディルク様にこき使われておられるというか、いつもいそがしそうですよね? よくあせっていて、そのせいかしょっちゅう物を無くすし、色々な物にぶつかってしてますし」

「だからなんだと言うんだ! 昨日、確かに鍵をかけた。それと私はディルク様にこき使われているのではない。私が気をつかって、ディルク様のために動いてさしあげているのだ。かんちがいするな」

「はいはい。では掃除が終わりましたら、また呼びに行きますから。今日はちゃんと鍵をかけてくださいね」

「だから、かけたと言っている。昨日の掃除担当の侍女たちにもかくにんしてくるから待っていろ」

 ルーベンはあやしそうにユノを見ながら去って行った。

「おまたせ、ユノ。さわがせてごめんね。──ルーベン様はああ言うけど、絶対に昨日かけ忘れたのよ。いさぎよく認めればいいのに」

「あの、鍵って──?」

「ああ、ここは魔具を保管しているから部屋全体を魔力でふういんしてるの。それが『鍵』で、それが出来るのが司祭のルーベン様ってわけ」

 だから「鍵を連れてくる」と言ったのか。

「じゃあ中に入ろうか。何もこわいことはないから心配しなくてだいじようよ。ただちょっと気味が悪いだけ」

「えっ……」

(気味が悪いの?)

 いつしゆんちゆうちよしたけれど、キーラがさっさと中へ入っていくので急いで続いた。

 部屋の中は使用人の食堂くらいの大きさである。てんじよう近くにある二つの窓が分厚いカーテンで閉じられているため、廊下よりさらに薄暗い。

 キーラが慣れた手つきではしに上り、両方のカーテンを開けた。

 半地下なのにどうして窓があるのかと疑問だったけれど、どうやら中庭に面しているようだ。二つの窓の上半分から明るい日差しが降り注いだ。

(うわあ……)

 部屋の中は物であふれていた。立派な細工がされているが古びたたなやテーブルなどが押し込まれ、木箱がいくつも並んでいる。まるで物置部屋だ。しかし──。

「置いてあるのは道具ではないんですか?」

 魔法使いが魔力をぞうふくさせる時に使う魔道具。魔力が込められた宝石や書物のことで、ユノの実家にもあった。高価で貴重な品だから大切にあつかわれていた。決してこんな風に雑多にめ込まれるものではない。

「違う、違う。ここにあるのは魔道具じゃなくて『魔具』よ。つまり悪魔にられたしき物のこと」

「えっ……?」

 なんて怖い。息をんでばやく辺りを見回すと、キーラがけらけらと笑った。

「特に怖いことはないから大丈夫よ。まあ夜中に部屋の中からガタガタと音がするとか、転げ回るような音が聞こえるとかいううわさはあるけどね。でも侍女たちが交代で毎日ここを掃除してるけど、だれもそんな音は聞いたことがないから」

「そうなんですか……」

「本当に平気よ。掃除を始めましょう」

「はい」

 年代物の棚やテーブルを布でき、木箱の中身も一つ一つ取り出して掃除する。中身はこれまた古い人形や羽根ペン、表紙が破れた書物などだ。

 せっせと掃除していると、いつの間にか気味の悪さは忘れていた。キーラの言う通りおかしなことなんてないし、ただの物にしか見えない。特に明るい日差しの下では。

「ここの魔具はずっとこの部屋にあるんですか?」

「ううん。四年前に、ディルク様がここにもどってこられてからよ」

 その名前に胸がきしむように痛んだ。

「ここの魔具は元々、司教を務める第二王子殿でんの宮殿内に置かれていたのよ。だけど司教様は聖堂や教会を束ねる立場なのに極度の怖がりなの。怖くて手元に置きたくないから誰か代わりに預かってくれとうつたえたら、それをりようしようしたのがディルク様だったってわけ」

「さすがディルク様はおやさしいですね」

 消えない胸の痛みとともに、むせかえるほどのなつかしさが込み上げた。

 ディルクはいつも優しかった。おだやかで温かくて、いつもだまりのようにユノを包み込んでくれた。

 魔法が使えないと自分を責めている時に、

『魔法なんて使えなくてもいいじゃないか。俺はユノが好きだよ』

 と、笑って言ってくれたことにどれほど救われたか──。

(あの時のままなんだわ……)

 温かい気持ちが胸にあふれた。けれど同時に、あの愛情あふれるがおは自分にはもう二度と向けてもらえない、それが当然だとわかっていても胸が引きかれるように痛んだ。

 キーラがあきれた顔をした。

「そんな訳ないわ。ディルク様は司教様に魔具の預かり料として、法外な値段をけたのよ。ていたくが一けん建つくらいの金額をね」

「えっ?」

「しかも半年ごとのこうしんで、そのたびにそのばくだいなお金を取り立ててるらしいわ。まあ私たち使用人にもかんげんしてくれるからいいけど。ここだけの話、あれは完全にぼったくりよ」

「……えっ?」

「ディルク様ってまあ優しい方だと思うけど、結構腹の内は黒いというか、いい性格をされてるわよね。ユノは昔からの知り合いなんだからよく知ってるでしょう」

 そんなこと知らない。ぶんぶんと首を左右にった。おかしい。ユノが知るディルクと違う。

(──でもあれから四年もつんだもの。変わっていても不思議ではないわよね……)

 さびしく思う自分をじて、木箱の中から古びた人形を手にすると、

(……あれ?)

