061 知性ある怪物が一番怖い
『リザードマン』という生き物に本能的な恐れを感じることは、仕方のないことだ。イツキも、菜乃子も、華音も、その強さや能力に寄ることなく蜥蜴のような、龍のような二足歩行のバケモノに及び腰であった。ひと目見て平静に見えるのは、舐められたくないという理由だけだ。
特に、最初に出会った『リザードマン』が好戦的であったことも、尾を引いている。だからこそ彼らは、『闇人』に襲われている集落を見て見ぬふりしようとした。
――だが。
「大したことはしていない」
『狩人』中里新奈は、本能的な恐れに屈することはなかった。むしろ、それが当然のように、『リザードマン』を救いに行動していた。
故に、彼女が『闇人』に銃口を向けたのは、独断である。その弾丸が貴重なことを踏まえると、恐るべき決断スピードだ。
「謙遜なされまするな。貴女がいなければ、我々は絶命していたかもしれぬ」
そんな彼女だからこそ、『リザードマン』たちは彼女を崇め奉る。まるで神様が顕現したかのような崇拝っぷりを披露していた。台座のような場所に招かれ、周囲をぐるりと『リザードマン』が傅いている。丹精込めて作られたであろう食料が、彼女へ捧げる貢物のように並べられていた。イツキらは彼女の従者として丁重にもてなされ、予想の遥か斜め上をいく歓待っぷりであった。
「あまり、先入観がないのかな」
彼らが人類を見慣れているとは思わない。それなのに彼らは、自分たちの種族以外に対して、驚くほど素直に結果を受け入れている。これが人間であればこうはならない。表面的には感謝し、礼を尽くすかもしれないが、見知らぬ種族に対して友好的に振る舞うことは不可能だ。そこには必ず、排他的な感情が見え隠れしている。同じ種族でもそうなのだから、間違いない。
「……疑わなくても、良さそうですよ」
「そうは言ってもだな……」
ぎこちない表情の華音。やはり蜥蜴型の怪物は、恐ろしくて堪らない。彼らもそれを察してか、距離をあけて対応してくれている。そんな繊細な気遣いが、警戒する自分たちの惨めさを浮き彫りにさせてくる。ほんの少し触れ合うだけで、人間の嫌なところを見せつけられたような気がした。
菜乃子が保証してくれている。彼らの好意に嘘はなく、それは頭ではわかっているはずなのに、心がそれを信じることができない。どれほどきれいごとを並べても、人間とは見た目で判断する生き物だ。そしてその第一印象を、なかなか捨て去ることができない。
「これで、食べていいの?」
それでも新奈だけは、躊躇いなく距離を狭める。自然の中で生きてきた少女は、見かけに拘ることなく言葉を向けていた。ちやほやされているからではない。彼女が最も、振る舞いが美しいからだ。
「是非とも。お気に召して頂けると良いのですが」
異世界転移して、天職の作用によって言語理解能力に恵まれた。だが、新奈を除くイツキらは、それでも現地の種族と積極的に関われない。むしろ、バケモノのような見た目をしていながら、言葉が通じることの方が怖いのだ。
「ありがと」
「…………」
自然に振る舞う新奈のことを、悔しげに見つめるイツキ。彼とて、これが『リザードマン』との友好的な関係を築く絶好の機会だと理解している。だが、改めて自分よりも二回り以上大きい身体と対面すると、本能的に萎縮してしまうのだ。
食人鬼やギフトアプフェルとはまた違う、力強い生命力の雄叫びに打ち負けてしまう。もし彼らが、敵意を振りまいて戦いを仕掛けてくれていたらまだわかりやすかった。殺し合いの関係なら、本能的に体が動いてくれる。だが、獰猛な目つきをした怪物が、それでも知性をもって歩み寄ろうとしていることには、慣れていない。
「萎縮しないというのも、無理があるだろう」
イツキの側にいた、ヴィヴィートと呼ばれている次期族長が声をかけてくる。
「だからせめて、柔らかな表情を浮かべて欲しい。恐れているのは、貴殿らだけではないのだ」
「……そっか」
すとん、と。
イツキの中で、理解が落ちる。
人間という稀有な種族が、彼らが対抗できない化物を一掃した。二回りも小さいはずの体格ながら、誰よりも圧倒的に戦果を上げてみせたのだ。見える部分、新奈の周囲にいる者たちは、恐れよりも崇拝の念が強いのかもしれないが――やはり、そうでないものもいるのだ。
「敵意は、ありません」
意識を外側に向ければ、簡単にわかることだ。イツキらの存在を、遠巻きに見つめるいくつかの影。彼らの瞳には、警戒よりも不安げな色が見え隠れしている。
「敵意は、ないんですよ……」
「……わかっている。わかっているとも」
よくわからないのは、お互い様。
彼らとて、イツキらのような訳のわからない相手は恐ろしいに決まっている。
「だからこそ私は、信じるしかない。彼女の勇気と、この出会いが尊いものであることを」
「……はい」
この話をイツキにしたということは、彼はイツキをリーダーだと確信して声をかけてきたということだ。彼自身、そのような立場にあるつもりはなかったが、どうしても似たような役割を引き受けることもある。
「小さきものよ、その警戒心は当然のものだ。決して、悲観的に思うことはない」
「それは、貴方も?」
「私は、少し変わっているからな。『闇人』に敵わなかった悔しさばかりが残っている」
「……あれは何なんですか? 俺たちも、今日遭遇したばかりで……たまたま、対抗手段があっただけなんですよ」
「待て、その話はもう少し後にしよう」
申し訳無さそうな表情で、ヴィヴィートは言う。
「族長が、長い長い挨拶を始める。祝いと歓待の席故に、ご容赦願いたい」
「そうですね」
――ブラジェイ様!
と。
族長の名前を叫びながら、何人かの『リザードマン』が声を上げていた。現れたブラジェイは少しばかり老いてはいたものの、力強い眼差しがやはり生命の濃さを教えてくれる。
「旅人よ、無常の感謝を申し上げよう」
恭しく、新奈に一礼をした。
それから族長は、イツキと、菜乃子と、華音、それぞれに一礼を捧げる。彼らの文化を知らないイツキにとっても、その行為のおおよその意味は理解できる。何もしていないイツキらにまで礼をするほど、彼らは感謝しているのだ。
「では、挨拶を――」
それから彼は、本当に長々と挨拶を口にする。
だがそれは、一言でまとめるのなら、彼らから新奈への感謝の情念の表現方法であった。
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