064 期待は叶いません
この世界は、数々の魔物や魔神、異種族が小さな集落を形成して生活している。転移する前のような、大規模な国家は存在しておらず、どちらかと言えば原始的な暮らしが続けられている。技術の発達はそれなりにしていても、やはり『闇人』のような正体不明の圧倒的な脅威や、厳しい生存競争によって、中々コミュニティが育まれないようだ。
リザードマンから得られる情報は、あまり大きいものはなかった。この辺り一帯の集落の情報や、人間が滅亡しているらしいという事実。あとは、魔物の情報や食料の確保の方法等、生き抜くための助言程度のみである。彼らもまた、狭いコミュニティの中で生き抜くことで必死だった。目の前にある毎日を生きるだけで、精一杯らしい。
集落に滞在して、10日程が経過していた。その頃にはイツキらもすっかりリザードマンたちと打ち解けることが出来て、互いに異文化交流を行うようになっていた。最初の心配は杞憂だったのか、警戒心も随分と緩み始めている。
「人間は、器用なのね」
族長の娘にして、ドミニクの婚約者であるサムエルが、目を丸くさせて驚いていた。リザードマン用に仕立て直した衣服に、興味津々の様子だ。
「いえ、これは能力です。この世界に来て授かったもので、人間の実力ではありません」
『仕立て屋』としての実力を買われて、イツキはリザードマンに服飾の技術を提供していた。やはりイツキに興味を示すのは、女性のリザードマンたちである。『建築士』として優秀なドミニクだったが、完成した建物を彩る能力に欠けていた。そこでイツキは、彼女たちから詳細な要望をヒアリングしながら、小洒落たカーテンやテーブルクロスを提供していた。
「そうなの? でも、素晴らしいわね」
リザードマンは、繊細な作業を苦手としていた。なるほど、大は小を兼ねるともいい難いのだと、イツキは学んだ。
「イツキくん、お食事の時間ですよ」
そうこうしているうちに、割烹着に身を包んだ菜乃子がやってくる。彼女は『鑑定士』というよりも、単なる食事のお手伝いさんとして、集落に助力していた。イツキは、菜乃子の能力を明かすことを拒んだ。鑑定眼を隠し、知識に長けた聡明な少女として、菜乃子のことを紹介するに留めた。これもまた、彼なりのリスクヘッジである。
「まぁ、菜乃子ちゃんのお料理、楽しみね」
「あはは……わたしは、何もしていませんよ」
『鑑定眼』から入手できる情報を駆使して、彼女は食用に向いているキノコや山菜を的確に採集する。知識に疎いリザードマンが口にすることを避けていた食料を、彼女はあっさりと集めてしまうのだ。最初こそ躊躇っていたリザードマンも、知識外の味を知ることで菜乃子への評価が一転した。
「……わたしたちよりも長く世界にいても、知らないことはたくさんある。この世界には、知らないことばかりなのですね」
だからこそ、『鑑定士』はチート能力なのだ。
菜乃子の瞳を欲しがる者は、それこそ星の数ほどいるだろう。
「松下さんの方は?」
「相変わらずですよ」
目を細めて、菜乃子は答える。
「ヴィヴィートさんのところで、実践訓練中です。さすがは『重戦士』……見た目は華奢でも、リザードマン相手でも全く引けを取りません。団員 の中では中々高評価のようですよ」
「そうか」
松下華音は、己の無力さに歯痒くなったのか、ヴィヴィート率いる集落の自警団に身を置かせてもらっていた。彼らは集落を襲う魔物や魔族に対抗するための武力を備え、日々訓練を欠かさないという。リザードマンの戦い方を学ぶことで、自分の中の何かを変えたかったのかもしれない。
「そういえば、ドミニクが言っていたわ。ヴィヴィート様が、華音ちゃんの力を認めていると。近いうちに、本気で手合わせをしてもいいと零していたそうな」
「……松下さんって、そんなに強いの?」
精神的に弱いところばかり見ていたから、少し驚いてしまうイツキ。
だが、これまでの戦果を考えれば、当たり前の話である。
「心が弱いところもあるが、潜在能力はぴか一ですって。心身ともに鍛え上げれば、立派なリザードマンの戦士になれると」
「ははは……そりゃ面白い冗談だ」
短い時間で、随分と親しみを共有することが出来ている。初めての異文化交流にしては、成功したと評しても間違いあるまい。だが、一方でイツキは焦りのようなものを感じていた。誰かと繋がりを結ぶことが出来れば、もっと世界の核心に近付けると思っていた。だが、この集落には何もない。ただ、言葉の通じる異種族が同じように生活しているだけ。
「…………」
ゲームのように、トントン拍子にうまくいくわけではない。いくら元の世界に帰りたいと願っていても、手がかりは簡単には見つからないのだ。
「……ここは、居心地がいいですね」
しみじみと、菜乃子は呟くが。
「あまり長居するわけにもいかないけどな」
校舎組は、ちゃんと無事でいるだろうか?