 人形の緑色の両目が光った気がした。

 しかしもう一度じっくり見てみると、何のへんてつもないつうの人形の目である。

(気のせいかな?)

 不思議に思いながら、布で人形のほおうでよごれをていねいに拭いた。

 金色の巻き毛をした女の子の人形。古いがかなり高価なものだ。けれど着ているドレスはそですそが破れていて、ところどころほつれている。巻き毛もからまってよじれていて、おまけに右頬に大きな穴が開いていた。

(なんだかかわいそう……)

 右頬をゆっくりとさすり、手でかみをなでつけた。

 ふと子どものころに持っていた人形を思い出した。き父が買ってくれた人形で、とても大事にしていたものだ。

 けれどある日、その人形がなくなった。泣きながら家の中、庭、物置小屋までさがしてついに見つけた。人形は庭のすみにあるゴミ箱にっ込まれていた。

(シンディのわざだわ……)

 いつもなら何倍にもやり返されるのが怖くて何も言えない。

(だけどこれは大事なお父様の形見だもの。シンディもわかってくれるはず)

 いちの希望をいだき、生ゴミがついた人形を手に力を振りしぼって訴えた。

 けれどシンディはわかってくれるどころかまゆり上げた。ユノが自分に意見することが許せなかったのだろう。すぐにユノが一番いやがること──泣き真似まねをして母のもとへ向かったのだ。

『お母様、お姉様が私をいじめるの!』

『だってそれはお父様が買ってくれたもので──』

『ユノ! お姉さんなんだから、それくらい貸してあげたらいいでしょう。シンディはあんたと違って、毎日魔法の勉強をがんっているのよ! 本当に嫌な子ね』

 勉強ならユノだってシンディ以上に頑張っている。けれど結果を出せない者はこの家で価値はない。

 それが十二分にわかっていたから、母が人形を取り上げてシンディにあたえるのを泣きながら見ているしかなかった。

 ろくに食事を与えられなかったりなぐられたりといった身体的ぎやくたいはなかった。ただ言葉や行動から、いかにユノがで不出来な子かり返し伝えられただけだ。

 母は名門を背負っているプレッシャーから、シンディはそれが当たり前で単純に楽しいから。

 それでもなんとか二人に愛されたくて、ユノは必死に母の手伝いをしてシンディの言うことを聞いた。まんして、気をつかって、優しくして──。

 それでも駄目だった。

 どうしてわかってもらえないんだろう。どうして自分には魔法が使えないんだろう。どうして自分には何も出来ないんだろう……。

 答えの出ない問いが、小さな体の中でうずを巻いた。


(──やめよう)

 かぶりを振って、嫌な思い出をあわてて頭から追い出した。思い出すたびただ悲しくなるだけだ。

 実家を追い出されて三年半が経つ。少しはおくうすまるかと思ったのに、ちっとも薄まってくれない。三年半前と同じえいさでユノの心を傷つける。

 それは自分が弱いからだろうか。

 その時だ。人形の両目がかがやいた。今度は確かに光った。

 おどろくユノの前で、人形の体がひとりでにふわっとき上がった。そして宙に浮いたまま、まるで意思を持ったようにこちらを見下ろす。

「何? どうなってるの……?」

「嫌ーーっ! 人形が、人形が宙に浮いてる!?」

 ゆかをほうきでいていたキーラが振り返り、青ざめた。

 ユノはぜんと見上げるしかない。だってとても現実とは思えない。

 そんな二人の前で、人形が左頬をゆがめてニヤリと笑った。

「ぎいやーーっ!!」

 キーラがパニック状態で、開いたとびらに向かってけ出した。いつぱくおくれてユノももつれる足で走ろうとしたしゆんかん

『マリー……』

 と、小さな声が聞こえた。幼い女の子が呼びかけるような切ない声。

 思わず足を止めて振り返ると、浮く人形と目が合った。

(この人形がしゃべったの?)

「ユノ、何してるの! 早く!!」

 戸口でキーラがさけぶ。ユノは人形とキーラをこうに見て、まどいながら聞いた。

「あの、キーラさん。今、あの人形しゃべりませんでした?」

「はあっ? 宙に浮いて笑っただけではき足らず、言葉も話すの!? かんべんしてよ──ユノ、危ないっ!!」

 思わず振り返ったたん、こちらに勢いよく飛んでくるものが視界に広がった。金色の絡まった巻き毛。あの人形だ。

 その瞬間、鼻のあたりにすさまじいしようげきを感じた。目の前にチカチカと火花が飛び、ユノは気を失った。

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