058 最悪の遭遇


 食人鬼の森の仕掛けられた術式は、一体誰が施したものなのだろうか。それとも、土地固有に根付く気候のようなものなのだろうか。地図を作り、『鑑定眼』で道順を分析しながらでなければ、森の終わりにたどり着くことはできなかった。


「……細谷たちは、どうやってこの森を抜けたんだろう」


 『狩人』がどれほど森の中を駆け巡ろうと、『鑑定士』と共に森の中の地図を制作しても、校舎を離れた細谷一派の足取りを掴むことはできなかった。もし、森を抜けることになれば彼らと遭遇することがあるかもしれないと構えていたが、やはりその可能性は低そうだ。


「しかし、あの二人は本当に優秀ですね」


「そうだな」


 先頭を突き進む松下華音が、轟音を炸裂されながら食人鬼を駆逐していく。少し離れた位置からでもわかる、ど派手な戦闘。右手に握られている槍斧と甲冑が、『重戦士』としての振る舞いをこれでもかと見せつける。


 普通、森の中のような入り組んだ地形は、『重戦士』が活躍できるようなフィールドではない。小回りのきく『武闘家』や『狩人』の方が、よっぽど戦いやすいはずだ。それなのに彼女は、地形を無視した長物の武器、通称『ハルバート』を振り回しながら、周囲に生い茂る草木ごと食人鬼を薙ぎ払っていた。


「――はぁっ!!」


 その光景は、まさに一騎当千。

 多少の反撃など防御する必要もなく、ひたすらに槍斧で食人鬼の身体を叩き潰している。


「あいつ、勇者よりつよくね?」


「それはわかりませんが……さすがは、戦闘特化の天職です」


 『血溜まりの夜』のあの日も、彼女は梅木が姿を消した後、凶暴化した食人鬼の群れから正門を守っていたという。正確な数はわからないものの、食人鬼の撃破数で言えばぶっちぎりのナンバーワンだろう。


「それでいうのなら、中里さんも負けていませんよ」


 『重戦士』ほどの火力や殲滅力はないものの、『狩人』もまた森の中では驚異的な戦闘力を誇っていた。『重戦士』との戦いを避け、直接イツキたちを狙おうとしたはぐれ食人鬼は、獲物を見つけて吠えたけるが――死角から放たれた矢によって、脳髄を貫かれてしまう。


「前衛が派手すぎると、フォローが大変」


 驚くほど正確な射撃によって、イツキたちの元に辿り着くまでもなく彼らは殺されていく。もちろん、イツキたちとて守られるほど弱いわけではないのだが、彼女らの実力を見る機会であり、強くなる絶好のタイミングでもある。できることなら、仲間に任せたい。


「イツキくんの能力は燃費が悪いですからねえ。もし、中里さんの矢を抜けてくる食人鬼がいたら、わたしが制圧しますよ」


「……俺だって、普通に戦えるからな?」


 燃費が悪いのは、『瞬間縫合』と『鋏』だけである。

 糸と針で戦う分には、他の天職と同じような動きが可能だ。


「いいんですよ。たまには他の人に任せて下さい。なんでもイツキくんがやっちゃったら、成長しませんし」


「……それもそうか」


 それに今は、『鑑定眼』を発動させている菜乃子の側にいるべきだ。彼女の存在こそ、校舎組の希望なのだから。


「イツキ」


「ん?」


 頭上から、新奈の声がした。


「変な生き物がいる。見たことない。新手?」


「……危険度は?」


「わからない。なんだか……蜥蜴みたいな感じ。何かから、逃げているみたい」


「なんだって?」


 早速か、と。

 未知なる生物との邂逅に、心を引き締める。


「――松下さんと合流しよう。追われている方も、追っている方も、ひとまずは敵性対象とみなす」


「了解」


「……あ」


 そこで、菜乃子が気が付いた。


「もしかしたら」


 途切れ途切れの、その言葉で。


「――森の終わりが、近いかも知れません。空気の流れが、違います」


 ひしひしと突き刺さる、緊張感。

 その場にいた誰もが、固唾をのむ。



 ◆


 それは蜥蜴のような、鰐のような、あるいは竜のような形状をしている二足歩行の生物である。明らかに人間よりも一回りも二回りも大きい身体と、引きずられる丸太のような尻尾。そこまでなら単なる怪物の一種だが、彼らは武器や防具を身に着けていた。つまり、知性があるのだ。


 通称、『リザードマン』


 イツキたちが初めて遭遇する、知的生命体である。


「――っ!?」


 ファンタジーやゲームの物語なんかでは、慣れ親しんでいるはずの既視感のある種族。だが、それが実際に目の前に現れるとなると、脳味噌は理解不能の反応を返してしまう。


 ――恐怖。


 身体の奥底から悪寒が走り、正常な思考を奪い去ってしまう。


 明らかに人間よりも屈強な種族! 加えてこの世界の先住民! 何もかもが不利な状況の中で、それでも思考は凍りついてしまう! ただ襲い来るだけの食人鬼とは、心構えが違う!


