053 誰にも理解されなくていい


 がやがやとした喧騒が、二階にある家庭科室から聞こえてきた。気になって顔を出してみると、珍しい組み合わせの三人が何かを言い合っている。


「ちょっと待ちなさい、これ、何の服装なのかしら!?」


 背中開きの、裾の長いワンピースに袖を通した聖凪が、顔を真っ赤にさせながら声を荒らげていた。どこかのご令嬢が着てそうな仰々しい衣装だが、何かがおかしい。肩の膨らみのせいだろうか。


「た、ただのワンピースだが?」


 元学級委員長の本橋大地が、しらばっくれていた。片や隣に控えていた江頭幸田は、慌てふためいている。


「や、やっぱ駄目だよ……!! メイド服ってバレたら、あとで怒られるって……!!」


「着せたいんだろう? クラシックスタイルのメイド服なら、途中までバレやしない。ほら、見てみろ。エプロンやカチューシャがなければ、それとわかるまい」


「いや限界があるって! すでに怪しんでるし……!!」


「だけど、平山聖凪に着せられる機会は今しかないぞ?」


「……う!!」


 先程のプールへの転落騒動によって衣服を濡らしてしまった彼女らは、バスタオルに身を隠しながら着替えを求めて更衣室に向かっていた。その道中、たまたま大地と遭遇したところで、新作の衣装を提供すると偽って黒いワンピースを着せたようだ。


「い、いくらなんでもロングスカートが豪華過ぎるわ。少し、重たいし……」


「……へぇ」


 三人の様子を眺めていたイツキは、まんざらでもなさそうな聖凪の表情に気付く。おそらく彼女は、これがメイド服であると薄々気が付いている。それなのにはっきりと指摘しないのは、期待しているのだろうか。


「なんだあいつら、平山にメイド服を着せようとしてんのか」


 濡れた髪をバスタオルで拭きながら、肌着に下着という格好で堂々と現れる神美。味来のないその姿に一瞬戸惑いながら、イツキはすぐに自分の上着を差し出した。


「お、気が利くねえ」


 当たり前のように受け取りながら、肩にかける。適当に扱われているように見えるが、濡れた髪の毛が生地に触れないよう上手くバスタオルを間に挟んでくれていた。


「下はくれねえの?」


「俺が不審者になっちまう」


 それに、上着の丈の長さが股下をある程度隠してくれている。際どいが、ギリギリセーフ。


「見てみろよ、大崎。平山、言いくるめられてエプロンまで着ようとしてやがる。あいつ、おだてたら何でもしそうだな。ちょろいちょろい」


「おぉ……」


 おそらくは、メイド服を女子に着せたいという江頭幸田の願いだろうが――それを、大地が協力していることが驚きである。


「ぶっちゃけ、女子にメイド服を着せたいってのは死ぬほどキショいが、満更でもねえやつはいるんじゃねえの。平山みてえに、なし崩し的に着せられるなら構わねえってやつはな」


「……じゃあ、素直に着てくれたら良いじゃん」


「バカだな、お前。モテねえだろ? 女子ってのは、なんかキモいってだけで心理的なハードルが上がっちまうんだよ。特に江頭みたいな挙動不審なやつから言われたら、どんなに好きな衣装でも嫌になんだろ」


