055 滅私奉公


 何度目かの遠出を繰り返したイツキたちは、食人鬼の森の全容をある程度把握していた。その過程で、どうやら東の方角に開けた平原が広がっていることを突き止める。そこで彼らは、未開の地への探索に乗り出すことにした。


「校舎の守りが最重要だ。よって、今回の調査においては少数精鋭で臨もう」


 イツキは、危険を犯してでもこの世界のことを理解すべきだと考えている。菜乃子の『鑑定士』としての能力があれば、初見殺しのような展開は避けられるはずだ。


「まず、俺と菜乃子は確定だ。後、一人か二人ほど同行して欲しい。もし、この中に危険を顧みずに参加してくれる者がいたら、声をかけてくれ。出発は、明日の早朝を予定している」


 二人でも構わない。

 だが、欲を言えば一人か二人、戦力が欲しかった。校舎の守りを固めることを踏まえれば、それが限界の人数だろう。


「また、同行できるのは前衛職及びそれに準ずる活躍が見込める天職だけだ。危険な道のりになるだろうから、生産職は連れていけない」


 クラスメイトたちの中に、どよめきが渦巻いている。

 果たして、調査隊に加わろうとするものは訪れるのだろうか――。



 ◆



 校舎の一階にある食堂で、女子三人が昼食を取りながら雑談に花を咲かせている。その中心は、やはりイツキが募集した調査隊に関してであった。


「ここちーは、立候補するのー?」


 『狩人』小野寺瑠海は、無垢に尋ねる。それが自分を指す呼び方だと気付くのが遅れた心は、つまらなさそうに手を振った。


「しんどそうだから、パスよパスー。ってか、あたしじゃそもそも同行できないし」


 足を組みながら、不満げに唇を尖らせている。

 そういいつつも、参加したい気持ちが見え隠れしていた。


「大崎のやつ、なんでわざわざ危険な冒険をするんだろ。校舎にいた方が安全なのに……」


「イツキくんにも考えがあるんだよー」


 青葉が、にこにこと頷く。


「ひらりんやトキちんにも話はつけてあるっぽいし、大丈夫じゃないー?」


「……平山さんと楠本さんね。相変わらず、変なあだ名つけるの好きね」


 ここちーと呼ばれたことでむず痒さを感じつつも、満更ではない心。こんな風に、親しみを込めて呼ばれることはあまりなかった。


「青ちゃはどうするのー?」


「わたし?」


 対する青葉は。


「もう立候補したよー? あはは、即決だったね」


「うそー! 青ちゃが!? 意外ー!」


「……青葉の能力は、強力だもんね。きっと、あいつの戦力になるはず」


「ううん、駄目だった」


「え?」


 あっけらかんと、笑う青葉。


「わたしには、校舎に残っていて欲しいんだって。あはは、変に期待されすぎちゃっているかも」


 堀青葉の『雷術士』としての能力は、対多数戦において圧倒的な実力を発揮する。もし、突発的に食人鬼の襲撃が発生したとしても、彼女がいればなんとかなる公算は高い。もちろん、調査隊のメンバーとしては申し分ないが、連れて行くと校舎組の防衛が疎かになってしまう。


「ふーん、あいつも意外と線引きしてるんだ」


 校舎組のことを考えてくれることが、少し嬉しい心。


「でも、びっくりだよー。青ちゃって、こういうの立候補しないタイプだったじゃん! どしてどして?」


「え、えっとー……」


 そこで彼女は、苦笑いを浮かべて。


「もっと、力になりたい……から?」


「何で疑問形なのー!」


「だってー!」


 きゃあきゃあとはしゃぐ女子二人。微笑ましくそれを見守る心。


「それに、誰も立候補しないと思ったからー!」


「言えてるわそれ」


 ここにいる三人は、『血溜まりの夜』の前からイツキと信頼関係を築いている。だからこそ全面的に協力したい意思があった。だが、他は違う。校舎の中でならともかく、イツキと共に危険に飛び込むのは覚悟がいるのだ。


「イツキくんとナノちゃんなら、二人でも大丈夫そうだけどね」


「駄目でしょ、二人っきりは」


 当たり前のように、心は言う。


「バランスが悪いわよ。せめて、あと一人は連れて行かないと」


「わ、わたしもそう思う!」


「ほー」


 危険を感じて? それは何の?