「落ち着け」


 それは、自分に言い聞かせる言葉。


「落ち着け――みんな。相手も、


 この状態で戦闘を仕掛けられると、危うかった。動揺したまま、恐怖に囚われたイツキたちは、目の前のリザードマンに蹂躙されていたかもしれない。だが、やはり知性がある。だから、すぐに襲いかからない。


「こんなときに」


「――っ!?」


 突然、リザードマンが言葉を口にした。理解できるはずのない言語が、それでも天職の基礎特性により、言語能力を補佐してくれる。


「言葉が、通じるのか」


「ほう」


 華音の問いかけに、リザードマンは目を細めた。


「――何故、我々の言葉が通じる。貴様らは、魔の者か?」


 威風堂々、剣を構えるリザードマン。

 

「……違う、はずだ」


 イツキたちは、この世界の常識を知らない。だからこそ、慎重に答えを返す必要があった。


「ならば、異世界人か?」


「――っ!?」


 今度こそ、イツキの心をは恐怖に染まってしまった。

 

 どうして? 何故?

 自分たちの姿を見て、異世界人だと推測できる!? それが意味するものは――。


「――反応が、わかりやすいぞ。まぁ、そうでなければ言葉が通じるはずもない」


 前提知識に差がありすぎる! 明らかに、相手の方が立場が上! そして、この威圧感と存在感は、目の前のリザードマンの強さを嫌というほど教えてくれている!!


「イツキくん、なるべく戦闘は……」


「わかっている」


 1vs4で、窮地に立たされているのはリザードマンのはずだ。しかも自分たちは、持ちうる戦力の中でも上位を占める四人。そんな彼らが、戦闘を避けたがっている。それほどまでに、リザードマンの佇まいは異質だった。


「あまり心地良い殺気を飛ばしてくれるなよ。そんなに、殺し合いたいのか?」


「……いや? あんたが強そうだから、気が立っているだけだ」


 弱みを見せたら、容赦なく突かれる。穏便に済ませたいが、余裕がないと思われてはいけない。


「…………」


 菜乃子は、『鑑定眼』の鑑定結果に心底驚いていた。それは、彼がとても優れた天職を有しているから――ではない。彼は種族『リザードマン』の、歴戦の戦士。特別な特性や能力は何もなかった。


 ――だが。


 それでも尚、圧倒的な個の戦力を有していた。『鑑定眼』が示す危険性は、逃げ一択の真っ赤な文字。つまりは種族として、あるいは個体としての基本性能が違うのだ。生まれながらにして、人間を超越している。


「い、イツキくん……」


 徐々に、敵性信号が強くなっていく。眼の前のリザードマンは、イツキたちに興味関心を覚えたようだ。それも、おそらくは最悪の形で。


「強そうだな、お前たち」


 刃を剥き出しにして。


「――どれ、異世界人の味を確かめてみるか」


 凶暴さを顕にしたリザードマンは、ありったけの息を吐き出しながら、イツキに斬りかかる。


 気を緩めてはいけない。

 手を抜いてはいけない。


 即、殺すべきだと――奥の手である『鋏』を生み出そうとした、その瞬間だった。


「……え?」


「…………」


 ばたり、と。

 何の前触れもなく、リザードマンの身体が地面に落ちた。糸が切れた人形のように、ぐったりと動かなくなってしまったのだ。


「――死んでます」


 瞳を見開きながら、菜乃子が言う。


「え? どうして? さっきまで生きていたのに……この方、もう、死んで……」


「嘘だろ。何が起きた!?」


 敵性信号が、鳴り止まない。

 菜乃子の『鑑定眼』は、依然として緊急事態を通告する。


 そこでようやく、彼女は理解した。

 先程までの恐怖は、リザードマンから放たれたものではなく。


 もっと別の、根源的な存在から放たれた、生き物としての怯えであることに。



 真っ黒な闇が、人の形を纏っていた。


「――?」


 種族『闇人』

 恐れや怯えを喰らい生きる、触れるだけで生き物を殺す、闇の住人だ。


「――逃げろ」


 力強く、イツキが叫ぶ。


「今すぐ、逃げろ――!!!」


 『死』は、前触れもなく彼らの背中にやってくる。


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