062 異世界の知識


 手厚い歓迎を受けたイツキたちは、そのまま彼らの集落に宿泊する運びとなる。最初こそ固辞していたものの、肝心の新奈がノリノリだったため、イツキたちもやむを得ず従う形となった。最初よりも緊張は解れつつあったが、やはり新奈のように素で接することはまだまだ難しかった。


 ――だが。


「やはり貴殿らは、転移者であったか」


 次期族長であるヴィヴィートのその言葉が、イツキの興味を引いた。足が竦むとか、怖いとか、そういうことを口にしている場合ではないのだ。


「この世界には、俺たちのように別の世界から転移してくる人間が多いんですか?」


「極稀に、だな。人間というのはあまりにも脆弱で、その殆どが勝手に死んでいく。私も、生まれて初めてみた。そういう希少度だな」


「……そうですか」


 人類は絶滅している。だが、定期的に異世界転移が行われていた。ならば、影でこっそりと子孫が続いている可能性も否定出来ないのでは? 様々な疑問が渦巻く中、さらなる情報を求めて関わり合う。


「貴殿らは食人鬼の森から来たらしいが、よくもあの恐ろしい場所で生き抜くことが出来たものだ。あそこは禍々しい魔物が多いため、誰も近寄ろうとはせんからな」


「食人鬼のことですか? しかし、あまり強くは……」


「そうだな。だが、食人鬼は無限に湧いて現れる。殺しても食料にもならなければ、希少素材もない。戦うだけ徒労に終わる、面倒な敵だ。それに、『赤い夜』が発生すれば厄介だ。普段は雑魚のあやつらも、一気に凶暴に成り変わる」


「『血溜まりの夜』のこと?」


 新奈は、純粋無垢に聞き返す。それはイツキらの中での呼び名だが、指し示すものは同じだろう。


「仰るとおりでございます」


 新奈にだけは、特に物腰が丁寧なリザードマンたち。


「あれは『食人鬼』の数が一定以上になれば発生するものです。特に最近は短期間で起きていましたが、通常であれば年に一、二回程度が普通かと」


 前回の夜から、すでに一ヶ月が経過していた。それでもまだ、『血溜まりの夜』は発生していない。周期的な問題なのか、気候的な問題なのかと踏んでいたが、食人鬼の数がトリガーだとは思っていなかった。


「……そういや、ここまで来る間も、食人鬼はあまり見かけなかったな」


「誰かが討伐しているのか、それとも別の要因で頭数が減っているのか……やはり、我々としてはあまり近付きたくない場所だ」


 危険だからという意味もあるだろうが、どちらかと言えば忌み嫌われている、という印象の方が強い。


「見たところ、貴殿らは相当の手練のようだ。我らが心配するのもお門違いかもしれんが、あそこを拠点とするなら気を付けなされよ」


 次期族長のヴィヴィートは、酒をあおりながら忠告する。


「……それで?」


 新奈は、会話の続きを掘り下げる。


「『闇人』って、何なの? あれ、よくない。怖い。恐ろしい」


「……我らにもわかりません。正直、初めて見た存在です。文献や言い伝えでしか覚えないのない、噂話のような存在です。脈絡もなく、私どもの集落を襲撃して……」


 イツキらが最初に出会ったリザードマンのことは、すでに彼らに報告してあった。帰ってこない時点で、彼らもそうだろうなと覚悟していたようだ。


「正直、貴殿らが駆けつけてくれなければ、全滅は避けられなかっただろう。心より、感謝している」


 力強い言葉ながら、深々と一礼をするヴィヴィート。厳かな物言いでも、思いがとても伝わってくる。


「あまり大したおもてなしはできないが、好きなだけゆっくりしていって欲しい。知りたいことがあれば、いくらでも聞いてくれ。我らは人間との友好を求めている」


「……人間の中にも、やばい奴はいますよ。どうか、そのことをお忘れなく」


 拭いきれない不安が、イツキの胸中に渦巻いていた。

 『血溜まりの夜』がこないこと、そして食人鬼が経ていること。何も起こらないことを素直に喜べないのは、杞憂だろうか?



