065 死合


 ――帰ろう。


 新奈の予想通り、イツキは校舎への帰還を提案した。遠征組の中で、異を唱えたものは誰もいなかった。もちろん、リザードマンたちの中にも、引き止めるものはいない。


 だが。


「怪我をさせても、責任は取れんぞ?」


「ああ、構わない」


 松下華音が、我儘を口にした。

 リザードマンの次期族長、ヴィヴィートとの本気の手合わせを望む。


「――己の実力がどの程度か、思い知りたいんだ」


「松下さん……」


 彼女はリザードマンの自警団にて、訓練を受けていた。情報としてそのことは知りつつも、実際にどのような訓練を行っていたかは知らなかった。梅木一派に流されるように属していた彼女は、ゆっくりと己の中にあるものを見つけ始めているのかもしれない。


「自分の取り柄は、これしかない。私の価値を、その目で確かめてくれ」


「…………」


 この集落にきて、心境の変化があったのだろうか。リザードマンという屈強な種族に囲まれて、彼女の中で迷いが振り切れたようにも見える。残念ながら、イツキは彼女の変化を深く理解することはないが、それでもその変化を好ましいと直感していた。


「カノンは、動物みたい」


 新奈が、口元を緩ませて呟いた。


「リザードマンと、通じ合うものがあったのかも」


「少年漫画じゃあるまいし」


 だけどもそんな小さなきっかけが、人を変化させることもある。



 ◆



 リザードマンの本気の手合わせは、本番さながらの形式で行われる。つまり、武器や装備は何でもありの、判定勝ちはなし。要は、純粋な殺し合いである。もちろん、これが手合わせである以上、決着を迎えればいたずらに傷を負わせることはないが、いつまでも負けを認めなければ、最悪の結果もありうる。手合わせというよりは、決闘の意味合いが強い。


「死にはしないさ」


 対峙する華音とヴィヴィートは、互いを鋭い眼光で睨みつけている。本気の死合であることは、発せられる雰囲気が物語っていた。


「本気でやっても生きていられると信じている」


「……俺は」


 イツキは、自分が彼女の身を案じているのかどうか、わからなかった。梅木一派の一連の流れで、彼女をとりわけ憎んでいるわけではない。そんな感情に流されるほど、生活に余裕もない。だが、一方でどこか線を引いていることは間違いなくて、口が裂けても信じているとは言えなかった。


「松下さんのことは何も知らないから」


 転移する前の世界では、会話をすることはほとんどなかった。こっちにきてからも、朗らかな会話はしていない。だから、この集落に身をおくことが、彼女にとってどういう意味を含んでいたのかがわからない。


 もっと言えば――この殺し合いに、何の意味も見いだせないのだ。


「『重戦士』松下華音、いざ参る」


「受けて立とう、『竜戦士』ヴィヴィートだ」


 集落中のリザードマンとイツキらが見守る中、何の合図もなく、戦いが幕を開ける。



 ◆


「――『兵装展開』」


 松下華音が、小さく呟いた。

 その瞬間、鍛え抜かれた彼女の肉体を覆うように、重厚な鎧に包まれる。


 普段から金属製のライトメイルに身を固めていた彼女の見た目が、より一層、強固なものに切り替わる。イツキの糸を生み出すの能力のように、彼女は自らの身を守る鎧を展開できる。


「それが貴殿の本気というわけか」


 禍々しいハルバートを担いだ華音へ、動じることなく言葉を向けるヴィヴィート。華音の武器に負けず劣らず、彼の手にする剣もまた巨大かつ威圧的であった。いくつもの生物の生命を奪ったことが伺える、死の匂いに包まれた刃だ。


 両者の武器は、貧弱な人間をひと薙ぎで存在ごと刈り取る程の破壊力を秘めている。体格こそ違うが、他者を殺すための武器としては申し分ない。


「――ッ!!」


 先に動いたのは、華音の方だった。身をぐっと屈めながら、大きくハルバートを振りかぶる。挨拶代わりの一撃を、しかしヴィヴィートは避けることもせずに真正面から剣を合わせた。


 鼓膜を突き刺す爆音が、両者の武器から放たれる。剛腕で有名なヴィヴィートは、想像以上の一撃に自然と笑みがこぼれていた。


「素晴らしい」


 華奢な人間が実現できる限界を超えていた。天職『重戦士』は、数多の食人鬼を狩り殺すことで成長している。加えて彼女は、リザードマンの集落で自分以上の体格の相手とひたすらに鍛錬し続けていた。天職の特性に甘えることなく、戦う自分の価値を求めて汗を振り絞る。


「――っ!」


 先手を取った彼女は、そのまま何度もハルバートを力任せに叩きつける。一見、めちゃくちゃに武器を振り回しているだけのように見えるが、あまりの衝撃と速度に、ヴィヴィートは防戦を強いられていた。反撃する隙がない。


 ――行け、嬢ちゃん!


