059 『闇人』との邂逅


 その場にいる誰もが、突如として姿を表した『闇人』の脅威を瞬時に理解した。リザードマンを一瞬で呪い殺したそれは、ゆったりと宙を漂っている。真っ黒な霧の集合体は、意志を持ってイツキたちを観察していた。


 ――逃げられない。


 松下華音は、本能で察していた。イツキと菜乃子の前に立ちはだかり、槍斧を構える。「逃げろ」というイツキの言葉に従うには、まだ意思疎通が足りていない。盾である彼女は、二人を置いて逃げられない!


「!!」


 片や中里新奈は、ひりつく殺意を感じ取って、すぐに殺意で応じる。躊躇いはなかった。弓をその場に投げ捨てて、坪井稜大製の猟銃を構え、すぐに引き金を引いた。


 ――BANG!


 新奈の弾丸が、『闇人』に放たれる。

 華音の槍斧が、周囲の大木ごと『闇人』を薙ぎ払う。


 大崎イツキが、『鋏』を顕現させていた。

 出し惜しみすることなく、全力で『闇人』を殺しにかかっていたが――


「――ダメです、それは」


 『鑑定士』が、叫んだ。


「『闇人』に、物理攻撃は効きません。意味がありません――!!」


 菜乃子だけが、化物の特性を理解していた。


 種族:『闇人』

 真っ黒な靄のような、不定形の怪物。人のような形を取っているが、意志があるかは不明。生物に寄り添いながら、静かに死を与える死神のような行動パターンをしている。彼らに取り憑かれたら最後、速やかに肉体は生きることを放棄する。彼らはただ、生あるものを殺す。目的もなく彷徨いながら、殺す。出会ったら最後、どこまでもつけ狙われる――と、『鑑定眼』は語る。


「……?」


 菜乃子の言葉通り、三人の攻撃を意にも介さず素通りする『闇人』は、ゆっくりと華音に近付いていく。


「……逃げろって」


「だから、早く大崎たちが」


「馬鹿、狙われてるのはお前だってことに、早く気付け――!!」


 執念深い性質をしているのか、闇人は華音以外には目もくれない。惜しみない殺意を漲らせながら、ひたひたと近付いてくる。


「ちっ」


 弾丸も、槍斧も、大鋏も、『闇人』の身体を通過してしまう。対抗する術を持たないイツキたちは、一転して窮地に陥るが。


「――どいて」


 二度目の銃撃が、イツキの頬を掠めて『闇人』に炸裂した。意味がないと思われたその弾丸は、しかし『闇人』の瘴気を抉り取る。


――!!!」


 夜の雄叫びのような声が、辺りに響く。


「まだ」


 三発目。

 今度は『闇人』の中心部に、新奈の弾丸が突き刺さる。


 物理無効の特性すら無視する、脅威の銃撃。

 あっけにとられていたイツキと菜乃子は、消えゆく『闇人』の姿を呆けてみていることしかできなかった。


「……よし」


 当の本人は、特に何事もなかったように背を向ける。役目は果たしたと言わんばかりに、身を潜めようとするが。


「待て、新奈。今のは何だ?」


「?」


 小さく首を傾げる新奈は。


「あの、弾丸を見せてもらっても宜しいでしょうか」


「うん」


 菜乃子の鑑定眼が、新奈の装備品を改める。


「……これは、すごいですね。『聖女』加護が施されています。どうやら、神聖の属性を付加していたことで、実態のない相手を撃ち抜くことが出来たようです。『闇人』は、この手の聖なるものが苦手らしい」


「そもそも『闇人』ってなんだ?」


 その呼び名を理解しているのは、『鑑定士』である菜乃子だけだった。


「鑑定の結果、それが彼らの名前のようです。意志薄弱、存在も限りなく感知しづらいですが……死を運ぶ死神とも呼ばれた、物理無効の特性を持つ化物です」


 取り憑かれると、一瞬で命を奪われる。先ほどのリザードマンがいなければ、危なかったのはイツキたちだったかもしれない。


「それは厄介な相手だな。正直、手も足も出ないよ」


「松下さんは、平山さんから加護を貰っていないの?」


「……それは」


 本来、仲が良いはずの二人。だが、気が付けば距離が開いてしまっていた。新奈に加護を与えて、華音に加護を与えないなど、初めての経験だろう。


「大崎たちに同行すると、言ってなかったからな。それが理由だと、思いたい……」


「新奈、加護付きの弾丸はあと何発残ってる?」


「いっぱいある。半分くらいは、『呪術師』の呪い付きだけど。あの二人、ニナの弾丸にいたずらしてたから」


 だが、その悪戯のおかげで命拾いをしていた。あまりにも初見殺し過ぎる敵を知ったことで、警戒心は否が応でも上昇する。


「どうしますか。一度、帰還するのもありかもですが……」


「……いや、進もう」


 ここで帰るには、ひよりすぎている。リザードマンと遭遇したことで、付近には彼らの集落があることは間違いない。言葉が通じることも理解した。ならば、彼らの生活規模を確かめておきたかった。


 ――いずれ、殺し合う相手になるのかもしれない。


「だが、無理は禁物だ。やばいと想ったら、すぐに帰還するぞ」


「わかりました」


 横たわるリザードマンの死体を眺めながら、華音は口惜しい表情で言葉を零す。


「……無念だろう。わけのわからぬまま、殺されてしまって」


 彼の死体は、とても美しかった。外傷は一切なく、寝ているようにしか見えない。だが、確実に心臓は止まっているし、菜乃子の『鑑定眼』でも死亡を通告している。


「本当に、ただ死んだだけのようですね」


「……少し気になるな」


 あのリザードマンは、『闇人』の存在を知っていたのだろうか? 彼らがこの近辺に住んでいることは、格好を見ていればわかる。明らかに、自分たちで用意した武器や防具を身に着けている。しかしそれらの装備は、『闇人』に対して無意味なものばかり。もしかすると『闇人』は、リザードマンにとっても予想外の存在なのかもしれない。


「出来れば、リザードマンとは友好的な関係を築いていきたいんだがな」


 先程の個体のように、好戦的過ぎるのならそれも難しくなる。

 この世界のことを知るためには、現地民からの情報収集が求められていた。


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