057 出発


 そして、出発の時間が訪れる。

 特に見送られることもなく、彼らは朝焼けの霧の中に溶け込むようにして旅立とうとしていた。


 大崎イツキ。

 笹川菜乃子。

 中里新奈。


 そして――


「……よろしく頼む」


 松下華音、序列6位 『重戦士』

 元梅木一派の中核メンバーにして、『聖女』平山聖凪の幼馴染である。


「松下さんが来てくれるなんて、意外だった」


「……そうだろうな」


 自嘲気味に笑う彼女の表情は、暗く陰りを差している。痩せこけた頬が、これまでの彼女の苦悩と葛藤をよく表している。自責思考が強すぎるがゆえに、色々と思い詰めているようだ。イツキ自身、それは自業自得だと思う一方で、何かを変えたいと一歩踏み出す彼女の姿に驚いていた。


「信頼できないだろうから、同行を拒否してくれて構わない。だが、私はきっと……良い盾になると思う」


「……そうだね」


 イツキたちのパーティに欠けていたのは、フロントラインだ。その点で言えば、彼女の天職は最適解とも言える。


「連れて行くべき」


 新奈が、彼女を強く推薦する。


「前衛がいないのは不安」


「もちろん、断るつもりはない」


 松下華音が立候補してくることは、ある程度予測はついていた。イツキが驚いたのは、その表情である。信頼を回復したいとか、汚名を返上しようとか、そういう気概は一切見当たらない。むしろ、悲壮感の漂うその横顔は、死に場所を追い求める落ち武者のようであった。


「あまり、厳しくしない方が……」


 彼女の精神状態を察した菜乃子は、小声で進言する。


「わかっているよ。松下さんだって、クラスメイトの一人だもんな」


 死んで欲しくない。

 殺されて欲しくない。


 だけどイツキにとって、優先順位がわかりやすく低い仲間というのは、ありがたかった。


 ――


「……駄目だな」


 こんこんと、こめかみをノックする。


「思考が、危険な方向に流れている。これじゃ、梅木と変わらない」


 死して尚、幻影のようにイツキの前に立ちはだかる『勇者』の存在。集団を守るために個を切り捨てるやり方は、非常に効率的である。


「……松下さんは、どうして同行しようと思ったの?」


 わかりきったことを、聞いてみた。


「今の校舎は、私にとって息苦しい。輪の中から外れてしまったんだ。だから……自分の、存在証明が欲しい。そしてそれは、危険の中にしか存在していないと結論付けている」


 聖凪と華音が言葉を交わす機会が、誰の目にも明らかなほど減少していた。決して、聖凪が彼女を無視していたわけではない。だが、ちょっとした彼女の心境の変化が、より幅広い交友関係を求めていったと言うだけ。ある意味、聖凪に依存していた華音にとって、それは巣立ちのタイミングのように思えたのだ。


「そっか」


 弱りきった心の行く末なんてものは、そっと指し示すだけで方角が定まってしまう。それは無自覚なのか、意図的なのか、松下華音はイツキの願うように行動をなぞってゆく。


「それじゃあ、行こうか」


 彼女以外に、同行を希望したものはいなかった。校門前に集まった四人は、それぞれの胸に決意を秘めながら、一歩を踏み出す。


「……頑張ってねぇ~~~」


 背中から、青葉の気だるそうな声が聞こえてきた。苦笑いを浮かべる瑠海に抱きかかえながら、眠気を押して見送りに来てくれたようだ。


「青ちゃ、朝弱いから……みんな、気をつけてね!」


「う~~~~眠い~~~~~」


 よくよく気が付いてみれば、見送りに来てくれたのは二人だけではなかった。

 聖凪や朱鷺も、一歩引いた位置から柔らかな眼差しを向けている。校舎の二階の窓からは、心が横目でイツキを見ている。他にも何人かが、自分たちの教室から手を振っていた。


「……見送りはいらないって言ったんだけどな」


「そういうわけにはいかないわ。本当に……気を付けてね」


 真心の心配をしてくれるのは、『聖女』として?


「照れ隠しをする君を見ることができるのなら、早起きをすることくらいわけないよ」


 朝日の光を浴びながら、ひときわ透明感の増した雰囲気で朱鷺が微笑みかける。


「……んじゃ、出発するか」


 目を逸らして、背中を向けた。


「照れてません?」


「そんなわけあるか」


「ほほー」


 イツキと菜乃子が、仲良さそうに前を向いた。


「……ニナは、離れた場所からついていくから」


 『狩人』として、森に潜みながら二人を追いかける。


「それなら私は、先頭だな」


 仲良しこよしの遠足ではない。

 命懸けの、周辺調査である。


「――行こう」


 そして彼らは、一時的に校舎を後にする。


 この世界のあり方を知るために、危険を承知で進むのだ。


 ◆


 深淵の彼方に潜む、純然たる死の臭い。瘴気を慈しみながら吸引した『屍術師』酒井担任は、食人鬼の森の奥で眠っていた。


「……ああ、ええっと」


 歳のせいか、油断しているとすぐに眠りについてしまう。参った参ったとへらへら笑いながら、彼はゆっくりと立ち上がった。


「なんです? これ」


 ぬめりのある鱗と、鋭い眼光。大きな尻尾を携えながら、それは『屍術師』に武器を向ける。人類は、とうの昔に絶滅していた。だが、生物は多種多様に進化し、そこに根付いている。彼らは、『屍術師』を危険因子とみなした。振りまく瘴気の悪質さに、吐き気を催していたのだ。


「――ああ」


 そして酒井は、彼らがとても強力な種族であることを理解した。


 理解して――にんまりと、笑った。


「美しく、殺してくださいね。その方が、手駒にしやすいですから……わかりましたか、勇者くん?」


 目の前の化物を認識した酒井は、静かに命令を下す。


「…………」


 首のない『勇者』は、粛々と彼に従う。ツギハギされた手足を歪に動かしながら、それでも力強く戦闘を仕掛ける。もはやそれは、梅木壮哉だったころの面影はない。


 雄叫びが、辺り一帯に広がった。


 数分後、その場に生きて立っていたものは、『屍術師』だけであった。


 

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