 ◆


 その夜、古びたリザードマン用の民家がイツキらに与えられた。彼らの体格基準で作られた家具や寝具は人間にとってかなり大きかったが、それでも使えないほどではない。


「小人の世界に迷い込んだ気分だ」


 ようやく仲間だけの状況に戻ったことで、華音は一息つく。


「……緊張しすぎだな。俺もだけどさ」


「頭ではわかっているのだが、なかなかどうしてもな。だが……悪い奴らではないのだろう」


 義理を通して、気を使ってくれた。宿泊に使ってくれと差し出された家も、他の建物よりも随分とキレイだ。


「しかし……ベッドが一つしかないが、これはどういう配慮だ?」


「気を使ってくれたんじゃないですか?」


 真顔で菜乃子が突っ込むものだから、思わずイツキは苦笑いを浮かべる。


「女子三人で使ってくれ。俺はリビングのソファーで寝るよ」


 キングサイズのベッド以上の大きさだ。三人でも十分眠れるだろう。それに、元々深い眠りを取るつもりはなかった。念のため、警戒はしておかなければ。


「……リザードマンは、どうだった?」


「予想通り、屈強な戦士ばかりですね。肉弾戦に持ち込まれると、人間ではなかなか太刀打ちできません。真っ向からやりあえるのは、『重戦士』の松下さんだけでしょう」


「おい、まさか彼らを襲撃するつもりじゃないだろうな?」


「そんなわけないだろ。ただ、心を許しすぎるのも危険だって話だ」


 もし、彼らが自分たちに牙を剥いたら?

 その仮定を念頭に置いて置かなければならない。


 互いに、行きずりの関係だ。特に、新奈以外の三人は、彼らに感謝される理由もない。


「ただ……次期族長らしき、ヴィヴィートというリザードマンだけはとんでもなく強いかもです。鑑定が……あまり、できなくて」


「そんなことがあるのか?」


「隠匿スキルがあるのか、わたしとあの方に実力差があるのか……おそらく後者だと思いますが……その、底が知れないと」


「……そっか」


 だが、そんなヴィヴィートも、『闇人』の前では無力であった。相性の差は、生命すら脅かす。


「ま、なるべく友好的な関係を作っていきたいな。彼らの文化やこの世界の全体像を知りたいし……できるだけ、長居することになると思う」


 彼らの好意に、全力で甘えさせてもらうつもりだ。


「そうですね……『血溜まりの夜』に関してもそうですが、知らないことが多すぎます。色々と、教えてもらいましょう」


「中里さんには、感謝してもしきれないな」


 彼女の勇猛果敢さが、この状況を作ってくれた。


「……それで、その中里さんは?」


「族長に気に入られてお呼びだそうだ。もはや、リザードマンの姫様になってるよ」


「ははは……凄いな、彼女は」


 自嘲気味な笑みを浮かべる華音。

 何も出来ない己の無力さを、ここでもまた痛感させられる。


「本来なら、ほいほい単独で動き回るべきじゃないんだけどな。あの子はちょっと独特だから」


 動物的な野生の勘で、彼らのことを信用しているようだ。それもまた、『狩人』の特性なのかもしれない。


「今日は、疲れたな」


「ああ、早めに眠ろう」


 そう頷いたイツキは、速やかに寝室から退場する。出ていく背中に、菜乃子は慌てて言葉を投げかけた。


「……ちゃんと、眠るのですよ」


「もちろん」


「噓吐き」


「もう慣れっこだから」


 扉を締めながら、鋼糸をゆっくりと生成するイツキ。


「……それでもみんなを守るのが、俺の仕事だからな」


 寝室を中心に張り巡らされた糸の罠が、侵入者を拒絶する。


「あ、中里さんが帰ってきたら、どうしよう」


 また張り直せばいいかと、無自覚に笑みをこぼす。

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