054 森の向こうの世界には


「地図を作っているときに気付いたのですが、食人鬼の森には特殊な魔術が施されているようです」


 ある日、拠点代わりにしている2年6組の教室で、菜乃子が報告した。


「魔術って?」


「方向感覚を狂わされる術式です。あまり強力なものではないので気がついていなかったですが……想像していたよりも、食人鬼の森は広大ではなさそうです」


 実際に森の中を歩いているときには分かりづらいが、地図に起こしてみると全体像が見えてくる。樹海のような果てのない領域ではない。


「北には、明らかに危険な匂いがする山脈が広がっていたよな」


「はい。校舎組によると、三日くらいかけて辿り着く場所にあるようです。地図があれば直線で進めますし、結構時短できそうですけどね」


「どういう場所か気になるが……あまり不用意に踏み入れるべきではなさそうだな」


 終末世界は、明らかに常軌を逸している。不意に現れた即死級の怪物が出てきても不思議ではない。近寄らないことが最善だと今は結論付けていた。


「朧気ながら、近くの地形を把握しつつあります。食人鬼の森のその先が、見えてきましたね」


 菜乃子が指差したのは、東。

 これまでの調査から、未知の領域が広がっていることが明らかになっていた。


「校舎組から離脱した細谷たちも、こっちを目指していたって聞いてるしな。近いうちに、調査隊を結成しよう」


 果たして、本当に人間は絶滅しているのか。

 この世界の現状を知るとともに、元の世界に戻る方法を探したかった。今ではもう誰も口にしないが、その願いは今も心の奥底に燻っているはずだ。


「……そのときは、わたしも連れて行ってくださいね。おいてけぼりなんてしたら、許しませんから」


「もちろんだ」


 未知なる領域に踏み込む以上は、『鑑定士』としての能力は必要不可欠。迷うことなく頷いたイツキであったが、しかし、菜乃子の言葉の本意はそこにはない。


「はぁ……」


 遠く、遠くを見つめて、明日生きるために考えを張り巡らせるイツキの横顔を眺めながら、菜乃子はため息をつく。もう少し感情的な人間であってくれたのならと思いつつも、それもまた彼の魅力だと思うと笑みが零れ落ちる。


「校舎を留守にいる以上、防衛体制はしっかり整えておかなきゃな」


「そうですね」


 自己主張したい想いを抑えながら、静かにうなずく菜乃子。彼女にしてみれば、今のこの距離感が心地よいのかもしれない。いつしか菜乃子は、自分が本当に現実世界に帰りたいのか、わからなくなっていた。



 ◆



 若椿高等学校には、設備の充実した食堂が併設されている。異世界転移にあたって、科学技術の結晶であるそれらを利用することはできなくなっていたが、簡易的な料理なら十分すぎるほどの作業場を提供してくれている。


 『料理人』である櫻井愛未は、校舎組の調理業務のすべてを担当している生命線だ。


「おーい、櫻井! 今日も釣れたぜー!」


 そんな彼女の元にやってくるは、『武闘家』である岩沢新泰だ。


「えっ、今日も!?」


「おう! やっぱ俺、天才じゃね?」


 彼は『武闘家』でありながら、天職に頼らない方法で食料確保に乗り出していた。校舎の近くの川に生息する、川魚に狙いを定めていた。


「人間、案外なんとでもなるんだよな。暇なやつみんなで釣りしたら、食糧難なんてありえねーじゃん!」


「あはは……まぁ、時期によっても変わると思うから……」


 食糧難で苦しめられていた梅木が聞いたら、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていたことだろう。当時、新泰は釣りの許可を出してもらえるはずもなく、天職を活かすために訓練を義務付けられていた。彼が釣り師としての才能を開花させたのは、間接的には梅木の支配から外れたおかげでもあった。


「しかし、すっげーよな、『料理人』って。魚って、細菌とか寄生虫とかいっぱいいんだろ? それなのに、魔法一つで解決しちまうもんな」


 櫻井愛未の『料理人』としての特性は、安全性と栄養の追加補正。つまりは作る料理がとても安全に、栄養価の高いものに品質が上昇するというものである。他の職業のように、作業の時短の面ではあまり効果がないものの、サバイバル生活において食中毒の心配をしなくて済むのはあまりにもチートである。


 他の生産系の天職も強力だが、彼女の『料理人』の能力は、特に替えのきかないものだ。


「櫻井さぁーん……やっぱ駄目だったよー」


 厨房の奥から顔を出したのは、『雷術士』堀青葉だ。


「いくら電気が使えるっても、家電製品は無理じゃないかなー。何度やっても、壊れちゃう……」


 櫻井愛未は、雷魔法が家電製品の電力供給に使えないかと彼女に協力を依頼していた。もし、電力源が手に入るのなら、料理できる幅が飛躍的に増加する。いや、それだけではなく、校舎組にとって多大なる影響をもたらすはずだった。


「魔法の電気と科学の電気は、違うのかも。きっと、単純な仕組みじゃないんだー……」


「ううん、ありがとう! 協力してくれただけで嬉しいから!」


 意気消沈する青葉を慰める愛未。ほほえましい光景を見守っていた新泰が、青葉の手にしていた真っ黒に焦げたドライヤーに視線を向けて。


「……雷魔法って、すげー。炎も風もあったけど、雷だけなんか異様に強くねえ?」


「えー? そうなの~?」


 ぐでんと食堂の机にへたりこみながら、青葉は気だるそうな声を上げる。


「『血溜まりの夜』のときのあのすげえ落雷も、堀の魔法なんだろ? 出力だけで言えば、『雷術士』が最強なんじゃねーかな」


「別に嬉しくない~~~~」


 女子高生にとって、最強なんてものに興味はなかった。その言葉に心がくすぐられるのは、男の子だけ。


 だが、現実問題として、新泰の指摘は極めて正しい。

 もし彼女がフル充電の状態で雷魔法をぶっ放せば、校舎組の仲間を皆殺しにすることも可能だろう。幸か不幸か、生粋の平和主義者である彼女が、その能力を身内に向けることはありえない。


「他の天職も、明らかに性能が違うよね。『仕立て屋』だって、大崎くんと江頭くんとじゃ、同じ能力なのって思うこともあるし……」


「カースト順位通りじゃないのも、変だよなー。むしろ、順位が低い奴の方が強い天職を貰っている気がする」


「そーかなー。でも、結局戦闘職が上位の人たちばかりってことは、そういうことなんじゃないかなー……」


 生産するのは下位。

 管理するのは上位。


 無秩序な世界だからこそ、暴力こそが最上位に与えられて然るべきだ。


「それに『雷術士』って、燃費ちょー悪いんだよねー……。すぐにお腹が減って動けなくなるし……ピリッとしないなぁ」


「あはは……待っててね、すぐにお魚さんを調理するから」


「俺にもくれよ! な!」


「もちろんだよー」


 もちろん、愛未は現実世界では魚を捌いた経験など一握りしかない。見知らぬ魚となれば、本来は手間取るだろうが――。


「ちょっとまっててね」


 天職『料理人』が、魅力的な料理を生み出すための最短ルートを教えてくれる。彼女が食への探究心を抱き続ける限り、能力は技術を補ってくれる。


 校舎組の胃袋を掴んだ彼女こそが、ある意味もっとも立場が強い生徒なのかもしれない。

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