 変化の兆しを見せ始める二人を見つめながら、瑠海はにんまりと笑っていた。


「ルミちゃんは立候補しないの?」


「ええー、わたしは無理だよ。足引っ張るの、嫌だし」


「……多分だけど、大崎はこの3人を連れて行くつもりはないと思うわよ」


「え?」


 意外そうに、目を丸くさせる二人。


「あいつが連れていきたいのは、大崎のことをあまり良くを思ってない人じゃないかな。あいつ、意地悪だもん」


「あははー、そうかも!」


 すでに心は、ある人物を脳裏に浮かべていた。


「……無事帰ってきなさいよ、ホントに」


「だねえ」


 大なり小なり、彼女たちはイツキに救われている。だからこそ彼の身を案じながら、調査の成功を祈るのだ。


「ここちーは、イツキくんのことをよく見てますなぁー」


「……そんなことないわよ」


「そうかなぁ?」


 再びにんまりと笑う瑠海。

 隣の青葉の横顔を眺めながら、今のバランスが少しでも長く続けばいいのにと祈る。



 ◆



「……ねえ、準備は?」


「問題ない」


「そう」


 坪井稜大の工房に、珍しい人物が尋ねていた。校舎組の人間はあまり知らないことだが、中里新奈は転移したてのときから何度もこの工房を訪れていた。


「に、ニナちゃん……」


「何?」


「い、いや……」


 彼を含む陰キャグループが、転移前から唯一関わり合った女子。それが、中里新奈であった。無表情で淡白な少女は、女子グループから常に孤立していて、友達が一人もいなかった。彼女自身、特に人との関わりに魅力を覚えていなかったから、それでよしとしていた。


 だが、ある日偶然、陰キャグループと班を組まされたことをきっかけに、彼女は陰キャグループから、「自分たちが声をかけてもいい唯一の女子」として認識され、度々声をかけられるようになっていた。傍から見てみれば、彼女は陰キャの姫のような担ぎ上げられ方をしていた。


「弾薬は?」


「あ、あります……」


 だが、決して彼女は、姫扱いに収まるような性格ではない。だからこそ、転移してきて環境が変わったことにより、彼女は陰キャグループから離れていった。『狩人』として山に入り、動物を狩る。仕方なく通っていた教室内だけが、彼女と陰キャグループをつなぐか細い関係だった。


「……これを、どうぞ」


 だが、その中で唯一、『鍛冶士』だけが彼女と関わる権利を手にしていた。『狩人』の彼女に、猟銃と弾薬を用意してあげることが出来る。『血溜まりの夜』に彼女が銃を持って参戦してきたのは、彼の貢献のおかげである。


「うん、ばっちし」


「……うす」


 弾薬を確認しながら、猟銃に装填する新奈。その手付きは、熟練の狩人である。


「…………」


 転移する前から、彼は新奈に心を奪われていた。彼女が何かを言う前に、気を引こうとプレゼントを送ったり、おせっかいを焼いている。まるで、オタサーの姫のような重役待遇。新奈もまた、差し出された好意を遠慮なく受け取る。稜大自身が、その行為に価値を見出しているからだ。


 故に彼女は、お礼を言うことはない。

 彼自身が、尽くすだけで幸せだと、口にしていたから。


「……あ、あの」


 ――ありがとう。


 朱鷺の声が、脳裏に響く。誰かに感謝される心地よさを、彼は今更のように体験した。こんな自分でも役に立てるのだと、わかってしまった。いつもは強気な態度で、「女なんて」「バカな女は」とか、性差別に近い発言を繰り返していた彼だが、優しさを知らない乾いた心が示した過敏な反応にすぎない。


「俺が……こうしていることって、ニナちゃんの役に立っているんだよな……?」


「……?」


 稜大は、彼女のことをアイドルやぬいぐるみのように扱っていた。一方的に尽くしている間は、自分の存在を視界に入れてくれる。そのことが、堪らなく嬉しかったのだ。


 だけど、今は違う。


「当たり前」


 新奈は、彼の気持ちが理解できない。ただ、尽くすことが好きな変な人、という認識だけ。貰えるものならなんでも貰うし、遠慮することはない。だってそれで、彼が満足しているのだ。


 今は?


「これからも、弾丸は作る。猟銃のメンテナンスもする。だけど俺は、無償で奉仕するわけじゃない」


「お金?」


「違う」


「……身体?」


「ば、バカっ……!?」


 彼女は別に、対価を払いたくないわけではない。彼がそういうのなら、ちゃんと耳を傾ける。だからこれは、彼自身の問題だ。


「俺は」


 彼は、自分の気持ちを理解できない。

 だってそれは、経験したことのない感情だから。


「……いや、何でもない。気にしないでくれ」


「わかった」


 その言葉通り、本当に彼女は何も気にしない。

 言いたいことがあるのなら、伝えたいことがあるのなら、堂々と胸を張って言わなければならない。それができない人間がいることなど、彼女には理解できないのだ。


「じゃあ、また」


「……ああ」


 必要なのは、銃と弾丸。

 それだけ? それだけ、それだけだ。


 だって、それだけでいいと彼が言うのだから。


「あー……」


 一人、工房に居残った稜大は、天井を見上げていた。


「俺は、何を求めてんだか」


 別に、欲しい物があるわけじゃない。

 だけど、何かを変えたかった。


「わけわかんねえな」


 彼女に尽くすことが、嫌になったわけじゃない。むしろ、これからも弾丸を作ってあげたいし、彼女のために働きたいと思っている。


 乾いた心にも潤いが必要であることを、強がりの彼はわからない。

 だからこそ、誰かの「ありがとう」の心地よさに、感動してしまうのだ。


 滅私奉公で幸福になれるなど、そんなものは幻想だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る