 だけど現実として、メイド服を着てみたいという女子は意外と多い。結局のところ、何を着るかの問題ではなくて、どういう過程で着るかが大事なのである。


「仮に好きな人に着てくれって言われたら、喜んで着るだろ。ちゃんと女心を理解してやれ。上手くやりゃあ、女子全員メイド服を着させることも夢じゃねえかもよ?」


「……念のため補足しとくけど、俺の趣味でも願望でもないからな?」


 あの二人が勝手にやっていることである。


「おぉ、キモイキモイ。男子って本当にバカだよなー」


 エプロンを手渡されて、首を傾げながらも身につける聖凪。メイド服の象徴たる肩口の大きなフリルを見て、もはや彼女は確信している。


「……あの、本橋くん?」


「なんだ?」


「これ、あれよね……? あの、め、メイド……」


「――メイド服とは、至高の作業着でございます!!」


 覚悟を決めた江頭が、ひときわ大きな声で言い放った。


「そもそもメイドの成り立ちから説明いたしますと――――――(くどくどくどくどくどくどくどくどくどくど)」


 凄まじい勢いで放たれる早口言葉の連撃。

 途中までは理解しようと意識を追いかけていたが、すぐに白旗を上げてしまう。そこから伝わったのか、彼の熱意だけ。それも、ものすごく気持ち悪い方法で。


「ひゃはははははははは!! やっべぇって、マジで! それはねえって!! ひひひ……!!」


 涙目を浮かべながら、腹を抱えて笑う神美。

 片や聖凪も、どうすればいいのか困りきった様子だ。


「……もし、これを着たら、江頭くんはちゃんとみんなのために働いてくれるの?」


 それは、諦めにも似た選択。


「いや、あの、その」


 尚も渋る幸田は。


「カチューシャと手袋もお願いできますか?」


「…………」


 完成形を追い求めることに、躊躇いがなかった。


「わ、わかったわ……」


「あはははははははははははははははは!!!」


 腹がよじれそうなほど笑い転げる神美。これ以上暴れたら、見ていることがバレてしまいそうだ。


「これっきりだからね」


「……はい」


 たかがメイド服に、どうして彼はそこまでこだわるのだろうか。イツキにも、聖凪にも、大地にも、それは理解できない感性。だが、他人がどう思っていようとも、自分にとって価値のあるものがあって。


「――着替えたわよ」


「おお……!」


 自分が、メイド服の美少女をコーディネートした。それだけの事実に、意味を見出すものもいる。気持ち悪いかもしれないし、バカだと思うかもしれないが、江頭幸田はそういう人間だった。ただ、それだけ。


「…………」


 正統派清楚系メイドの降臨を目の当たりにした幸田は、目を見開いていた。魂が吸い取られるような、呆けた表情である。やがてゆっくりと、下唇に力が籠もる。僅かな震えを、大地は見逃さなかった。


「良かったな」


「……ん」


 声にならない肯定を耳にした途端、大地は幸田の肩を叩く。


「この日を、一生忘れないよ」


 感極まった幸田は、喜びの示し方がわからなくて。


「異世界にも、メイドはいるんだ。それなら俺も、頑張って生きていける」


 相変わらず、その感性は理解不能だが。

 彼にとってメイド服というのは、それほどまでに活力を与えてくれるようなものである。


「おもしれーな、あたしらのクラスメイト」


 ひとしきり笑い転げた神美は、しみじみと頷いている。


「最高じゃねえか、終末世界。あたしも、ちょっとやる気出てきたよ。ここにいたら、もっと劇的で面白いもんが見れそうな気がしてきた。お前らのこと、好きになってきたぜ」


 現実世界の、多様性のないありきたりな毎日とは違う。ここでは己の欲望や信念がそのままむき出しとなって、みんなの前に晒されるのだ。


「お前らは、生きているんだな」


 生を預かって、全うする。


「あたしも、生きてみようかな」


 死んでもいいと思っていた少女もまた、変わりつつあった。


「……ねえ、あなたたち……まさか、見てたの?」


「げ」


 いつの間にか、聖凪がこちらを睨みつけていて。


「よ、よく似合ってるね、平山さん。じゃ、俺はここで」


「だ、誰にも言わないでよっ!?」


 立ち去ろうとするイツキの背中に、慌てて声をかける。


「出来れば、忘れて!! こ、こんなの、恥ずかしいから……!」


「そりゃ無理な相談だ」


 イツキからしてみれば、他意のない言葉だろうが。


「平山さんのメイド服が可愛すぎて、脳にこびりついちゃった」


「なっ!?」


「制服よりも、似合っているじゃない? 今日から毎日着てみたら?」


「無理に決まっているでしょう!!」


「つ、つ、作りますが! 毎日分!」


 すかさず幸田は欲望を積み増しするが。


「もうだめー!!!!!」


 メイド服をスタンダードにするには、まだまだ時間がかかりそうだった。


「……ありがと、本橋」


 そして。


「俺も、良いものを見せてもらった。お前の作ったメイド服は、素晴らしいな」


 バカな男子二人もまた、絆を育む。


「んで、次は誰に着せる?」


「そうだな……」


「まだ満足してないの!?」


 男同士でバカなことに熱中するのもまた、青春の醍醐味である。

 キモいと言われようとも、迷惑のかからない範囲で彼らはこの世界を楽しもうとしていた。


「ちゃんと仕事はしろよー」


「ああ、もちろんだ!」


 この日以降、江頭幸田の生産クオリティは劇的に上昇した。タオルやガーゼ等の消耗品なんかは、イツキとそう大差ないクオリティで仕上げられるようになっていく。生活の充実が、仕事の充実につながる。以前の梅木のやり方では、それすら体現できていなかったのだ。


「お前、笑うようになったな」


「そ、そう?」


 失われた青春が、煌めいた。

 そして少年少女たちは、大人の階段を登っていくのだ。

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