進むべきか、戻るべきか。
これ以上、この場所にいても、得られるものは何も……。
◆
イツキらがリザードマンの集落に滞在している間、中里新奈は別行動を徹底していた。と言っても、族長の家に招かれて接待を受けているのは、最初だけ。彼女は集落から少し離れた小高い丘の上で、猟銃を構えて周囲を見張っていた。
「……また、この場所にいらっしゃいましたか。どうか、集落にお入り下さい。みんな、貴女様の心配をしています」
族長であるブラジェイが、わざわざ出向くほどの用事。彼らにとって新奈は、ただの客ではない。救世主なのだ。
「いい」
小さく、新奈は首を振った。
「自然に近い方が落ち着く」
触れ合いの暖かさは、『狩人』の感覚を鈍らせる。だからこそ彼女は、より孤独な場所で辺りを見渡せる場所に陣取っていた。迫りくる脅威――彼女は、『闇人』を警戒しているのだ。それを理解しているからこそ、リザードマンも彼女を強引に集落に連れて行くことができない。
「君たちは、探知能力に乏しい。ニナがここにいるのが最善」
「……わかっておりますよ」
この集落にいる誰よりも、新奈は『闇人』を警戒していた。同時に、対抗策を持つ自分が、彼らを倒さなければならないと。
「ニナは、救世主じゃない。ちゃんと、わかって」
「……それでも、我々は」
「だから自分たちで、助かるしかないの」
「…………」
自然に生きる彼女は、誰よりも厳しい。だが、その手厳しさを、リザードマンは知っているはずだ。
「……わかっておりますよ。ええ、もちろん」
必要以上に新奈を崇め奉るのは、彼女に救いを見出しているから。もちろん、純粋なお礼の気持ちも含まれているが、それでも未来をつなぐ希望だと思っている者が多かった。新奈がいれば、この集落は救われる。彼女はその盲信具合に、飽き飽きしていた。
「ヴィヴィートが言ってた。リザードマンは誇り高き戦士であると。神様に祈ることが、戦士の仕事なの?」
「…………」
彼らが祈りを捧げた相手は、辛辣すぎた。イツキらの知らない所で、新奈は何度もその旨を伝えている。そのたびに誤魔化される、まやかしの言葉。『闇人』の脅威に心が折れていることは、明らかだった。
「本来なら、他種族と交流を結ぶはずのない孤高の種族。ニナよりも強いんだから、しっかりして」
「……そうですな」
だが。
「しかしそれでも、我々は変わらなければならんのですよ。一族の誇りとやらが、我々を豊かにしてきたでしょうか。我らの歴史は長いですが……何故、今もまだこれほど小さな集落なのでしょう。他種族を排し、身内だけで肩を寄せる。『闇人』の襲撃は、視野の狭まった愚か者にくだされた天罰なのかも知れません。ヴィヴィートは、昔から古い考えに懐疑的でした。だからこそ、あなた方を歓迎するべきだと主張したのでしょう」
「……そう」
自然と寄り添う行き方を愛するニナにとって、リザードマンはリザードマンらしくあってほしい。だが、それもまた自分のエゴだと理解している。彼らが変わりたいと願って人間と交流しているのなら、それもまた自然な成り行きだ。
「そろそろ、ニナたちは帰らなくちゃいけない」
「理解しております。特にイツキ様は、この集落から得られる情報に物足りなさを感じているようですから」
結局、リザードマンは自らの手で『闇人』に対抗しなければならないのだ。今回、襲撃を凌ぐことが出来たのは、たまたま運が良かっただけ。
「驚いた。強引にでも滞在させるのかと思っていた」
「まさか」
方をすくめ、ブラジェイは笑う。
「救われた生命の使い方を間違えるほど、愚かではありません。古の龍の血を引く、我らがリザードマンは――その誇りを胸に、これからも生きていくのですから」
「そっか」
イツキが期待していたものは、ほぼ得られなかったが。
それでも新奈は、新しく生まれた繋がりに、満足感を得ていた。
突き詰めてしまえば――新奈にとって、リザードマンは人間よりも信頼のおける相手である。もちろんそれは、諸々の感情を除けばの話ではあるが。
「明日くらいに、イツキが帰ろうっていい出すと思う」
「承知いたしました」
イツキたちが集落を離れるということは、『闇人』への対抗手段がなくなるという意味である。
それでも笑みを浮かべる族長ブラジェイは、覚悟に満ちた眼差しを新奈に向けていた。
「またいつか、尋ねてくることを待ちわびても?」
「当然」
次の約束をする意味。
「もっと美味しいものを、お願い。リザードマンの料理は、大雑把過ぎる」
「御意」
得られるものが乏しくとも。
この出会いは、イツキたちにとってかけがえのないものである。
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