 屈強なリザードマンの集団が、華音を応援していた。彼らは、自警団の一員で、イツキらが知らない所で交流を深めた相手である。彼らは自警団でありながら、華音の訓練に遅くまで付き合っていた。好戦的なリザードマンという種族は、『重戦士』のような粋のある戦い方を非常に好む。愚直なまでに真っ直ぐな性格も相まって、松下華音は誰よりもこの集落に馴染んでいたのだ。


「松下さん」


 本来なら、彼らはヴィヴィートを応援しているはずだ。彼はとても屈強な戦士で、リザードマンの英雄らしい。ならば何故、彼らは松下華音を応援している? イツキは、その答えを知らなかった。彼女がこの集落で何をしていたかなんて、殆ど知らないのだから。


「自分で答えを見つけたのか、それとも」


 生き生きとしながら戦う姿を見ていると、ようやく彼女の本当の素顔が見れたような気がした。戦いに身を置きながらも、瞳がキラキラと輝いている。複雑な駆け引きや謀略など、彼女にとって煩わしいものでしかない。カースト上位の女子高生は、誰よりも戦いが好きだった。リザードマンと訓練するうちに、彼女はそれを知ったのだろうか。


「わからない」


 ここにいても意味がないと、イツキは結論付けていたが。


「わからない」


 一方で、勝手に成長してく奴もいる。


「わからないが、それでも」


 松下華音は、笑っていた。


 自分よりも遥かに強い相手に挑みながら、そこに生きている。


「――手緩いぞ、華音」


 そして。


「ぐっ!?」


 怒涛の攻勢を捌き切ったヴィヴィートが、僅かな隙を突いて華音の懐に潜り込む。疲弊し、荒々しくなった大ぶりの攻撃は、自分を窮地に陥らせる。


 ――ぞくり、と。


 華音は、強烈な「死」のイメージに襲われた。攻撃を躱され、懐に飛び込まれた時点で、彼女は負けに等しい状況だ。しかし、『重戦士』はそれでも固い守りを披露する。


 ヴィヴィートの刃は、確かに華音の胴体を捉えていた。その一撃が彼女を殺めることなど承知で、剣を振るう。ここで手を抜くことこそが、相手に失礼だと理解している。


 だが、結論。

 ヴィヴィートの必殺の刃は、華音の肉を切り裂くことは敵わなかった。


「『拒絶』」


 本能的な危険を察知した『兵装』が、あらゆる干渉を否定する。彼女の肉体から放たれた衝撃波が、迫る脅威を理不尽に跳ね除けた。


「なっ――!?」


 大き吹き飛ばされるヴィヴィート。

 ダメージこそないようだが、オートマチックに発動する防御術式に、さすがの彼も息を呑む。


 堅牢な重装備と、鍛え抜かれた肉体。それに加えて、術式による厳重な防御態勢こそが――『重戦士』の本分である。その天職は、人々の屈強なる盾として最前線を守ってくれる。最強の盾の片鱗が、垣間見えた。


「面白い」


 理不尽な術式を見たヴィヴィートは、にやりと笑った。

 彼女の堅牢な防御を貫きたくて仕方がないのだろう。


「次は、逃さない」


「……私は、まだまだ強くなれる」


 松下華音の頭の中には、複雑な悩みなど消え失せていた。今、彼女を突き動かすのは、ひたすらに自分を高めること。そして、それこそがクラスメイトのためになると、信じている。


「馬鹿な私には、これくらいがいい」


 今度こそ、間違えないために。

 破れない盾として敵の前に立ちふさがることだけが、彼女の存在理由である。


「長くなるぞ、これは」


 誰かが、笑いながら呟いた。

 見ごたえのある戦いに、誰もが心を踊らせている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る